制服ピンポン ⑥

 翌日、水曜日。まだまだ続くよ一週間。安達はなかなか現れなかった。

 一時間目に知らないクラスの体育が終わった後も、わたしは二階に一人だった。今日は曇り空で、窓から光が入りこんでこない。すごしやすい気候で、ぼーっとするのも苦じゃなかった。

 だけどそれが三時間目まで続くと、さすがに暇だった。時計を確かめて三時間目が始まっても体育に誰も来ないことを確認してから、卓球のラケットを握る。転がしっぱなしのオレンジ色のピンポン球を拾い上げて、壁に向けて打った。ワンバウンドして壁に当たったピンポン球が跳ね返り、こちらに戻ってくる。それをまた打つ。壁当てというんだったっけ。

 こういう密やかな練習が安達との差を広げるのだ。昨日は変なサーブに固執して安達が勝手に弱くなったけど。ぽこぽこ打ち返しながら、時々、階段と踊り場に目をやる。

 安達は来ないのだろうか。ここで会ってからはほとんど毎日来ているので、偶に来ないと落ち着かない。昨日の放課後のこともあってか、多分ムダに、きっとムダに心配してしまう。

 もし昨日のすれ違いが原因で安達がここに来なくなったなら、一生……は無理としても、半年ぐらいは後悔すると思う。半年経ったらクラスも替わるし記憶はインクのように薄れていく。

 今までにもたくさんの人、友達と別れて、色々忘れて、そして今は安達や日野、永藤と出会った。海面に顔を出して一呼吸した後、深く深く沈んで。様々なものが周りからなくなって息苦しくなった後、また海面を目指す。わたしにとって人付き合いとはそんなイメージだった。


「……おっと」


 階段を上がってくる音がした。ピンポン球を打つのを止めて、直立したままその相手が誰か分かるまで留まる。安達かもしれないし、教師かもしれない。緊張の一瞬だ、と思うけれど本当は上履きの独特の音で、学校の生徒が上がってきているのはすぐに分かっていた。

 上ってきたのは、やっぱり安達だった。わたしを見つけて、安堵したような表情を浮かべる。

 いつもと違うのは鞄も肩にかけていないことだった。


「よ。今日は遅かったね」

「あ、いや。もう帰ろうかと思ったんだけど、一応」


 安達が髪を掻きながら言う。もうって、まだ昼前なんだけど。

 それに、帰るってことはもっと早く学校に来ていたのだろうか。


「ピンポン球の音も聞こえたし」


 いつもの位置に座りながら、安達がわたしの手元に目をやる。

 そんな遠くに聞こえるほど、大きな音を立てていただろうか。

 ラケットとピンポン球を置いて、座りこむ。それから安達を見て言った。


「いたね、昨日」

「うん、いたね」


 簡単に確認するように頷きあって、そこで微妙な空気が生まれる。小学生のとき、家族で外にご飯を食べにいったら同級生の子もその店にいたときのような、奇妙な意識をしてしまう。

 この会話と意識の停滞が、安達との間には微妙に多い。安達とどれくらいの友達になるのか決めかねているからかもしれない。一口に友達と言っても、相手によって位置とか距離がある。


「鞄は?」

「自転車の籠の中。面倒だから置いてきた」


 見たところ、携帯電話や財布も持ってきていない。すぐに帰るつもりなんだろう。

 それでも不用心だけど。そう言ったら母親か、と笑われてしまいそうだ。


「チャリ通なの、初めて知った」

「話したことなかった? 時々、自転車の鍵回してたけど」


 安達が握っていた鍵を、キーホルダーを中心にしてくるくる回す。キーホルダーにしているのは紫色の……犬か牛と見た。四本足なのは分かるけど、種族の区別がつかない。


「あー、あったかも。あんまり気にしてなかった」


 わたしがそう言って、どっちも黙る。他に話せることはあるはずなのに、頭を振っても言葉が出てこない。安達も似たようなものだと思う。正面の窓を見上げて、目を細めた。


「じゃ、帰るわ」


 安達が立ち上がる。「あ、うん」とその姿を見上げて、のろのろと頷く。安達はスカートの後ろを軽く払った後、自転車の鍵を回しながら階段の方へ歩いていく。なにをしに来たんだろうと思ってしまう。そりゃ勿論、ちょっと顔を出してみただけなんだろうけど。


「あのさ、安達」


 座ったまま安達の背中に声をかける。安達は「んー?」と不思議そうに振り向く。


「今日授業を受けようと、今日一緒に帰ろうなら、どっちがいい?」


 どうしてそんなことを聞いたか、よく分からない。ただわたしの中にはいくつもの空白があって、それは心の器官として機能している。その中のいくつかが、それを訴えていた。

 物足りないと。空腹感に似たそれが、わたしの背を軽く押した。

 昼休みが近いから単にお腹が空いていた。そんなのが真相かもしれないけれど。

 安達は少し驚いていた。でもその驚きが風のように吹き抜けた後は、大して悩まない。


「……じゃあ、学校終わるまでどっか行って、適当に時間潰すかな」


 安達が後者を選ぶ。そりゃあ、授業を受けるわけないかと笑ってしまう。

 初めから分かっていたのなら、二択の意味なんかない。


「昨日のとこで待ってるから」

「うん、分かった」


 安達が手を振ってきたので、釣られて小さく手を振った。

 学校の外で時間を潰してから一緒に帰るって、なんか変だ。

 絶対に変だ。けどその提案がなんとなく面白くて、高揚して、笑いながら安達を見送った。

 学校が早く終わらないかなぁと思うのはいつものことだったけど、今日は、二割増しだ。

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