制服ピンポン ⑧
「帰り道が分からないので、学校までの地図を書いて」
「あ、やっぱりそうなるよね」
考えなしなわたしの要求に安達があっさり納得してくれた。自分の鞄から、埃でも被っていそうな筆記用具とノートを取り出す。むしろ持っていたのかって、感心してしまった。
三十分ぐらいかけて到着した安達の家は、白かった。いや壁の話だけど。建物の左側に駐車場があって、今は屋根の下に一台も止まっていない。壁に隠れてほとんど見えないけど、奥には緑色の物干し竿の端っこが見えた。
玄関から正面にあるのは畑。三面か四面、横に連なっている。その畑を真っ直ぐ越えた先には工場らしき巨大な建物があって、田舎だなぁと感じさせた。うちの周りも似たようなものだ。
昔はもっと畑だらけだった。通りに人家が珍しいほどに、噎せ返る草の匂いがしたものだ。今は家がほとんどで、畑の方が珍しくなってしまった。
小学生のときに畑の側を歩く絵を描いたけど、今、あの景色はどこにもない。
「はいできた。私が自転車で通ってる道だから、多分しまむらも通れる」
「なんだそれは。わたしが自転車より横幅あるってこと?」
「両腕を真っ直ぐ横に伸ばせばあるんじゃない?」
安達が笑いながら、ノートの切れ端に書いた地図を渡してくる。誰がそんな歩き方をするものか。受け取った地図を眺めて、こーでこーでと学校までの道のりを指でなぞる。そうしていて気づいたけれど、この地図があれば一人でも安達の家に来られる。
そんな機会もそうそうないだろうけど。安達がいるかも分からないのに来てどうする。
「濡れてない?」
安達がわたしの肩や髪をぺたぺた触る。
「結構ビショってるじゃん」
「途中から雨足も強くなったし」
安達の方も前髪が濡れて額に張りついている。視線で気づいたのか、安達が前髪を掻き上げた。デコが出て、普段と少し雰囲気が変わる。いつもより大人びていた。
「上がってく? タオルぐらいなら貸すけど」
「んー、いいわ。濡れ鼠で上がったら安達も迷惑するし。するよね?」
なんか断る理由を安達に押しつけているみたいだった。安達が苦笑する。
「そうやって一歩引くところが、あー、しまむららしい」
ムッとなる。そう決めつけられると反発したくなる。自分でも悪い病気だとは思うけど。
「じゃあ上がってくか」
「じゃあって……えぇい帰れ」
追い返された。その気になるとハシゴを外すなんて、安達も酷いやつだ。
まぁいいかと大して執着せずに帰ろうとすると、安達が声をかけてきた。
「しまむら、傘」
安達がさっきまで使っていた折り畳み傘を差し出してくる。
「傘ないとキツイでしょ」
「借りとく。明日返すから」
「明日、学校行ったらね」
安達らしい台詞だった。受け取った傘を手の代わりに振って、安達邸から離れる。
二人乗りの自転車で三十分。普通に乗って二十分として、歩いたら倍ぐらいかかるから、四十分。それだけ歩いて学校の前まで戻った後、二十分かけて家まで歩く。計一時間なり。
「きっつー」
「しまむら」
頭の上から呼ばれた。顔を上げると、傘の向こうに安達が見えた。家の二階にいた。
大慌てで二階に上がって、部屋の窓から顔を出したらしい。変なの、と笑ってしまう。
「どうしたの?」
「えーっと……まず、タオル」
安達がタオルを放ってきた。濡れた地面に落ちる前に取ろうと傘を放り出して、両手を広げる。意味ねー、という呟きが上から聞こえたけどなんとか無事にタオルを掴み取った。
傘を拾い直して、振って水滴を落としてからタオルで顔を拭く。レモン色のタオルは洗い立てなのか安達の匂いはしなかった。知らんけど、安達の匂いなんて。
「さんきゅー」
「うん」
「………………………………………」
「………………………………………」
まずと言っていたから次があるのかと思って、安達を見上げたままそれを待つ。でも安達は窓枠に頬杖を突いてこちらを見下ろすばかりで、なにも言おうとしない。雨音だけが響く。
借りたタオルで髪を拭いて、これも明日返そうと思ったところで安達が口を開いた。
「ごめん」
「ん、なにが?」
「遠回りさせて、悪かったなぁって思った」
本当にそんなこと思っているのか疑わしい涼しい顔だった。
「送ってこうか? しまむらの家まで」
「へ? いやいや、意味ないから」
わたしはなにをしに安達の家まで来たのだ。いや、なんのために来たのか自分でも分からないのが本音だけど。「それもそうだ」と安達が表情を変えないまま頷いて、また黙る。
安達との間にある、この空白の時間が落ち着かない。なにか喋らないといけないような気がするし、すぐに離れたい気もする。そして今回は、なにも思いつかないから後者を選んだ。
「じゃあね。帰る」
「うん。多分、また明日」
安達は最後まで、多分とか、行ったらとか、登校をぼやかしていた。
二階の窓が閉じてから、わたしも歩き出す。タオルは首にかけた。オッサン臭いかな。
「……変な一日だった」
授業にも参加しないのに自転車で二十分かけて学校に来るとき、安達はなにを考えるのかな。
いつもより遠い帰り道をなぞるように歩きながら、少しだけ安達の胸の内が気になる。
今日、友達の話をした。
次は学校の話をするべきなのかもしれない。