制服ピンポン ⑦
永藤は部活に参加しているので、なんにもしていない日野とわたしが余りものとなって帰る日は結構多い。でも今日はわたしの方にも用があるので、「んじゃ」と日野を置き去りにした。
「あぁ、あたしの中のウサギちゃんが死にそう」
などと日野がのたまっていたけど、下駄箱で別れた。
日野と永藤のいいところは、忠告はしてきても干渉しないところだ。わたしを更生させようとかそういうお節介は働こうとしない。悪いやつは勝手に悪くあれである。
靴を履いて校舎の外に出ると、小雨がぱらぱらと降ってきていた。これはマズイと必然、早足になる。傘なんか持ってきていないので、正門から出る頃には走っていた。
安達はもう待っているだろうか。そう考えると待たせるのが申し訳なくて、もし雨が降っていなくてもわたしは走っていそうだった。別に期待していたわけじゃないけど、礼儀だ。
そうして何人か制服の男子たちを追い抜いてガソリンスタンドを通過した頃、安達の姿が見えて複雑な感情が去来する。待っていたことにホッとしたような、悪かったなぁと思うような。
小雨の中、律儀に傘を差して待っている。安達が傘を持参していることも驚きだった。
「ポーズまで同じじゃなくてもいいんだけど」
昨日と同じ姿勢で柵に乗っている安達に笑ってしまう。息を少し荒らげながら走っていくと、安達がわたしに気づいて柵から降りた。自転車のハンドルを掴みながらわたしを待っている。
わたしは最後まで走り抜けて、まだ家にも帰っていないのにゴールと内心呟いた。
「ごめん、雨降っちゃった」
「いやいや。雨はしまむらのせいじゃないから」
安達がくすぐったそうな顔になる。それから「持ってて」と傘を渡してきた。両手が自由になって、自転車のストッパーを蹴って外してからわたしの方に振り向く。
「しまむらの家ってどっち?」
こっち、と道を真っ直ぐ指差す。
「あぁ、やっぱりか」
安達の顔が曇る。なにか不都合があるのか、と目で尋ねると安達が言った。
「いや、私の家と方角が大分違うなーって」
わたしの家と七十度ぐらい違う方向を指差した。中学校の学区が同じじゃなかったわけだから、当然なのだけど確かに大きく異なる。安達の家へ帰るならこっちへ来る必要がない。
じゃあ、昨日はどうしてここにいたのか。やはり、知らないことは大きな山を作っている。
「どっちの家から帰る?」
「斬新な質問ね。あー、じゃあ、安達の家からでいいんじゃない?」
聞かれて、そう答える。どっちの家へ先に行っても、後のやつが遠回りすることになる。雨の中で待たせたこともあり、安達を優先してみた。安達も特に反対せず、自転車に乗る。
「後ろ乗る? で、しまむらが傘を差す」
安達が後輪を足で軽く蹴る。悪くない提案だけど、ふざけて注意してみた。
「二人乗りは悪いことなんだぞー」
「いいじゃん、不良なんだし」
「それもそうだ。いやー不良ってお得だね」
「ほんとほんと」
あっさり納得して後ろに乗った。車輪の脇に足をかけて、安達の肩に手を添える。残る手で傘を差して、「いいよ」と言ったらすぐに安達がペダルをこぎ出した。最初は重そうだったけど、自転車の速度が安定することで安達も順調にペダルを回せるようになる。
安達の頭を見下ろす。顔とセットで見ると綺麗に思えるそれも、単品で目に映るとどことなくシュールだった。毛むくじゃらの生き物に見える。わたしの頭も似たようなものかな。
これでどっちかが優等生で生真面目だったら『いけないよ、こんなの!』とか友情に熱く燃えて正道に立ち返らせるんだろうけど、わたしたちはどちらもふまじめだからなぁ。
むしろ深みにはまっていく感じだった。
それとこの傘、差している位置が高すぎて雨を凌げていない気がする。
「しまむらって友達いたんだね」
わたしの来た道を逆走しながら、安達が前を向いたまま話しかけてくる。
声は穏やかで、でも少し乾いていたと思う。少し低い位置から聞こえるからだろうか。
答え方次第では気まずくなりそうな予感がした。なんでか分かんないんだけどさ。
「他にもユニクロくんと、H&Mちゃんとか友達かなぁ」
嫌いな名字だけど、自分からネタにしてみた。安達の肩が笑うように、微かに揺れた。
「いないからあんなところにいるのかなって思ってた」
安達が珍しく『わたし』について話をする。それともそうした見解は、安達自身のことを語っているようなものだろうか。わたしもまた安達に、『安達』についてを問う。
「安達は? 友達いる?」
「んー……しまむらぐらいかなぁ」
「せめー」
などと言いながら、少し嬉しかった。安達からしてみれば喜ばしいことじゃないだろうけど。
自転車が目の前の曲がり角を鋭く曲がる。普段の感覚でそう動いて、でもわたしの分だけ重いからか車体が泳ぐ。少しふらついて、危うく側面を建物の壁で削るところだった。
持ち直してから、安達が上を向く。運転中なのに思いっきりよそ見して、わたしを見上げた。
「な、なに?」
安達はすぐに答えない。身体を反らしたまま真っ直ぐ走る。代わりにわたしが正面を向いて前方を確かめたいところだけど、見つめられていると目を離しづらい。
「さっき、しまむらがこっちに走ってくるのを見て思ったんだけど」
「は、はぁ」
「しまむらって、猫っぽいよね」
カララーッと、安達の下から自転車のタイヤの回る音が聞こえた。
「猫ですか」
「人間じゃない」
ひでぇ。どんな走り方していたんだ、わたしは。それとも顔か、顔が猫なのか。
「どこらへんが猫?」
「人に懐かなそうなところ」
「……そうですかね」
「そうなんじゃないですかね」
自分のことと、相手のことを話そうとしないところが。
安達の目にそう言われている気がした。肩に乗せている指に、少し力が籠もる。
人に心を許さないところはあると思う。でもそれは多かれ少なかれ、誰にでもあるはずだ。当たり前のことなのだ。そういう思い込みが、懐かないなんて評される原因かもしれない。
しかしそれは安達も似たようなものじゃないかなと思う。
そもそも猫を飼ったこともないので、安達の言うことが本当かも分からない。
「懐かないなら、自転車の二人乗りはしないと思うなぁ」
「私が猫かなんかに見えているんじゃないかな」
そう言って、安達がようやく前を向く。安全運転に戻ったけれどホッとすることなく、むしろ不安のようなものがせめぎ合う。『わたし』の話がいっぱいなのは、どうも苦手だ。
目を逸らすように、心もその話題から少しだけ逃げ出す。安達の話へ逃げる。
安達も猫か。体育館の二階にひっそりと、猫二匹。
少し蒸し暑く、だけど日差しの入りこむ窓を前にして寝転んで。
忙しなく動くピンポン球に反応して追いかけ回す様は、確かに猫のようだった。