あんたで日常を彩りたい2

【第一幕】 『ひらいて』(6)

 あまりなにも考えずに話していたのが裏目に出てしまった。棗さんの関心は手元に衣服に向かっているので、ぼくがどうこう言おうと気にしないだろうと思っていたし、実際出会ったころの棗さんならば「そうなんだ」と流して自分の話を始めるところだったはずなのだけれど。


「どうかなと思って」

「まったく同じ言葉とトーンで尋ねてこられても……」


 そう言いつつ、素直な感想を口にした。


「似合っていると思う」

「ふうん」

「綺麗だなと思った」

「そうなんだ」

「棗さんは服を見る目があるなと思った」

「あたしが好きな服を好き勝手に選んでいるだけなんだけれど夜風の目から見ても良いものに映るのならよかったのかもしれないね。それにあたしの中では誰かに衣服を見せたいという感情と誰かに着飾った自分を見せたいという感情は干渉しないものだってさっき言ったばかりだけど服を単体で評価してもらえることでそこにはじめて干渉が生まれるものなんだと思った。あたしもいま気づいた。それに――」

「感情のスイッチが分からない!」


 ぼくの叫びをよそに嬉々として語り続ける棗さんの様子に安堵する。どうやら彼女の欲しがっていた正解を自力で導き出せたらしい。

 この日以降、棗さんはそれからたびたび夏服を買い込むようになる。毎回、同じようなやりとりが発生して、そのたびに棗さんは嬉しそうに話し続けた。

 そういうふうに日々を過ごして――。



「寮に戻ってきて部屋に遊びにきたとき、夏季休暇の前とまったく同じ佇まいで迎え入れられたウチの気持ちがわかるか!? 長い夢でも見てたんかと思うたわ!」


 小町さんの叫びが部屋に響き渡った。棗さんはやっぱり「うるさっ」と耳を塞ぐ。


「うるさいのは承知の上で急かしとんねんこっちは。もう決定や。とりあえずいまからここはウチらの初花祭対策本部や。なにかしらアイデア出るまでウチはこの部屋から出ぇへんで」


 力強い主張を、棗さんはそよ風のように受け流す。


「あたしたちの部屋で心中するとは相当な気合とみた」

「ウチ、このまま部屋で一生を終えるの確定なんか!?」

「なにも思いつかないからなぁ」


 正直、意外だった。

 思えば、棗さんは毎日デスクに向かってなにかしらの作業をしていたけれど、その中身まではわからない。しかし、明らかに春先よりも動きが緩慢になっていた。腕を組んだり、おとがいに手を当ててじっとしていたり。

 穂含祭の直前に見せた鬼気迫る雰囲気が消えている。


「……どこか具合悪いの?」


 おそるおそる、棗さんに尋ねる。

 しかし返答は意外なものだった。


「誰が?」

「棗さんが」

「そう見える?」

「見えないから直接聞いてるんだけど……」

「そうなんだ。哲学的だね」


 すると、棗さんは椅子の背もたれに身を投げ出しつつ「うーん……」となにかを考える。


「ふつうにイラストの依頼はこなしてるし、こないだ新作上げたし、次の個展も決まったし、別に具合は悪くないと思う。でもあたしは自分自身の状況に鈍感でそれを理解してるから夜風や小町から見てあたしの様子がどこかおかしいんだったらやっぱり悪い可能性が高いかもしれないね、でも少なくとも吐き気がするとか頭痛がするとか眩暈がするみたいな明らかな不調は表に出てきてない、でも最近は睡眠薬使わずに寝られることも多いからそういう意味では前までのあたしとはどこか違うかもしれない。なんか最近寝つきがいいし。なんで?」


 いつもどおりだった。特に問題はなさそうである。

 では……なぜ?


「よかったやん。棗さんが飲んでる睡眠薬ってけっこうキツいやつなんやろ? むりやりストンと落ちるってこないだ言ってたの覚えてるで」

「推理小説のトリックに使えそうだよね、いや使えないか。睡眠薬で眠らせて無理やりアリバイのない時間をつくるみたいな挙動ちょっと強引すぎるもんね」

「たぶん」


 会話が噛み合っていないように聞こえるけれど、小町さんと棗さんの間においてはこのやりとりで意思疎通がとれている。これもいつもどおりだ。

 いよいよわからなくなってくる。

 棗さんが……あの『夏目』が、なにも思いつかない……なんてこと、あるのか?

 あるのかもしれない。というか、あるのだろう。

 彼女はふつうの人間からはややズレた思考でものごとを考える人だけれど、それでも人間であることに変わりはない。これまでが異常だったのだ。

 納得しようと思えば納得できる。

 そこまで考えたところで、棗さんが口を開いた。


「前は夜風の特性の気づいた瞬間にやりたいことがイメージできたんだけどなぁ」

「こわっ! 夜風さんの目に気づいた瞬間に『自分の絵の差分をたくさん作ってアニメーションみたいにすれば夜風さんが再現できるかも』までイメージしてたってことかぁ!?」

「できるかもじゃなくてできるって思ってた」

「なおさら怖いわ!」


 目の前で繰り広げられる会話を聞いて、ふと思う。

 棗さんは、ぼくと出会った瞬間にそこまで考えていた。

 そして、いまはなにも思いつかない。

 と……いうことは。


 もしかして、ぼくがいることで棗さんの発想力に制約をかけてしまっている?

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