「初恋は意外と死なない」――初瀬歩夢 ④
「はーつせくーん、まだ小説書かねーのー?」
夏課外が終わったあとの教室で、前の席の菅谷がまた絡んでくる。
僕の小説がきっかけで読書に目覚めたこいつは、図書館で借りた大量の本をお盆の間に読んでいたらしい。新作を楽しみにしてくれているのは嬉しいけれど、正直今は小説なんか書いてる場合じゃなかった。
「ちょっと、今はそれどころじゃないんだよ。忙しいんだ」
「へえ? もしかしてデートですか」
「違う! そんな華やかな展開じゃない!」
「じゃあなんだよ。お得意の資料集め?」
「……ゾンビと戦ってる」
「は?」
「だから、ゾンビに占拠された街から脱出しなきゃいけないんだよ!」
「え、ちょっ、病院――」
本気で心配してくる菅谷に別れを告げて、僕は駅前のゲームセンターへと急いだ。
凄まじい速度で突進してくるゾンビの頭部に、落ち着いて照準を合わせる。このとき、左目を閉じて、右目の焦点を銃の先端にある
一体目のゾンビを一撃で仕留めても、次がすぐにやってくる。
照準を定め、銃身を安定させ、呼吸を止めて発砲する。ゾンビが不規則な動きで迫ってきても要領は同じだ。何度も家でイメージトレーニングを重ねた動きで、雑なグラフィックのゾンビたちを手際よく殲滅していく。
ここにきて、ハードボイルド小説の取材で銃器の取り扱いを勉強してきたことが活きている。
とはいえ反射神経には自信がないし、一発撃つためにいちいち深く集中しなければならないので、第一ステージをクリアする頃には疲労困憊になっていた。ゲーセンに来る途中でコンビニのおにぎりを二つ補給したけれど、その分のカロリーはとっくに消費してしまっている感覚だ。
「これがあと五ステージも続くのか……」
相変わらず、このゲーセンには冷房なんて効いていない。
顎先を伝う汗をタオルで拭い、二リットルのポカリで喉を潤す。それで休憩は終わりだ。だってほら、すぐにまたゾンビどもが襲ってくる!
――本当に、このゲームを開発した連中はどうかしている。
こちとら、丸々三週間をゲーム攻略のために費やしているのだ。夏季課外がいったん中断されるお盆すら例外じゃなかった。何度も心が折れそうになりながらゾンビたちの動きを研究し、癖の強い拳銃の扱いにも慣れ、ようやく第一ステージをクリアできるようになったのがつい三日前。
ユーザーをバカにしてるとしか思えない難易度だ。
あいつら絶対、テストプレイなんか一度もやってないだろ。
お小遣いは前借りに前借りを重ね、一一月までの分をすでに消費してしまっている。今夏、このゲーセンの経営に最も貢献しているのは間違いなく僕だ。
早くクリアしないと、そろそろ物理的にプレイを続けられなくなってしまう。
「……あっ」
集中が切れた一瞬の隙を突いて、奥の方にいたゾンビが火炎瓶を投げてきた。
ふざけるな、ゾンビは火に弱いはずだろと悪態を吐きそうになるが、プレイヤーの身体が激しく炎上する方が先だった。みるみるうちにライフが減っていき、何の解決策も与えられないままめでたくゲームオーバーを迎える。
「くそっ、やってられるか!」
ただでさえパターンを身体に覚え込ませないと対応できない難易度なのに、ランダムでゾンビたちが予測不能な行動を取ってくるのが鬼畜すぎる。第四ステージまでは毎回クリアしている浮橋アリスは、正真正銘の化け物だ。
