少女星間漂流記2
白の星
ワタリは不満だった。
「ねえ、リドリー」
「う~ん?」
リドリーは宇宙船内の設備で薬品の実験をしていた。右手に赤い薬の入ったフラスコを、左手に青い薬の入ったフラスコを持っている。リドリーの背中をワタリがじーっと見つめていた。
「最近かまってくれないよね」
「う~ん?」
薬品を凝視しているリドリーの返事はおざなりだ。実験に意識が向いている。
ワタリはうんざりした口調で言った。
「最近っていうか、前からリドリーはそういうところあるんだよなぁ。実験とか自分が興味のあることばっかりに夢中になって……」
「わかったわかった。後で聞くよ。今いいところなんだ」
「…………」
星間航行は暇である。だからこそワタリはリドリーにかまってもらいたいのだが。
リドリーは、いつだって自分の好きなことをしてしまう。
ワタリはジトッとした目でリドリーを後ろから見つめているが、リドリーは振り向きもしない。実験に首ったけだ。
やがて、
「よし、できた!」
赤と青の薬品を混ぜ合わせてできた緑の薬品を掲げて、リドリーが歓喜の雄叫びを上げた。
「今の私の科学力の粋を結集させてできた魔法の薬だ! 太古から人類が抱いていた夢が今! 完成した!」
「ふぅん……」
ワタリはそんなものには興味がない。人類の夢などどうでもいい。それよりもリドリーと一緒にだらだらしたり、話をしたり、ゲームをしたりしたいのだ。
ぶすっとしているワタリに気付かずに、リドリーは上機嫌で言った。
「ノリが悪いな。どんな薬かと聞いてくれよ」
「ドンナクスリ?」とワタリが感情のこもっていない声で尋ねた。
「聞いて驚くなよ。なんとこれは、性別を反転させる薬だよ」
「…………」
「男が飲めば女に、女が飲めば男になるんだ」
「…………」
「なんでそんなに冷たい目で私を見るんだ」
「何の役に立つの、その薬」
「何の役に、だと?」
リドリーが心外そうに言った。
「わかってないな。何の役に立つのかは全く重要じゃない。こういう薬を作れたことが大事なんだぜ。科学者とは芸術家だからね。自分の理想を実現させるのが最重要。何の役に立つかなんて、あとで考えればいいのさ」
「そっか。私よりも何の役にも立たない薬の方が大事なんだね」
「どうしたワタリ。めんどくさい彼女みたいなこと言って」
「別に……」
「明らかに別にって顔じゃないぞ」
「別に」
「はあ……本人がそう言うならいいや」
その言葉を聞いてワタリはますます不服そうな顔をしたのだが、リドリーはやはり気付かずに完成した薬を小さな容器に移していた。
ちょうどその時だった。宇宙船に備え付けのレーダーが新たな星を感知したのは。
馬車は早速その星へと近づいていく。
やがて窓から星が目視できるようになった。
見えてきたのは白い星だった。
「綺麗……」とワタリが漏らした。
「見た目の美しい星は、それだけでテンションが上がるね」
白い星を目指して、馬車は宇宙の闇を駆ける。
馬車が星に降り立つ。その瞬間、何故星が白かったのかが分かった。
大地一面が百合の花で覆われている。地平線の向こうまで真っ白だ。
「花園だ……」
百合の花園だった。
二人は馬車から少し歩く。
白の花園には、そこに住む者たちがいた。
けれど、その者たちはどうやらこの星に土着の星人ではなさそうだった。多種多様な風貌をしている。色んな星人が集まってきているように見えた。
だが共通していることもある。
全ての者たちが美しい女性であること。
そして全員がつがいを作って、仲睦まじくしていることだった。
長椅子に座っている二人の女性は、膝の上にお弁当らしきものを乗せていた。
「お姉様、あーんしてください♡」
「あ~ん……」
大きく口を開けた片方の女性に、もうひとりの女性が食べ物を放り込んでいた。
違うベンチにも女の子が二人いた。短髪の女の子を、長髪の女の子が膝枕している。
