その一 フりフラれトライアングル
*
二学期が始まると学校はいつもと違う雰囲気が漂っている。
別に夏休みの思い出に浸っていたり、宿題が終わらなくて悩んでいたりしているわけではない。
緊張と、不安。そう──文化祭が近づいているためだ。
私立穂積野高校の文化祭には、生徒会主催のとあるイベントがある。それは七年前、開明的でカリスマ性を誇った生徒会長が始めたもので、元ネタはテレビ番組の企画であるという。
その生徒会長は、文化祭における生徒会の出し物を話し合っていた際、こう言ったそうだ。
『女子にはバレンタインデーという告白を後押しする機会がある。じゃあ、男子にはないのか?』
というわけで、生徒会主催イベント『男子高校生の叫び』──通称〝告白祭〟が迫ってきていた。
二学期開始と同時にみんな焦り始めるのは、大半が夏休みに何もなかったためだ。
夏休みになれば何かあるだろ? と淡い期待を抱いていたものの、ものの見事に何もなく新学期が始まってしまった。
しまった、どうしよう、出遅れた、なんて後悔しているときに気がつくのだ。
いや、ちょっと待て。うちの学校には〝告白祭〟がある。幸い文化祭は九月十五日だ。これなら十分に取り返しがつく。
と、覚悟を決めるまでがテンプレパターン。しかしその後、冷静になって思い悩むのが通過儀礼だ。
何せ告白は全校生徒の前。体育館のステージ上だ。よほど肝の据わったやつでもビビッて足が震えるというものである。
だがリスクを冒すだけの価値はある。〝告白祭〟によるカップル成立率は、非常に高い──らしいのだ。
一種のつり橋効果、とも言われている。全校生徒の前で告白された女子は、どとうのごときプレッシャーと羞恥に責め立てられ、錯乱状態となる。そうなったらこっちのもので、追い打ちの告白の一つもすれば本当は好きでなくてもつい頷いてしまうというわけだ。まあぶっちゃけ噓か本当かは怪しい話だが、校内ではまことしやかにそうささやかれている。
また勇気を振り絞る男子が通常の三倍かっこよく見えるという話や、カップル成立をみんな見ているので別れにくく、末永くうまくいくといった話もあり、そのリスクに見合ったリターンがあるとされている。
そういうわけで、夏休みにうまくいかなかった俺たち不毛な男子どもは新学期早々、脳内格闘真っ盛りだった。
「──で、末晴。お前はどうなんだ?」
昼休みの教室。サンドイッチ片手に声をかけてきたのは、向かいに座る見るからに軽薄そうな茶髪の男だった。
甲斐哲彦──友人、というか悪友のほうが近い。高校一年生のときに同じクラスになって声をかけられて以来、何となく馬が合い、こうしていつも一緒に昼ご飯を共にする仲だった。
「ん? どうってなんだよ」
「〝告白祭〟だよ。お前、出るのか?」
「ど、どうしてソンナコトをキクのかな?」
視線をそっと外してつぶやくと、哲彦が容赦なく追い打ちをかけてきた。
「お前、言葉が片言になってるぞ」
「ぐっ……」
俺は叫びたい気持ちをぐっと抑えた。
(それくらい察しろよ!)
と思うが、それをぶちまけたら好きな子がいると告白するのと同義だ。なのでそっぽを向くことでごまかした。
実のところ俺は〝告白祭〟に参加するつもりだった。
彼女いない歴十七年。
彼女なんておいしいの? と思っていた小学生時代。
ちょっと興味がありつつも遠い出来事のように感じ、バカをやっていた中学生時代。
周囲に恋人がいるやつが増え始め、ヤバいんじゃね? と思い始めた高校生時代。
そうこうしているうちに高校二年生の夏は過ぎ去ってしまった。
だがそろそろ現実を直視しなきゃいけない。
ほら、ちょっと思うじゃん。好きな子からもしかしたら告白されるんじゃね? って思ったりとか。まあ、まったく根拠ないんだけど。それとかこの後のイベントで距離は縮まるはず、とか。焦らなくてもきっとどうにかうまいこといくはずだ、みたいな。
って、んなわけねーだろっっっっっっっっ!
──と俺はようやく気がついたわけだった。
だからこそ〝告白祭〟まで好きな相手を誰かに知られたくなかった。
(……ていうか、哲彦の野郎)
好きな相手って、トップシークレットの情報だよな? 何こいつ気軽に聞いてきてんの? 万が一周囲にバレて『お前、〇〇こと好きなのかよぉ? へ~? いや、別にいいけど?(笑)』とか言われたら生きていけないよ?
