第一章 僕ってほんと、どこにでもいる平凡なヤツなんだ
僕の名前は如月雨露。通称ジョーロ。
僕の名前から「月」を取ると「如雨露」になるんだ。だからジョーロ。単純な話でしょ?
容姿並。成績並。運動並。
何をやってもパッとしない高校二年生の男子さ。
部活動はやっていないけど、去年の十月から生徒会で書記をやっている。
特に立候補をしたわけではないのだけど、副会長になった人物と一年生の時にそれなりに交流をしていたら、その人に推薦された。
曰く、「お前には単純作業がよく似合う」だそうだ。
何か僕って、面倒なことを押しつけられやすいんだよねぇ……。
とまぁそんな感じ。
毎日学校で授業を受けて、放課後は生徒会の活動。
休みの日は予定がない時は、家でボーっと過ごしている。
ちなみに今日は平日なので、現在登校中。
季節は春。ようやく重苦しかったコートが脱げて、清々しい気分だ。
「おっはよー! ジョーロ!」
「いっつぅ! お、おはよ……。ひまわり」
「えへへへ~。ジョーロは今日もジョーロだ!」
何を当たり前のことを言っているのやら……。
僕の背中を天真爛漫な笑顔で叩いてきた彼女は、日向葵。通称ひまわり。
彼女の通称も僕と似たようなものだ。ひまわりを漢字で書いたら「向日葵」になる。
ちょうど彼女のフルネームを並べ替えたらそうなるってわけ。
ひまわりは、僕と幼馴染で同じ学校に通う同級生だ。
女子テニス部のエースで、運動神経抜群。
成績は下の中くらい。落第をするほどではない。
髪型は肩ぐらいまでの長さのボブカット。クリンクリンとした目が特徴的で、犬みたいで可愛らしい。胸はそんなにあるわけでもないけど、ないわけでもないBカップ。
だけど、スタイルはものすごくいいんだよね。
スポーツをやっていて、キュッと引き締まったウェストがよく目立つ美少女だ。
性格は、まぁ見ての通り。ちょっとおバカな元気キャラって感じかな。
陰気な僕と違って明るい性格だから、学年や男女を問わず人気がある。
もちろんそれは、友人としてだけではなく、女性としてもだ。
噂で聞いた話だと、最低でも月に一回は、誰かから告白されているらしい。
前に「なんで誰とも付き合わないの?」と尋ねたら、頰を朱色に染めながら「ジョーロには内緒ー」と言われてしまった。まぁ別に、そこまで興味はないからいいけどさ。
「んー! すっごい、いい天気! まさしく春だね! ジョーロ!」
「そうだね。春だね」
「む! ジョーロ、もうちょっと元気を出しなよぉ!」
「朝っぱらから、高いテンションを披露するのは、ちょっと僕には難しいかな」
「つまんなーい! でも、ジョーロだもんね! 許したげる!」
コロコロと表情を切り替えていくひまわりは、もう長い付き合いだけど、まったく飽きない。
それに、少し羨ましくもある。僕は彼女みたいに感情が機敏に変化しないからだ。
「じゃあ、今日も学校へダッシュだよ! ほら、行こ行こ!」
「え~……。また走るの?」
ひまわりはギュッと僕の手を摑むと、グイグイと引っ張り始めた。
いたい。いたいって……。君、見た目に反して力が強いんだから、もうちょっと考えてよ。
「もっちろん! ジョーロと一緒に走るのが、朝の楽しみだもん! レッツ・ダーッシュ!」
そんな楽しみ、持たないでよ……。
けど、こうやってひまわりと手を繫いで、朝の通学路を走れるのって、僕の特権だよね。
そう思うと、朝の全力疾走は、不思議と辛くはなかった。
……最初の一分だけは。
※
「おっはよー! 諸君!」
教室に入るなり、ドでかい声で挨拶をかますひまわり。
「つ、疲れた……」
対して僕は、そんな余裕は一切なし。
両手を膝の上に乗せてゼーハーゼーハー言ってるよ。
時計を見ると八時十分。まだ朝のHRまで、三十分以上もある。
こんなに朝早く来て、何をするんだか……。
「……ふぅ。とりあえず、休もう……」
ふらつく足取りで、自分の席に着いてまずは一息。
チラリとひまわりを見ると、すでに登校しているクラスメート達と楽しそうに話している。
ま、いっか。僕はゆっくりと休ませてもらおう。
「ジョーロ、おっす!」
「あ、おはよう……。サンちゃん」
背後からとんできた元気いっぱいの陽気な声に、僕は疲労たっぷりの陰気な声を返す。
僕に全力熱血スマイルな挨拶を送る彼は大賀太陽。通称サンちゃん。
太陽だから「サン」ちゃん。
スポーツ万能。成績微妙。スポーツ刈りのよく似合う野球部のエースだ。
性格は明るく元気で、どんな時でも一生懸命。
ただ、とても負けず嫌いな性格をしているので、勝負事になるとものすごく熱くなる。
身長一八○センチの筋肉質な体は、彼の性格を表していると言ってもいいだろう。
性格は正反対だけど不思議と気が合う、中学時代から続く僕の大切な親友だ。
「おっと! 相変わらず、朝は疲れ果ててんな!」
「まぁね。僕、走るの苦手なのに、ひまわりがさ……」
「気にすんな! ひまわりはお前の足が遅くても、これっぽっちも気にしないさ!」
うん。そういう問題で言ってるんじゃないけどね。
「そうだ! ジョーロ、体力をつけたいってんなら、俺と朝の筋トレをすっか?」
グイッと腕の力こぶを披露するサンちゃん。引き締まった筋肉がやけにかっこいい。
「あ! それ面白そう! わたしもやるぅ!」
「お! ひまわりか! おーっす!」
「サンちゃん、おっはよ! ジョーロもおっはよ!」
気づけば僕らの会話に、ひまわりが参戦していた。
って言うか、わざわざ僕にまで挨拶しなくてもいいのに。さっきも言ったじゃん。
「それにしてもお前らって、ほんとに仲がいいなぁ! 今日も一緒に来たんだろ?」
サンちゃんが僕らを見て、笑顔で一言。
「ピンポンピンポーン! わたしとジョーロは、今日も一緒に来ましたぁ!」
胸の辺りに手を添えながら、ふてぶてしい態度でひまわりはそう言った。
あー……。大きな声を出すから、皆から変な注目が集まっちゃったよ。