黒くて長い髪がカーテンのように、短髪の女の子の顔に降りていた。
見上げる短髪の女の子が言った。
「お姉様……」
言って、短髪の女の子が長髪の女子へと手を伸ばす。長髪の子の頬を撫でた。
長髪の女の子が応えた。
「ん……」
小さくそう言った長髪の女の子は、自分の顔を短髪の女の子の顔へと近づけていった。
唇と唇が触れ合う音が聞こえた気がした。
「わ……わぁ……」
ワタリは赤面して、顔を手で覆いながら――けれど、指の隙間からしっかりと瞳を覗かせて――その様子を眺めている。
「なあ、なあ」
リドリーがにやにやしながらワタリの服を引っ張った。
「あっちのがすごい」
リドリーが指さした方向にも、二人の女の子がいた。
その二人は両手の指を絡ませて、身を寄せ合っていた。長身の女の子の胸に、背の低い女の子が顔をうずめている。
背の低い女の子が言った。
「お姉様、もう我慢できません……」
そう言うと背の低い女の子は、長身の女の子を押し倒した。百合の絨毯の上に二人の体が沈み、白い花弁が舞い上がった。
長身の女の子が、背の低い女の子を押しのけようとしながら言った。「ダメ……こんなところでは。人の目が……」
「人に見られてもかまいません!」
背の低い女の子が遮った。
「お姉様と今すぐに愛し合いたいのです」
「あなた……」
それで長身の女の子は抵抗をやめた。百合の花の隙間から、衣擦れの音が微かに聞こえてくる。
ワタリが戸惑いながら言った。
「一体この星は……」
「美しいでしょう?」
ワタリの問いに応じたのは、リドリーの声ではなかった。
気付けば、一人の女性が二人の下へやってきていた。
その女性は明らかに人間ではなかった。
真っ白な髪に、真っ白な肌。瞳の色は淡い黄色で、甘い香りを漂わせている。手足は茎のように細い。明らかに人外の美しさだった。
リドリーが尋ねた。ワタリはリドリーの背後に隠れてしまっていた。
「あなたは……」
「私はリリィ。この星……いえ、この花園の主。地球人のあなたたちにもわかりやすく言うと女神のようなものよ。百合の女神」
「私たちが地球人とわかるんですか」
「ええ、だってここには地球の女性の移住者もいるもの。みんな、私の大事なお花」
リリィは二人に微笑んだ。
「長旅お疲れ様でした。あなたたちはついに楽園に至ったのよ」
「楽園……?」
「この花園はね、私が作った楽園。完璧な美の領域。美しい女性と、彼女たちを繋ぐ美しい愛だけに満ちた場所。おめでとう、私はあなたたちをこの星の住人として認めます」
たまたま近くにいた女の子が言った。
「リリィ様に選ばれるのは光栄なことなのですよ。美しき愛を宿した女性同士の組み合わせでなければ、この星には入ることもできないのですから」
その女の子のつがいが言った。
「ここは素晴らしい星です。衣食住をリリィ様が保証してくださる上に、ここにいれば歳を取らないのです。リリィ様の魔法で、私たちは決して枯れない百合の花となるのですよ。愛する者と永遠に一緒にいられるのです」
「ふぅん」と言ってリドリーは思案した。
「そういう法則の星か」
星によっては不可思議な法則が働いている星もある。このリリィなる女神の力で、この星の人間は守られているのだろう。
リリィがリドリーとワタリに言った。
「あなたたち、とーっても素敵よ。私、すっごく気に入っちゃった。是非この花園に加わってちょうだい。永遠に私が魔法で守ってあげるから」
ただね、とリリィは言った。
「魔法をかけてあげるためには、条件があるんだけれど……」
「どんな条件ですか……」
聞いたのはワタリだった。人見知りの彼女が自分から他人に話しかけるのは珍しいことだったから、リドリーが尋ねた。
「おや、興味があるのかい」
「そりゃあ、あるよ。だってここにいれば、リドリーとずっと一緒にいられるんでしょ。ま、リドリーは私と一緒にいるの嫌だろうけど」