そんな俺の思考を知ってか知らずでか、哲彦は机に肘をつき、カツサンドを口に放り込んだ。
「末晴さぁ、普段はわかりやすいっていうか平凡だよなぁ」
「何だ、哲彦。皮肉か?」
「いや、純粋な疑問。お前、あれだけ才能があるのに──」
人には言って欲しい言葉と言って欲しくない言葉がある。
俺にとって後者の典型的な言葉が今の哲彦のセリフだった。
「……そのことは言わない約束だろ」
「はいはい。わーってるって」
哲彦に反省の色はない。挑発的な笑みを浮かべるだけだ。
まあそういうやつとわかっているので、さっさと水に流して俺はアンパンを頰張った。
「で、〝告白祭〟に話を戻すが」
「しつこいな。お前はどうなんだよ? 出ないのか?」
そう哲彦に振ると、哲彦はにや~と笑った。
「あ、それ聞いちゃう?」
哲彦は待ってましたとばかりに眉にかかるサラサラの茶髪をわざとらしくかき上げた。
「今さ、七人掛け持ちしてんだけど、さすがにちょっと面倒くさくなっててさ。ほら、それぞれの曜日で一人用意したんだけどよ、やっぱ土日は一人じゃ勿体ないだろ? で、ダブル、時にはトリプルブッキングで乗り切ってたんだが、やっぱ調整が大変でな。そろそろ大物一人に絞って〝告白祭〟で決めようと思うんだけど、どう思う?」
「すげぇよ、お前。そんだけうざいのすげぇよ。殺意湧くわ」
普通のやつが相手なら、かっこつけやがってとか、馬鹿じゃないのか、なんてツッコミで済ませられるが、哲彦はちょっと違う。
本気で、滅茶苦茶モテるのだ。
まあ顔を見ればわかる。イケメンだ。だからモテて当然だ。
しかし──
「お前さ、夏休み前に三股がバレて女子に総スカン食らってなかったか? どうやって七人も掛け持ちしてんだ?」
「バッカ、全員他校に決まってんだろ? だってオレ、校内の女子基準だと、ゴミよりヒエラルキー低いからよ。例えば……ほら?」
哲彦は窓際にいたクラスメートの女の子に白い歯を見せて手を振った。
彼女は美術部で、性格はおとなしく、哲彦の元カノとかいった危険な関係でもない普通の女子だ。
そんな彼女が哲彦に気がついたとたん露骨に顔を歪め、視線を逸らし、普段は素行がいいにもかかわらず、ぺっと窓の外へ唾を吐きだした。
「カスに見られちゃった。ホント気分が悪い。いこっ!」
そんな捨て台詞を残し、彼女は友達と逃げるように廊下へ去っていった。
「──なっ?」
「なっ? じゃねぇよ! びっくりするわ! お前どんだけ嫌われてるんだよ! それで平気なクソつよメンタル、逆にすげぇわ!」
「えっ? 女って男を騙して生きてる生物だろ? 騙し騙され合う五分の関係だから、嫌われても別に痛くもかゆくもねぇじゃん?」
「じゃん? とか言って俺に同意を求めんなっ! 知らねーし共感しねぇよ!」
ホントこいつ、マジでカスだわ。
顔は抜群にいい。成績もそこそこ上位。運動神経もいい。
なのにすべてを台無しにするこのカスっぷり。
それが甲斐哲彦という男だった。
「でさ、オレが〝告白祭〟で狙ってる大物って誰か予想つくか?」
脳裏にちらりとある少女の顔がよぎった。だが気取られたくなくて、わからないふりをした。
「知らねーよ。ま、一応聞いてやるから言えよ。〝告白祭〟で誰に告白するんだ?」
「可知白草──」
一瞬、クールな視線とあどけない笑顔、風に乗って漂ってきたシャンプーの香りが一斉に脳をかすめ、息が止まった気がした。
「──って言ったらどうする?」
哲彦がニヤニヤしている。めっちゃ楽しそうだ。
「……チガウヨ?」
「えっ? なんだって?」
「別にナントモ思ってナイヨ?」
「末晴、そういう反応やめてくれる? 必死過ぎてこっちが恥ずかしくなるから」
脳の奥で何かが切れた気がした。
「お前、殺すわ。今、そう決めた」
「あーっ、ちょ、ちょっと待った! お前本気だろ! そんな切れんなって……あっ、可知だ」
「!!!???」
俺の鼓動が跳ね上がる。
哲彦の視線は俺の背後に向けられている。ということは、俺に見えていないだけで、白草が近くに来ているということだ。
俺は哲彦を締め上げるのも忘れ、とりあえずみっともない行動をしないよう、手持ち無沙汰な右手で癖のある髪の毛をくるくる人差し指に巻き付けた。
すると哲彦はてへぺろと言わんばかりの気軽さで俺に告げた。
「あ、悪い、見間違いだったわ」
「お前ホント殺していいか!? 殺意が治まらないんだけど!?」
「オレ、お前のこと友達だと思ってるけど、正直友情が壊れてもいいかと思えるくらい今楽しいわ」
「お前の友情、びっくりするくらい薄っぺらいな!」
「あっ、可知」
「あのなぁ、哲彦。さすがの俺でも二回連続でそんな手に引っかかると──」
「私に何か用?」
「へっ──?」
心地好い声に驚いて振り返ると、可知白草がいた。
「えっ、いや、あれ!? 可知!? どうしてここに!?」
「どうしてって言われても、ここ教室よ。いるほうが自然だと思うけれど?」
「あ、いや、そうなんだが、いつもは峰と学食で食べてなかったか?」
「芽衣子は用事で別行動よ。すぐ戻ってくるらしいけど、そのせいで早めに切り上げたの」
白草は相手にまるで興味がないと言わんばかりの冷めた声色だ。
しかしだからといって嫌われているわけじゃない。元々こういうしゃべり方をするのだ。
白草は女友達相手でも冷めていて、周囲からはクールビューティーとして認知されている。