ま、いっか。
「ああ、またいつものか」っていう冷めた視線だし。
「でさぁ、お前らって、いつから付き合うの?」
サンちゃん、今日は随分直球で来たなぁ。
いつもなら、「ひゅーひゅーお熱いねぇ!」とか「さっすが幼馴染!」って感じなのに。
一応伝えておくと、僕とひまわりは付き合ってないよ。
巷では幼馴染は付き合うものみたいに思われているが、実際のところはそうでもない。
僕はひまわりをいい友人だと思っているし、ひまわりも同じだろう。
「ちょ、ちょっと! サンちゃん、やめてよ!」
あれ? どうしたんだろう? ひまわりの奴、顔が真っ赤だぞ。
うーん……。いつもだったら軽く流して終わりなのに、今日は反応が随分違うなぁ。
「はっはー! 照れることはないんだぜぇひまわり! お前ならジョーロはイ・チ・コ・ロさ!」
親指をピッと立てて、歯がキランと輝きそうなニカッとした笑顔でそう言うサンちゃん。
それがスイッチになったのか、ひまわりの態度がよりおかしくなった。
「あぅ……えと……えと……」
瞳を潤ませて、叱られた後の子供のようになるひまわり。
視線がおぼつかず、僕とサンちゃんを行ったり来たりしている。
そんなひまわりを見ながら、僕とサンちゃんは同時にコテンと首を傾げる。
お、さすが親友。気が合うねぇ……ってあれ? ひまわりがクルッと体を反転させたぞ。
「…………っ!」
「あ! おい、ひまわ──」
そのまま、走り出しちゃったよ!
サンちゃんが呼び止めようとするが、ひまわりは止まらない。
あっという間に教室から去って、どこかへ行ってしまった。
……まずい。まずいぞ。ひまわり。その行動は色々とまずい。
さっきとはまるで違う好奇の視線が一斉に、僕らに集中してしまっているではないか。
どうしよう……これ?
「えーっと……。俺、やっちゃった?」
「うん。多分だけど……」
気まずそうな顔でこっちを見るサンちゃんの言葉を、僕はオドオドと肯定する。
だけど、よく分からないなぁ。どうしたんだろう? ひまわりのやつ。
いつも通り軽く流せばいいのに、あんなに顔を真っ赤にしてさ。
まぁ、きっと何か事情があったのだろう。
ひまわりって、ああ見えて意味のないことはしないしね。
ちなみにこの後、トボトボ戻ってきたひまわりに対して、サンちゃんがペコペコ頭を下げ、それに対してひまわりもペコペコ頭を下げていた。
君達は鹿威しの真似でもしているのかい?
※
「さぁ、今日も俺の熱き血潮を迸らせるぜ! 待ってろよグラウンド!」
「レッツゴー! ぶっかつー!」
放課後になった瞬間、あっという間に教室からいなくなるサンちゃんとひまわり。
さすが、野球部とテニス部のエースの二人だ。やる気が違う。
いや、元の性格か。入部当時から、やる気満々だったよね。
ま、いっか。二人に倣うわけじゃないけど、僕も急いで生徒会室に向かおーっと。
ひょいと鞄を肩に担ぎ、ほんの少しだけ足取りを弾ませて、僕もまた目的地を目指す。
僕は僕で放課後は楽しみなんだよね。さぁ! 今日も書記活動、頑張るぞぉ!
※
目的地である生徒会室の前に辿り着くと、コンコンとドアをノックする。
「どうぞ」
ノックをし、「どうぞ」という声を聞いてからドアを開けるのが、ここのしきたりなんだ。
ドアの向こうから聞こえてくる優しい声に呼応して中に入ると、綺麗な女性が僕に笑顔を向け、歓迎してくれる。
「やぁ、ジョーロ君。今日も早いね」
「HRが早く終わっただけですよ」
いやぁー! 今日もお美しい!
この人と毎日会えて会話できることこそが、まさに生徒会の醍醐味と言ってもいいだろう!
まだ、始まってもいないけどね。
「それでもさ。いつも最初に生徒会に来てくれる君は、私にとって非常に貴重な存在だよ」
僕に優しい言葉をかけてくれる彼女は秋野桜さん。通称コスモス。
名前を見て分かる通り、コスモスは漢字で書くと「秋桜」
だからだ。
一つ上の学年で、現在高校三年生。
はっきり言って美人。腰まであるロングヘアーが素敵すぎる。
ついでにこの人、容姿だけでも超ハイスペックなくせに、生徒会長もやっている。
生徒会長なんてものをやっているのだから、勿論成績もいい。ぶっちゃけ学年ナンバーワン。
「じゃあ運動は?」って質問にも答えると、もう凄まじい。万能ですよ万能。
しかもスタイルもすごくいい。胸もどっかのひまわりとは違い、中々に立派だ。
とある筋から入手した情報によると、Dカップらしい。
性格もすんごい良い。クールで冷たそうな印象の鋭い目つきをしているが、本当は優しくて、校内でも皆に好かれている。
ひまわりと人気を二分する我が校きっての美女だ。
ひまわりが可愛い系だとすると、コスモス会長は美人系。
高嶺の花というイメージを皆から持たれている。
だからこそ憧れが先行してしまってか、とある筋から入手した情報によると、告白はあまりされていないらしい。
それでも、普通の人と比べたら十分に多いだろうけど……。
でも、彼氏はいないみたいなんだよねぇ。
とある筋から入手した情報によると、「好きな人がいる」って話なんだけど……。
どこのどいつだよ。羨ましいなぁ。とある筋からの新情報に期待しよう。
「しかし、他のメンバーはまだ来ないか」
「そうですねぇ。HRがまだ終わってないんじゃないですか?」
「うーん……。どうだろう? 山田は私と同じクラスなんだがね……」
ちなみに山田っていうのは会計の人。
大して重要でもないし、紹介は軽く済ませるよ。
山田さん、モブキャラ。以上。
「まぁいいじゃないですか。ゆっくり待ちましょうよ」
「ははは。ジョーロ君のそういうマイペースなところ、私は好きだよ」
「ありがと、うございます」
コスモス会長に「好き」と言われて、思わず心臓が高鳴ってしまう。
まったく、自分の容姿をもうちょっと自覚して言葉は選んでほしいよ。
貴方みたいな人に……っていうか今って、二人きりじゃないの?