「……いったい何をやってんだよ、僕は」
一度ゲームの外に出ると、冷静な思考がのしかかってくる。
この世界はもうすぐ終わる。一二月に国連軍のプロジェクトが首尾よく失敗して、来年の五月にはもう小惑星がシベリア地方に衝突するのだ。いつか菅谷が言ったように、もう夏は二度と来ないかもしれない。
そんな限られた時間を、クソゲーにひたすら費やすなんて馬鹿げている。
このままゾンビの倒し方が上達したところで、ちょっとこのゲームが楽しくなってきたところで、はっきり言って何の意味もない。
だいたい、僕がここまで金と時間をかけているのは、ゾンビに支配された街から脱出するためでも、凄腕のガンマンとしてお互いに刺激し合うためでもないのだ。
本当はもっと、浮橋アリスと夏らしいことがしたい。
冷房も効かない場末のゲーセンに閉じこもるよりも有意義なことはたくさんある。海で泳いだり、夏祭りに行ったり、夜の校庭に忍び込んで花火をしたりとか。
それなのに僕は、映画屋の外で勝負の約束を取り付けて以降、一度も彼女と会うことができていなかった。もう八月も中盤なのに。
でも、それも当然の話。どちらが先にクリアできるのかを争っている以上、二人が同じ時間にゲーセンに来るのは非効率的だから。
僕より先に進んでいて、しかも友達が多い浮橋アリスは火曜日と木曜日にプレイ。それ以外の曜日は僕だ。それが暗黙の了解。
――本当に、こんなことを続けていていいのだろうか。
「……映画。クリアしたらまた映画を観に行けるんだ」
どうにか自分を奮い立たせて、一〇〇円玉を投入口に入れる。
何度も何度もゾンビに殺されながら、ひたすらにやり込み続ける。
第二ステージの中盤が最大の難関だ。
高速で反復横跳びをしながら毒ナイフを投げてくるゾンビがいて、そいつに手こずっているうちに毎回他のやつに噛みつかれてしまう。
てか、反復横跳びって!
難易度を上げるためなら世界観とかはどうでもいいのかよ!
一瞬余計なことを考えてしまったせいで、反応速度が遅れてしまった。反復横跳びゾンビの毒ナイフがモロに直撃。二秒間動きが麻痺し、トリガーを引いても何も反応しなくなる。
このクソゲーではそれだけで命取りだ。
瞬く間にゾンビどもが画面を埋め尽くし、成す術もなくゲームオーバー。
「……駄目だ。集中しないと」
「そうだね~。今のは初歩的なミスだよ」
弾かれたように振り返る。
ペットボトルの三ツ矢サイダーを飲みながら、浮橋アリスが「やっほー」と手を挙げていた。
僕は陸揚げされたばかりの魚のように口をパクパクさせた。
「いや、驚きすぎでしょ!」
「……あ、えっ、すみません!」
「あはは、謝んなくていいのに~」
「ええと、どうしてここに?」
「ライバルの近況が知りたかったのさ。ほら、あれから一回も話してないじゃん?」
「……ああ、そうですね」
「でもやるねえ歩夢くん。初心者の壁は超えたみたいだね~」
ショシンシャノカベデスカ、と片言で繰り返しながら、僕はたった今彼女に名前で呼ばれたことの意味について考えていた。
今のはどういうことだろう。
まだ一度しか話してないのに、知らないうちに親密度が上がってしまってるぞ。
これは噂に聞く、会えない時間が二人の距離を縮めた的なアレなのか?
