ストライク・ザ・ブラッド1 聖者の右腕

第一章 魔族特区 Demon Sanctuary ⑦

 そして彼女は、古城がだいよんしんであることを知る、数少ない人間の一人でもある。世界最強の吸血鬼などという非常識な体質になった古城が、一般人と同じように学校に通えているのも、那月が裏から手を回してくれたおかげなのだ。

 だから古城は、どうしても那月には頭が上がらない。そのせいで、しばしば彼女の個人的なの手伝いをさせられたりもするのだが、そういう運命なのだとあきらめるしかなかった。


「ああ、そういえば、ちょっときたいことがあったんですけど」


 古城は、ふと思い出して顔を上げた。那月がうつとうしげな目つきで古城を見返す。


「なんだ」

おうかん……って知ってます?」


 古城の問いかけに那月はちんもくし、こつげんな表情を浮かべて立ち上がった。


「どうしておまえが、その名前を知っている?」

「いや、知ってるというか、ちょっと小耳にはさんだだけなんだけど」

「ほう。そうか、それは詳しく事情を聞かせてもらいたいものだな。挟んだのは、この耳か?」


 そう言って那月は、古城の耳をようしやなく引っ張った。て、と古城は悲鳴を上げ、


「……もしかして、なにか怒ってます?」

いやな名前を聞いて、少々むかついているだけだ。連中は私らの商売がたきだからな」


 荒々しく息を吐き、那月は古城を解放した。古城は伸びきった耳たぶを押さえながら、


「商売敵って……国家攻魔官の?」

「ついでに言うと連中はおまえの天敵だ」


 那月が、古城を見下ろして冷ややかに警告する。


「たとえ真祖が相手でも、やつらは本気で殺しに来るぞ。連中はそのために造られたんだからな。獅子王機関の関係者には、せいぜい近づかないようにするんだな」

「……造られた?」


 古城がげんがおで訊き返す。が、那月は、しやべりすぎた、というふうに舌打ちして、それ以上、なにも言おうとはしなかった。

 結局、おうかんには近づくな、というのがつきの答えらしい。


「あ、そうだ。那月ちゃん。中等部の職員室って、今日は開いてますかね?」


 教室から出て行こうとする那月を呼び止めて、じようが再び質問する。那月はげんそうにまゆを寄せ、


「中等部におまえがなんの用だ、あかつき?」

「ああ、いや。妹んとこの担任のさささき先生にちょっと頼みたいことがあって」

みさきに?」


 那月がいやそうに顔をしかめる。そういえば彼女は、中等部の教師である笹崎岬と同じ大学の出身で、なぜか二人は恐ろしく仲が悪いらしい。あんじよう、那月は露骨にとげとげしい表情になって、


「中等部のやつらのことなど私が知るか。自分で行って確かめろ」

「……そうします」


 古城は素直に那月の言葉に従うことにした。ここでにこの話題を引きずるのはまずい、と本能的に判断する。

 しかしその程度のことで、へそを曲げた那月のげんが回復するはずもなく、


「それからな、古城」

「はい?」


 つきが黒レースのせんいつせんした。どんな術を使ったのか、そのしゆんかん、普通の人間ならがいこつかんぼつするくらいのしようげきじようひたいおそった。古城はそのままあおけにてんとうする。


「なんであいつがさささきで私が那月呼ばわりなんだ!? 私をちゃん付けで呼ぶな!」


 スカートをふわりとひるがえすと、那月は乱暴にそう言い残して立ち去っていく。


「くそ……体罰反対……だぜ」


 てんじようを見上げたまま額を押さえ、古城は弱々しくつぶやいた。


6


 さいかい学園は、中高一貫教育の共学校だ。生徒数は合計で千二百人弱といったところ。の性質上、若い世代の人口が多いいとがみ市では、ありふれた規模の学校だといえる。

 しかし慢性的な土地不足は、しょせん人工物である絃神島の宿命で、学園のしきも、広々としているとは言いがたい。体育館やプール、学食などの多くの施設は中等部と高等部の共用で、そのため高等部の敷地内で中等部の生徒の姿を見かける機会も意外に多い。