そう思うと、少し……いや、かなりドキドキしてきたぞ。
「あ、そうだ。ジョーロ君、君に少しお願いをしてもいいかな?」
「はい! なんでちょうか!」
「ん?」
しまったぁ! 緊張のあまり嚙んでしまった。これは恥ずかしい……。
「そ、それで、僕にお願いってなんですか?」
「あ、あぁ。そうだったな」
どうにか話題を戻すことで、自分の異変をごまかす僕。
平気だよね? 変に思われてないよね?
「君に図書室へ行って取ってきてほしい本があるんだ。ほら、五月に我が校伝統の百花祭があるだろう? そのために過去の資料を参考にしたくてね。今ならまだ取って戻ってきても、時間に余裕はあるし、お願いしてもいいかな?」
「は、はい! 畏まりましたぁ!」
「はい。畏まれました」
穏やかな笑みとともに放たれる温かい声色にズキュン!
ダメだって! これ以上僕の心をかき乱さないで!
これが心臓を撃ち抜かれるって感覚なんだろうね。すんごい分かる。
僕はコスモス会長から優しく手渡されたメモを慎重に受け取り、急いでドアを開けると、猛然と図書室へ向かった。
あ、もちろん走ってないよ。廊下は走っちゃいけないからね。競歩ってやつです。
両手をブンブン振りながら、ズンズン図書室へと向かったよね。
※
「ふぅ……」
まずは息を一つ。さっきまで荒々しい鼓動を奏でていた心臓も、図書室まで歩く間におさまって、今は大分落ち着いている。
って言うか図書室か……。
できれば、あまりここには来たくないんだよなぁ。
別にうちの学校の図書室が、特殊とかそういうわけじゃないよ。
まぁ強いて言えば、なぜか飲食可能なスペースがあるところは特殊だとは思うけど、本当にそれ以外は全部普通。問題は中にいる奴にあるんだ。
僕はゴクリと唾を飲み込み、ソッと図書室のドアを開ける。
開けたドアからヒョッコリと顔を出し、恐る恐る受付の方を確認した。
いませんように!
「あら、ジョーロ君?」
ほら、いたよ! やっぱりこいつが受付にいたよ! だから図書室には来たくないんだ!
僕の嫌悪感をあっという間に満タンにした女は三色院菫子。通称パンジー。
こいつの名前を省略すると「三色菫」で、パンジーになるからだ。
今までの流れからすると、こいつもひまわりやコスモス会長と同じように、魅力的な女の子に思えるかもしれないから、先に言っておくね。
こいつに魅力なんて、微塵もない。
まぁ、なんで僕がそう言うかは、この後にする説明で分かってもらえたら嬉しいかな。
こいつは、僕と同学年で別のクラスの生徒。
三色院菫子とかいう気品のある名前をしているのに、普通の一般家庭で育ったというんだから詐欺としか言えない。
しかも、眼鏡をかけて三つ編みだよ?
今時ありえるのかよその格好? と思わずツッコみたくなってしまう容姿だ。
お前はアレだ。巻いとかなきゃダメだろ。ねじの如きロールヘアーでいるべき名前だ。
顔も並だし、胸はペチャパイって言うかない。
成績に関してだが、悔しいことに容姿に見合った上位ランカーだ。
特に現国と古典、それに漢文がやばい。
こいつが入学してから、誰一人として国語系科目でこいつの上に立てた奴はいないのだ。
つまりソレに関しては、常時学年ナンバー1。さすが三つ編み眼鏡だ。
性格は、はっきり言って最悪だね。
淡々としていて何を考えているか分かんないし、何より超毒舌だ。
しかも、その毒舌の的になっているのは、なぜか僕だけというのが納得いかない。
他の人は、全然言われてないんだよ?
いつもこいつは、僕の顔を見る度に罵詈雑言を吐き、嫌がらせをしてくるんだ。
そんな性格だから学校に友達がまともにいないんだって、ちゃんと理解してほしいよ。
……さて、ここまで言って十分伝わったかな?
つまり僕は、こいつのことが大嫌いなんだ。
「や、やぁ」
それでも何とか笑顔を作り出し、受付に座るパンジーに挨拶をする。
たとえ嫌いな相手でも、戦いの火種を作る必要はない。僕は平和主義なのだ。
「何を死に来たの?」
ん? おかしいな?
ただの質問のはずなのに、ものすごい悪意を感じる言い回しをされた気がするぞ?
