制服ピンポン ⑩

 翌日、金曜日。休みが控えているから、平日の中で一番好きな曜日。

 水曜日と同じく安達はやってこない。昨日から、なんとなくそんな予感がしていた。日野と永藤の存在が安達になんらかの影響を与えて、この場所に寄りつかなくなるという予感だ。

 多分、今日は昼休みまで待っても、その後ずっとここにいても安達には会えないだろう。もしかすると、もうずっとここに来ないかもしれない。ここで安達に会えないのなら、出会う機会は激減すると思う。運が悪ければ卒業まで顔をあわさないこともあり得た。


「運が……悪いのか。そうかぁ」


 安達と会うのは運がいいこと、つまり、わたしにとっていいことなわけだ。まぁそうだ、安達は友達だし。友達と会うことがマイナスと感じるなんてなにか変だ。なにかを前向きに感じるからこそ、わたしと安達はここに集っていた。それは間違いない。

 その感じていたものは、日野と永藤がここに来ると薄れて、煙のように消えてしまっていた。

 安達は捻くれている、というか……それに似た、言い得て妙な表現があるはずなんだけどそれがどうしても思い出せなくて、まぁつまりなんかそれが働いて、ここを避けるのだと思う。

 わたしはそれを察しながらも、どうしても言葉が思いつかなくてすっきりとしない。

 安達について知らないことは山ほどあって、時々それを歯がゆく思う。

 多少なりとも分かっていることは、自分のことだけだ。

 昨日、日野と永藤が卓球している姿を見てつくづく感じた。

 あーいうのは求めてない、と。

 きっちりとジャージを着て、誰かに認められて卓球するのはなにかが違う。

 ここは四人でわいわいやる場所じゃない。安達とわたしが、制服で緩くピンポンする空気が一番適しているのだと思う。その独特の、二人きりでしか出せない気怠さのようなものに身を置くことが、ここに来ていた意味なんだと思う。思う、思うばかりでちょっと曖昧で。

 わたしにも根本を掴めているわけじゃない。

 だけど日野と永藤がここへ来るのは、なんか違うなぁと、強く感じたのだけは確かだった。



「明日十時集合ね。遅れたら釣り針に餌つけてあげないんだから、ぷんぷん」

「分かった分かった」


 日野に念押しされて、適当にあしらう。変なやつに会うために釣りに行くっていうのもどうなんだろうと思いつつ、教室を後にした。今日は日野と永藤の誘いを断って、一人で帰る。

 廊下から階段、下駄箱を通るまでの間、ノートの切れ端の地図と睨めっこして行くかどうするか散々迷い、結局行かないことにした。安達が大人しく家にいるとは思えなかった。

 正門から出て、つらつら歩く。ガソリンスタンドを越えた先で安達が座っていないかと少し期待して途中から早歩きになったけど、あの行儀悪い不良は不在だった。大人しく柵が設置されているだけだ。試しに足を乗せて座ってみたけど、危うく車道に転がりそうになった。

 ちょっと死にそうになりながらも、歩くペースを落として進む。ガソリンスタンドと隣接して経営しているコンビニを覗くか迷い、止めて、眼鏡屋の一台も客の車が停まっていない駐車場を斜めに横切る。緑色で円柱みたいな形の進学塾が角にあるところを左へ曲がって、そして日野や永藤と別れるバス停のあたりを通過したところで、衝撃が走った。


「どーん」

「のわっ」


 背後から軽くぶつかってきたそれに、背中を押されて前へつんのめる。チンピラか不良にでも突っかかられて金銭を要求されるのではと身構えて振り向いた。その予想はほんの少しだけ正解していた。主に不良の部分が。

 安達だった。自転車に乗ったまま手を突き出して背中を押してきたらしい。

 さすがに自転車ごとぶつかってくる気はなかったようで安心する。


「ごめん、止まるつもりだったけど間に合わなかった」

「どーんって言ってたんですけど」


 安達が自転車を降りて、押しながらわたしの横に並ぶ。学校では一度も見かけなかったけれど、制服を着ていた。自転車籠の中に鞄も入っている。あと、なにかビニール袋も一緒だった。

