avant title
「人生は映画に似ている。エンドロールが始まるまでは、何が起きても不思議じゃない」
長い黒髪を潮風にはためかせながら、小林先輩が呟いた。
午後三時半の桟橋に照り付ける陽射しは強烈で、長崎港に停泊する小型船舶たちも疲労困憊といった様子だ。
そんな灼熱地獄を制服姿で軽やかに歩く彼女は、それこそ映画の登場人物みたいに見えた。
「……何ですか? 今の、格言みたいなやつ」
「ふふん、たった今考えてみたんだ。どうだった?」
「自作自演とは恐れ入りました。面の皮が厚くて何よりです」
「相変わらず辛辣だなあ、弓木くんは」
「このクソ暑い中、感想を言わされる俺の身にもなってくださいよ」
「そのくらい我慢しなよ」
「無理です。完全にパワハラです」
「きみはアレだね。私が部長だってことを忘れてるね」
心底おかしそうに笑いながら、小林先輩は八ミリカメラのレンズを周囲に向けた。
波にたゆたう漁船やスポーツボート、魚を狙って上空を旋回するカモメの群れ、水面に散りばめられた宝石みたいな光の粒、子供の手の中で溶けていくソーダ味の棒アイス。
それらすべてを、彼女は玩具を与えられた幼児のような顔で撮影していく。
カメラは景色を切り取る機械じゃない。物語に脚色を加えるツールでもない。
世界のきらめきを映し出す魔法なんだ――ことあるごとに、先輩はそう語っていた。
この人は世界が終わる瞬間も何かを撮っているんだろうな、と俺は妙に納得する。
「しっかし、長崎の海は絵になるね」
「そうですか?」
「細長い湾になってるから、向こう側の陸地がすぐ近くに見えるのがいい。造船所のクレーンとか、冗談みたいに巨大なクルーズ船とか、外連味があるアイテムもたくさんあるし」
「先輩、鼻息荒くなってますよ。ほぼ不審者です」
「きみねえ、華の女子高生を捕まえて不審者だなんて……」
「でも、言ってることはちょっとわかります。綺麗ですよね」
「ふうん?」
「中途半端に田舎だし、若者人口は福岡に吸い取られるし、夏場はゲリラ豪雨ばっかりだし、嫌がらせみたいに坂道だらけの歪な土地ではありますけど」
「普通さ、ディスったあとに良いところを言うもんじゃない? 順番が逆なだけで悪意が三割増しになってるよ。まあ、これも面白い発見ってことかな?」
「……何でもポジティブに受け止めないでくださいよ。日本テニス界のレジェンドですか」
「カレンダー出す予定はないから大丈夫」
「そうですか」
「でもほんと、この街は今日も平和だねえ」
「……まあ、そうですね」
「あとちょっとで世界が終わるなんて、信じられないくらいだよ」
小林先輩が構えたカメラのレンズが、俺の顔に向けられる。
手で払いのける気力もなかったので、妥協案として俺はレンズを睨みつけた。摂氏四〇度近い熱気とか、宇宙の果てからやってくる途方もない暴力への怨嗟を瞳に込めながら。
それでも、レンズの向こうにいる小林先輩は笑っていた。
俺の厭世主義や、人の手じゃどうにもできない絶望なんてお構いなしに、世界を構成するすべてを肯定するような顔で笑っていた。
どうして、この人は世界を愛していられるんだろう。
そのレンズの向こうに、どんな光景を見ようとしているんだろう。
「あ、また難しい顔してる」
「俺には色々と考えることがあるんですよ」
「まるで私にはないみたいな言い方だ~」
「そんなことないですよ。先輩は思慮深い人です」
「棒読みじゃないですか」
「でも本心ですよ」
「そう? ならいっか」
「……ちょろい人ですね」
「純粋なお方、と言い直しなさい!」
八ミリカメラを持ち運び用のケースに仕舞いながら、小林先輩は歩く速度を少し上げた。
潮風に吹かれて揺れる黒髪に、淡い光輪が浮かび上がっている。太陽光線を反射する水面よりも輝いて見える後ろ姿に、どんな言葉をかければいいかわからなくなる。
小林先輩は何かを撮ることに情熱を注いでいるけれど、当のこの人だって、カメラを向けるに足る何かを持っているような気がした。
「ときに弓木くん、今の時代をどう思うかね?」
「早朝にやってる討論番組みたいな質問ですね」
「茶化さないで答えなさい。今の時代をどう思う?」
「どうって……」
ここは正直に答えないといけない気がした。
「まあ、わりと最悪なんじゃないですか。近いうちに全部終わっちゃうわけだし」
そう? と彼女は楽しそうに呟く。
「私はね、今が人類の歴史上で一番美しいと思ってる」
「……どうしてですか?」
「ここ一か月くらい、色んな人たちの物語を聞いて確信しちゃったね。この映画が完成したら、たぶんきみにもわかるよ」
小林先輩はこちらを振り向いて、自信満々に言い放った。
ほんとに反則的だな、と思う。
何一つ論理的じゃない台詞なのに、曇りのない瞳で見つめられると「確かにそうかもな」と思わされてしまうのだから。
「……わかりました。じゃあ楽しみにしてますよ」
「なに観客目線でいるの。きみもまだ手伝うんだよ」
「え、そうでしたっけ」
「私が何のために副部長の座を与えたと思ってんの」
「
「細かいことはいいのさ」
「それ、そんな万能な言葉じゃないですからね」
――まあいいや。
どうせ他にやることもないし、ダラダラ過ごしてたって結末は何も変わらない。
だったら、もう少し酔狂な映画監督に付き合ってみるのもいいかもしれない。
また桟橋をどんどん進み始めた小林先輩に追いつけるように、俺は足を前に踏み出した。
この夏が終わってしまうまで、時間はあと少しだけある。