つんとした様子で言うワタリに、リドリーは即答した。
「嫌なわけないだろ」
「じゃあ、教えてもらおうよ。どんな条件を満たせば魔法をかけてもらえるのか」
ワタリは少し不安そうな顔をしてリリィを見た。彼女は経験上、この手の条件は厳しいことが多いと知っているのだ。
「……どんな条件なんですか」
けれど、リリィはワタリの不安を見抜いたように言った。穏やかな表情だった。
「そんなに怖がらないで。大丈夫。条件といっても難しいものじゃないわ」
リリィは胸の前で手を合わせて言った。
「二人がキスをしてくれればいいの」
ワタリが目を見開いて言った。
「キスを……?」
「ええ、それだけよ。そうしたら二人に私の魔法がかかるの。キスで魔法がかかるなんて素敵でしょう」
「それで……衣食住が保証されて……年も取らなくなるんですか」
「その通り! 脆弱なあなたたちは私が守ってあげる! さあ、はやく私にキスを見せて!」
リリィは自分の体を抱くようにして、身悶えした。
「女の子同士の美しい愛。それだけが私を昂らせるのよ!」
ワタリがリドリーを見た。
「リドリー……」
ワタリの顔は真っ赤だった。
「人前では恥ずかしいけど……。それでこの旅が終わるなら」
リドリーは答えた。
「……そうだな」
リドリーは続けた。
「悪くない。衣食住はもちろんだが、不老になるのがいい。現代科学でも達成できない、人類の夢だ」
リリィが歓喜する。
「そうでしょう! だったら早くキスを!」
けれど、とリドリーは言って、リリィを見た。
「あなたの言葉が引っかかる」
リリィは素っ頓狂な声を出した。
「ええっ?」
「言葉ってのは端々に思ってることが出るものです。気に入ったとか、住人として認めるとか……あなたの発言はどうにも他人を見下しているきらいがあります。キスをさせる……っていうのもね。ナンセンスだ。キスってのは……世界で一番自由でなくちゃいけないのに」
リドリーはそれこそ見下したような顔でリリィに言った。
「私は自分がしたい時に、ワタリにキスをします。それ以外では、たとえ女神様の命令でもお断りです」
そう言うと、リドリーは女神に背を向けた。ワタリの手を掴んで、馬車へと歩き出す。
「行こう、ワタリ。他の星を探そう」
「ええと……」
引きずられるようにワタリが歩き出す。
だが、二人の歩みは阻まれた。
二人の前に女の子のつがいが立ちはだかったのだ。
リドリーが脅すような低い声で言う。
「どいてください。私たちはこの星を出るんです」
「行かせないわ」
背後でリリィが言った。
「私はね、あなたたちをすごく気に入ったの。見た目が好みなの。あなたたちが愛し合っているのを絶対に見たいの。私のお花に加わってくれないと嫌なの。私の花園は女の子同士の愛で調和する、完璧な美なのだから!」
女の子二人が、ワタリとリドリーの手を掴んだ。
「キスをしないと言うなら、させるまでよ」とリリィが言うのが聞こえた。
二人の女の子の目はうつろだった。そこに意思の光は感じられない。
女の子二人はすさまじい力でワタリとリドリーを拘束すると、二人の顔を近づけさせようとした。
リドリーがため息を吐いた。「やっぱり裏があったな」
リドリーがワタリにアイコンタクトを送る。ワタリがそれで頷いた。
ワタリは怪力で自分を拘束している女の子を跳ねのける。そしてリドリーを拘束している女の子も引きはがした。
跳ねのけられた女の子と引きはがされた女の子は、今度はワタリに襲い掛かってきた。ワタリの強さに面食らったり、怯える様子もなかった。まるで機械の人形のようである。
「ごめんね」
ワタリは軽く二人をいなすと、首の後ろを手刀で打って気絶させた。
「これでひとまずは大丈夫かな」
二人はリリィを見た。彼女自身が襲ってくる様子はない。おそらくはリリィ自身の戦闘能力は低いのだろうとリドリーは推測した。