「おーい、聞いてる?」
「あ、すみません。三〇秒くらい別の時空にいました」
「別の時空? どゆこと?」
「……いや、今のは忘れてください」
小説を書いている人間の悪い癖だ。普通の会話で使ったら違和感しかない単語が、勝手に口から出てきてしまう。
顔を赤らめる僕を悪戯っぽく見ながら、浮橋アリスは呟いた。
「だから、協力しようよ。二人プレイ」
「……え?」
「え~、知らなかったの? だってほら、拳銃が二丁あるじゃん。プレイ人数の選択画面も毎回出るでしょ?」
「いや、その仕様があるのは知ってましたけど……」
僕は慌てて店内を見渡す。
今日はなぜか、いつもよりも少し客の数が多い。幸いながら知り合いの姿はないけれど、海鳴高の制服もチラホラと見かける。
そんな状況で僕と協力プレイなんかしてたら、変な噂が立ったりしないだろうか。
この人は、それを迷惑に思わないんだろうか。
「知ってた? このゲーム、二人プレイ前提で作られてんの」
「そうなんですか?」
「そ。人間の身体能力じゃ無理じゃね、って場面とか多くない? 誰かと協力しなきゃ全クリなんてできないできない」
「ええと、じゃあどうして先輩は一人で来てるんですか? 友達とか誘えばいいのに」
「だって、あたしの動きについてこれる子なんて誰もいないもん。学校の友達は一通り誘ったことあるけどさ、みんなドン引きして帰っちゃったよ」
「……なるほど」
確かに、あの身のこなしは女子高生の遊びの範疇をはるかに超えている。
「でもさ。きみになら、あたしの背中を任せられるかもしれない」
「……そうですか? 僕なんて、まだ第一ステージをクリアするだけで精一杯なのに」
「たった三週間でそれなら充分! その先はほら、人間じゃ無理な領域だから」
「人間を辞めてる自覚はあるんですね」
「当ったり前じゃん。あたしは天才ガンマンだからね~!」
ちゃんとサポートするから安心して、と不敵に笑いながら、浮橋アリスは筐体に一〇〇円玉を投入した。
グラフィックの粗い画面で、安っぽい物語が展開されていく。
汚いバスルームで目覚めた主人公のガスタが、相棒のノエルと合流してゾンビに占拠されたホテルから脱出するというストーリーが、自動翻訳のようにおかしな日本語で展開されていく。しかも、どの台詞も小説書きなら目を覆いたくなるような説明口調だ。
てかこの冒頭、映画版バイオハザードのパクリだよな?
「この辺はアドバイスいらないよね! サクッと終わらせちゃおう」
「……いやいや、ここも結構難しいですよ」
「だいじょーぶ、あたしがついてるから」
やけに頼もしい台詞とともに、浮橋アリスが自動拳銃をぶっ放し始めた。
こうして隣でプレイしていると、彼女の凄さがよくわかる。
一発一発がとにかく正確で、判断のスピードが尋常じゃなく早いのだ。
画面に登場した瞬間にはもうヘッドショットで退場させられるので、ゾンビたちもさぞかし楽屋裏で驚いていることだろう。
「歩夢くん、あのゾンビが持ってるナイフ撃って!」
「え、こうですか⁉」
「ナイス! 実はこれで、第二ステージに出てくる敵を減らせるんだよね」
「マジですか、そんな裏ワザが……」
「あ、ほら、油断しない!」
「す、すみません! 窓際の敵お願いします!」
ヤバい、楽しい。
必死になって何かに没頭するのって、こんなに楽しかったのか。
口許から笑みが零れる。具体的な目標もなく、ダラダラと余生を過ごすように小説を書いていた日々が嘘のようだ。僕は冷静に世の中を俯瞰してたわけじゃなく、ただ単に今まで真剣に生きてこなかっただけなのかもしれない。
あれよあれよという間に、僕たちは第一ステージを素通りし、第二・第三ステージを鼻歌交じりでクリアして、ついにホテルの外まで出ることに成功した。
頭上を飛んでいるヘリコプターに、助けを求める主人公たち。
どうせ墜ちるんだろうな、と思ってたら、案の定ヘリは空中で爆発した。
路上の瓦礫を飛び越えて、銃やロケットランチャーで武装したゾンビたちが襲撃してくる。
機関銃の掃射を物陰に隠れてやり過ごすだけじゃなく、飛んでくるロケット弾にも銃弾を当てて防がなければならない。難易度は今までの比じゃなかった。
「うわ、うわあああっ! こっこんなの、捌ききれ……」
「あはは、慌てすぎ。遠くにいるゾンビから優先で狙えば楽勝じゃん」
「だってほら、数が多すぎますよ! どこから手をつければいいんですか!」
「そっか、まあ初見だと難しいよね~」
まだまだ余裕たっぷりという風に笑いながら、浮橋アリスはほとんど一人でゾンビたちを殲滅していく。
足を引っ張るわけにはいかないので、僕は飛んでくるロケット弾を撃ち落とす作業だけに集中した。役に立てていることを願うしかない。
結局、第四ステージは僕がゾンビの銃撃を一発だけ被弾するだけでクリアできた。
「さ、こっからが本番だよ~! 気合い入れないと」
流れる汗を手で拭いながら、浮橋アリスは不敵に笑う。
この先は、彼女ですらまだクリアできていない領域なのだ。
