§7.【適性検査】
「実技試験を終了します。合格者アノス・ヴォルディゴードは、大鏡の間へ移動してください」
上空からフクロウの声が響く。
大鏡の間は、闘技場から出てすぐそこだ。魔法障壁が解除されたのを確認すると、俺は元来た出入り口に引き返す。
「ああぁぁぁ……待てぇぇぇ……痛え……痛え……痛え……殺す……殺すぅぅ……」
「ふむ。忘れていた」
振り返り、腐死者と化したゼペスを見る。さすがにこのままでは哀れだろう。
《蘇生》を使い、腐死化を解いてやる。ついでにリオルグも生き返らせておいた。
「まったく殺したら死ぬ、腐死者になれば正気を失うと、世話の焼ける奴らだ」
リオルグとゼペスはなにか言いたげな目で俺を見ていたが、言葉を発することはなかった。あまりの正論にぐうの音も出ないに違いない。
「ではな。強くなったらまた来い。いつでも遊んでやる」
そう言い残し、闘技場を後にする。
「……二度とご免だ……化け物め……」
どちらが口にしたのか、そんな声が背中にかけられた。
フクロウに言われた通り、俺は大鏡の間にやってくる。姿見よりも大きな鏡がいくつも並べられている部屋だ。室内にはすでに多くの魔族たちがいた。ざっと百名ほどか。実技試験の合格者たちだろう。
その中に見知った顔があった。
「ミーシャ」
プラチナブロンドの長い髪をふわりと揺らしながら、少女は振り向く。
「戦うのは苦手と言うわりに、実技試験を突破したようだな」
「たまたま」
ミーシャはそう口にするが、さすがにたまたまで五人抜きはできぬだろう。案外、ゼペスやリオルグよりも実力があるのかもしれない。
「ところで、この後はなにがあるのだ?」
聞いたような気もするが、特に興味がなかったので覚えていない。
「実技試験に合格すれば、入学は決定。残りは魔力測定と適性検査」
「では、ここにいる奴ら全員が同級生になるというわけか」
ざっと視線を巡らす。しかし、様子がおかしい。誰も俺と目を合わせようとしないのだ。視線が合った瞬間、怯えるように目を背ける者までいた。
「ふむ? 人見知りする奴らだな?」
「……違うと思う……」
「だが、目を合わせようともしないぞ」
「アノスの魔法に怯えてる」
「というと?」
「《腐死》」
なるほど。
「それを知っているということは、ミーシャは観客席にいたのか?」
ミーシャは無表情で首を横に振った。
「合格者は試験の様子が見られる」
そう口にして、ミーシャは目の前の大鏡を指さす。
そういうことか、と俺は合点がいった。この部屋の大鏡にはデルゾゲードのあらゆる場所を映す遠見の魔法がかけられている。ミーシャは遠見の大鏡を通して、俺の実技試験の様子を見ていたのだ。
「しかし、《腐死》に怯えるというのは解せぬ。大した魔法ではないと思うが」
ミーシャは無表情でじーっと俺の顔を見つめてくる。
「……ひどいか?」
こくり、とミーシャはうなずく。
「参考までに聞いておくが、どのぐらいひどい?」
ミーシャは表情を変えずにじっと考える。
「……鬼畜外道魔法……」
「くははっ。またまた。なにを言う? 手持ちの魔法の中でも《腐死》は健全な方だぞ」
爽やかな声が出た。
「…………」
ミーシャはまたじっくりと考え、小さな声で言った。
「撤回する」
「そうだろう。そうでなくてはな」
「魔法じゃなくて、アノスが鬼畜外道」
「今のはほんの冗談だ」
即行で訂正した。鬼畜外道の汚名を被るぐらいなら、多少の噓はやむを得まい。そもそも転生したばかりで、この時代の価値観が今ひとつわかっていないのだ。
「よかった」
ミーシャがほっとする。
「しかし、ミーシャは怯えぬな」
「怖いものはない」
それはそれは、意外な台詞だ。
「見かけによらず、度胸があるものだ」
「普通」
そう淡々と喋るミーシャが怖がるところは、確かに想像がつきづらい。ぼんやりしているとも言えるが、物怖じしない性格なのだろう。
そんなことを考えていると、フクロウが飛んできた。
「只今より、魔力測定を行います。魔力水晶の前にお並びください。測定後は隣の部屋に移動し、適性検査を行います」
魔力水晶? 聞き覚えのない魔法具だな。そもそも神話の時代では魔力を測定する方法がなかった。どうやら退化したものばかりではないということか。
「で、その魔力水晶はどこにあるのだ?」
「こっち」