「さっさと馬車に乗ろう」
無数の足音が聞こえてくる。花園にいた女の子たちが、一斉にワタリとリドリーに押し寄せようとしていた。
ワタリはリドリーに尋ねた。「この園の人たち、みんな女神の手下だったの?」
「女神の魔法で操られてるんだろう」
リドリーはリリィの発言を思い出す。
「アイツの口ぶり……まるで私たちにキスさせれば全て思い通りにいくかのようだった。おそらくはキスをさせた相手を女神は支配できる」
花園の女の子たちが操られているかのように襲い掛かってくるこの状況を説明するにはそれしか考えられなかった。
「気に入った女同士に、変なことさせて楽しんでるんだろう。変態の女神だ。こんなところにはいられない」
「……うん」
二人が駆けだしたその時、百合の甘い香りがふうわりと漂ってきた。
途端、異変が起きた。
「!?」
ワタリが突如としてリドリーの手を掴んできたのだ。そして彼女を花園の上に引き倒した。
驚いたリドリーが、ワタリを見上げて尋ねる。ワタリの長い髪がさらりとリドリーの上に落ちてきていた。
「な、何を……!」
「リ、リドリー……」
ワタリの様子がおかしい。顔がほんのりと赤くなっている。吐く息も熱を帯びている。
ワタリはリドリーに覆いかぶさって、万力のように手を掴んでいた。
くすくすという笑い声が聞こえてきた。
「ダメじゃない。ちゃんと愛してあげなきゃ」
リリィの声だった。
「この庭園に咲く百合の香りは毒なの。吸った者が抱いている、愛への欲望を強めるのよ」
「嘘を言うな」とリドリーが即座に切って捨てた。
「異星に来るときは、私とワタリは有害な毒や菌をシャットアウトする薬を飲んでいるんだ」
星にある温泉を堪能するなどの特別な状況でない限り、いつも薬は飲んでいる。
「無駄よ。だってこの香りは脳じゃなくて心に作用するのだから。物理的なシャットアウトに意味はないの」
リリィは楽しそうに続けた。
「この香りを吸った人はね、寂しさを感じていればいるほど相手を強く求めるようになるの。最近、その子にそっけなくしていたんじゃないかしら」
「何一つ心当たりはないね!」
嘘である。心当たりはありすぎた。
「リ、リドリー……」
ワタリがとろんとした目で見つめてくる。
「キス……しよ……?」
「くっ……」
リドリーは歯噛みする。状況は危機的だった。リドリーにワタリを跳ねのける力はない。
ワタリの顔が近づいてくる。もはや避けようもなかったが……。
「う……」
そこでワタリは弾けるようにリドリーから離れた。
「に……逃げて、リドリー……」
ワタリは胸を押さえてうずくまった。どうやら暴走する自分の体を抑え込んでいるようだった。
「はやく……行って……。長くは持たない……」
息も絶え絶えに言うワタリの背後でリリィが驚愕している。
「この子……私の香りに抗っているの? 強烈な寂しさと切なさが押し寄せているはずなのに、それを堪えてまで恋人を逃がそうとしているの?」
ぶるりとリリィが震えた。
「ああ! 尊い! ますますあなたたちが欲しくなったわ!」
リドリーは馬車へ駆けようとしたが、もう遅かった。ワタリに押さえつけられている間に、周囲の女の子たちが集まってきてしまっていた。
――かくなる上は。
リドリーはスカートの下からレディースのピストルを抜いた。それをリリィに向ける。
――原因を殺すしかない。
この花園の女の子たちはリリィの魔法で動いている。ならば、リリィを殺せば魔法は解けるはずだ。
狙いを定めて、引き金を引こうとした。その時だった。
駆けつけた女の子の一人が、リリィの前に踊り出た。手を大きく広げて、身を挺してリリィを守っていた。
「くっ……!」
不覚にもリドリーは止まってしまった。自分たちが生き残るためならば非情になれる彼女だったが、目の前にいるのはリリィに支配された被害者と思うと撃てなかったのだ。