 一方、高等部の生徒が、中等部を訪れることはまれだった。その必要がないからだ。

 おかげで古城はどことなくなつかしいような、居心地悪いような気分を味わいながら、久々に訪れた中等部の職員室にぼんやりと立っている。

 古城の手の中に握られているのは、昨日ショッピングモールで拾った白い財布だった。

 ひめらぎゆきの落とし物だ。

 なぎに聞いた話が本当なら、あのやり使つかいの少女は、彩海学園の中等部に転入してくることになっているらしい。財布に入っていた学生証も、凪沙の証言を裏付けている。

 となれば、これは警察に届けるよりも、担任教師の手から姫柊雪菜に返してもらうのが手っ取り早い。そう思って、わざわざ中等部までやってきたのだが、


「済まんな、あかつき。今日は笹崎先生は来てないそうだ」


 顔見知りの老教師にそう言われて、古城の計画はいきなりとんする。


「あ、そっすか……」

「なにか届け物か? こちらで預かっておこうか?」

「ええ、まあ……そうなんですけど、今日のところは出直します。ちょっと面倒なしろものなんで」


 古城は老教師に礼を言って、職員室を後にした。夏休み終了まであと二日、ということで、笹崎みさきも残り少ない休暇を満喫中らしい。

 面倒なことになった、と古城は思う。

 できることなら、この財布はさっさと持ち主に突き返してしまいたかったのだ。でなければ、あの短気な中学生にあらぬ誤解を受けて、いきなり槍で突き殺されることにもなりかねない。おうかんには近づくな、という那月の言葉も気にかかる。しかし現金が入った財布の返却を担任でもない教師に任せるのは、さすがに無責任な気がして頼む気になれなかった。

 渡り廊下の柱にもたれて、じようはぼんやりと校庭をながめる。

 真夏の昼間ということもあって、部活中の生徒の姿は多くない。それでもグラウンドには、ちらほらと自主練習中の運動部員たちの姿があった。

 校舎の影の中ではチアリーダーたちがダンスの練習中。テニスコートでは部員同士の練習試合が行われているらしい。ひらひらと揺れる女子部員たちのスコートを見ていると、ついつい昨日のひめらぎゆきのことを思い出してしまう。

 ぞくの男たちをものともせずにたたき伏せた異様なまでのせんとうりよくと、吸血鬼のけんじゆういつしゆんしようめつさせた銀のやり。そしてスカートを押さえて顔をにしていた姿と、パステルカラーのパンツ。なにしろしようげきてきな光景だったので、忘れようと思っても、そうそう忘れられるものではなかった。たいの知れない部分もあるが、実際、れいな子ではあったのだ。

 それにあしも綺麗だったし──となになく考えて、古城は小さく舌打ちする。

 軽いまいおそわれると同時に、激しいのどかわきを覚えたのだ。非常によくないちようこうだった。


「せめて連絡先がわかるものでも入ってればな……」


 思考を切り替えるためにあわてて校庭から目をらし、古城は拾った財布を開いてみる。高級品というわけでもなさそうだが、ていねいに扱われているのがわかる綺麗な財布だった。

 かすかにいいにおいがする。

 財布本体はありふれた布製の既製品で、つまりこの匂いは、持ち主の残りなのだろう。香水のような強い匂いではなく、柔らかく心地いい香りだった。まあ要するに、女の子の匂い、ということなのだろうが──

 無意識にそんなことを思った瞬間、今度こそ、古城の全身を異様な渇きがおそってきた。


「う……」


 まずい、と古城は自分の口元をおおった。

 青ざめた顔でその場にひざを突き、小さく肩をふるわせる。よりによってこんなときに、とくちびるゆがめる。その唇のすきから、鋭くとがったけんがのぞいた。

 はたには、古城が吐き気をこらえているように見えただろう。

 だが、古城はべつに体調をくずしたわけではない。古城を苦しめているのは、単なる生理現象。ただし吸血鬼に特有のまわしくやつかいな症状だった。吸血衝動、だ。

 ──やばいやばいやばいやばい……!


刊行シリーズ

ストライク・ザ・ブラッド APPEND5の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND4の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND3の書影
ストライク・ザ・ブラッド22 暁の凱旋の書影
ストライク・ザ・ブラッド21 十二眷獣と血の従者たちの書影
ストライク・ザ・ブラッド20 再会の吸血姫の書影
ストライク・ザ・ブラッド19 終わらない夜の宴の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND2 彩昂祭の昼と夜の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND1 人形師の遺産の書影
ストライク・ザ・ブラッド18 真説・ヴァルキュリアの王国の書影
ストライク・ザ・ブラッド17 折れた聖槍の書影
ストライク・ザ・ブラッド16 陽炎の聖騎士の書影
ストライク・ザ・ブラッド15 真祖大戦の書影
ストライク・ザ・ブラッド14 黄金の日々の書影
ストライク・ザ・ブラッド13 タルタロスの薔薇の書影
ストライク・ザ・ブラッド12 咎神の騎士の書影
ストライク・ザ・ブラッド11 逃亡の第四真祖の書影
ストライク・ザ・ブラッド10 冥き神王の花嫁の書影
ストライク・ザ・ブラッド9 黒の剣巫の書影
ストライク・ザ・ブラッド8 愚者と暴君の書影
ストライク・ザ・ブラッド7 焔光の夜伯の書影
ストライク・ザ・ブラッド6 錬金術師の帰還の書影
ストライク・ザ・ブラッド5 観測者たちの宴の書影
ストライク・ザ・ブラッド4 蒼き魔女の迷宮の書影
ストライク・ザ・ブラッド3 天使炎上の書影
ストライク・ザ・ブラッド2 戦王の使者の書影
ストライク・ザ・ブラッド1 聖者の右腕の書影