ミーシャが歩き出したので、俺はその後についていった。
他の受験者たちも場所を知っているようで、しばらくして数本の列が形成され始めた。どうやら、魔力水晶はいくつもあり、各箇所で測定が行われているようだ。
その様子を見物してみる。魔力水晶は紫色の巨大なクリスタルで、大鏡とセットになっていた。クリスタルに触れると魔力を検知し、その結果が大鏡に映し出されるようだ。
「一二六」
「二一八」
「九八」
「一四五」と大鏡の前にいるフクロウが数字を口にしている。それが測定した魔力というわけだ。肌感覚でしか知ることのできなかった魔力が数値化ができるとは、便利な時代になったものだ。
魔力測定は数秒で結果が出るようだ。列はみるみるうちに進み、次はミーシャの番だった。
「頑張れ」
「……結果は同じ……」
確かに頑張ったところで魔力が増減するわけでもないか。
「まあ、しかし、頑張ることだ」
ミーシャは無表情で俺をじっと見る。
「ん」
そう返事をして、彼女は魔力水晶に触れた。
数秒後、大鏡に結果が表示される。
「一〇万二四六」
思わず、俺は感心した。これまでは殆ど三桁台の数字が続いていたのに、一○万超えとは。ミーシャは思った以上に魔法の才能に優れているようだな。
「なかなかすごいぞ、ミーシャ」
そう褒めると、少し照れたのか、彼女は俯いた。
「……アノスは、もっとすごい……?」
「ああ」
そう口にして、俺は魔力水晶に触れた。魔力を計るのは初めての経験だが、果たしてどのぐらいの数値になるのか?
ひょっとすると億を超えてしまうかもしれぬな。そうなれば、さすがにこの時代の鈍い連中共も、俺が始祖だということを理解せざるを得ないだろう。
「ゼロ」
フクロウが言うのと同時、バシュンッと音を立てて魔力水晶が粉々に砕け散った。
「計測は終了しました。適性検査にお進みください」
ふむ。魔力水晶が壊れたことを、あまり気にしていないように見えるな。
「そうは言うが、ゼロはありえないと思うぞ」
それでは魔法は使えぬ。考えればわかることだが、フクロウは言った。
「計測は終了しました。適性検査にお進みください」
使えぬ使い魔だな。
「使い魔は命令に従うだけ」
ミーシャがそう言った。
「まあ、そのようだ」
じーっとミーシャが俺の顔を見つめる。
「どうした?」
「……初めて見た……」
「なにがだ?」
「魔力が強すぎて魔力水晶が壊れるところ」
ああ、なるほどな。
魔力水晶の破片に魔眼を働かせ、その構造を解析したところ、どうも触れた者の魔力に反応し水晶を肥大化しているようだ。水晶の体積がどれだけ増えたかを計測して、それを数値に変換しているというわけである。
しかし、一定以上の魔力になると限界を超え、体積を増やすどころか、激しい魔法反応により粉々に砕け散ってしまう。便利なものができたと思ったが、これでは俺の魔力を計るなど到底できまい。
「ゼロではなく、測定不能ということにしておいてくれればいいのだがな」
「無理」
「なぜだ?」
「魔力水晶は壊れない」
「壊れたがな」
一瞬口を閉ざし、ミーシャは淡々と言った。
「アノスは規格外」
「だが、ミーシャにはわかったわけだろ?」
「魔眼は得意。他の人には無理」
魔力が強すぎて魔力水晶が壊れたということが、他の人にはわからぬという意味か。
それに、どうもこの入学試験は、使い魔に任せきりのようだからな。
命令されたことしか実行できぬ使い魔は、そもそも魔力水晶が壊れたときの対処をろくにできない。せいぜい新しいものを用意するぐらいだろう。
俺の魔力がゼロということと、魔力水晶の破壊は無関係だと判断されるわけだ。
「わかる人にはわかる。でも、大体無理」
やれやれ。学院側にまともな人材がいればよかったのだが、まさか入学試験で魔力水晶を破壊するほどの魔力の持ち主が現れるとは想定していなかったのだろう。
しかし、魔王の始祖が転生するという話は語り継がれていただろうに。ミーシャも初めて見たと言っていたし、そもそも、魔力水晶は絶対に壊れないことが前提なのかもしれぬな。
それもこれも、この時代の魔族の魔眼が脆弱だからか。よく深淵を覗けば、一定以上の魔力を超えた場合、魔力水晶が破壊されることがわかったはずだ。
それとも、魔王アノスであっても、そんな規格外の魔力を持っているわけがないと決めつけていたか?