俺は動悸が激しくなっているのがバレないよう、平静を装っていた。
だって、あいかわらず白草は綺麗すぎた。
凜として清楚。彼女はたたずまいだけで、他の女の子と格の違いを見せつけている。聖域というか、彼女の周囲だけ浄化されているのではないかとさえ思わせる空気の張りがあるのだ。
白草の髪は王道の黒髪ロング。艶やかで、張りがあって、なめらかで。髪の毛をすくことを許されたらきっとずっとすいていたくなるような魅力がある。
それでいてグラビアアイドル顔負けの豊満な胸や尻を制服の下に隠し持ち、あまつさえ太ももをニーハイソックスで覆っている。つまり〝わがままボディ〟でありながら、夏でも暑さに負けずしっかりと隠している。
俺は白草を見るといつも偉大な先人の言葉を思い出す。
──『パンツは見せつけられても嬉しくない』。
わかるだろうか? 隠されているから見たくなる。リスクがあるから価値がある。
白草の冗談を許さないクールさ、隙の無い仕草、すべてがエロとは対極にある。なのに〝わがままボディ〟。
つまり俺が言いたいのは、〝白草は存在自体がエロい──〟ということだ。Q.E.D、証明終了。
ただ可知白草の凄さは、本当の価値が凜とした美しさやエロさ以外にあるところにある。
「これ、いくつだと思う?」
「D……いや、Eか?」
「こう、もうちょっとラインがわかる服にしてくれねぇかなぁ」
「そうそう! 水着だったら最高なのに!」
ふと、クラスの男子二人の声が耳に入った。
会話はマンガ雑誌のグラビアについてだ。それは別に珍しい光景じゃない。
ただなぜか白草の興味を引いていた。少々目が悪いせいか、白草は目を細めて表紙を確認しようとしている。
白草を追って表紙を確認したところで、俺も白草が気にしている理由がわかった。
哲彦がつぶやいた。
「おっ、あれって可知のグラビアか? 今日発売の雑誌に載ってたのか」
白草の肩がびくっと震えた。
本人を前にして俺は口にできなかったのに……ホント哲彦のメンタルは鬼クラスやで。
白草から闇のオーラが漂い出す。
俺は盛り上がってるあいつらに言いたい。
同じ男子として気持ちはわかる! だって当たり前だ! クラスメートの美少女がグラビアに載っている──これで興奮しないやつは男じゃないだろ!
──と、俺は全世界に宣言してやりたい気分だ。
だがダメなんだ。いかんせん本人の前はまずい!
二人は盛り上がって周りに気がついていないが、すでに白草は足音を殺し、近づき始めている。見ているこっちからすれば、
『お前ら、後ろ~! 後ろを見ろ~!』
という気持ちである。ただ怖すぎて、白草が無言で彼らに歩み寄っている間、誰一人忠告を発することができなかった。
「へー、水着……ね」
気がつかないことに業を煮やした白草が凍てつく波動を放つ。
「そうそう! 水着だったらあの凶悪な胸……が…………えっ?」
男子生徒ははたと気がつき、ゆっくり振り返った。
白草は一瞬ニコッと笑みを浮かべたが、次の瞬間氷点下の眼差しで見下ろした。
「私、えちぃ人って、嫌いなの」
「「「「ぐっ──」」」」
さりげない一言がクラス内の男子生徒のハートをえぐる。
もし許されるなら俺はこう告げたい。男はえちぃ生き物なのだ、と。白草のような美少女にこそ、許し、許容して欲しい、と。
だが白草は無慈悲な氷の刃と化した眼光と舌鋒で男子たちを叩き切る。
「どちらがいいかしら──?」
「……へっ?」
「女性を辱めて悦に入るなんて、まさに犯罪的と言っていいわ。でも私、優しい人間でありたいから選ばせてあげる。名誉を重んじて今すぐ窓から飛び降りるか、セクハラで警察に捕まるか──どちらがいいかしら?」
みんな圧倒されている。時折冷たい視線に興奮している男子生徒もいるが、あくまで一部だ。
同じ女子でさえ白草の強烈さにはついていけず、距離を取っているのが正直なところだった。
「あ、あの、すみません……どちらも勘弁を……」
白草は厳しい目つきでにらみつけると、自らのグラビアが載った雑誌を取り上げた。
「あっ!」
「没収するわ。先生に預けておくから、放課後にでも取りに行きなさい」
「あっ、いやっ! 先生には──」
「……文句、あるかしら?」
白草にギロリとにらまれて抵抗できるやつなんてこの学校にはいない。
「はい、すみませんでした……」
「ふんっ!」
白草は不機嫌さを隠そうともせず、自席に戻っていった。
俺と哲彦は一連の行動を横目で見つつ、ひそひそ話を始めた。
「これだよなー、可知に友達が少ない理由は。お前はマンガの風紀委員かって感じだよな」
哲彦のセリフに俺も頷かざるを得なかった。
これだけ目立ち、綺麗で、有名。そのためみんな近づきたがる。しかし気性が激しいというか、気難しい。
だが俺は白草の性格を哲彦のように非難する気になれなかった。
「ちょっとばかし過激だったかもしれないけど、可知が怒るのは当たり前だろ。それにきつい言い方でも、決して人を騙したり、不当な言いがかりで貶めたりはしてねぇじゃん。わざわざ友達少ねぇとか言う必要ねぇだろ」
俺の印象では、白草は〝気高い〟のだ。
白草からは隙を見せまいという気概を感じる。それもまた気高さの一環であり、過激な物言いも隙を見せないための盾に過ぎないのではないだろうか。
「さすが末晴。嫁のことは素早くかばう」
「お前の寿命、短いと思うぞ? たぶん口の災いのせいで」