その一瞬のためらいが致命的だった。
傀儡の女の子たちはもはやリドリーの目と鼻の先まで近づいてきていた。彼女たちの伸ばした手がリドリーに触れようとしている。触れられれば、非力なリドリーなどあっという間に引き倒されてしまう。
が、そうはならなった。
女の子たちが触れるより早く、リドリーは目を瞑って自分の耳――イヤリング――に触れたのだ。
光の奔流。百合の花すら上塗りする白が花園を満たした。
「きゃあああ!」「うわぁああ!」
女の子たちは悲鳴を上げて、その場にうずくまった。瞳を手で覆いながら、悶えている者もいる。
リドリーのイヤリング型閃光弾が炸裂した結果だった。これならば女の子たちを傷つけずに無力化することができる。
「あら! そんな武器が!」
リリィは手で上品に口を隠し、目を丸くして驚いている。閃光はリリィには効いていなかった。人でないからだろう。リドリーは女の子たちの合間を縫って、リリィに近付いた。そしてリドリーの腕前でも絶対に弾を外さない距離で、銃口を突き付ける。
「まあ、大変!」
今度こそ躊躇いなく引き金を引いた。銃弾が錐揉みしながら飛んでいく。弾はリリィの額に吸い込まれていく。
なのに、
ありえないことに途中で止まった。
止められたのだ。
「な……」
だが止めたのはリリィではない。彼女にはそんな力はない。
ワタリだった。ワタリが弾丸をつまんで止めている。
ワタリが、リリィを守っていた。
思わずリドリーは目を剥いて叫んだ。
「ワタリ……何をしている!」
だが、リドリーの叫びもワタリには届かなかった。
「はぁ……はぁ……」
ワタリはすっかり上気しており、瞳もとろんと蕩け切っていた。呼吸も荒くて苦しそうだ。
リドリーは気付いた。
(甘い香りに完全に支配され――)
そう思った次の瞬間にはワタリはリドリーの懐に踏み込んでいた。その動きはリドリーの動体視力では追うことすらできなかった。
ワタリはリドリーの頬に手を伸ばして、掴んだ。そして片手でリドリーの顔をがっちりと固定してしまった。圧倒的な力だった。
ワタリが顔を近づけてくる。逃がさないようにして、キスをしようとしているのがわかった。
「ワ……ワタリ、正気に戻ってくれ……」
リドリーにできるのは、言葉で訴えることだけだ。頬を押さえつけられながら、どうにか言葉を繋いでいく。
「ワタリが手を放してくれれば……あいつを殺せる。ここで私たちがキスすることに……何の意味がある。そいつのコレクションになるだけだ……」
ワタリはリドリーを見下ろしながら言った。
「それの何が問題なの?」
「な、なんだと……」
「リドリーと今キスできるなら、どうなったってかまわないよ」
ワタリは苦しそうな顔をした。
「苦しいの、胸が。切なくてたまらないの。全部リドリーのせいだよ。リドリーがかまってくれないから」
ワタリは言った。
「リドリーが悪いんだよ」
ワタリの顔はもう近かった。今まさに唇が触れようとしている。
ダメだ。キスをされては。何もかもが終わってしまう。
お互いにそう思っていたが、抗えなかった。
リドリーは諦めるほかなかった。
……思えばそう悪くもないのかもしれない。わけのわからない星で死ぬよりは。傀儡になってもワタリと一緒にいられるなら、最悪のケースではないだろう……。
そう思うことにして、リドリーは目をつぶった。
「ん……」
唇と唇が触れ合う感触がした。捕食のような口づけをワタリはした。
ワタリの柔らかさを感じる。ワタリの息がかかるのを感じる。
目を閉じて作った暗闇の中でリリィの狂喜する声が聞こえた。
「ああ! ああ! なんて美しいの! これよ、私が見たかったのは! なんていう尊さ!」
ワタリはリドリーを貪った後に、彼女を解放した。脱力して膝をついたリドリーに、リリィが言った。
「さあ、これで魔法がかかったわ。あなたたちは私の花になったの。全てが私の思うまま。あなたたちの愛をもっと見たい。だから、命じるわ」
