あんたで日常を彩りたい2

【第一幕】 『ひらいて』(8)



『最近沖縄に滞在してるんだけど、意外と曇りの日が多いんだね。観光用のパンフレットでは透き通った海とか突き抜ける晴天、みたいなのが強調されてたからギャップがあってびっくりしちゃった。あらかた見たいところは見たから、明日にはフェリーで鹿児島に渡って桜島にでも登ってみようかな。皐月も予定があるなら来れば? あたしは未成年だからお酒を飲めないけれど、それってとても損だと思うの。旅費と食費ならあたしが持つよ』


 皐月さんに面談室へと呼び出され、無駄話を交わすこともなくノートパソコンのディスプレイを見せられた。映っていたのは想像していたとおり、ぼくの双子の姉である。


「沖縄……? というか、風音っていままでどこに行ってたんだろう」

「海外をぶらぶら回ってたらしい。ヨーロッパからアメリカまで。夏ごろにはオーストラリアに居たらしいな。ほんとに四季が反転してるのか見たいから、とか言ってたな」

「……というか、皐月さんって風音と連絡とってたんだ」

「私からはとってねぇよ。いつも風音が電話かけてくる。話し相手が私くらいしかいねぇんだろうな。あいつ自身もそう言ってたし。『世間話ができる相手が皐月くらいしかいないのよ』ってな。どこまで本当なんだか」


 風音は皐月さんのことを呼び捨てにしていて、皐月さんもそれを受け入れている。

 お屋敷にいたころ、一度だけ聞いたことがある。年上であるはずの皐月さんが、ぼくと同い年の風音に対して萎縮しているように見えたからだ。


『宗家とか分家とかは関係ない。ただ……風音にはどうやっても勝てないって、本能的にそう思わされる。だから大きい態度を取れない。私の一挙手一投足、私自身が知覚していない無意識の動作まで、風音にはそこにある意味を見透かされているような気がしてくる』


 そしてこうも言っていた。


『あいつは敵に回せない。敵に回ったら最後、喰らいつくされる気がするんだ。でも幸いなことに風音は私の親族で、その幽かなつながりだけが味方でいてくれる余地を与えてくれる』


 皐月さんが風音のなにに対して畏怖を感じているのかはわからない。それほどまでに、ぼくは風音のことを知らないのだ。

 きっと、これからも。


「知らなかった……ぼくにはなんの連絡もなかったから……」

「あぁ、それは……いや……いまはいいか……」


 どこか言葉を濁した様子で、皐月さんは話を続けた。

 いわく、風音はお屋敷から姿を消して以降、気の向くままに諸外国を旅していたらしい。もともと、風音は花菱宗家の次代家元となることが決まっており、非情に頭が切れる。いつだったか、一族の集会の場で周囲を言いくるめ、ある程度の資産を与えられたのだ。気まぐれに金銭を使える理由はそこにある。

 ちなみに……その会合において、一族の若年世代に対して相応の資産を分配されていたはずなのだけれど、皐月さんがこうして教職についている理由はわからない。


「……風音はなんのために帰ってきたんだろう」

「知らねぇよ。わからねぇから面倒なんだろ。あいつのことはなんもわからねぇ。お前にもわからねぇんだから、きっと風音にしかわからねぇな」


 風音は双子の姉で、ぼくと姿かたちは似ている。でも性別も違うし、


「ただ、ひとつわかってることがある」


 それはなにかと問うよりも先に、皐月さんは別の動画を再生しはじめた。


『むこう2週間で都合のいい日があったら教えてくれる? ひさしぶりに食事でもどうかな。なにか困っていることがあれば相談に乗るよ? ただ、あたしが学校に直接入るわけにもいかないから場所はこちらで指定させてね。こちらで手配しておくから。よろしくね、皐月』


「…………どう思う、夜風?」

「どうって……どうだろう。風音のことだから、なにかの狙いがあるのかもしれないし、なにも考えていなくて、単に会って話がしたいだけ……っていう説も考えられるけど」

「犯人は10代から90代までの男性または女性、小柄または中肉中背ないし高身長みたいな範囲の広さだな。ゴミプロファイリング。なにが困るかって、私も同意見なんだけど」


 ぼくは核心と思われる話題を切り出す。


「……それで、皐月さんの話というのは……風音に会うべきか否か、ってこと?」

「いんや、会うよ。私も大人だからな。余計なことは話さないし、甘い話に誘われても飛びつかない。あいつは得体が知れない人間だけど、裏を返せば同じ人間だ。なにか狙いがあっても私が話に乗らなければ世間話でもして早々に切り上げるだろ」

「……それじゃあ、風音と会う場所にぼくも同席しろってこと?」

「会わないほうがいい。いまは、まだ」


 ぴしゃりと言い切られた。

 どうやら……これが本題らしい。


「皐月さんから見て、そう思う?」

「思う」

「どうして?」

「夜風が変わったからだ。宗家の屋敷にいたころよりも活き活きしてる」


 思わぬ返答に絶句してしまう。

 たしかに、自分でも変わったとは思っている。生活をともにしている、変わった同居人の影響が大きいけれど。

 棗さんの溢れるエネルギーにあてられて、ぼく自身も彼女の期待に応えたいと思って……結果として、ぼくは穂含祭のステージに立った。

 まぎれもない事実であり、変化だ。進化であればいいのだけれど。


「風音のことだから、夜風が朱門塚女学院でどんなことをしているのかも、たぶん知ってる」

「ぼくからは連絡していないのに?」

「ちなみに私も余計なことは話していない。でも、たぶん知ってる。穂含祭にはメディアの取材も入るんだ。当然、ステージの様子も公開されてる。世間は『夏目』が描いたアニメーションに注目してたけれど、そこには当然、夜風の姿も映っていた。あいつなら、表に出ている情報を体系化して、その裏まできっと読んでくる」

「風音がぼくの学校生活を知ったとして……なにかよくないことがあるの?」

「あるかもしれない。だから忠告した。なにかが起きてからじゃマズいからな」

「……皐月さんと風音の関係って、きっと客観的に見れば相当変わってるんだろうね」

「お前ら姉弟の関係のほうがよっぽど変わってるよ」


 たしかに、と納得するしかなかった。


「とりあえず、風音と一度会ってくる。それまで風音からコンタクトがあってもいったん様子見しておけ。なんかあったら私に相談しろ。わかったな?」


 要件はこれだけだ、とばかりに話を切り上げる皐月さん。

 そこで、ディスプレイに表示された通知欄に新たなメッセージが表示された。


「……風音からメール? が来てるけど」

「メッセージアプリな」


 くるっとノートパソコンを翻して、画面を眺める皐月さん。


「あいつ、いま都内にいるのかよ。鹿児島行くみたいな話はどうなったんだ。下北沢で散策してるってよ」

「下北沢?」

「サブカルの街。バンドマンと芸人の生息地」

「……最近、どこかで聞いたような」

「まあ、学園から遠い場所じゃねぇからな。朱門塚の生徒もよく通ってるぜ」

「あ」


 思い当たった。


「棗さんの個展が、ちょうど下北沢で開催されてたはず」

「……待て待て、それって」


 皐月さんは額に手を当てて、大きく溜め息をついた。


「面倒ごと、確定かよ……」

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