「な、なんかビルくらいデカいゾンビが出てきましたよ……」
「ねー。こいつって何度殺しても再生するから厄介なんだよ」
「……じゃあどうするんですか」
「先に周りの雑魚たちを全滅させる!」
簡単に言うが、その雑魚たちもこれまでとは比べ物にならないくらいパワーアップしている。
重火器で武装するのなんて当たり前。反復横跳びゾンビどころか、五メートルくらいジャンプしながら切りかかってくるサムライゾンビ、謎のエネルギー弾を撃ってくるスーパーサイヤゾンビまで目白押しだ。やっぱり世界観おかしいだろ。
しかも、一番後ろにいるデカブツを放置していると、手近にいるゾンビを高速で投げ飛ばしてくるから手に負えない。球種もカーブ・スライダー・シュート・ナックルと豊富で、開発者が本当は野球ゲームを作りたかったんじゃないかとさえ疑いたくなる。
それでも、僕たちは意外と死ななかった。
浮橋アリスが人間離れした精度とスピードで厄介な敵を倒し、弾幕を抜けてきた不届き者がいれば僕が責任を持って仕留める。僕がサポートに回ることで、彼女は判断力のリソースを確保したまま盤面を攻略できるようになっていた。
時代遅れのゲームの中において、僕たちはまさに無敵だった。
ああ、この時間が終わらなければいいのに。
何か月か後に小惑星が落ちてくるまで、ずっと二人で架空世界のゾンビと戦っていられたらいいのに。
「……浮橋さん、一つ聞いてもいいですか?」
「うん。っていうか……」
エネルギー弾をチャージするゾンビの頭部を撃ち抜きながら、浮橋アリスは不敵に笑う。
「歩夢くん、会話する余裕も出てきたんだ。いいね~」
「ありがとうございます」
「で、質問って?」
画面の端にいた全身金色のゾンビを冷静に処理しつつ、僕は問いかける。茶化されると嫌だから、できるだけ真剣な声色で。
「どうして、友達と遊ぶ時間を削ってまでこんなクソゲーに熱中してるんですか?」
「うっわ、クソゲーって言っちゃった」
「でも実際クソゲーでしょ。……最高に楽しいのは事実ですけど」
本当に、どうしてこの人はゾンビと戦っているんだろう。
見返りなんて何もないのに。貴重な時間とお小遣いを浪費するだけなのに。
もうすぐ世界が終わってしまうというのに。
「小惑星がさあ、落ちてくるじゃん。来年の春くらいに」
「ああ、落ちてきますね」
「アメリカに住んでるパパは『早くこっちに避難しろ』とか言ってくれてるけど、まあ正直、地球の裏側にいても大して変わんないらしいじゃん」
「地球全体が氷河期に突入しますからね」
「ね、そうだよ」
「一応、国連軍のプロジェクトも進んでますけど」
「あー、ロケットを打ち上げて小惑星をどうにかするみたいなやつ? 何月だっけ?」
「……なんで情報がフワフワしてるんですか。全人類が注目してる計画なのに」
「だってそれ、あたしの力じゃどうにもなんないもん。興味ないよ」
猛スピードで飛んでくるサムライゾンビを撃ち落としながら、彼女は笑った。
「あたしの友達にさ、小惑星が落ちてくるってわかった途端に、父親が家族を棄てて南米に逃げちゃった子がいるんだけど」
「……え」
「ああ、大丈夫大丈夫。その子、父親のこと大嫌いだったっぽいし。小学生の頃から、将来は公務員と結婚して二五までに子供を産めってうるさかったんだって」
「それは……色んなハラスメントが同時多発してますね」
「あはは、でしょ? ……でもまあ、父親がいきなりいなくなるって、娘からしたら結構な大事件じゃない? あたしですら、小三のときに親が離婚したときは大泣きしちゃったし。でもその子はさ、三日くらい落ち込んだら、なんかすぐにケロッとして全然違うことで悩み始めちゃったんだよね」
「え、たった三日でですか。図太い人ですね……」
「そ、図太いんだよその子。あたしも人のこと言えないけど」
とにかくさ、と彼女は声のトーンを一段階上げた。
「それを見てたら、あ~人間って意外と死なないんだなって思ったよ。小惑星が落ちてきたとしても、何割かの人は『まあしょうがないか』って受け入れられるんじゃないかなあ。小惑星は落ちた。人類がけっこう減っちゃった。あと地球もめちゃくちゃ寒くなった。――じゃあどうしよう? どこで暖を取ろう? てか明日の夜ごはんは何にしよう? って感じでさ」
「そういうものですかね」
「そういうもんだよ」
「……あれ? それで、先輩はなんでこのゲームをやってるんでしたっけ?」
「ママと友達を守り抜くため」
「……は?」
「だってほら、小惑星が落ちてくるじゃん? 文明が破壊されちゃうじゃん? そしたら日本もさ、〈北斗の拳〉とか〈マッドマックス〉みたいな世紀末世界になっちゃうわけじゃん?」
「その前提がよくわかりませんけど……」
「力がモノを言う世の中になったら、銃の扱いくらい上手くなっとかないとね。ねえ、あたしってすごくない? めっちゃ先が見えてると思わない?」
色々と、突っ込みどころが多すぎる動機だ。
肝心の銃はどこで入手するんだ?