いや、気にしちゃダメだ。
パンジーにちょっとでも嚙みつこうもんなら、あっという間に攻撃されてお陀仏だ。
今までもちょっとした言葉を拾われて、徹底的にそれをいじられたり、様々な小説の一文を引用しては、人が気にしていることをズバズバ言ってくる。
存在感がない、足が短い、幸薄そうなど、今までに吐かれた毒は数知れず。
しかも、それで僕がうろたえる様子を楽しげに見るんだから、より性質が悪い。
これから生徒会があるのに、無駄に体力を消耗している場合ではない。
だけど無視するのもアレだし、パンジーは図書室の主でもある。
この学校の図書委員は複数人で放課後の図書室の管理を任されているんだけど、パンジーが入学してからは、ほとんど彼女一人でやっている。
その見た目の通り、本好きなパンジーは、自分で買っているとお金が追いつかなくなるため、図書室の主として君臨しているわけだ。
ほんの少しの好奇心からこれを尋ねたら、聞き出すまでに僕の精神に多大な被害があったのはいい思い出だ。
好奇心は身を滅ぼすと、体感した瞬間だったよね。
……とまぁ、そろそろ思い出には蓋をしておこう。二度と開かないよう厳重に。
「ちょっと、資料を探しにね。去年までの百花祭の資料なんだけど、どこにあるか分かる?」
「そう。死霊ね。私の目の前にちょうどいるわ」
はい、早速来ました! 聞きましたこれ? ひどいと思いませんかね?
何にもしてないんですよ? ただ図書室に来て質問をしただけでこの対応。
言っておくが、過去に僕がパンジーに何かしたなんてことは一切ない。
去年の二学期ぐらいから、それまで一度も関わったことがなかったのに、いきなり僕のところにやってきて、ずっとこんな感じだ。
お、落ち着け僕……。こめかみがピクピク言うが落ち着け。
これ以上余計なことを言われないためにも、できる限りいつも通りの態度で……。
「今日もいつも通り、傷んだミカンの皮みたいな顔をしているわね」
いつも通りの態度すらアウトだった……。
って、こんな会話をしていたら、いつまで経っても資料を手に入れることはできない。
パンジーはほっといて、自分で探そう。
何より、こいつとこれ以上会話をしていたら、僕の胃が炸裂する。
「じゃ、じゃあ僕、資料を探しに行くから、これで!」
敵意のない笑顔をパンジーへと示し、僕は逃げるようにその場を離れ、資料探しを始めた。
まぁ、実際、逃げたんだけどね。
えーっと……。うーん……。どこだろう?
本棚をくまなく探したが、どうにも見つからない。誰かが持ってっちゃったのかな?
「ねぇ、ジョーロ君?」
「ほぎゃぁぁぁぁぁ!」
いつの間に背後にやってきた!?
アレか? 背後霊なのか? 憑りついて僕を呪い殺すつもりなのか?
「四六時中私と一緒にいたいからっておばけにしないでちょうだい。迷惑な人ね」
うん。君はナチュラルに、僕の心の声に反応しないでもらえるかな?
はぁ……。どうして僕ばかり、パンジーからこんな目にあわされないといけないんだろう?
他の人に聞いても、別に何もされたことはないって言ってたし……おかしいよ。
……ダメだ。内心でグチをこぼしている場合じゃない!
早く返事をしないと、もっと大変なことになっちゃう!
「な、何かな?」
ギギギと首を後ろに曲げて、何とか笑顔を作る。よく頑張ったぞ僕。
「貴方の探している資料は、ここにはないわよ」
「え? なんで?」
「私の鞄の中に隠してある可能性が高いわ」
「は?」
クスリと嘲笑を漏らすパンジー。ポカンとする僕。
えーっと……。今、何て言った?
「貴方が見当違いのところを無様に探している間に、とある本を私名義で借りてそのまま鞄にしまったの。だから、ここにはないのではないかしら?」
こいつ、なに余計なことしてくれちゃってんの!?
「えっとぉ、三色院さん……」
「菫子でいいわ」
「それじゃあ、菫子さん」
「どうしてかしら? 脳裏に辞世の句が浮かんだわ。保健室で休んでくるわね」
君が呼ばせたんでしょ! 僕のせいじゃないでしょ!
「ま、待って! その、菫……三色院さん」
テクテクと去ろうとするパンジーを慌てて呼び止める僕。
「何かしら。ジョーロ君?」
クルリと振り向いて、どこか楽しげな表情を浮かべるパンジー。
凄まじく嫌な予感しかしない。
「あ、あのさ、その本って、今日貸してもらえたりしない?」
「いいわよ」
お、意外とあっさりと許可が出たぞ。言ってみるもんだな。なーんだ。僕の勘違──
「三回まわってワンと言った後に『バ〇ルドーム! ボールを相手のゴールにシュート! 超・エキサイティング!』って叫んだら貸してあげるわ」
前言撤回。難易度が跳ね上がりました。なんでそんな昔のCMの内容を知ってるんですかね?
「どうする? 私はどちらでも構わないけど」
時計をちらりと確認すると、結構な時間が経っている。
目の前のパンジーは無表情で人形のような目でじっとこちらを見ている。
恐らくだが、先程言ったことをやらない限り資料を貸してくれないだろう。
「…………」
僕は無言でくるくると回り、
「ワン!」
そして、
「バ〇ルドォォォム! ボールを相手のゴールにシュゥゥゥト! 超・エキサイティング!」
「はい。よくできました」
僕の渾身の叫びの甲斐があってか、パンジーは鞄から袋に入った資料を取り出すと、それをヒョイと渡してくれた。
「う、うん……ありがとう」
「どういたしまして。今日はとても満足したわ」
それだけ言うと、僅かに足を弾ませて、テクテクと受付に戻っていくパンジー。
できることなら怒りに身を任せて、仕返しをしてやりたいがそれはやらない。
だって僕、パンジーに勝てる気がしないし、戦略的撤退って大事だよね。
さ、急いで逃げよう。
※
パンジーのせいで生徒会の遅刻は確定。本当にあいつは最悪だ。
生徒会はコスモス会長を除いて皆、時間ギリギリに来るけど遅刻者には厳しい。
戻ったら、きっと怒られるんだろうなぁ。はぁ……。
「ジョーロ君!」
「あれ? コスモス会長?」
僕がドンヨリと肩を落として廊下を歩いていると、正面からコスモス会長がやってきた。
しかもその表情は珍しく慌てていて、心なしか歩調も速い。
もしかして僕が遅かったから心配して来てくれたのかな? そしたら、ちょっと嬉しいな。
「すまない!」
「え?」
しかしコスモス会長の第一声は、予想外にも謝罪の言葉だった。
後輩の僕に、先輩のコスモス会長がこんなに深々と頭を下げるなんて、どうしたんだろう?