 わたしがなんとなくの勢いで前へ進むと、安達も一緒についてきた。


「あれ、いいの?」

「なにが?」

「安達の家、こっちじゃないから」

「そうだけど。……うん、まぁそうなる」


 安達が小さく顎を引いて、しかし特に引き返す様子はない。この間は安達の家に行ったから、今度はわたしの家ってことだろうか。安達なりの時間の潰し方かもしれない。

 しばらく黙々と歩く。時々、安達の横顔を盗み見る。髪も顔の輪郭も細く、繊細な工芸物のように整っている。ジッと見ているとまばたきをして、あぁ生き物だなぁと安心する。

 長く見つめすぎていたから、安達と目があった。

 そして籠の中のビニール袋を差し出してきた。


「しまむら、これ」

「はい? なになに」


 袋の中を覗いてみる。パンが入っていた。二つほど、片方は形からクリームパンと分かる。もう一つは真ん中にツナかポテト、白い具材が入った惣菜パンだった。どちらも学校の購買で買えるものだ。あといつから入っていたのか、温くなったミネラルウォーターが底に転がっている。朝ご飯には少し多く、晩ご飯にはちょっと寂しい。昼ご飯の中身だった。


「今日の昼休みに渡そうかと思ったんだけど」

「昼休み?」


 安達が賑わう購買に並んでいる姿を想像してみたけど、違和感が酷い。

 でも昼休みと聞いて、ピンと来るものはあった。


「あぁ、『次』か」


 そこで今日、初めて安達が笑う。キツク取れる目つきが夕暮れの日差しのように和らぐ。


「いくらだった? 払う」


 値段を聞きながら財布を出そうとする。安達は「いいよ、別に」と教えようとしない。それならばと記憶を洗い、値段を推察することにした。ミネラルウォーターは自販機で買ったものだろうからすぐ思い当たる。後は惣菜パンの値段を思い出せばいくらか分かるというものだ。

 眉間に指をぐりぐり押しつけて、「ぐぬぬ」と唸る。「なにしてんの」と安達に訝しまれても無視して脳を引き絞るイメージで記憶を漁り、立ち眩みが起きる寸前でようやく思い出す。

 財布を出して、硬貨を確かめる。丁度の金額が払えそうなので用意して、安達に突き出した。


「パンと水の代金。ぴったり当たったでしょ」


 わたしは自信満々だったけど、受け取った安達の方は首を傾げている。


「いやもう分かんない。忘れたから」

「なんだ。張り合いないな」


 がっくりしながらペットボトルの蓋を捻って開ける。生温い水を口に含むと、もう過ぎた季節である夏の残滓めいたものを感じた。今年の夏休みもゴロゴロしていただけだったなぁ。

 少し飲んでから、安達にペットボトルを傾けて差し出す。


「飲む?」


 安達がペットボトルを受け取って、三分の一ぐらい勢いよく飲む。ペットボトルから口を離して一息吐いた後、前を向いたまま安達が安堵するように言った。


「しまむらが他の友達と帰ってなくてよかったよ。渡しそびれるところだった」


 別にいても渡すぐらいできると思うけど。そう言いかけて、安達の横顔に浮かぶものにふと気づく。子供だった。安達の涼しい顔つきは、少し伏せた目もとと、少し尖った下唇という二つの些細な変化で大きく様相を変える。子供が静かにむくれているようだった。

 その顔を眺めて、捻くれているに似たなにかを、やっと理解する。

 拗ねている、だ。

 ほら、ちょっと漢字が似ているし。似てない? 人によってはそう見えるかな。

 安達は友達がわたししかいないと言っていた。……つまり、そういうことなんだろう。

 面と向かってそんなこと口にしたら安達は怒るだろうし、認めないだろうし、わたしを置き去りにして帰ってしまうだろう。わたしの方も照れて、安達の顔を見ることが少し難しい。

 認めることの難しさを味わい、翻弄されながら、それでもわたしは時々、正面を向く。

 一つだけ、はっきりとさせてみよう。


「安達」


 呼ばれて、安達がわたしを見る。

 その視線から逃げないよう見つめ返しながら、真っ直ぐ、道の向こうを指差した。


「わたしの家まで一緒だよね」


 今のわたしが聞けて、今の安達が認められるのはきっと、これぐらい。

 わたしたちの間を行き交うピンポン球に変化をつけるのは、まだまだ練習不足だ。


「うん、そのつもり」


 安達がそう答えたので、よしよしと笑う。

 地図の用意をしないといけないな、とビニール袋を軽く揺らした。


 かくしてわたしたち四人は微妙に繋がりを持つことになる。

 といっても綺麗な輪など描けない。わたしを中心に、歪な線が引かれただけだ。

 安達が日野と一緒に仲良く釣りに行く日が来るかもまったくの未知数で。

 まぁまずないだろうと思いつつも、ほんの少し期待してしまう。

 微かな高揚感が、わたしに翼を与えた。


「飛行機の真似。ぶーん」


 両手を水平に広げて、少し歩いてみる。

 恥ずかしがるまで、あと、何歩かかるだろう。

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