俺の言葉をさらりと流し、哲彦は続けた。
「でもよ、可知はちょっと限度超えてるって。そこまで言わなくても──ってラインまで行ってるだろ」
「でもさ、それがテレビで人気なんだよな」
「まあ天才と狂気は紙一重っていうか、インパクトがあるっていうか、テレビ的にはおいしいんだろうなぁ。だいぶブームは去ったけど、〝美人女子高生芥見賞作家〟だもんな」
そう──白草の本当の価値とは、その美貌でもクールな個性でもない。小説家としての才能、実績、そして名声だった。
彼女は去年『君のいた季節』で高校一年生にして小説家デビュー。当時は校内での有名人という程度で、俺はそのころ白草に感動したことを伝えたわけだが、素晴らしい作品を世間は放っておかなかった。
その三ヶ月後、文学界の登竜門である芥見賞を取り、彼女は一躍全国レベルの有名人になった。
飛びぬけて若く才能豊かな美人。しゃべらせてみればクールで、誰にも媚びず、天才っぽいエキセントリックさと激しさがある。これで人気が出ないはずがない。
あまりの人気に様々な雑誌やテレビの取材が殺到。そのためグラビア撮影──といっても基本制服で多少私服がある程度──まであるというわけだった。
「そりゃ凄いけどさ、でもクラスメートだぜ?」
俺はわざと強がった。
「ほら、三年の多田先輩とか読モらしいし、一年の三沢って子はアイドル候補生だって聞いたぞ? 可知はクラスでは凄いけど、広く見るとまあまあレベルというか?」
好意を察せられたくなくて、つい辛口になってしまう。
本当は白草ほどの美人は見たことがないし、読モの先輩やアイドル候補生の後輩よりずっと上だと思っている。でもそれを言ったら墓穴を掘ってしまうので、突っぱねるしかなかった。
ガンッ! と鈍い音がした。
音を発生させた主は白草だった。自分の席に座る際、机に脚をぶつけたらしい。
ただ、偶然ぶつけてしまったのか、怒りで蹴ったのかはわからない。
(まさか、俺に対してじゃないよな……?)
俺は小声だったし、さっきグラビアのことで怒っていたからそのせいだろう。
「ふーん、まあお前がひねくれてるってことを計算に入れると、可知のレベルは物凄く高いってことだな」
「何その超翻訳? マジでやめてくれる? 本当にごめんなさい」
「謝ったからダチとして警告しておいてやる。あの子はお前には高めすぎ。だから諦めろ」
「はぁ??」
とぼけて『いや、俺は好きじゃないからどうでもいい』と返すべきだった。でも告白する前から無理だと言われ、ちょっとカチンときた。
──だから、
「いや、別に好きとかじゃないけど、俺と可知、実はちょっと仲いいよ?」
と返してしまっていた。
哲彦はほぉ~と興味深げに顎を撫でた。
「男嫌いで有名なあの可知と、仲がいいだって?」
「まあお前には言ってなかったが、去年、可知が芥見賞を取る前、偶然帰りにすれ違ったんだ。で、俺は彼女の作品読んでたから、良かったって伝えたんだ。そしたら滅茶苦茶いい笑顔で──」
『──ありがとう。あなたにそう言われて本当に嬉しい。今まで頑張ってきて……本当に良かったわ』
そう言ってくれたのだ。
結果、恋の毒にやられてしまった。
学校では見せたことがない……俺にだけ見せてくれた笑顔。
俺はこの記憶を密かに宝物としていた。
「それで惚れたと?」
「ちち、ちげーよ!」
我ながら弱々しい否定だ。ごまかそうと俺はまくしたてた。
「ま、まあお前は知らないだろうが、どうも家が近いらしく、それからも何回かすれ違って、軽く話をしてるんだ。可知、外で会うと、学校と全然雰囲気違うんだよ。明るいっていうか、無邪気っていうか。だから惚れたとか抜きにして、そこそこ仲がいいわけだ」
話すと楽しくて、容姿が好みだなとか、スタイルいいなとか、趣味が合うなとか、いろんなものが積み重なっていって──今に至っていた。
「末晴……」
哲彦は優しく両肩に手を置いてきた。
「可哀そうに……そんな妄想をするようにまでなって……オレが今度合コンしてやるから、戻って来いよ……」
「あいかわらずお前ひどいな! しかもさりげなくいい人ぶってんじゃねーよ!」
俺がアイアンクローをかますと、哲彦は机を叩いてギブアップを宣言した。
「まあ、末晴の妄想が事実と仮定して話を進めると」
「事実を曲げてるのはお前だ!」
「あの可知が、クソみたいに平凡でアホなお前と話すときだけは特別に明るい、と」
「クソとかアホとか言うのやめてくれる? 俺、お前と違ってメンタル強くないから傷つくんだけど?」
「で、お前はそのせいで可知が実は自分に惚れてるんじゃないかと思っている、と?」
「い、いや────っ、さすがにそれはないよ? マジマジ、そんなこと思ったことないよ?」
ぶっちゃけるとそう思ってます、すいません。
いやだって、他の男子に厳しいのに俺にだけ優しいって、これ脈ありとしか考えられないでしょ? ほらほら、さっきだって哲彦には滅茶苦茶厳しかったのに、俺とはある程度普通にしゃべってたでしょ? あのレベルの会話だって他の男子とはしてないんだよ? それに学校帰りに家が近いからって、何度も会う? そんな偶然普通ないっしょ? あれ絶対、俺を待ってたんだって。
だとするとさ、結論は一つ。
──白草は今、俺の告白を待っているんだよ……っ!
もう間違いないね。ということはやっぱ〝告白祭〟……いくしかないだろっっ!
