彼女は現状、個人事業主としての俺にとって、唯一のお得意様なのである。
下手にこの人と喧嘩でもしようもんなら、俺の収入は一時的になくなるし、今後の仕事にもおおいに差し障りがある。以前の俺ならともかく、いまの俺にとっては、死活問題だ。
だから、相手が親しげにしてくれていても、やっぱり緊張してしまう。
つーか、さっさと本題に入りたい。
「先日は完結記念のサイン会、ありがとうございました。えっと、俺っ、今日は新作の打ち合わせをするために来たんですけど!」
「でしたねー。最終巻書き上がったばっかりなんだから、ちょっとは休んでもいいんですよ?」
「そんな余裕ないですよ。読者に忘れられる前に次のシリーズ出さないと」
それはいい心がけですね、と、神楽坂さんは微笑む。
「では……さっそく、企画書とプロットについてですが」
「現物を持って来たんで、ちょっと見てもらっていいですか?」
どさっ。どさっ。どさっ。どさっ。どさっ。どさっ。どさっ。どさっ。
俺はボストンバッグから取り出した紙束を、目の前のテーブルに積み上げた。
神楽坂さんは「えっ?」と目を丸くする。
「なにこれ?」
「新シリーズの企画書です。とりあえず二作、第三巻まで書き上がってます」
「は? んっ? 企画書? 書き上がって?」
「こっちが、前シリーズと同じ学園異能バトルもの。こっちが異世界冒険ものです。それとこれは、いままでとは違う家族もので、一巻までしか書き上がってないんですけど、一応」
「………………」
目を白黒させていた神楽坂さんは、口を真一文字に引き結び、俺の分厚い『企画書』をぱらぱらとめくった。
「ちょ! これどれも企画書じゃないじゃん! ぜんぶ完成原稿じゃん!」
「そっちの方が早いかなって。企画書って、どういう内容なのか相手に伝わればいいんですよね! コレを読めば俺のやりたいことはすべて伝わるはず!」
「十秒で要旨が伝わるように作れって教えたでしょ!」
「そうでしたっけ?」
「こんなに大量にあったら、この場で打ち合わせできないじゃない! ま、まぁ、完成原稿があるんなら、それはそれでよし。って、二シリーズ、三巻まであるんだっけ? で、三シリーズ目は一巻の原稿が最後まで書き上がってる? 相変わらず書くのだけは早いよね」
他に取り柄がないみたいな言い方はやめて欲しい。
「で? それとは別になってるこっちの紙束は? まさかとは思うけど……四シリーズ目があったりするの?」
俺は言った。
「今回のシリーズがアニメ化したとき用の脚本です」
「アホかぁ!」
担当編集は、テーブルをブッ叩いた。
「な、なんでですか! いざアニメ化ってときに本気出しても遅いらしいじゃないですか! 人気が出て忙しくなる前にやっておくべきですよ!」
「まだ発売されてもいないのに、捕らぬタヌキの皮算用にもほどがあるでしょ! メディアミックス一回もしたことないくせに、アンタどんだけ自信たっぷりなの!?」
「ひでえ! 俺はいつだって超人気シリーズにするつもりでやってますよ!」
結果は出てないけどな! でも、少しずつ前には進んでいるんだ!
「俺は! 自分が面白いと思うものを書いて書いて書きまくるだけです!」
「それ全部読んで、次々捌かなくちゃいけないこっちの身にもなってよ! ただでさえ忙しいのに! アンタ、この調子だと企画通るまで毎週新作書いてくるでしょ! もう止めないけど、つまんなかったら序盤しか読んであげないからね! わかった!?」
怒声が鳴り響く新作の打ち合わせが終わったあと。
帰り支度を整えている俺に、神楽坂さんがぽつりと言った。
「和泉先生って、変わりましたよねー」
「はい?」
「一年くらい前からかなー。なんか、前と比べていっさい余裕がなくなったっていうか、よく言えばハングリー精神むき出しになったでしょ。『銀狼』も、シリーズ途中から雰囲気変わって、ちょっと人気出て、打ち切りの瀬戸際から脱出したじゃないですか」
「あー」
心当たりがありすぎる。
「前は、趣味の延長でやってたんです。自分が面白いと思う小説を書いて、みんなに読んでもらって、喜んでもらえたらいいなって、それだけで」
当時は中学生だったし、極端な話、売れようが売れまいがどうでもよかった。
小説家を長く続けるつもりもなかった。思ったよりも厳しい職業だったし、大学行くまでにはやめるんだろうなって、漠然とそう思っていた気がする。
「いまは、そうじゃない?」
「お金が欲しいんです」
率直に言った。昔の俺が聞いたら、怒られてしまいそうな台詞を。
それでも今の俺は、戦わなくてはいけなかった。
早く金を稼いで自立しなくちゃいけない。
「ふーん、いいんじゃないですか?」
と神楽坂さんはニヤつく。
「いいんですかね、こんな俗な理由でがんばって」
「それが和泉先生のやる気につながっているなら、こちらとしてはなんだっていいです。お金が欲しいのは、職業作家さんならごく普通の考え方ですしね。ああ、それで思い出しましたが、あなたのやる気を出させる材料が、もうひとつありまして」
「? なんです? 有名イラストレーターでもつけてくれるんですか? 『一』先生とか」
そぼくな疑問なんだけど、なんでイラストレーターの人たちって、一文字とか、わざわざ検索性悪いペンネームつけるんだろうね。
「違いますって。そんなこと言ったら、ずっと和泉先生の作品のイラストを担当してくれているエロマンガ先生に怒られちゃいますよ?」
そこで、いまの俺にとって、ピンポイントな名前が出てきた。
「どんなに和泉先生が異常な速筆を発揮しても、いままで文句一つ言わずに仕事を引き受けてくれていたんですから、浮気しちゃだめですよ」
どうやら神楽坂さんは、次の新作のイラストも、エロマンガ先生に頼むつもりらしい。
俺にはもったいないくらいの仕事相手なので、願ってもない話なのだが。
複雑な心境だった。だってあの人、俺の妹だったんだもん。
「感謝してますよ、ちゃんと」
「ならいいです」
「で、プレゼントってのはなんです?」
「じゃーん」
どん、と神楽坂さんは、テーブルに紙束を載せた。
この笑顔をしているときは、絶対にろくなことじゃない。
「……その……紙の……束は?」
「私がネットで集めた、『銀狼』の感想ですよ! さあ! 目を通して気合入れてください!」
「俺、おっかないからネット見ないっていつも言ってますよね! その理由も、よぉ~~~~~~っく知ってるはずですよね!?」
「もっちろん♪ ですからこれは、やみくもに集めたわけじゃなくて、私のノウハウで厳選した『読者の感想』ですよ。色んな意見がありますが、すべて『私の言葉』だと思って受け止めてくださいね」
「…………」
神楽坂さんは、よくこういう突飛な行動や無茶ぶりをしてくる。
よくわからん修行を強要する師匠キャラかよとも思うが、早く死なねえかなともたまに思うが、いまとなっては大事な取引先だし、いい作品を作ろうという気持ちは同じはずなので、鵜吞みにすることはないけれども、どんな話でもちゃんと最後まで聞くことにしている。
どうせ俺のコミュ力では断れないし。
「この前、他の編集さんから、『読者の意見など参考にするな』って言われたんですが」