「あっ、そうですかー。でもその人より私の方が寝てないんで大丈夫です! さ! 早く読んでくださいよ!」
「はいはい」
急かされたので、渋々と紙束を手に取る。大型掲示板のスレッド書き込みや、読書感想サイトの記事などがプリントアウトされているようだ。
「あの~……」
「なに?」
「俺の作品をディスってる内容ばっかなんですけど! 気のせいですかね!」
「そうですが何か?」
「俺のやる気を引き出すプレゼントだったはずでは!?」
「私って、人にディスられると超やる気出るタイプなんですよ」
「アンタの話はしてねえ! 俺はディスられると普通に落ち込むタイプなんだよ!」
だからネット見ないようにしてるって──何度も何度も言ったはずなのに……!
しかしまぁ、喧嘩しないようにって決意しといてこのザマなのだから、この仕事向いてないよな俺。いまさらだけど小説家って、小説書くのが仕事かと思ったら、むちゃくちゃ人と喋んなくちゃいけないじゃん。想像してたのと違いすぎたよ!
「和泉先生って、豆腐メンタルだから、ファンレターでしか読者の感想見ないじゃないですか。たまにはこうやって痛めつけておかないと、成長しないでしょ。私としては、もっともっと、良い作品を書いて欲しいんですよね」
なんて付け加えやがる。
痛めつける? 痛めつけるって言ったいま?
読者よ、これが編集だ。
「…………」
ニコニコこっちを見てくる担当編集から、無言で視線をそらし、俺はプリントアウトされた見たくもない感想に目を通していく。ああ痛い。痛い痛い。心が痛い。
ボロクソ言われんのは、担当編集で慣れている──というか、ネット上の批判意見をすべてかき集めても、こいつの言い草の方が遥かにひどいのだが。
また違う痛みだよな、これは。どちらの言葉も、重いよ。
担当編集は、作家にとっての死神だけれど。
読者は、俺にとって、大切な人たちなのだ。
「あ! そのブログ!」
ページをめくったタイミングで、超嬉しそうな声が飛んできた。
「エロマンガ先生が自分のブログで、『銀狼』の感想を書いてくださったんですよ! ぜひ読んでみてください!」
……えーっと。
「エロマンガ先生、お気に入りのキャラが、最終巻でもまた死んだって怒ってるみたいですけど」
「そりゃ怒りますよ! まったくもぉ、反省してください! だから打ち合わせのとき、こんな展開はダメだって、何度も何度も口を酸っぱくして言ったじゃないですか!」
ちなみに、
言ってない。
むしろ大絶賛していたという記憶がある。
いつもこれだ。言ってることが、コロコロ変わるんだから。
「はいっ! サーセン!」
担当編集の脳内妄想は、頭を下げつつ聞き流すとして、エロマンガ先生、俺のサインの悪口だけじゃなくて、ブログで俺の作品の感想とかまで書いてたのかよ。
って、書いてるのは紗霧なのか。
そんなことを考えながらページをめくる、と──
「……………………なっ」
俺は、そこで目を見開いた。
家に帰るや、俺は勢いよく階段を駆け上った。
『開かずの間』の前に立つや、扉に片手を押しつけ、「ふぅ~~~~~~~~っ」と息を吐く。
「はぁ……っ」
駅から走ってきたせいで、呼吸が苦しい。自分が何をしたいかはわかっているのに、頭の中がまとまらず、思わずかぶりを振った。
「紗霧……」
俺は、編集部で妹のブログを見てきた。
どうせ悪口ばかり書かれているんだろうな──と、決めてかかっていたんだ。
なのに。
そこで見つけたのは、彼女が描いた『転生の銀狼』のシリーズ完結記念イラストだったのだ。
いままで登場したキャラクターが全員集合した、とても手間と気持ちのこもった、素敵なイラストだと思った。
「……エロマンガ先生」
『開かずの間』に両掌を押しつけて、言う。
