* プロローグ 追憶(二〇二×年四月五日) * 《P-2》

「ああもう。やめ、やめましょうよ、馬木さん。こんな退屈なの」


 時ならぬ発言はセピアのものだった。彼女は小さく伸びをして、胸を反らした。


「折角参加型のイベントなのに、話しているのはいつもの面子ばっかり。このうえ、質疑応答までお便り形式? 事前に準備した回答つきで? いつの時代のイベントよ。アナクロにもほどがあるわ」

「せ、セピア、君、今日は大人しくしていると」


 狼狽する司会――馬木というらしい――をよそに少女は立ち上がった。ボレロのスカートを揺らし、にっとカメラに笑いかける。


「気が変わったの。ねぇオーディエンスの皆さん。予定変更、今からフリーの質問タイムにします。訊きたいことがある方は挙手ボタンを押してください。こちらで当てますので、あとは好きに喋っていただいて結構です。はい、マイクミュート解除」


 ざわめきが広がる。管理者権限で参加者のマイクがオンにされたのだろう。慌ててオフにし直す者もいるが、多くは入力を保ったままにしていた。無人の客席が一瞬で賑やかになる。人いきれが、吐息が、すぐそばに感じられる。


「あら、誰もなし? なんだってお答えするわよ。ドッキリでも仕込みでもないわ」


 ぽつ、ぽつと挙手マークが点く。

 意を決したように、ID画像のいくつかがアバターやカメラ映像に切り替わる。

 冷静に考えれば、その時、僕の取るべき行動は一つだった。マイクのミュートボタンを押す。万が一にも声変わり前の声を聞かれないようにする。だが――


「はい、あなた。ええっとID……×××さん」


 挙手マークの一つをセピアが示す。眼鏡のアバターが物音とともに明滅した。


「クロスメディアオンラインの××です。質問の機会をいただき光栄です。早速ですが、ミスセピア、あなたにとってバッズの完成形はどういうものでしょう? 最終的にどんな形を目指して開発を続けていくのでしょうか」

「完成形! 完成形ですって!」


 セピアは大仰に驚いてみせた。


「人類文明の完成形はどんなもの、って訊かれて答えられるかしら? 進化を止めたその時、システムは死ぬのよ。私は私の生きている限り、バッズの改良を止めるつもりはないわ。つまりあと七十年くらい完成の時は来ないってこと。まぁ売り上げが壊滅的に落ちて、会社が潰れちゃったら話は別だけど」


 笑いが起こる。

 UIデザイナーの所原がやれやれというように肩をすくめた。


「セピアのこだわりと気まぐれで会社の儲けを食い潰す方が、十分にありえるよ。梓、次のバッズには何が搭載されるんだっけ?」

「言っていいの? そこのお嬢さんが絶対に譲らなかったせいでWPT――つまり、基地局からの無線給電機能が実装されます。特ダネですね、プレスの皆さん、とうとう我々は充電の悪夢から解放されますよ」

「立久恵さん、あ、あなたまで!」


 呻く司会に、プロダクトエンジニアの立久恵はひらひらと手を振ってみせた。


「あなたが悪いのよ、馬木さん。私、警告したじゃない。この面子を集めて好きに喋らせたら絶対事故が起こるって。万全を期すなら録画編集にしなさいって。話題性重視でリアルタイム配信にしたのはマーケのあなた方でしょう? 自業自得よ。私達は安全運転より、ファンサービスを重視する人種なの」


 歓声が上がる。先ほどを圧倒する勢いで挙手マークが明滅する。

 誰もが歴史的な場に居合わせたと気づいたのだろう。世界を革新する商品の開発者、彼らと自由に話せる場がもたらされたのだと。

 質問。

 質問。

 質問。

 質問。

 熱病に浮かされたような空気の中、僕は必死で衝動を抑えつける。落ち着け、落ち着け、落ち着け。ここまでバレずにやってこられたじゃないか。あと少し耐えれば完全犯罪だ。誰に迷惑をかけることもなく、一生の思い出を得られる。なんならもう退席してもいいんじゃないか? 十分危ない橋は渡っただろう。最後にボロを出さないうちに接続を切ってしまえば――


「ID×××」


 父のイメージ画像がスポットライトを浴びる。暗いアバター達の中に浮き上がる。

 何が起きたのか分からなかった。セピアがこちらを見ている。澄んだ瞳が発言を待ちわびている。

 いつの間にか、挙手ボタンを押していた。

 ミュートではなく、退席でもなく。

 迷うことなく僕の指が〝発言〟を選んでいた。


「ID×××さん?」


 どっと汗が噴き出す。鼓動が高鳴る。地震でもないのに視界が揺れていた。

 よせ、やめろ。血迷うな。

 理性の警告とは裏腹に口が開く。垂らされた釣り針に食いついてしまう。


「あ――」


 喘ぎ声が漏れる。


「あなたのコードのファンです。荒島セピアさん」


 甲高い声は予想以上に大きく響いた。壇上の人々の顔が凍りつく。

 セピアは……動かない。ざわめきの中で、静かに発言の続きを待っている。


「無駄がなくて、整然としていて、だけども優しい感じです。読んでいるだけで歌が聞こえてきそうで、どれだけでも眺めていられるというか」


 果たして僕の声は届いているのだろうか。実はもうマイクは殺されていて、自室で独り言をつぶやいているだけでは。だが僕の口は止まらない。押し殺していた衝動が決壊し、漏れ出してくる。


「だから」


 だからこそ、と身を乗り出す。


「うかがいたいんです。こないだのOSアップデートで追加されたモジュール、EMr479625、あれはなんですか? 何度処理を追っても必要性が分かりません。はっきり言えば無意味に思えます。どうしてあんなコードを書いたんですか? あなたほどの人が」


 返ってきたのは沈黙だった。

 氷結を思わせる静止、巌のような静寂。

 一瞬の後、そこかしこから失笑が起こった。セピアのではない。周囲の参加者だ。ギャラリーが、報道陣が声を殺して笑っている。

 何も分かっていない子供が、いきがって見当外れの噛みつき方をしている。そう思われたのだろう。漏れ伝わる声には、嘲りや苛立ちの響きさえある。たまりかねたように司会の馬木が動いた。


「あー、えーと、君は、その」


 すっと上がった手が全員の動きを止めた。セピアだ。左手だけもたげて、目を細めている。


「なぜそう思ったのかしら? もう少し具体的に」

刊行シリーズ

セピア×セパレート 復活停止の書影