「その……。頼んでいた資料なんだがね、山田が昼休みに図書室で借りてくれていたんだ。それを伝えようにも、私は君の連絡先を知らなくて……。だから、君を迎えに来たのだが……その……申し訳ない!」
「え、えと……。大丈夫です。気にしないで下さい」
「そ、そうかい? ……よかった」
そう答えながらも、僕は混乱していた。
だって僕、パンジーから資料を受け取ったんだよ? じゃあこれって……何?
「それと、時間のことは安心してくれ! 皆には私から事情を説明してあるから大丈夫だ!」
「あ、ありがとう……ございます」
ヘトヘトだったので、確認もせずに持ってきてしまったパンジーから受け取った資料。
それを恐る恐る袋から取り出し、確認すると、『ファーブル昆虫記』
パンジィィィィィィィ!
お、落ち着け僕! ここにパンジーはいない。
復讐なんて考えるな。それが生み出すのは、僕のさらなる不幸でしかない。
戦略的撤退の大切さは、もう十分に理解しているはずだ。
「っと、こんなところで立ち話をしていると、皆に迷惑をかけてしまうな。それじゃあジョーロ君、生徒会室に戻ろうか」
「はい。分かりました」
うん。まぁ……。コスモス会長の綺麗な笑顔が近くで見られたし、我慢しよう。
すごく苦労したんだから、このくらいご褒美があってもいいよね。
※
その後、僕とコスモス会長が生徒会室へ戻ると同時に、生徒会は始まった。
今日の議題は『部活動の予算について』だ。
生徒会では毎年、各部への予算分配を決めている。
去年、優秀な成績を収めている部には多めに、また、普段の活動状況からも予算を振り分けている。本当なら、皆で意見を出し合うべきなんだろうけど、コスモス会長の独壇場だ。
女の子らしい薄いピンク色のノート……通称『コスモスノート』を片手に、去年の部活動での功績や問題をホワイトボードに手際よく書いている。
噂によると、コスモスノートには、うちの学校の全ての情報が記されているらしく、テスト問題すら、コスモス会長は掌握していると言われている。
ただ、それはあくまで噂だ。
「それでなんだが、今日は各二人組で部活の視察に行こうと思う」
「「「「わかりました!」」」」
コスモス会長の一声に各自が賛成し、分けられたペアが、ホワイトボードに記されていく。
ん? あれ? 僕と一緒に行くのって……コスモス会長!?
「ジョーロ君は私と一緒にスポーツ系の部活動を主として回ろう。君は確か、大賀君や日向さんとも仲が良かったよね?」
「は、はい!」
「彼らは、我が校が誇るスーパーエースだからね。懇意な君がいてくれると助かるんだ」
サンちゃん、ひまわり、グッジョブ!
君達と仲良くしていて本当によかったと僕は思えるよ!
「それじゃあ、行こうか。なるべく早めに行かないと部活の時間が終わってしまうからね……っと、その前に……」
ノリノリでいざ出発! と思ったら、コスモス会長が自らの鞄からスマホを取り出した。
「今日の件で、君の連絡先を知らないのは不便だと痛感してね。どうだろう? よければ、私と連絡先を交換しないかい?」
「え! 本当ですか!?」
「そんなに驚くことかい? その……君が嫌なら、別にかまわないのだが」
ほんの一瞬、コスモス会長が不安な表情をする。僕は慌てて口を開いた。
「そんなことありません! 全然ありませんよ!」
「よかった。では、早速だが君の連絡先を教えてくれないかい?」
「はい!」
コスモス会長の連絡先をゲットできるなんて!
これは嬉しい! すごく嬉しいぞ!
パンジーよ。さっきまではお前を親の仇のように憎んでいたが許そう。
お前は悪魔の皮を被った魔王だけど、今この瞬間だけはキューピットに格上げだ。
その後僕は、迅速に自分のスマホを取り出し、コスモス会長と連絡先を交換した。
これはジョーロ史に残る素晴らしき日として、記憶しておこう。
※
「まずはテニス部の視察に行って、その後にサッカー部と野球部を見て回ろう」
そこそこ年季の入った校舎を出ると、コスモス会長が弾んだ声でそう言った。
「ここからだと、テニスコートが一番遠いですけど、いいんですか?」
てっきりここから一番近いグラウンドで練習をしている野球部から行くと思ったんだけど、それは僕の勘違いだったらしい。
うちの学校、結構広いし、近いところから行った方が楽だと思うんだけどなぁ。
「テニス部は、野球部やサッカー部と比べると部活時間が短いからね。それを考慮したんだよ」
「なるほど。分かりました」
さすがコスモス会長だ。ちゃんと時間まで考えてるなんて、本当に凄いや。
「それじゃあ行こうか。ジョーロ君、今日はよろしく頼むよ」
「はい! こちらこそよろしくお願いします!」
もう、そんな素敵なウィンクなんてされたら、僕のやる気があっという間に満タンになっちゃうじゃないですか!
よーし、今日の視察、頑張るぞぉ!
※
僕とコスモス会長がテニスコートへと到着すると、そこではテニス部が練習をしていた。
そりゃそうだ。何を当たり前のことを僕は言っているんだろう?