だとすれば、俺も舐められたものだな。
とはいえ、たかだか数字にこだわるのも大人気ないか。俺の魔力が減ったわけでもあるまい。
「まあ、ミーシャがわかってくれたからいいことにするか」
「そう?」
「おう。ありがとな」
無表情で考えた後、ミーシャは言った。
「どういたしまして」
「次はそこの部屋に行けばいいのか?」
ミーシャはこくりとうなずく。
適性検査が行われている部屋に入ると、石像の上にいたフクロウが口を開いた。
「魔法陣の中心に入り、適性検査を受けてください」
床にはいくつもの魔法陣が描かれており、すでに適性検査を受けている生徒たちはその中心に立っていた。
「……じゃ……」
「後ほどな」
ミーシャは空いている魔法陣の中心まで歩いていった。
俺も適当な魔法陣を見つけ、その中心に立ってみる。
すると、頭の中に声が響いてきた。
『適性検査では、暴虐の魔王を基準とした思考適性を計ります。また暴虐の魔王に対する知識の簡単な確認を行います。思念を読み取るため、不正はできません』
ふむ。《思念通信》の応用か。
思念の読み取りでは噓をつけないというのは未熟な使い手の話で、別段不正をするのは難しいわけではない。
もっとも、不正をする理由もないわけだが。
『では最初に、魔王の始祖は名前を呼ぶことさえ恐れ多いとされていますが、その本名をお答えください』
迷うまでもない。アノス・ヴォルディゴードだ。
『神話の時代。始祖はディルヘイドを壊滅させる、《獄炎殲滅砲》の魔法を使いました。これにより、ディルヘイド全域が焦土と化し、多くの魔族の命が失われました。なぜこのような暴挙を行ったのか、このときの始祖の気持ちを答えなさい』
ふむ。懐かしい話だ。
なぜディルヘイドを《獄炎殲滅砲》で焼き尽くしたのかと言えば、寝ぼけていたのである。
あのときは勇者カノンとの長い戦いの最中だった。
寝ても覚めても考えるのは奴のことばかり、いつ何時も気を抜かないように、常に臨戦態勢を維持していた。
おかげで夢でまでカノンと戦う羽目になったのだが、それでついついうっかり魔法が暴発してしまったというわけだ。
しかし、この質問、微妙に間違っているな。確かにディルヘイドは焦土と化したが、魔族は一人も死んではいない。
寝ぼけていたとはいえ、咄嗟に魔法を制御して、誰も殺さぬように絶妙な力加減でうまく国を焼いたのだ。
それぐらいのことができなければ、とても魔王とは言えまい。
『逆らう者は皆殺し。というのが始祖の信条であったと言われていますが、これが魔王として正しい理由を、あなたの考えで述べなさい』
引っかけ問題か。逆らう者は皆殺し、などと言った覚えは一度もない。殺す必要がなければ、殺さないというのが俺のやり方だ。ただあの時代では、殺した方がより多くを助けられた。それだけのことにすぎぬ。
『力はあるが魔王の適性に乏しい娘と、力はないが魔王の適性に長けた息子がいたとする。あるとき二人は神の呪いを受け、死にかける。呪いを解くための聖杯は一つ。どちらを救うべきか。このときの始祖の考えを述べよ』
ふむ。これもいい加減な質問だな。答えは簡単だ。
『では、続いての問題ですが──』
などと、適性検査は続く。
とはいえ、すべて俺に関する質問ばかりだ。当然答えられぬわけがなく、特に迷うことなくスラスラと回答をした。
それから三○分後──
適性検査が終了し、俺はその部屋を後にする。
帰り際になにやら入学について説明していたフクロウの言葉を軽く聞き流して、大鏡の間を抜ける。
すると、外にミーシャが立っていた。なにをするわけでもなく、ぼんやりと虚空を見つめている。
「なにをしているのだ?」
声をかけると、ミーシャは顔をこっちに向けた。
相変わらず無表情だ。
