あんたで日常を彩りたい2
【第一幕】 『ひらいて』(7)
思えば、この可能性には気づいていた。
同時に悩んでもいたはずだ。
橘棗がつくりだすものに、花菱夜風が必要ではないという可能性。
というか、当然の帰結である。棗さんはすでに『夏目』として世間に認められているアーティストなのだから。
ぼくの考えをよそに、ふたりは会話を続けている。
「棗さんってどんな芸術が好きなん? 興味あるやつでもええんやけど。なんかとっかかりになればええんやけどなぁ」
「なんでも好きだよ。芸術も、芸能も。できればなんでもやってみたいけど」
「好きな映画は?」
「怪獣映画とか最近好きだよ。人が食われて骨だけになるやつとか」
「骨は消化できひんタイプの怪獣なんや……」
「人を踏み潰すタイプの怪獣も好きだよ」
「棗さんの中では『人の食べかた』で怪獣がカテゴライズされてるんや……」
「映画かぁ。やってみたいけど現実的じゃないね。あたしが現場に行けないし」
「たとえばショートムービーやとどうやろ。前みたいに絵コンテ作って、ウチがカメラ手配して夜風さんに演者やってもらうみたいな」
「可能性としてなくはないけどイメージはできてないなぁ。あたしの頭の中で同時性を担保するのが難しくて」
「具体的には?」
「いつも絵を描いて終わりだから。夜風の映像と、そこに付随するサウンドがあって、それを脚本でつなぎとめる方法を知らない」
「またムズいこと言うてるやん……」
「夜風を絵筆にしてなにかをつくるのは確定なんだけどね」
ぼくを使うのは確定。
情けないけれど、その声が聞こえた瞬間、安心してしまった。
棗さんはぼくと一緒になにかをつくろうとしてくれている。
『誰かと一緒になにかをつくるのって、ふつうの高校生っぽいじゃん』
以前かけられた言葉が、胸の中に響いた。
「どう動かせば面白いんだろうね。ねぇ夜風、なんか面白いことやってみて」
「それ最悪のパスやで!?」
閉口するぼくの代わりに小町さんが声を荒らげてくれた。
「……ごめんね、面白みのない人間で」
「女装して女子高に通ってる男の子が面白くないわけないじゃん。面白い人間は脳内にいくつもの『面白い』を飼っていて、それを恒常的に出しているのか必要に応じて出しているのかの違いでしかないと思うし夜風は前者だと思うからあえて意図的に面白いことをやってみてって言っただけなんだけどわかる?」
「『面白い』という言葉がゲシュタルト崩壊を起こしそう……」
ひとまず棗さんのリクエストは丁重にお断りしておいた。
やがて小町さんと棗さんはふたりしてパソコンのディスプレイをのぞき込みながら「ああでもない、こうでもない」と議論を始める。ぼくはひと息ついてベッドに腰かけた。
具合が悪いわけでもない。
絵のお仕事も順調。
やってみたいことはたくさんある。
花菱夜風を絵筆にして初花祭に出展しようと思っている。
あとはその概要を決めていくだけ。
「……あれ?」
思わず声が漏れた。
さいわいにも、棗さんも小町さんも話し合いに夢中でこちらに気づいた様子はなかった。
頭の中に浮かんだ自問自答の声に、ぼくはふたたび耳を傾ける。
――花菱夜風、お前はこのままでいいのか?
そこで、ぶるるっ、ぶるるっ、と、ぼくのスマートフォンが振動する。夏季休暇に入る直前、無理やり皐月さんに持たされたものだ。電子機器のたぐいと無縁の人生を歩んできたのではじめは「いらない」と答えたのだけれど、「きょうび携帯電話持ってないやつなんていねえよ。護身のために持っとけ。使いかたは橘棗に教えてもらえ」と押し付けられてしまった。いまでは検索エンジンでなにかを調べたり、メッセージの送受信、通話などはなんとかこなせる。
おぼつかない手でスマホを取り、スピーカーに耳をあてると、聞き慣れた声がした。
『緊急。面談室。よろしく』
「……皐月さん、また雑談の相手をしろってこと?」
『そんなんでわざわざ電話かけねえよ』
かけるじゃん……とは言わないでおいた。
声がやけに真剣だったからだ。
『面倒なことになった。風音が日本に帰ってきてやがる』