『開かずの間』は、俺と親父とお袋の三人で暮らしていた頃にはなかった部屋だ。母さんと妹が家にやってくることが決まって、それから増築した部屋だからだ。
「……暗いな」
ぱちんという音とともに、明るくなった。紗霧が電気を点けたらしい。
部屋の全容が見渡せるようになる。
現実では初めて見る妹の部屋は、パソコン越しに見たものとやはり同じだった。八畳ほどの広い部屋で、あちこちに無造作に置かれたぬいぐるみがまず見て取れる。
「うおっ、ゲームと本だらけ」
本棚には、少年向けのライトノベルと漫画が幾つもあり、俺の著作もすべて揃っていた。
やや大きめのスペースを持つ下段には、ゲームソフトがずらりと並んでいる。それらをプレイするためのハードはテレビ台に収まっていて、収まりきらないぶんが床を浸食していた。
他、ベッド、デスクトップパソコン、パソコンデスク、鏡、テレビなどがある。
とはいえ、明るいところで見渡してみると、オタクっぽくはなく、パステルカラーのカーテンやかわいい小物類、ぬいぐるみなどの奮闘により、ちゃんと女の子の部屋になっている。
……いいにおいがする。
なんだか妙に気まずかった。
「結構片付いてるな」
「……ん」
もちろん俺は、妹の部屋を掃除なんてしてないので、自分で片付けているんだろう。
母さんが言ってたとおり……綺麗好きな妹なのだ。
俺はぽんぽんと妹の頭に触れて、
「えらいぞ」
「……ないで」
「ん? 『子供扱いしないで?』」
「さわらないで」
「……………………」
痛ってぇ……。心臓にくるツッコミだな。キンキンに冷えた氷みたいなやつだ。
俺がきょろきょろしていると、妹は嫌そうな顔で、「……って」と言う。
「『やっぱりさわって?』」
「そ・こ・に・す・わ・っ・て」
「……はい」
顔が整っているやつが怒ると、マジで怖えぇな。
言うとおりにすると、紗霧は俺の前にちょこんと正座する。
「……あの……」
妹が口を開こうとしたところで、俺はずずいと身体を乗り出した。
「きゃっ」
がりっ。近づけた顔を、反射的にひっかかれた。
「痛って!」
「なっ、なっ、なにっ……?」
「おまえの声が小さいから、よく聞こえるように顔を近づけただけだよ! ……そんなに驚かないでくれ、傷つくだろ」
「…………」
むーっと、頰を膨らませる紗霧。
ほんと感情が顔に出るヤツだな。
「……ないで」
「『近付かないで』……そう言われてもな。近付かないと不便じゃないか?」
「……ふんっ」
紗霧は、ぷいっとそっぽを向き、パソコンデスクの方に這っていく。
でもって、ヘッドセットを被った。
「これでいい?」
紗霧の声が、マイクを通したものになる。変声機能はオフになっているようだ。
「……ああ、うん……もうそれでいいや」
一応、ちゃんと聞こえるようになったしな。
こうして、目の前に相手がいるのにマイク越しに会話をするという、奇妙なシチュエーションができあがった。
『兄妹の会話』が可能になったところで、まず紗霧は、
「なんでわかったの?」
と言った。声がでかくなっても、言葉足らずなやつである。
「えーっと、『なんで「エロマンガ先生」の正体が、私だってわかったのか』ってこと?」
翻訳してみると、紗霧がこくんと頷いた。
「……あれから、気になっていたの。じゃなきゃ、こうして中になんて入れない」
「…………」
てっきり、俺の正体が『和泉マサムネ』だったから、心境の変化が起こって、俺を中に入れてくれたのだとばかり思っていたのだが、違ったらしい。
何故、自分の正体がばれたのか、その理由が気になったから、入れてくれた……ってことか。
──俺の、思い上がりだったかな。
楽観していたつもりはなかったが、内心ではがっくりした。俺は正直に答える。