あー、でも〝告白祭〟でうまくいった場合、みんなにバレちゃうよなー。白草は有名人だし、テレビとか雑誌にすっぱ抜かれたらどうしよ。
『〝美人女子高生芥見賞作家〟可知白草に恋人が! 相手は同級生の丸末晴くん
(一七)
!』
やばっ、もしかして俺、注目されちゃう? あれっ、俺、カメラの前に出られる服って持ってたっけ? よしっ、今度の休みに表参道にでも買いに行くか。
なんて感じで調子に乗っていると、白草とその友人峰芽衣子の会話が聞こえた。
「あれ、白草さん……機嫌悪くないですか? 何かありました?」
「そうね……男って、絶滅したほうがいいんじゃないかしら──そう思っただけよ」
……偶然だよね? 俺のことを言ってるわけじゃないよね?
白草が俺に好意を持ってくれているって、やっぱり俺の願望で妄想なのだろうか。
冷静に考えると、白草は小説家で美人でグラビアにも載ってて成績良くて運動神経も良くて当然男にモテる。
俺には──推すべき売りなんてない。
白草の背中を見つめ、俺は思ってしまう。
初恋って、なんでこんなに楽しくて嬉しくて──苦しいものなのだろうか、と。
*
放課後になり、カバンに教科書を詰め込んでいると、哲彦が話しかけてきた。
「文化祭での出し物のことだけどよ、今日もいつもの場所取ったから会議すんぞ」
「えー……」
俺がまったくやる気が出ないのには理由がある。哲彦はエンタメ同好会なる怪しげなサークルを作って活動しているが、メンバーは哲彦と俺だけであり、俺も名義貸しに近い状態なのだ。
エンタメ同好会は文化祭で出し物を予定しており、体育館の枠を押さえているが、あと二週間にもかかわらず内容は未定。当然今まで話し合いは何度も行われたが、哲彦が望んでいるのはカッコつけられる出し物であり、それが見つかっていない。
というわけで、繰り返される不毛な会議に俺は嫌気がさしているのだった。
「あ、あと志田ちゃんにも意見もらいたいんだけど、お前、声かけておいてくれよ」
「何で俺が?」
「お前、幼なじみだろ」
志田黒羽。クラスメートであり、隣の家であることから付き合い歴十七年の腐れ縁だ。
だから哲彦が黒羽を誘うために、俺を使うのは自然なことだった。でも今の俺は少々黒羽に声をかけづらかった。
「まあとりあえず今日はいいだろ。クロにはあとで俺から聞いておくから」
「……ん?」
しまった、と思った。哲彦は異常なほど勘が鋭い。
「そういや今日の昼、志田ちゃん、お前に話しかけて来なかったな。珍しい」
「そうかな? そういうこともあると思うぞ?」
哲彦は表情から何を見透かしたのか、一度大きく頷くと、俺の両肩を叩いた。
「すぐに謝って来い。お前が悪いんだからな」
「何勝手に喧嘩してることにしてんだよ! しかも俺が悪いのかよ!」
「それ以外考えられないだろ? あんないい子、めったにいねぇし」
「……まあそれは否定できない事実だが」
何でも話せて、気さくで、何より俺のことを何でもわかってくれる……幼なじみ。
俺にとって黒羽は、かけがえのない親友と言える存在だった。
「志田ちゃんって、元々面倒見のいい姉属性だけど、特にお前にはメチャ甘だろ? それを怒らせるなんて何やったんだよ?」
「いやいや、手厳しいところも結構あるぞ?」
「あれは愛のある手厳しさだって」
「ぐっ」
俺は『愛のある』という部分で息が詰まった。
それを見逃さないのが哲彦の恐ろしいところである。哲彦が腕を組んでにらみつけてきたので、俺は口笛を吹いてごまかした。
「末晴、言っておくけどな、志田ちゃんはめっちゃ高めだぞ。お前、幼なじみじゃなけりゃ近づくことさえできないレベルなんだからな。わかってるか?」
「……わかってるって。あいつ、モテるよな。まあ、可愛いし、当然だよな。そういうとこ幼なじみとして鼻が高いし、コミュ力高いとことか、いろいろ尊敬してる」
俺の脳裏に黒羽の顔が思い浮かぶ。
黒羽はよく小動物に例えられる。猫目のベイビーフェイスで、ネズミとかリスとか、そういうのにイメージが似ている。髪は栗色のミディアムストレートヘア。背が小さくて、ちょこまかと動き、表情がコロコロと変わる。そんなところが愛らしく、男女共に交友関係が広い。
「お前、女の子を素直に褒められないくせに、志田ちゃんは褒められるんだな」
「あいつは親友だから」
女の子を褒めるのは正直恥ずかしい。媚を売る感じがしてどうも好きになれない。
しかし親友を褒めるのは別だ。そんな凄いやつと親友なことが誇らしく、もっと褒めてもいいとさえ思う。素直な気持ちを言えばいいだけなのだから当然恥ずかしさなんてない。
「ふ~~ん、ハルはあたしのこと、そんな風に思ってくれてたんだ」
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
栗色の髪が肩口から顔を出す。
黒羽は鼻をひくひくさせて俺のにおいを嗅ぐと、至近距離でニコっとあどけない笑顔を浮かべた。
「うっ……」
俺はとある理由で黒羽の顔が見られなかった。
冷や汗が流れる。どう対応していいかわからず、とりあえず身体を引いてつぶやいた。
「クロ、近い……」
元々小動物っぽい黒羽だが、俺に対しては人一倍小動物っぽい言動をする。においを嗅ぐ癖なんてその代表的なものだ。幼なじみなだけに心理的な距離が近いのだ。
「何、照れてるの、ハル~? 可愛いところあるじゃん? そういうとこ、お姉ちゃん好きだよ?」
「すす、好きとか言ってんじゃねーよ。それにその背でお姉ちゃんと言われてもな」
「もう、ハル。背のことは言わないの」
おでこをデコピンされた。
黒羽は身長一四八センチしかない。そのため姉っぽい言動をされても、ぱっと見おしゃれな中学生が背伸びして大人ぶっているようにしか見えないのである。