大興奮しているリリィはリドリーとワタリに、びしっと指を突き付けて命じた。
「二人とも。秘めている感情をさらけ出しなさい。互いに愛をぶつけ合う姿を見せて!」
「…………」
リドリーもワタリも、もう逆らえない。二人はキスをしてしまった。花園にいる女の子たち同様に、リリィを楽しませるための花になってしまったのだ。
リドリーがゆらりと立ち上がった。そしてワタリと向かい合うと、互いの指を絡ませて手を握った。
リドリーが小さく口を開けた。唇はワタリの首筋に近づいていく。甘く噛みつこうとしているのが分かった。リリィが血走った目でそれを見つめている。
「そう! それ! それよ!」
リドリーの歯が、ワタリの首の皮に触れた。微かに唾が滴って、ワタリの肌を濡らした。そのまま歯が深く突き刺さりそうになって、
「ああああああああああああっ!」
そこでリドリーは弾けるようにワタリから離れた。
「なっ!」
驚愕したのはリリィである。
「私の魔法が効いてないというの!? そんな馬鹿なことあるはずない」
戸惑いながらも、リリィはリドリーとワタリにもう一度命じた。
「早く求め合いなさい!」
けれど、リドリーもワタリも動かない。リリィは狼狽して、たじろいだ。
「あ、ありえない……。でも……」
いよいよ認めざるを得なかった。
「魔法がかかってない……。どうして。確かに二人はキスをしていたわ。魔法がかかった手応えだってあったのよ。なのに、何故……」
リドリーが低い声で答えた。
「ああ、そうさ。魔法はかかっていた、確かにな。これは賭けだった。『僕』としてもな……。正直ほとんど諦めていた……」
そこでリリィはおかしなことに気付いた。
「あなた、その声……」
リドリーの声が妙に低い。それは怒っていたり、威圧している低さとは違う。
女の子の声の低さではない。
「お前はこの花園の美を誇っていた。女性しかいない完璧な美だと。もしその秩序を乱すことができたなら……あるいはこの星の法則を突き崩せるんじゃないかと思ったんだ。『僕』という異分子を混ぜることで……」
見ればリドリーに喉ぼとけができていた。胸のふくらみがなくなっている。手も大きくなっていて、肩幅も広くなっていた。
「あなた、男!?」
リリィの目が震える。声も震える。
「いえ、そんな馬鹿な。男はこの花園にそもそも入れないのよ! 私が入れないのだから」
「まったく。何の役に立つかは後で考えればいいと言ったが、その通りになったな」
リドリーは花園に、小さな容器を放り捨てた。空っぽのそれは、性別を反転させる薬が入っていたものだ。
ワタリにキスをされる直前、リドリーは一か八かその薬を飲み干していたのだ。
「そんなことが……」
リリィは頭を抱えて狼狽えている。
花園に変化が起こった。一面に咲いていた百合が枯れ始めたのである。力を失い、汚らしい茶色へと変わっていく。
「ああ、そんな! そんな! 私の百合がぁ! 私の美がぁ!」
リリィは髪を振り乱して喚いた。
「百合が! 百合の花が! 儚く可憐な百合の花が! 私が守らなきゃいけない花がぁ!」
狂乱しているリリィにリドリーは言った。
「お前が何を言っているか、僕にはさっぱりだ……」
リドリーはリリィに指を突き付けていった。
「百合って植物は、お前が言うような脆弱な花じゃないんだぜ。驚異的な繁殖力と生命力を持っていて、動物に食われればそいつを毒で殺すこともある。誰かに守ってもらわなくたって、大地にしっかりと根を張って、天高く茎を伸ばし、誰にも染められない純白の花を咲かせるのさ」
花園の百合はすべて枯れ落ちた。大地は白から茶色へと塗り替えられた。
最後はリリィの番だった。純白だった髪が、肌が、茶色くなって萎んでいった。
死の間際、リリィは恨めしそうに言った。
「百合に男を挟んだばっかりに……」