「おまえの後ろに、俺が作ったメシが映ってたんだ」
「あ」
いっけね、みたいに口を開ける紗霧。彼女は少し考えて、
「……で、でも……そんなに都合よく、私の生配信を見ていたってこと?」
「それにはちょっとした事情があってだな……」
俺は、これまでの事情を説明した。
初めてのサイン会が終わってから、顔バレしちゃったかもと不安になって、ネットでエゴサーチをしてみたこと。そしたら、『エロマンガ先生のブログ』で、俺のサインの字が汚いってバカにされていたこと。友達に相談したらエロマンガ先生が動画配信の生放送に出るらしいって教えてもらったこと──などを話して聞かせる。
「あとはおまえも知ってのとおりだ。おまえの正体に気付いて、そしたらおまえがWEBカメラを切り忘れて、服を脱ぎ始めたから──」
「っっ!」
ボッ、と赤面する紗霧。
あやうくネットで全世界にストリップショーを配信してしまうところだったのを、思い出してしまったのだろう。
「も、もういい。その話は……わかったから」
「そ、そうか」
……………………。
再び部屋に沈黙が満ちる。紗霧はもともと人見知り全開なやつだし、俺もかなり緊張していたから、当たり前の展開ではある。気まずい時間がかなり長く経ってから、ようやく紗霧が口を開いた。
「……やっぱり、兄さんが、『和泉マサムネ先生』だったのね」
「ああ、そうだよ。エロマンガ先生」
「そ、そんな名前の人はしらないっ」
だから、恥ずかしがるなら、なんでそんなペンネームにしたんだよ。
それよりも。
「『やっぱり』って言ったな。気付いてたのか?」
紗霧は首を横に振った。
「初めて会ったときから、『あの人』と同じ名前だなって、思ってただけ」
「……そか」
一年前、俺たちが初めて会ったとき。実はすでに、二年間、一緒に仕事をしてきた間柄だったわけだ。事実は小説よりも奇なりって、よく言ったもんだな。
「……まさか、本当に同一人物だなんて、思わなかった」
すごくびっくりした、と、紗霧は呟く。
「だって……どんな確率なの……」
俺と同じこと言ってやがる。やっぱ、そう思うよな。
「……その……一応……証拠とか……」
「証拠? 俺が和泉マサムネ本人である証拠ねえ……色々あるぞ」
たとえば──
「俺が初めてエロマンガ先生に、ヒロインのイラストを描いてもらったときのことだ」
思い出す。
デビューする直前の頃を。
俺の考えたヒロインに、初めて絵が付いたときのことを。
「すげー…………嬉しくてなぁ。いまでも昨日のことのように思い出せるぜ。当時の俺は、感激のあまり、エロマンガ先生に、感謝のお手紙を、原稿用紙百枚近く送っちまった」
「! ……それ……私も、昨日のことのように思い出せる。もっと胸を大きくしてくださいって、しつこく書かれていたこととか」
「それはできれば忘れてくれ」
これは、和泉マサムネ本人と、当事者しか知らないエピソードだ。
「あのときは……ごめんな」
「……本物……なんだ」
紗霧は、右手で自分の左胸に触れた。ぎゅ、と薄い胸を摑む。
おそらく無意識の仕草だったのだろう。その拍子に、パジャマのボタンがぷちぷちと外れて、真っ白な胸元が大きく露出する。
「そう言ったろ」
俺は妹の胸元から、必死になって視線をそらす。
な、なに動揺してんだ俺は!
兄貴だったら、妹のはだかなんか、平気でなくちゃいけないはずだろ!
「………………」
「………………」
しばらく無言の時間が続いた。お互いに驚いていて、衝撃を受けていたからだろう。
「まさか、エロマンガ先生と、実は一つ屋根の下で暮らしてたなんてな」
「……いまも、信じられない…………あとそんな名前の人はしらない」
お互いに視線を合わせず、ぽつぽつと言葉を零す。
「……その……いきなりすぎて……どうしたらいいか……」