* プロローグ 追憶(二〇二×年四月五日) * 《P-1》
それはまだ、スマートデバイスという言葉がクリスマスのプレゼントのように、もてはやされていた頃の話だ。
スマートフォンはもちろん、スマートウォッチ、スマートスピーカー、スマートテレビ、スマートグラスに至るまで、ありとあらゆるデバイスが〝スマート〟になり僕らの日常を変革していった。
詳しくない人のために説明すると、ここで言うスマートには二つの意味がある。一つはネットに繋がり、クラウドのサービスを自由に利用できること。もう一つはアプリの追加で、使い方の幅を広げられることだ。電話(フォン)をネットに繋げて、カーナビや財布の機能を付けたからスマート・フォン。どうだい? 分かりやすいだろう?
で、そういうスマートなにやら に当時の僕らは尽きせぬ期待を寄せて、メーカーに新体験を求め続けた。もっと便利に、もっと多機能に、もっと驚きを。次はどんな製品が出る? どういうアプリが提供される? 何をどうして僕らの暮らしを快適にしてくれる?
毎月のように新端末が出て、新サービスがリリースされて、アプリや基本ソフトが更新されていった。既存のありとあらゆる経済活動が、ブラックホールのごとくスマートデバイスに飲みこまれていった。まるで一度止まると死んでしまう回遊魚のように、ユーザーもメーカーも便利を求めて求めて求め続けた。
そうしてとうとうこれ以上、新製品もユーザー体験も出ないと思われた頃、不意打ちのように〝それ〟が発表された。
BUDS。
スマートバッズ。
史上最高にして最後のスマートデバイス。
見た目はシンプルな完全ワイヤレスイヤホンだった。親指の腹程度の大きさで、余計な装飾は一切ない。だが、その小さなボディには同世代のスマートホンを凌駕する性能が内蔵されていた。そして外部の映像出力には、前代未聞の空間投影ディスプレイ、入力機構としては指や腕の動きを認識するモーションセンサーが採用されていた。
お分かりだろうか?
あなたは家を出る時に、イヤホン一つをはめていけばいい。
地図を確認したければ指の動き一つ、もしくは音声キーワードで、マップアプリが立ち上がる。ディスプレイは目の前の空間そのものだ。もう大画面のために、重いスマホやタブレットを持ち運ぶ必要はない。空中の画像をなぞれば、自在に拡大・縮小・スクロールできる。音楽鑑賞や電話がハンズフリーで楽しめることは言うまでもない。外部の音が聞こえず危ないのではって? 大丈夫、バッズには最新のノイズキャンセリングシステムが搭載されている。必要な呼びかけや警告音は自動的に選り分けて、届けてくれる。
さぁ考えてほしい。
誰もが手ぶらで、まっすぐに前を見て必要な情報にアクセスできる時代。そんな中に、うつむいてスマホを見ている人がいたらどう映るか。小さな画面を指でなぞる姿がどんな風に思われるか。
多くを語る必要はないだろう。バッズの登場は他の多くのスマートデバイスを一瞬で過去の遺物にしてしまった。
発表されてわずか一年で、業界の勢力図は塗り変わった。既存のトッププレイヤーが軒並み退場して、バッズを中心とした新たなエコスシステム(生態系)が確立された。
バッズの制作者達が巧妙なのは、その基本ソフトを、公式アプリもろとも無償で公開、改変できるようにしたことだ。バッズの競合を作るには、イヤホンサイズのプロセッサが不可欠で、そのパテント(特許)を抑えている限り収益化できる自信もあったのだろう。目論見通り、カスタマイズ性の高さは多くのサードパーティー、アプリ開発者を惹きつけて、爆発的に市場を拡大させた。
そしてその熱狂の中に僕――園晴壱もいた。
当時小学六年生の僕は、時代の変わり目に立ち合ったことに運命的な何かを感じていた。
バッズのソースコードを調べて、各行の意味するものに気づいては、鼻息を荒くしていた。丁度、現実世界のままならなさに気づき始めた頃だ。思い通りにカスタマイズできるバッズの存在は、いつしか日々の生活に欠かせないものとなっていた。
だから――というのは言い訳だ。興味があれば何をしてもよいわけではない。守るべき一線は確かにある、そう普通に考えれば理解できる。
ただ、あの頃の僕はバッズのためなら大概のことは許されると思っていた。人間、命を守るためであればどんな違法行為だってする。バッズは僕にとって命のようなものだ。よって緊急避難は成立する。結果が手段の是非に優先すると。
そう、僕はバッズへの興味で罪を犯した。
忘れもしない二〇二×年の四月五日、僕はスマートバッズの開発元であるオーパス・エンタープライズのオンライン・カンファレンスに接続していた。利用したのはITジャーナリストである父のID。プレスの肩書きで取材申請して、そのまま父に報せることなく参加してしまった。
〝なりすまし〟
バレたらまずいとは分かっていた。
一般論として、IDの盗用が不正アクセスだというのはもちろん、それ以上にカンファレンスの性格自体が部外者の参加を厳に戒めていた。
ジ・オリジネーターズ。
スマートバッズを開発した始祖のエンジニア達。