ちなみに、うちの学校のテニスコートは二面。
一面を部員同士の練習試合に使い、もう一面で他の部員達が自主トレをしている。
今、僕とコスモス会長が見ているのは、部員達が自主トレをしている方のコートだ。
新入生達と先輩が混ざり合って、皆が一生懸命素振りをしている。
さすがに優秀な成績を収めているだけあって、練習も気合が入ってるなぁ。
ついでに横を見ると、コスモス会長がコスモスノートに何かを書いていた。
ちらっと覗き込んでみると、テニス部の活動内容が記載されているではないか。
ほんと、コスモス会長は真面目で偉いよなぁ。感心しちゃうよ。
「それじゃあ、次はもう一面の方に行こうか」
「分かりました」
パタンとノートを閉じたコスモス会長に呼応し、僕らは部員の邪魔にならないように、コートの端を通りながらもう一面のコートへと向かった。
「はぁ! てぇあ!」
「あ。ひまわりだ」
威勢のいい掛け声とともにボールを打ち返す、テニスウェアに身を包んだひまわり。
おー。さすがテニス部のエースだ。
まさにエースに相応しい、立派なふとももを……じゃなかった。
いけないいけない。いつもと違う格好をしてるから、つい、ドキドキしちゃったよ。
まさにエースに相応しい、立派な振る舞いだ。よし、修正完了。
「やぁぁぁ! ……よし!」
うん。これぞまさに青春だね。
ひまわりが打った力強いボールに練習相手は反応できず、ポイントになり、ガッツポーズを取っている。いつもふざけてばかりいるけど、テニスに関しては本当に真剣なのがよく分かる。
「あれぇ? ジョーロじゃん!」
と、そこでひまわりは僕達の存在に気づいたようで、試合を一時停止し、軽い足取りでこちらに向かってきた。
「どうしたのぉ? 生徒会のなんかぁ?」
「うん。ちょっと視察に来てたんだ」
「そうなんだぁ。あ! コスモス会長、こんにちは!」
「やぁ。こんにちは。ひまわりさん」
「今日はテニス部の視察なんですね」
「ああ、そうなんだ。この後はサッカー部と野球部を二人で見て回ろうと思っているよ」
「……え?」
瞬間、ピクリとひまわりのこめかみが動く。どうかしたのかな?
「……へぇ~。ジョーロと二人で、視察で……サッカー部と野球部に行くんですかぁ」
げっ! ひまわりの奴、何か分からないけど不機嫌だぞ。
このやけに低いトーンの声色。これはひまわりが何か厄介なことをする前兆だ。
やばいかも……。
「つまり、今日は二人でデートなんですかぁ?」
「な!」
ひまわりの奴、いきなり何を言うんだ!
僕はいいけど、コスモス会長は嫌な顔をしてないかな?
「ははは。まぁそんなところだ。君の幼馴染を拝借しているよ」
すごい。まさに鉄壁の笑みだ。ニコリと笑うコスモス会長の笑顔に隙はない。
平然としてるよこの人。
「むぅー!」
そんなコスモス会長の反応が面白くなかったのか、ひまわりはプクっと頰を膨らませてコートに戻っていき、練習試合を再開した。
「……もしかして私は、彼女に嫌われているのかな?」
「え? そんなことはないと思いますけど?」
「それならいいんだが……いや、しかし……」
コスモス会長はまだ少し気にしているようだけど、僕は考えすぎだと思う。
ひまわりがコスモス会長を嫌う理由なんてないし、なんていうかアレは嫌っているというより、怒っている顔だ。さっきからチラチラと
(なぜか僕に)
敵意のある目を向けてきてるし。
これは早々に退散した方がよさそうだな。
「さて、それじゃあそろそろ次に行こうか」
「そうですね」
コスモス会長の言葉に安堵し、テニスコートを去ろうとした瞬間だ。
パコーンという軽快な音とともに、僕の後頭部に衝撃が走った。
「いったぁ!」
頭をさすりながら衝撃のした方を見ると、ひまわりがあかんべーと思い切り舌を出していた。
ほんと、何なんだよあいつ……。
※
テニスコートでテニス部の、体育館でサッカー部の視察を終えた僕らは、グラウンドへ野球部の視察へとやってきた。
うちの野球部の待遇はかなりいい。学校のグラウンドは、野球部が占領していて、他の部は体育館や別の場所を借りて活動していることがほとんどだ。
しかしそれに関して、他の部から文句は絶対に出ない。
うちの学校にかかっている垂れ幕が、それを見事に阻止しているのだ。
『今年こそ悲願の甲子園!』
そう。うちの高校は去年、なんと甲子園出場一歩手前まで行ったのだ!
地区大会の決勝戦には、全校生徒が集められて盛大に応援した。
結果は残念ながら負けてしまったが、それでも、我が校始まって以来の快挙だったそうだ。
勿論、僕も行ったよ! だって、サンちゃんが出てる試合だもん。
本当に、野球をしている時のサンちゃんはすごいんだ!
まだ一年生だったにも関わらずエースを務め、バッシバシと剛速球を放つサンちゃん。
並み居るバッター達から次々と三振を奪い取る彼は、本当にかっこよかった。
応援すると同時に、彼と親友であることが誇らしく思えてしまうほどに。
「おー! ジョーロじゃねぇか!」
ちょうどその立役者──サンちゃんが僕に気が付いて、笑顔で走ってきた。
土ぼこりの沢山ついたユニフォームは、まさにサンちゃんの努力の証明だ。
「やっほ。サンちゃん、今日も頑張ってるね」
「おう! 今年こそは……っと、いけねぇ! 秋野会長もちわっす! 今日は視察っすか?」
帽子を取って、丁寧にお辞儀をするサンちゃん。ひまわりとは大違いだ。
「こんにちは大賀君。その通りだよ」
「大変っすね! ジョーロと一緒に頑張ってください! こいつ、頼りになりますから!」
「そ、うだね。ジョーロ君は本当に頼りになるよ。君も練習、頑張ってくれたまえ」
「うっす!」
それだけ話すと、サンちゃんは再びグラウンドに練習へと戻っていった。
って言うかコスモス会長、今少し、不自然なところで言葉が切れなかった?
僕の気のせいかな?