「いっつもハルのしりぬぐいばっかりで、もうあたしお姉ちゃんみたいなものでしょ?」
「クロさ、あれだけ妹がいるんだ。俺の面倒まで見ようとしなくてもいいぜ?」
「志田ちゃんって妹いっぱいいるんだっけ?」
哲彦の質問に黒羽は頷いた。
「うん、中三と中一の双子で四人姉妹」
「そりゃすげぇ」
「だからクロには姉属性が染みついてるんだよ」
「何言ってんの。姉っぽくさせるのはハルがいつもあたしに迷惑かけるからでしょ」
黒羽は俺のくせっ毛を撫でまわした。
やはり黒羽の行動は男子高校生にはちょっと刺激が強いというか、近すぎる。俺としては昔からそうだったのでどうとも思わないのだが、冷静に考えれば教室でやるもんじゃない。
黒羽はモテる。そのため俺はとにかくひどい嫉妬にさらされていた。
「ちっ、幼なじみだからって許されると思うなよ」
はっきり舌打ちが聞こえた。
「ぐっ、俺の右腕がうずく……」
あの、ハサミ、こっちに向けないでくれる? もう高校二年生なので右腕は大人しくしておいてください。
「裏山に洞窟があって、そこならおそらく発見は──」
「末晴って名前にふさわしく、晴れた日に人生の末路を──」
あの、俺を埋める場所の相談はやめよ? マジで怖いんだけど?
妬みの声はちらちら聞こえるのに、黒羽はまったく気にしていないようだった。
「どしたの、ハル? なんか元気ないね」
「あ、いや……別に」
「む、引っかかる物言い。お姉ちゃんに言ってみ?」
黒羽は優しく、面倒見がいい。
それだけに俺は心苦しく──ただただ気まずかった。
「ハル? やっぱりどこか、らしくないよ」
「……俺らしいって何だよ」
「う~ん、無神経でおバカ?」
「ひでぇな! 断固異議を唱える! 次に会うときは法廷だな!」
「あ~、う~ん、やっぱりなんか無理してるよねぇ……」
「どこがだよ。あ、俺、ちょっとトイレに──」
気まずい雰囲気をどうにもできず、仕切り直そうとしたときのことだった。
「──もしかして、あたしを振っちゃったこと、後悔してる?」
一瞬、クラスが静まり返る。まるで時がとまったかのようだ。
俺は全身から血の気が引いていくのを感じていた。
ここで言うのかよ! と叫びたかったが、そんなこと言えば非難ごうごうだろう。もちろん俺には俺なりの理由があったが、下手な言い訳はしないほうがいいだろう。
つまりは、だ。
みんなが驚いている間に逃げよう。そうしよう。
そう思ってこっそりカバンを手にかけて廊下へ移動しようとしたところ、
「はぁぁ~ん、こんなオモシロ──いや、重大事件なのにどこに行くんだよ~、なぁ、末晴~」
哲彦が肩に手を回して動きを封じてきた。
「いや~、まあ~、ほら、トイレに……」
「い・か・せ・ね・え・よ?」
「ふ・ざ・け・ん・な。死・ね」
逃げようとする俺を羽交い締めにして拘束する哲彦。力は拮抗し、教室内で醜い攻防をする羽目となった。
「てめえええええ! 哲彦おおおお! 離せえええええ!」
「ケケケ──っ! みんながお待ちだぜええええ!」
こ、こいつ、興奮して本性を現してやがる……。
哲彦はイケメンですぐに彼女ができるが、長くは保たない。理由はカスだからだが、そのカスな本性をあまり隠すつもりがないところも影響しているだろう。
哲彦の簡単に馬脚を現す部分が嫌いではなかったが、状況がやばすぎた。今、俺には殺意が込められた視線が集まっている。
何度も言おう。黒羽はモテるのだ。特にロリ系を好む男から絶大な支持がある。小悪魔ロリ姉属性を好むやつからは崇拝されているレベルだ。
そんな男たちからの嫉妬が燃え上がり、俺を焼き尽くそうとしていた。
「ふぅ~、ふぅ~」
もはやクラスメートの男子どもは獲物を前にした狼だ。怒りは怒髪天を突き、俺に当たり散らそうと隙を狙っている。
「落ち着け、お前ら……これには理由が……」
「……あぁ? ざけんなよ? 理由って何だよ?」
「あー……いやー……」
ちらりと白草の様子をうかがった。白草は彼女が唯一仲の良いクラスメート──峰芽衣子と自席付近でひそひそ話をしていた。
(……どうすれば切り抜けられる)
俺は脳をフル回転させてシミュレートした。
『好きな子がいるからクロを振ったんだよ!』
この辺りが白草への好意を隠しつつ、噓もついていない落としどころかもしれない。
だがしかしもしこんなセリフを吐いたとすれば、
『誰だよその好きな子とやらは! 言わねぇと許さねぇぞ~! ケケケ──っ!』
と哲彦が満面の笑みで火に油を注ぐに決まっている。
今、この教室はまさにサバト。悪魔とされた者に抵抗は許されていない。
ダミーとして別の誰かに告白……駄目だ、偽の告白を受け入れ、冗談で済ませてくれるのは黒羽以外思いつかない。
じゃあ黒羽の告白を今すぐ受け入れる振りをすればいいじゃないかとも思うが、それは最悪の選択の一つだ。なぜなら、黒羽に失礼だからだ。
俺は黒羽を誰よりも信頼している。人間として好意を持ち、尊敬もしている。だから噓をつきたくないし、なるべく嫌な思いをさせたくない。
となると白草の名前が出るまで許されず、結局は告白することになってしまう。
だがそれは最低の告白と言っていいだろう。この状況で白草が告白を受け入れる可能性は限りなくゼロに近い。
考えてみろ。このタイミングで俺の告白を受ければ、白草まで悪者になる。『志田さんを泣かせて自分たちだけ幸せになろうってのかよ』──なんて白草は言われるだろう。そのため白草が俺に好意を持っていても『なぜこんな状況で告白するのよ……』と思いつつ、断ることになるだろう。
(くっ、俺はどうすればいい! どうすれば切り抜けられる!)