だいたい、世紀末って本来そういう意味じゃないだろ。
浮橋アリスはやっぱり変な人だ。
最初から最後まで、想像力に溢れた世界を生きている。
少し前の僕なら、呆れて笑っていたのだろうか。よくわからない。僕はもうとっくに、現実に逃げることをやめていたから。
全部、この人のおかげだ。
浮橋アリスが――僕の初恋の人が、この世界を変えてくれたんだ。
「……いい目標ですね。先見の明があります」
「あ、本気で思ってないでしょ~」
「そんなことないですよ。……むしろ、ありがとうございます」
「へ? なんで感謝?」
「……てかほら、なんかデカいゾンビが発光し始めましたよ!」
「うそ! 初めて見た!」
「何かさっき全身金色のゾンビを撃った気がするんですけど、もしかしてそれが原因ですかね? あっムービー始まった!」
「それが第五ステージのクリア条件だったんだよ! でかした歩夢くん!」
「……撃ってからのタイムラグ長すぎませんか」
いまいち達成感がないが、初めてまともに貢献できた気がする。
じわじわと喜びが込み上げてくる間に、巨大ゾンビを包む光が激しくなってきた。
画面全体が光に覆われたあと、再び巨大ゾンビが姿を現す。そいつは何やら天使の光輪のようなものを頭上に浮かべながら、唐突にカタカナ語で喋り始めた。
いや、お前喋れたのかよ。
『傲慢ナ人間ドモメ。我ラ火星人ノ侵略ヲ邪魔スルトハ……』
え、このゾンビって火星人だったのか⁉
でも、そんな伏線どこにも……!
『モウ許サナイ……! 地球モロトモ消滅スルガイイ!』
何の脈拍もなく、遥か上空から超巨大隕石が落下してきた。
主人公の相棒が、瓦礫の山から昭和の漫画家が描いたようなデザインの光線銃を発見する。それを投げ渡しながら、「早く隕石を破壊しないと地球が真っ二つになってしまう! ひたすらレーザー銃を乱射して、隕石を粉々にするんだ! 赤く点滅するカーソルが脆い部分なので、そこをうまく狙うといいぞ!」などと相変わらずの説明口調で指図してきた。
「やっば。めちゃくちゃな展開だね~。なんか絶妙に現実とリンクしてるし」
「……僕、このゲームの開発者が愛おしくなってきました」
「あたしも。さっさと世界を救っちゃおうぜ」
僕たちは不敵に笑い合うと、迫りくる巨大質量に向かって光線銃を乱射した。
弱点だという赤いカーソルは〇.二秒くらいしか表示されないので、アスリート級の反射神経が要求される。相変わらずふざけた難易度だ。それでも、何だかゾーンに入っている僕は三回に一回くらいの確率でカーソルを撃ち抜くことに成功している。
浮橋アリスはもっと凄かった。
百発百中、どころの騒ぎじゃない。未来が見えてないと説明がつかないくらいのスピードで、カーソルが表示された瞬間にトリガーを引いている。
完全に化け物だ。
この人なら、本当に世紀末世界をその身一つで生き抜くことができるかもしれない。
「あれっ、なんか隕石からちっこい天使みたいなやつが出てきた!」
「たぶんこいつがラスボスです! ぶっ倒しましょう!」
そこから先はまさに死闘だった。
天使が高速で飛び回りながら撃ってくるビームを物陰に隠れて躱し、寸分違わぬタイミングで弱点を撃ち抜いていく。
最終決戦にふさわしい、恐ろしくハイレベルな戦いだ。
観客が誰もいないなんて、あまりにも勿体なさすぎる。
僕の隣で戦っている彼女は、こんなにも強くて美しいのに! その素晴らしさを世界中に伝えなきゃいけないのに!