「どうかしましたか? コスモス会長」
「いや、何でもないよ」
「あ、そうですか……」
うーん、やっぱり僕の気のせいかなぁ? 話してみると普通のコスモス会長だしなぁ。
顔もちょっぴり紅く染まってる気がするし、ごまかすようにノートを書いているようにも見えるんだけど……思い当たる節はないしなぁ。僕の気のせいだよね。
と、僕が自分の考えをまとめている時だ。
ちょうどノックをしていた球が、フワフワとこちらへ飛んできた。
そして、それを追ってきた部員もまたこちらに近づいてきた。
とっさにコスモス会長を見るが、一心不乱にノートを書いていて、気づいていない。
このままだと……ぶつかる!
「危ない!」
「きゃあ!」
僕は咄嗟にコスモス会長の体を庇うように抱きしめ、彼女と部員の激突を防ぐ。
とてもコスモス会長が出したとは思えない可愛らしい声が響いたぞ。
「す、すみません! 大丈夫っすか!?」
無事、ボールをキャッチした野球部員の心配そうな声が聞こえる。
幸い、激突は避けられたようだ。
「いつつつ。コスモス会長、大丈夫です……かぁ!」
現状を見て僕は固まった。
そりゃそうだろう。だって僕……思いっきりコスモス会長に覆いかぶさっているんだもの。
コスモス会長を見ると、いつも冷静沈着な彼女が、顔を真っ赤にしているではないか。
「す、すみません!」
「い、いや! いいんだ! こちらこそありがとう。危ないところだったよ」
慌ててコスモス会長の上からどいたけども……やっちゃったぁ!
「わりぃ! ジョーロ、大丈夫か!?」
サンちゃんも僕を心配してか、グラウンドから大急ぎで駆けつけてくれた。
「うん。大丈夫だよ」
「おーよかった……。ってお前それ!」
「ん? あ!」
ふと横を見ると、ちょうど倒れていたところに、僕のスマートフォンが落ちていた。
そして悲惨なことに、液晶画面が見事に砕けて、蜘蛛の巣のようになっている。
「わぁぁぁぁぁ!」
拾い上げて操作をするが、全く反応がない。
ああ、せっかく、コスモス会長の連絡先を知ったのに。
「これは……。ひどいな」
「うぅぅぅ。僕のスマホが……」
「げ、元気出せよジョーロ! ドンマイだ! ドンマイ!」
やっぱり今日の僕って、ついてないのかなぁ……。
背中をシュンと丸めて、トボトボと僕は、コスモス会長と一緒に野球部の練習を後にした。
※
僕らは再び生徒会室に戻った。
スマホは壊れちゃったけど、そこは気を取り直していこう。
そうだ! 嫌なことがあった後は、いいことがあるはずだ!
「──ということで、今年の各部の予算はこれでいこうと思うが、異議のある人はいるかい?」
さすがコスモス会長だ。彼女が提案した予算案は完璧で、誰も反論をしなかった。
結果としては、野球部に一番多い予算を。
他の部は去年とほぼ同額で、その中でも僅かに部費を削減されたのは、テニス部と書道部だ。
コスモスノートに記された情報によると、その両部は新入部員が例年より少なかったことや不真面目な面が目立っていたから、少し予算をカットしたらしい。
視察に行ってない部まで把握しているとは、凄まじい力のノートである。
いや、他の人からの報告か。さすがに。
「では、以上で本日の生徒会を終了します。お疲れ様でした」
「「「「お疲れ様でしたー」」」」
コスモス会長の一声に皆が返答し、荷物をまとめて生徒会室を出る。
僕も自分の鞄をヒョイと担いで、出口を目指す。
さ、家に帰ってテレビでもみよーっと。
「ああ、ジョーロ君、少しいいかい?」
およ? コスモス会長に呼び止められたぞ。
「はい。どうかしましたか?」
「その、君は今度の休みは暇かい?」
「はぁ。まぁ暇ですけど……。あ、でもスマホが壊れちゃったし、それを買い換えようかなって考えていました」
「ちょうどよかった! なら、私も一緒に行っていいかな?」
「え!?」
「今日、君のスマートフォンが壊れたのは私の不注意が原因だ。だからそのお詫びをしたいんだが……迷惑だったかい?」
「い、いや、お詫びなんていいですよ! そんな大したことじゃないですし!」
「いいやダメだ。それでは私の気が済まない。私も行かせてくれ」
わお。コスモス会長の顔がものすごく近くに来ちゃったよ。
なんだかいつもよりちょっと子供っぽい表情で、これはこれで可愛いなぁ。
ってそうじゃなくて!
これってもしかして……デート!? デートになるのかな?
コスモス会長と二人で出かけるなんて、それだけで一生物の自慢になるぞ。
それに、コスモス会長から誘ってくれてるんだ!
ここまで言われて断る奴なんて、男じゃない!
「わ、分かりました! そ、それじゃあ今度の土曜日に一緒に……。その、出かけましょう!」
「本当かい! ありがとう!」
うわぁぁぁぁぁぁ! 手! 手を握られちゃってるよ!
そんなに優しく僕の手を両手で包まないで! ほんと、すごくドキドキするんだから!
「おっと、すまない!」
僕が顔を真っ赤にしているのに気が付いて、コスモス会長は慌てて手を離す。
「そ、それじゃあ、土曜日に」
「は、はひぃ……」
それだけ言うとコスモス会長は恥ずかしそうにそそくさと生徒会室を後にして、残されたのは完全に熱に浮かされた僕だけだった。
その後、校舎を出る前にパンジーと遭遇して、「あら? 大分エキサイティングした顔をしているわね」と言われたが、それは三秒後には記憶から抹消した。
※
いやぁ、今度の土曜日が楽しみすぎる!
まさか、こんな僕がコスモス会長と二人で出かけるなんて!
これってデートだよね? デート確定だよね!?
