俺たちは下駄箱で靴を履き替え、校舎を出た。ここから家までは一キロほどの道程だ。
麻奈実とは近所なので、俺ん家の前まで一緒である。
校門を出たところで、麻奈実が話しかけてきた。
「ところで勉強は進んでる?」
「全然だな」
「即答できるくらい全然ってこと? もう。じゃあ、今日も一緒に勉強しよっか?」
「そうしてくれると助かる。どうにも一人だと、やる気にならなくてな──」
「漫画とか読んじゃうんでしょう」
「……千里眼かよ、おまえは」
本当にお見通しらしかった。にこにこと笑ってやがる……。
受験勉強。高校二年生にとっての『普通』の話題。
ちなみに俺が目指しているのは、麻奈実と同じ地元の大学である。
少々女々しいと思われるかもしれないが、俺が進路を決定した理由は、こいつと同じ大学に行きたかったからだ。別に惚れているから──とかではなくて、この心地いい腐れ縁を、なるべく長く続けていたかったから。それにミス・凡人たる麻奈実のとなりにいれば、自然と俺の目指す『普通』の人生を歩むことができるんじゃねえか──そう考えたのだ。
我が人生のガイドライン・麻奈実は言う。
「ん、分かった。じゃあ、わたしの家で待ち合わせして、図書館行こっか。……あ、そうそう、新味のもなかがあるんだ。せっかくだから、食べていかない?」
「お、おお、いいのか? 悪いな」
麻奈実の家は和菓子屋をやっているので、よく菓子を俺に喰わせてくれる。
毎度毎度、年寄り趣味だと幼馴染みをからかう俺であるが、こいつん家の菓子ばかりは悪くないと思う。落雁やら饅頭やら、ガキの頃から喰わされてるせいかもな。
お袋の味ならぬ、幼馴染みの味ってところか。
「いいよ。妹さんの人生相談じゃあ、わたしは力になってあげられそうにないし。だからそのぶん、きょうちゃんに優しくしてあげる」
「……このお人好しめ」
俺の皮肉に、麻奈実は「えへへ」とはにかんだ。幸せそうな顔で俯き、両手で持った鞄をスカートの前で、ぱたん、ぱたん、とやっている。これは幼馴染み同士でのみ通じるサインであり、子犬がシッポを振っている仕草と同じである。もっと褒めて、褒めて、という意味だ。
「おまえは、いいお婆ちゃんになるよ。おまえの孫になる子供は、幸せだな」
「……あ、あのさー……その褒め言葉って、『おまえはいい奥さんになるよ。おまえの夫になる男は幸せだな』とか言うもんじゃない?」
「いや、お婆ちゃんで正しいね。何故ならおまえと話していると、俺はいつも、死んだ婆ちゃんと縁側で茶を飲んでいるような気分になるからだ」
「……褒めてないよね? それ、全然褒めてないよね? ……ふんっ、どうせ色気がないですよーだ。もうっ、きょうちゃんだって、脇役みたいな顔してるくせにーっ」
「おまえにだけは言われたくねえよ!?」
まさかお互いにそんなことを思っていたとは……。わりと似たもの同士なのかもしれん。
そんな会話をかわしているうちに、我が家のそばまできてしまった。
目の前の丁字路を左に曲がれば、俺の家。
が、そこでタイミングよく──あるいは悪く──下校中の桐乃と遭遇した。
「げ」
俺は咄嗟に(丁字で言うと一番下部分あたりで)足を止めた。
丁字路の右手から、制服姿のティーン誌モデル様が歩いていくる。同じ学校の女生徒たちと一緒のようだ。妹とお喋りしている女どもは、どいつもこいつも器量よしばかり。タイプは違うが、それぞれズバ抜けた華がある。
ほら、ローティーンばっかを集めた有名なアイドルグループがあるだろ? あいつらが、セーラー服着込んで、きゃらきゃら騒ぎながら歩いてくると思いねえ。
「………………」
俺たちは立ち止まったまま沈黙した。
脇役二人の前を、煌びやかなオーラを振りまいて、女子中学生たちが通り過ぎる。
「はぁ~……」
そんな派手派手しいイマドキの若者たちを、麻奈実は羨望の眼差しで見送っていた。
「いまの、すっごくかわいい娘たちだったね──いいなー、若いって」
「婆さんや、自分が女子高生だってことを思い出しなさい。もの忘れ激しいよ?」
もはやフォローしきれないレベルで言動がババア。どうにもならんな、こいつ。
「分かってますよう、お爺さん。でも、わたしが中学生のときだって、あんなに垢抜けてなかったでしょう。中学生っていったらまだまだ子供なのにね……わたしよりずっと大人っぽいんだもん。羨ましいなあ……わたしも、もうちょっと頑張ろっかなー」
「……いいよ別に……おまえはそのまんまで」
おまえまで桐乃みてーになったら、俺の安息の地はどこにもなくなっちまうだろうが。
俺は、垢抜けたイマドキの女の子なんぞより、地味で普通な幼馴染みのとなりにいたいよ。
ふん。俺も麻奈実も、あいつらとは、しょせん別世界の人間なんだよな。
分かってるさ、ちくしょうめ。
それからさらに数日後。俺は、しばらくぶりに妹と言葉をかわすことになった。
日曜日。俺は午前中から麻奈実と一緒に図書館に出かけていた。で、夕方、麻奈実を家まで送っていったあと、帰宅した俺を、玄関で桐乃が待ちかまえていたのである。
壁にもたれて腕を組んでやがる。険悪な流し目が胸に刺さる。
……えーと、なんかこいつに悪いことしたかな、俺?
「……ちょっと来て」
「な、なんで?」
内心ビビりながら問うと、桐乃は俺を流し見たまま、
「人生相談。続き」
単語ブツ切りで呟く。言いたいことは分かったが、なんでそんなに嫌悪感剝き出しなんだよ。
これから人にモノを相談しようって態度かそれが?
「続きっておまえ──」
「……いいから、早く来てよ」
と、桐乃は俺がろくに靴も脱いじゃいないうちから、袖を引っ張ってくる。間違っても手を直接握ってきたりはしないところが、こいつのむかつくところである。
「ったく、相っ変わらず問答無用だな……」
人の好い俺は、桐乃の剣幕にあらがえず、へっぴり腰で階段を上っていく。
そうして無理矢理連れ込まれたのは、妹の部屋であった。
相変わらず甘ったるいにおいのする部屋だな……。ちなみに麻奈実の部屋は、いつ行っても線香のにおいしかしない。お婆ちゃん家のにおいな。……まあ人それぞれなんだろう。
先んじて部屋に入った桐乃は、パソコンデスクの椅子を引き、くいくいっと人差し指で俺を招いた。なんだこいつ、どういうつもりだ? 人生相談じゃなかったのか?
妹の思惑が読めず、困惑する俺。
「ここ、座って」
「あ、ああ」
俺は素直に、妹の指示に従った。桐乃は、椅子に座った俺のすぐ脇に控え、デスクに片手をついて体重をかけている。
桐乃がパソコンの電源を入れると、ウィンドウズの起動画面が俺の瞳に映る。やがて画面が切り替わり、デスクトップが現われる。
たくさんのネコ耳少女たちが、お茶の間でくつろいでいる壁紙だ。
そんなかわいいデスクトップの隅っこには、デフォルメされた猫が、ごみ箱からちょこんと顔を出しているアイコン。左上隅にはカレンダー。上部には横長のネコ耳型ウィンドウが開いていて、メッセンジャー、ブラウザ等のアイコンが整然と並んでいる。
「……ずいぶんと凝ってるな」