天使との死闘が三〇分を超え、第三形態まで撃破したところで、ようやく世界に平和が訪れた。街中を徘徊するゾンビ(本当は火星人らしい)が消滅し、主人公たちは空に祝砲を上げる。
それで物語は終わり。
あんな死闘を繰り広げたにしては、ずいぶん呆気ないエンディングだった。
それでも、僕の胸は感じたこともないような達成感で満たされていた。
僕たちはやってのけたのだ。この難易度最凶のクソゲーをクリアして、人類を滅亡から救うことができたのだ。
銃を筐体に戻しながら、浮橋アリスは額の汗を拭う。
三ツ矢サイダーを幸せそうな顔でごくごく飲み干す様子は、まるで広告のポスターのように様になっていた。
「ん」
気付いたら、彼女は僕を見つめながら右手を挙げていた。
僕は掌の汗をズボンで拭ってから、おずおずとハイタッチに応じる。
冷房も効いていない店内に乾いた音 が響く。その余韻が掻き消える頃には、何とも言えない寂しさが押し寄せてきた。
――そうか、これで終わってしまうんだ。
世界を救ってしまったら、もうこの人が僕と会う理由はなくなってしまう。
ゾンビを倒す以外に、この関係を繋ぎ留める口実なんて見つからなかった。
「いやー、でもなんやかんやで楽しかったね」
「……そうですね」
「歩夢くんもさー、戦いの中でずいぶん成長したよね。ガンマンの才能あるんじゃない?」
「役に立つ場面なんてあるんですかね」
「文明が崩壊したらきっと役に立つよ」
まあ小惑星なんて落ちてこないのが一番いいけど、と笑いながら、浮橋アリスは足元の鞄を拾い上げた。
店内に入ってくる男子中学生たちとすれ違いながら、体感温度が少しも変わらない外の世界に出る。太陽はまだ、空の高いところに鎮座していた。
「そういえばさ、歩夢くん。耳寄りの情報を入手したんだけど」
「なんですか?」
「佐世保のゲーセンにさ、〈ZOMBIE SHOOTER〉の続編が置いてるらしいよ」
「えっ⁉ 続編なんか作れるほど人気だったんですか⁉」
「アメリカのマニアの間じゃ有名なゲームなんだって。本当か知らないけど」
「へえ……世界には物好きがたくさんいるんですね」
「きみとあたしみたいにね」
燃えるような陽射しに照らされた彼女の笑顔は、とても美しい。
生命力の鼓動を感じるほど力強くて、小惑星が落ちてきたくらいじゃとても掻き消せないような気がした。
「……行きましょう、佐世保。またゾンビから世界を救わないと」
「うん、いいよ。……あれ? ってか、あいつらって火星人じゃなかったっけ?」
「どうせこの開発者、続編作るときにはそんな設定覚えてませんよ」
「あはは、かもね。来週の土曜日とか空いてる?」
「もちろん空いてます。絶対行きましょう」
家に帰ったら小説を書こう。そう思った。
今度の作品には、中途半端なリアリティなんか全くいらない。
あなたと出会えた感動を、この終わりかけの世界の素晴らしさを、想像力に満ち溢れたストーリーとともに描くんだ。それでいい。たとえ読者の反応が悪くても、その方が僕にとって大切な作品になるはずだ。
小惑星が落ちて文明を崩壊させても、その物語はきっと続く。
荒廃した世界で、勇敢なヒロインが戦いを繰り広げる第二幕が始まるのだ。