スマホが壊れたのはショックだけど、それ以上に幸せなことがあったから総じてプラスだ。
超プラスで、ジョーロ株は急上昇だ!
いつも見慣れた帰り道なのに、なぜか今日は輝いて見えるよ!
「ジョォォォロォォォ!」
「どびふぅ!」
幸せに浸っていたら後頭部に凄まじい震動が走った。あぁ……。時が見える。
これはあれだ。鞄を全力で僕に当てている。
しかも当てた本人は全く悪いとは思っておらず、ニコニコと僕を見て笑っている。
「ひまわりぃー……」
「えへへへ。びっくりした?」
「びっくりどころか、軽く別の世界が見えたよ!」
「わぉ! 新たなる世界の発見だね! ジョロンブスだね!」
「怒るよ?」
「あはははは。ごめんごめん。もうしませーん」
「絶対に反省してないだろ。お前」
「あは。バレた?」
チロッと舌を出しながら、いたずらっ子のように微笑むひまわり。
むぅ……。仕草が可愛いし、さっきの狼藉は許してやるか。
「それにしても、ジョーロ。何かあったの? ものすごく機嫌良さそうに見えたけど?」
「ああ、ちょっとねぇ」
思い出したらまた顔がにやけてしまう。
あのコスモス会長と二人で出かけるなんて……フヒヒヒヒ。
「キモッ!」
失礼な!
でも、ひまわりのドン引きした表情を見る限り、かなりひどい顔だったのかもしれない。
僕としては、そういうつもりはなかったんだけどなぁ。
「それで、何があったの?」
ひまわりが、好奇心丸出しの顔で僕を見る。
うーん。この顔のひまわりは厄介なんだよなぁ。
納得するまでしつこく聞いてくる上に、噓をついても平然と見破ってくる。
なんとなくだけど、土曜日のことはひまわりに知られたくないし、どうにかごまかさないと。
「ちょ、ちょっとね……」
ふいと目を逸らしたのが失敗だった。
ひまわりが露骨に機嫌を損ねて、プクリとハムスターのように頰を膨らませたのだ。
「あー隠したぁ! ジョーロが隠したぁ!」
その場で地団駄を踏んで、まるで小学生だ。
「何を隠したのぉ! 教えて教えて!」
僕の両肩をガシリと押さえつけ、ブンブンと前後に揺らす。
行為と台詞は可愛らしいが、テニス部で鍛えられた腕力で揺らされる僕としてはたまったもんじゃない。
やめて……! 出る……! 色々出ちゃうから!
「言う! 言うからやめて!」
そうするとピタッと僕を揺らすのをやめて、ジーっと僕の顔を覗き込んでくる。
「ほんとぉ~?」
「本当」
「そっかぁ。じゃあ教えて!」
ニパッと笑って、僕の腕に自分の腕を回すひまわり。
そのまま無邪気な瞳で僕を見てくるので、思わず頭を撫でてやりたくなるが、やっていることは完全に脅迫である。
「今度の土曜日、コスモス会長と出かけるんだよ」
それを伝えた瞬間、ひまわりの笑顔がピキンと凍りついた。
そして、やけに困惑した顔を披露している。
……やばい。なんだか非常にやばい気がする。
「な、なんでぇ……?」
まるで自分には理解不能な事態に陥ったかのような声。
何か不安でもあるのか、僕の腕を先程よりも強くギュッと抱きしめてまでいる。
スポーツをやっているし、ゴツゴツしていると思っていたら、想像以上に柔らかい感触が僕の腕を包み込むので、思わずドキリとしてしまう。
「い、いや、今日の視察でさ、僕のスマホが壊れちゃったんだ。それで買い換えることになってさ、コスモス会長が一緒に付き合ってくれるって言ってくれたんだよ。本当にそれだけ!」
なんで僕は口調が言い訳っぽくなっているのだろう?
これじゃあまるで、浮気をしてバレた亭主のようだ。
恐る恐るひまわりを見ると、顔を下に向けて動かなくなっている。
まずいぞ。これは間違いない。怒っている。なんでか知らんが怒っている。
しかもあれだ。僕が悪くもないのに理不尽に怒られるパターンだ。
こうなった時のひまわりは厄介極まりない。
ギャアギャア滅茶苦茶な自分理論を振り回し、挙句の果てには暴力で従えようとしてくる。
だけど、今回はどんなにひどいことをされても譲らないぞ!
僕はコスモス会長と出かけるのだ!
「……日曜日」
顔を地面に向けたまま、ひまわりがポツリとそう言った。
「は?」
「日曜日!」
今度はガバっと顔を上げてそう叫んだ。
思い切り顔を近づけて、鼻息をフンフンと鳴らして、それが僕の顔に当たる。
近い! ひまわりさん近いです!
「コスモス会長だけジョーロとお出かけなんてずるい! わたしだって、ジョーロとお出かけしたいもん! だから、日曜日はわたしがジョーロとお出かけするの! それでおあいこ!」
えっと……。この子は何を言っているのだろう?
なぜ、僕が君と日曜日に出かけなくてはならない?
土曜日にスマホを買い換えて、その後にコスモス会長と、お洒落なお店でランチングなんて素敵で出費のかかることを考えていた僕には、そんな金銭的余裕はないぞ。
「いや、でも……」
「でもじゃないもん! もう決まったもん!」
出ました! ひまわり理論!
こっちが無理だと言っているにも関わらずそれを軽く却下して、自分の我儘を押し通す!
ダメだ。分かっていたけど、もう何を言っても無駄だ。
はぁ……。今月のお小遣いは、コスモス会長との昼食でなくなるし、お年玉の残りを切り崩すかぁ。本当は沢山貯めて、将来使いたかったんだけどなぁ。
「とにかくこれは決定事項! 分かった!?」
「……はい」
そういうわけで僕は、土曜日にコスモス会長と、日曜日にひまわりと一緒に出かけることになりました。
今月の節約生活が確定しちゃったよ。