『銀狼』シリーズは、いまの俺にとっての代表作で、もう終わってしまった作品で、すでに新作を書き始めていて、きっと続きを書くことはない。
だけど、紗霧が描いてくれたイラストの中で、二度と会うことはないと思っていたやつらが、俺に向かって手を振っていた。
いまにも『じゃあな、お互い元気でやろうぜ』なんて言いそうな顔で。
俺は……紗霧のおかげで、あいつらとちゃんとお別れができた。
そう思えたんだ。嬉しかったよ。だから、
「なぁ、聞いてるんだろ?」
紗霧の顔を見て、お礼が言いたかった。
あいつの兄としてではなく、ずっと一緒に仕事をしてきた和泉マサムネとして。
そのためには、まず、やらなくちゃいけないことがある。
ついこの間の俺が、絶好のチャンスを前にしながら、できなかったことだ。
「紗霧っ! エロマンガ先生っ! 聞いてくれっ!」
紗霧はこのことを知らないだろうし、真実を告げるのは怖かったのだけど。
あのときは、紗霧に遮られて機を逸してしまったのだけど。
「俺が──!」
湧き上がってくる感情が、俺の背を後押しした。
振り絞るように、叫ぶ。開かずの扉を、貫かんばかりに。
「俺が! 『転生の銀狼』を書いてる和泉マサムネなんだっ!」
ばんっ!
「うべっ!」
勢いよく開いた『開かずの間』の扉が、俺の顔面を強打した。
「ぐっ……う、うう…………」
俺はたまらず顔を押さえ、座り込んでしまう。
直前までのシリアスな空気が、一瞬にして霧散してしまうほどの、情けない有様だった。
……な、なんという……。
ラノベではよくある攻撃だが、実際に再現されると、とんでもない威力だった。
しかも回避不能。どっかのアニメ主人公が、ドア攻撃を見事に受け止めていたが、あの域に至るには、俺はまだまだ未熟すぎるな。十秒強ほど悶え、ようやく俺は顔を上げた。
「なにしやがる!」
顔を上げると、そこにいたのは、パジャマ姿の俺の妹。
ぎゅっ、と、心臓を摑まれたような感覚を覚え、俺は言葉を失った。
「…………っ…………」
紗霧は顔を真っ赤に染めて、潤んだ瞳を大きくしている。もの凄く驚いているようだ。
「……ほ、ほんとうに……?」
集中していないと聞き逃してしまうくらい、か細い声だった。
やっぱり紗霧は、俺の正体を知らなかった。
俺が、エロマンガ先生の正体を知らなかったのと同じように。
だから、いま、こうして確かめ合っている。
「兄さんが……和泉マサムネ先生なの……? 『転生の銀狼』の……作者……?」
「……あ、ああ……そうだ。そういうおまえは……」
「………………」
「………………エロマンガ先生、なんだろ?」
かなりの間があってから、紗霧はぽつりと零す。
「………………そんな名前の人はしらない」
妹はじっと俯き、黙り込んでしまう。俺も華奢な妹の姿を、無言で見つめ続ける。
やがて……彼女は、俺の視線から逃れるようにそっぽを向いて、恥じらうような声で、前言を撤回する。
「……わ、悪い?」
ここでようやく、俺の相棒の正体が確定した。
俺は自然に首を振る。
「悪いわけない。……やっと会えたな」
三年間、一緒に仕事をしてきた相手に対しての台詞だった。
紗霧は唇を嚙んで何かを堪えるような表情をしていたが、やがてぼそりと呟いた。
「……入って」
「えっ?」
「……なに?」
「い、いや……おまえ、いま……」
「聞こえなかった? ……入って、って言った」
「いいのか?」
いままで開けることさえなかった自分の部屋に、俺を入れてしまって……。
「……い、いいって言った」
「そ、そうか」
どうして、この前はダメで、いまはいいんだ? とか、色々疑問が浮かんだが。
返事だけは決まっている。
「わかった。お邪魔するよ」
そうして。
俺は、我が家の禁断の領域──『開かずの間』に、初めて足を踏み入れた。