俺は黒羽の様子をうかがった。
こんな状況にした張本人は黒羽だが、おそらく悪気があったわけじゃない。黒羽は天然なところがあり、それが悪いほうに作用しただけなのだ。
ということは、俺がピンチということさえ伝われば味方になってくれる可能性がある。
「クロ……」
視線で俺は訴えた。こいつらをどうにか押さえてくれ、と。
振った女の子に守ってもらうのはさすがに心が痛い。だからなるべく黒羽を傷つけないよう心がけつつ合図を送った。
「ハル、後悔してる?」
「してるしてる!」
「してるってことは、やっぱりあたしと付き合いたいってこと?」
「いや、そうじゃなく──」
そこまで言って、迂闊な言葉だったとすぐに理解した。
おかげでギャラリーから矢のような罵倒が降りかかる。
「はぁ!? そうじゃなく!?」
「てめぇ、何様のつもりだ!」
「ちょちょちょちょ! 落ち着けって! ホント、ちょっと待って!」
「待ってどうにかなんのか!? はぁあぁぁぁぁん!?」
「オウ! 誰か! バール持ってこいや! バール!」
「あ、ごめんなさい許してください」
俺は高速で完璧な土下座をかました。
「末晴、土下座はやっ!」
哲彦が突っ込むが、俺の心は傷つかない。プライドなどとっくの昔にドブに捨てている。
「哲彦……バール舐めんなっっ! めっちゃ痛いんだぞっっ!」
「引くわー。バールの痛み知ってるお前にオレ、ドン引きだわー」
「もーっ、ハルってピンチになると土下座でごまかせばいいって思ってるところあるよね?」
「女の子の涙が武器になるように、俺にとって土下座が最大の武器なんだよ!」
「うん、ハル、それ土下座しながら言ってても、カッコよくないから☆」
その間にもいきり立つ過激派がにじり寄ってくる。
攻撃されていないのは黒羽がいるからだ。黒羽が離れれば俺は四方から襲い掛かられ、無残に打ち捨てられるだろう。
「志田さんっっ!」
「っっ! どいてくださいっ! このバカに鉄槌をっ!」
「……あのね、みんな」
ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべたまま、黒羽は闇のオーラを発した。
「あたし、ハルと話してるんだけど──邪魔しないでくれる?」
白草は不機嫌さを露骨に出すが、黒羽は逆だ。張り付いたような笑顔こそ怒りのしるしだ。
温かみの消えた笑顔は白草とは違う独特の恐ろしさがある。そのため過激派は、
「あ──はい。すいませんでした……」
とつぶやいて急速に大人しくなり、離れていった。
俺は危機が去ったことで、ようやく一息つくことができた。
「はぁ……助かったぜ、クロ……」
「──続き」
「ん?」
「続きを、言って」
決意を感じさせる口調だった。だから俺も自然と身が引き締まった。
「……わかった」
俺は黒羽のくりくりと丸い目に促され、先ほどよりも慎重に、噓がないよう、誠意をもって言葉を選んだ。
「何というか、俺、今、誰とも付き合うつもりがなくて……いや! お前が嫌いとか悪いとか、可愛くないとかホントなくて、お前は凄くいいやつで、お前みたいなやつと付き合ったらきっと幸せなんだろうけど、ちょっとタイミングが悪かったというか……」
しどろもどろなだけに、うまく伝わったかはわからない。ただ白草については触れないようにしながら、懸命に伝えた。
「ふーん」
黒羽は腕を組んだ。小柄な身長を考えれば比較的豊かな胸が強調される。
そのまま俺に歩み寄り、そっと背伸びして俺に耳打ちした。
「少し気が晴れたし、このくらいで許してあげるか」
「…………はぁ?」
黒羽はニコリと笑うと、高らかに宣言した。
「うっそー!」
「はあああぁぁぁぁあぁぁぁ!?」
愕然とする俺の顔を、黒羽はいたく満足げに覗き込む。
「ハルさぁ、焦った? 悩んだ? 苦しんだ?」
「クロ、お前……」
「ごめんね、ハル。実は罰ゲームで告白することになって……今日まで本当のこと言えなかったの」
「お、おまっ、お前なっ!」
「本気にしちゃった? そのくせ断ってたじゃんよ。このこのっ!」
肘で小突かれる。痛みはあったが、それ以上にほっとした気持ちのほうが強かった。
「はいはい、かいさーん!」
「ちっ、つまんねーな!」
取り囲んでいた男子生徒たちが退散していく。さっきまでの仕打ちがすべて冤罪だったというのに、まったく悪びれていない。ひどいものだ。
「おい、お前ら、ちょっとは謝れよ?」
俺が苦情を訴えると、男子生徒たちは舌打ちした。
「あのな、丸。お前、志田さんをクロとか呼んでるだけで本来死刑ものなんだけど?」
「幼なじみぃぃぃぃ! ギルティーッ! ギルティーッ!」