それがリリィの最後の言葉だった。リリィは干からびて、地面に横たわった。
ちょうどそこでリドリーの飲んだ薬が切れた。男の子の体から、元の女の子への体へと戻る。
「持続力が全然ないな。それが次の課題か」などとリドリーは嘆息した。
リドリーはワタリに話しかけた。
「おい、大丈夫か」
「うん……」
ワタリは正気に戻っていたが、とても暗い表情で俯いていた。
「なんだ、そんな枯れ尾花みたいな顔して。枯れてるのはリリィだけで十分だぞ」
何をそんなに落ち込んでいるんだとリドリーは聞こうとした。が、聞けなかった。
会話を遮る者たちがいたからである。
「ありがとう、リドリーさん」
花園にいた女の子たちだった。彼女たちはリドリーを囲うようにして集まってきている。
「あなたがリリィを倒してくれたおかげで、魔法が解けました。これからは自分たちの心に従って恋ができます」
「ああ、そう……」
リドリーは女の子たちに大して興味がなかった。
「礼を言われることじゃない。結果として助けることができただけで、助けようと思って助けたわけじゃないからな」
「それでもあなたは私たちの恩人です。リドリーさん。いえ、リドリーお姉様と呼ばせてください」
「……うん?」
女の子たちの様子が、何かおかしかった。
「私たちは皆、恩人のあなたをお慕いしております。ですから、どうぞ私たちのお姉様になってくださいませ。リリィに代わってこの星に君臨してほしいのです」
見れば女の子たちはみな、とろんとした眼差しでリドリーを見つめていた。
「精いっぱい、お姉様に尽くさせていただきますわ」
「……とっととこの星を出るぞ、ワタリ」
群がる女の子たちをワタリに蹴散らさせて、二人は馬車に乗って宇宙へと飛び立った。
星から離れる。
リドリーは窓の外を見た。白かった星は、茶色の星へと変わっていた。
「美しいものを台無しにしたってことに関しては、心が痛まないでもないが……」
リドリーは馬車の席に座っているワタリに声をかけた。
「いつまでそんなに落ち込んでるんだ?」
「……うん」
ワタリは項垂れて座っている。先の星で正気に戻ってからずっとこうだ。
「そもそもなんでそんなに落ち込んでる?」
「だって……私……リドリーの足を引っ張っちゃったから……」
ワタリは辛そうに言った。
「リドリーのこと、襲っちゃった……」
ワタリは消沈していたが、リドリーは気休めを言わなかった。
「……確かにあれはヤバかった」
リドリーはワタリには嘘は言わないのだ。
「正直終わったと思ったね。賭けがたまたまうまくいったからよかったが……。ワタリに邪魔されなきゃ、確実に私はリリィを殺せてたよ。危ない橋を渡ることなくな」
「……うん。本当にごめんね」
沈黙が馬車を満たした。
リドリーもワタリも口を利かない。
が、ずいぶん経ってリドリーが口を開いた。
「……が、そもそもワタリがああなったのは、私に責任がある」
リドリーはワタリの前にやってきた。
そして項垂れているワタリの顎を掴むと上向かせた。
「!」
ワタリが目を剥いた。
リドリーがワタリの頬に唇を当てたからだ。
「んぅ……」
それは、寂しい思いをさせたことへの謝罪だった。唇からそれが伝わってきた。
リドリーはすぐに唇を離した。
「……まあ、研究ばっかりしないように少しは努力する」
ワタリの表情が明るくなった。我ながら単純なものだとワタリは思った。リドリーがかまってくれたのが、どうしようもなく嬉しくて、暗い気持ちが跡形もなく吹き飛んでしまったのである。
ワタリはねだった。
「ねえ、もう一回」
「嫌だね」
リドリーは即答した。
「どうして」
「強制されるのは嫌だ。キスってのは、世界で一番自由でなきゃいけないのさ」
「……そうだね」とワタリは微笑んだ。
ワタリはそれ以上はねだらなかった。
――キスなんてしなくても。
自分たちを繋ぐ、確固たる絆を感じていた。