制服ピンポン ⑨
「そして翌日もなんてことなく学校に来る安達さんだった」
「ま、優等生だから」
なにを言っているんだこの人は。ピンポン球を打ち返しながら冷ややかな目で応える。
そんなありふれた木曜日の午前中がすぎて、昼休みになったときだった。
この卓球が終わったらまたわたしが安達の分までパンを買いに行こうかと考えていたところで、二人の陽気な声と足音が体育館へと入ってきた。しかも二階を目指してくる。
「ほら二階で音してたじゃん」とか話し声が足音と共に階段を上ってくる。その声に聞き覚えがあって、もしやと考えている間にそいつらが姿を見せた。思わず顔が引きつってしまう。
「うげっ」
「うげとはなんだ。友人に向かって」
日野と永藤がずかずか歩いてくる。手には購買の袋をぶら下げていた。でもその勢いはすぐに、安達がいることを知って萎れる。「ぬぬ」と日野がわたしと安達を交互に見る。
安達も困惑するように、わたしを見つめていた。わたしばっかり注目しないでくれ、と言いたいけどそうもいかない。まずはラケットを静かに置いて、定位置に座った。
「なにを一人、落ち着いているのだ」
そう言いながら日野もわたしの側に座る。永藤はその反対、わたしを挟むように座った。安達だけが立ったまま、横の髪を弄っている。わたしが手招きすると、安達は悩むようにこめかみを掻いた。「安達」と呼ぶと、あまり浮かない顔ではあったけどこちらへやってきて、わたしたちと少し距離を取って座る。いつもの位置は永藤に座られてしまっていた。
「なんでここが?」
「本屋で卓球の本を見ていたから、ここだと思った」
「あらら」
わたしのせいだった。安達に申し訳ない気がして、横目で様子を窺う。安達はいつもの涼しい顔でこちらを見学している。お喋りに加わる様子はまったくなさそうだった。
日野がわたしの服の袖を引っ張り、控えめに尋ねた。
「あちらにいらっしゃるのは安達さん?」
本人がいるのだから直接聞けばいいのに。
「どこからどう見ても安達だね」
「そうそう、安達さん」と永藤が頷いている。こいつ、また忘れたのか。
「友達だったの?」
「ん、まぁ」
今度は見ないフリもできずに認める。すると日野が不思議がった。
「えー、じゃあ火曜日……ま、いっか」
なにか言いたげだったが、日野が言葉を呑みこむ。それを一瞥した後、永藤が安達に向けて自己紹介した。
「永藤です」
「日野です」
日野も続く。それはいいけど相手は同級生なのに、なんでそんなかしこまっているんだ。
安達は二人を順々に指差し、その名前を口にする。
「永藤に、日野。覚えたよ」
まるで後でお礼参りに行くような言い方だった。日野などちょっと引いている。
「よろしく」
短く締めて、安達がネットに寄りかかる。正面の壁を向いて、口を噤んでいた。いかにも孤高という雰囲気の漂う態度と横顔に、日野たちも安易に声をかけられない。
「あ、パン買ってきた。一緒に食べようと思ってさー」
「ここって先生来ないの? 体育の授業とかあるのによくバレないわね」
で、わたしが二人の相手をする羽目になる。左右挟んでステレオで喋らないでほしい。
どっちにまず対応すればいいのか迷うから。
えーと、まずパンを食べよう。
日野のぶら下げていたビニール袋に手を突っ込む。一番上にあったパンを出して、「どうもどうも」と礼を述べて二口ほど噛んでから、永藤に答えた。
「授業があるときは座って静かにしてたから」
「ふーん。結構みんないい加減というか、目が節穴というか」
永藤が感心したような態度と口調でバカにする。言動と態度が直角なやつだ。
胸は露骨に曲線を描いているというのに。
「安達はなにがいい?」
安達に話を振る。安達は正面を向いたまま、口だけを動かした。
「しまむらの好きなやつでいいよ」
「ん。じゃあ、これで」
卵パンを緩く放った。安達はそれを受け取って、「ありがとう」と誰かにお礼を言った。
永藤たちもそれぞれパンと飲み物を取って、もそもそと食べ出す。日野と永藤はよく喋って、わたしに話を振るものの安達には話しかけようとしない。安達は安達でこっちに歩み寄る姿勢など微塵もなさそうで、わたしは板挟みにあっているような窮屈さの中、乾いたパンを噛む。
消化によくなさそうな昼ご飯だった。
食べ進めて、それが終わった後の退屈に耐えられないのか日野が騒ぐ。
「卓球していい? というかやろう」
日野が腕を引っ張って誘ってきた。わたしはなんとなく安達を見ながら、言葉が淀む。
「いやまだ食べてるし。食べてからね」
永藤の手もとからもパンは消えている。
わたしと安達が鈍重なのだろうか。
「じゃあ永藤やろっ」
「いいけど、なに賭けるの?」
「え、賭けないといけないんスか……」
とか言いながら二人が、わたしたちの使っていたラケットとピンポン球を手にする。そこに違和感、靄のようなものを感じながらも、二人の遊ぶ姿をぼんやりと眺めた。
卓球しながら、日野がわたしに話しかけてくる。
「しまむら、土曜日空いてるー?」
「今週の?」
「そう、よっ、っと」
腕を伸ばして台の端で跳ねたピンポン球を打った。永藤はそれを力強く打ち返す。
「やることはないけど」
「じゃあさ、こないだ話した宇宙服を着た子。面白いやつだから会ってみない?」
「それって結局、釣りに誘ってるだけじゃあないの?」
「いやいや、そっちはおまけ。しまむらの話したら、会ってみたいって言ってたから」
どんな話をしたんだ。無難にわたしのことを語ったら、変人に気に入られるところなんかないはずである。どこをどう脚色したのか、日野は卓球に忙しいので読み取ることができない。
「永藤を連れていけばいいのに」
「私部活だもの」
暇人と一緒にするなという言い方だった。部活動だって暇つぶしにしか思えないけどね。
「というわけでしまむら、行こうぜー」
「んー……ま、いいか。土曜日ね」
「よっしゃよっしゃ」
そう言いながら日野が思いっきりラケットを振って、派手に空振りした。
話が一区切りついたのを見計らって、安達を一瞥する。安達は、囓りかけのパンを持ったままぼーっとしていた。
わたしも安達も、口数が多い方じゃない。他に話すやつがいれば必然、寡黙になる。
でもそれとはまた別に、安達は遠い目をするように、誰も見ていなかった。
その目つきに不安とある種の予感を覚えて、小さく溜息を吐いた。