彼らが一堂に会して、自由な議論を繰り広げるのが、カンファレンスの趣旨だった。普段表舞台に出ない殿上人が、ここだけの話と銘打ち、バッズの過去と未来を語り尽くす。希少価値は折り紙つき。多くのユーザーに垂涎の的である分、セキュリティはガチガチだった。
参加が事前申込制なのはもちろん、身元確認は厳重に行われて、守秘義務契約を山ほど結ばされる。挙げ句に送られてくる招待リンクは、参加者ごとに一意の暗号化がかけられて、録画データの流失時に、誰が犯人か分かるようになっていた。
そんなところに一介の小学生が、しかも他人のIDで乗りこむのだ。発覚すれば、怒られるだけではすまない。親のジャーナリスト人生まで終わらせてしまうかもしれない。
だが、どうしても出たかった。
生のジ・オリジネーターズを見たかった。彼らの声を聞いてみたかった。言葉から、表情から、天才達の思考回路をのぞいてみたかった。
大丈夫、口さえ開かなければばれることはない。どのみち自由な発言など許されないのだ。父のイメージ画像に隠れて、静かにイベントを楽しんでいればいい。
緊張と興奮に包まれながら、当時の僕はバッズを操作した。
音量を上げる。空間投影ディスプレイの明度と彩度を調整して、カンファレンスのステージにフォーカスを合わせる。
壇上に座っているのは四人の男女だった。いずれもインタビューや対談記事で穴が空くほど見続けた姿だ。癖毛で団子鼻の青年はUIデザイナーの所原穣二。長髪の痩せぎすな男性は、パーソナルアシスタントの開発者、一畑モンド。スキンヘッドの女性はプロダクトエンジニアの立久恵梓。
そして……最後の一人に僕の目は惹きつけられる。
揺れるグレージュの髪、輝くように白い肌、細い身体を女学生のようなボレロに包み、大柄なソファに姿勢よく腰かけている。膝上に置かれた指は白魚のようにほっそりとしていて、爪の先まで完璧な造形美を見せていた。白鳥が羽を休めているかのような、そんな優美な印象。
荒島セピア。
スマート・バッズのコンセプトメーカーにして、基本ソフトウェアの全てを独力で作り上げた天才少女。
ジ・オリジネーターズの序列第一位。
年の頃は十台半ば、いって高校生といったところだろう。だがその存在感は周囲の大人を圧していた。長く濃い睫毛に縁取られた瞳も、緊張とは無縁の静かなものだ。何百というネットワーク越しの視線をごく自然に受け止めている。
「Why Buds?(なぜイヤホン型?) って百回くらい訊かれたわ。だから私、こう返すことにしたの。逆になぜ他の選択肢があると思うの? って」
バッズの成立過程を問われた彼女は答えた。まるで今朝のモーニングのメニューを告げるように何気なく。
「タブレットもスマートフォンもいちいち取り出して、画面をのぞきこむ必要がある。何よりディスプレーを広げる度にかさばるようになるとか本当にナンセンス。スマートグラス? あなた、四六時中眼鏡をかけて生活するの? 嫌よ私は。お洒落の選択肢を無理矢理奪われるなんて」
「スマートコンタクトは?」
UIデザイナーの所原が訊ねる。面白そうに頬杖を突きながら、
「当時、医療系ベンチャーが、かなりよいコンセプトワークを出していたと思うけど」
「コンタクトサイズまで基盤を小さくすると、機能が大分絞られてしまう。現実的には外部の親機が不可欠、それじゃあ小型化した意味がないわ。だいいち音声出力はどうするの? 眼球にくっついたまま骨伝導? ひゅー、私はご免被りたいわね」
「既存技術の組み合わせで安く作るなら、ヘッドマウントディスプレイが現実的だったという話もある。実際、バッズでもっとも開発費がかかったのは空間投影ディスプレイと、付随する非接触型のUIだしね。僕らは第三世界へのインフラ普及を進めるために、バッズ技術を使ったヘッドマウントディスプレイを作るべき。この意見へのアンサーは?」
「サポートハードを増やして、投資を分散する方がよっぽど害悪よ。心配しなくてもバッズの原価はマリアナ海溝並の急勾配で下がっていっているわ。単一機種、大量生産のおかげでね。来年くらいには現行モデルが普及版として、それらの国に出回るでしょう」
当時の僕がセピアに抱いていた感情を、一言で説明するのは難しい。
同世代の少女が世界を革命しつつあることへの憧れ、尊敬。
自分がどうあっても並び立てない悔しさ、嫉妬。
思春期の少年としては当然の、彼女の容姿に対する恋慕。
だがそれら全てを圧していたのは、セピアの生み出すソースコードへの陶酔だった。無駄な処理は一切なく、効率重視なのに解析しやすい。整ったテキストは楽譜のようで、読み進むと音楽が響いてくるようだった。
それらが全て、あの頭脳から、指先から生まれてきている。
痺れるような興奮とともに、僕はセピアの一挙手一投足を見つめていた。
彼女と話したい。彼女に認識してもらいたい。あなたのコーディングの美しさを知る人間がここにいると伝えたい。
かなわぬ望みを胸に、どのくらい息を潜めていただろうか。気づけばもうカンファレンスは終盤に差しかかっていた。プログラムによれば、あとはQ&A。事前に参加者から受けつけていた質問を司会が読み上げていくはずだった。
冴えない小役人のような中年男性が、司会席のマイクを取り上げる。
「では次に」と質疑を始めかけた時だった。
「ああもう。やめ、やめましょうよ、馬木さん。こんな退屈なの」