「落ち着け、郷戸っ! 大丈夫だ! 丸は駄目幼なじみだから、志田さんは綺麗なままだ!」
「あいかわらずお前ら、俺の扱いひどいよな? 俺にも一応、心あるんだけど?」
同情心をかき立てるようなことを訴えてみたが、まったく通じなかった。眉をしかめられ、唾を吐き捨てられただけだ。本当にこのクラスはクズぞろいだ。
そんなことを考えていると、黒羽が俺の肩に手を置いた。
「ハルはもっとあたしのありがたみを感じるべきだと思うんだよねー」
「いや、ホントさ、こういうのは勘弁してくれよ、クロ」
「でもいい教訓になったでしょ?」
「かもしれないが──騙すことないだろうがっ!」
俺が黒羽の可愛いらしい三つ編みを滅茶苦茶にすると、きゃーっと楽しげな声を上げながら黒羽は逃げ出した。
黒羽が傍にいないと落ち着かなかった。大事な存在であると理解した。
でもこういう関係が似合っている。じゃれ合うというか、下手に恋愛でべたべたするんじゃなくて、なれ合っているほうが俺と黒羽らしい。
「ホント、ハルはあたしにだけ遠慮ないんだから。責任取ってもらうよ?」
「わかった。子供を作ろう」
「バカ。スケベ。もーっ、ホント最低だよね、ハルって。そうやってあたしにだけセクハラするんだから。どうせ許してくれるって簡単に思ってるんでしょ?」
「いやいや、そんなことないって」
「じゃあ今度セクハラしたら宿題写させてあげないから」
「クロハさん、そんな意地悪をなさらずどうかそれだけはご勘弁を!」
「土下座はやっ! ハルの土下座って、もう価値がゼロだよね」
「クロはわかってないな。土下座ってのは謝罪対象へのアピールもあるが、周囲からの許してあげなよ圧力の形成に一役買ってるんだよ」
「思った以上に計算高くてドン引きだよ。お姉ちゃんハルの将来が心配になってきたよ」
などといつものように馬鹿な会話をしていると、今度は意外な方向からネタが飛んできた。
「え────っ、本当ですか!?」
「いや……うん、何となく、流れでね」
会話は白草と峰のものだ。
クラス全体は黒羽が噓と言ったあたりから落ち着きを取り戻し、すでに帰ったやつも多くいる。
そんな中、峰の驚きは十分注目に値するものだった。
峰はぽっちゃりとした天然系の女の子で、クールで強烈な白草とはナイスコンビというか、おっとりしている峰じゃないと白草の友達が務まらないだろうなと推測できる関係なのだが、その峰のテンションが高いのは非常に珍しかった。
注目を浴びていると感じた峰は頰を赤らめ、声のトーンをぐっと下げた。そのせいで聞こえにくくなったが、全力で耳を澄ましたことで何とか断片だけ拾えた。
「いつか**すか!」
「一週*前」
「どこ*告白され***すか!?」
「海」
「ふわぁ、ロマ***クで*ね……」
……え? あれ? 今、なんて言った? 告白された、とか言ってなかったか?
「白草さん、阿部先*とは家族ぐ**の付*合いって言って***ものね。わた*し、いつくっつくかと思ってまし**ど、つ*に、ですか……。阿*先輩、とて*カッコい**すし、人気者**し、最高のカップルだ*思**す。祝福い**ますわ」
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ん?
んん? ん? んんんんんんんんんんん?
俺、耳が悪くなったのかな? なんかありえないことが聞こえたような気がしたんだけど……。
「へーっ、可知さんって、三年の阿部先輩と付き合い始めたんだ」
黒羽のつぶやきが俺の心臓を貫く。
「阿部って、父親が俳優で、自分も最近俳優デビューした、あいつだろ? オレ、ああいう七光りって大嫌いだけどよ、まあ人気あるし、可知の相手としては妥当なとこだな」
哲彦の言葉が右の耳から左の耳へと抜けていく。聞こえてはいるのだが、脳が意味を理解することを拒否している。
「だからオレが言っただろ? 可知はお前には高めすぎるって。元々女なんて男を騙すために生まれてきたんだから、ま、結果はこんなもんだ。でもこれも考え方次第で、このおかげで〝告白祭〟で変に恥をかくことがなかったから、ある意味よかったんじゃねーの?」
俺は怒りに任せて哲彦の襟を絞め上げた。
「哲彦、別に俺は可知のこと何とも思ってねぇって言っただろうが……」
「ふーん、はいはい。わかってるって」
ふざけたノリの哲彦を突き放し、俺はカバンを肩にかけた。
「おい、末晴。帰るのか? 文化祭の話はどうすんだよ?」
「俺の意見なんてどうでもいいだろ。お前が勝手に決めろよ」
「あっそ」
それ以上、哲彦は止めようとしてこなかった。
「……ハル」
黒羽が俺を呼んだが、反応するだけの気力が湧かなかった。
俺は聞こえない振りをして教室を出た。