「……待ってた……」
「俺をか?」
こくりとミーシャがうなずく。
「後でって言ったから」
そういえば、言ったか。
「すまぬ。適性検査で今日はもう終わりという話だったな」
「ん」
しかし、わざわざ待っていてもらったというのに、このまま帰すのもな。そんな度量のない真似をするわけにはいくまい。
「なら、合格祝いに、遊んで行かないか?」
ミーシャは無表情のまま、ほんの少し首をかしげる。
「わたしと?」
「そうだ」
「いいの?」
「俺が誘っているのだ」
なにを考えているのか、ミーシャは俯いて黙ったままだ。
「用事があるなら別に構わぬ」
「……行く……」
「そうか。では、とりあえず家に来ないか? たぶん、母さんがご馳走を作って待っているだろうからな」
ミーシャはこくりとうなずく。
「よし。つかまるといい」
手を差し出すと、ミーシャはそこにすっと手を置いた。
「こう?」
「それでは、おいてかれるぞ」
「《飛行》なら使える」
空を飛ぶ魔法のことである。なかなか使い勝手はいいのだが、移動するならもっと適した魔法がある。
「いいから、もっとつかまってみろ」
「わかった」
ミーシャは素直に俺の手をぎゅっと握った。
地面に魔法陣が浮かび上がり、目の前の風景が真っ白に染まる。
次の瞬間、目の前には鍛冶・鑑定屋『太陽の風』の看板が見えた。建物は木造で、二階部分が住居になっている。
「ついたぞ。俺の家だ」
そう口にするが、ミーシャはじーっと目の前の看板を見つめたままだ。
表情に変化はないのだが、なんとなく気配で驚いているというのがわかる。
「……魔法……?」
「《転移》だ。簡単に言えば、空間と空間をつなげて二点間を一瞬で移動する魔法だな」
一瞬、ミーシャは口を閉ざす。
それから、呟くように言葉を漏らした。
「……失われた魔法……」
ふむ。聞き覚えがないな。
「なんだ、それは?」
「使い手がいなくなった魔法のこと。主に神話の時代に失われた」
なるほど。二千年の間にずいぶんと魔法術式は退化しているようだし、存在は知られているものの、使い手がいなくなった魔法もあるのだろう。
特に《転移》は俺が開発した魔法で、元々神話の時代でも使い手は少なかった。
「……アノスは天才……?」
くはは、と思わず笑ってしまう。
「……本気……」
「いや、すまぬ。これぐらいで天才と言われるのがこそばゆくてな」
天才だというのを否定するわけではないが、どうせなら、誰にも真似できぬ魔法を見せたときに言われたいものだ。
「アノスは何者……?」
「魔王の始祖だ」
ずっと無表情だったミーシャが目を丸くして驚いた。
「……転生した……?」
「信じるか?」
ミーシャはじっと考え、訊いた。
「……証拠は、ある……?」
やはり、そこが気になるだろうな。
「俺が証拠だ。この俺の魔力がな。もっとも、この時代の連中は魔眼が弱すぎて、俺の力の深淵を覗くことさえできぬようだが」
分析する、研究する、真理に迫る。言い方は様々あれど、それら全てを内包し、一番広く使われるのが深淵を覗くという言葉だ。魔法の深淵を覗くことは、その真理を理解し、また体現できるようになることを指す。力の深淵を覗くことは、すなわち、相手の真価を知るということである。
「…………」
ミーシャは困ったように黙り込んでいた。
本来、魔王というのは力で証明するものなのだ。しかし、純血だの、皇族だのと表面的なことばかりを気にするこの時代では、少々俺の考えとは違うのかもしれぬな。
「アノスの魔力は膨大。わたしにも底が見えない」
ミーシャに見えぬなら、殆どの連中にはわからないだろう。
これ以上、困らせても仕方あるまい。
「まあ、そのうちわかる。行くか」
「……ん……」
俺は家のドアを開けた。