§9.【魔王の友達】
夕食の準備ができたということで、俺とミーシャはリビングへ移動した。
食卓には俺の大好物であるキノコグラタンを始めとして、豪華な料理が並べられていた。
「さあ、召し上がれ」
母さんがそう言って、大皿に入ったグラタンを、小皿に取り分けてくれる。
く、この芳しい匂い、たまらぬ。今にも涎が溢れそうだ。
「ミーシャちゃんも、沢山食べてね」
「……ん……」
自慢するわけではないが、母さんの料理は正直美味い。こればかりは神話の時代に食べたどんな料理も敵わないだろう。
平和な世の中は、魔法を退化させはしたものの、代わりに料理を進化させたというのが、ここ一ヶ月母さんの手料理を食べ続けた俺の結論である。
「いただこう」
俺はスプーンでグラタンをすくう。
「これは……?」
なんだと……!? このグラタン、キノコが三種類も入っている。
エリンギ、マッシュルーム、ポルチーニダケ。
いつもは一種類だけなのに!
「お母さん、奮発しちゃったわ」
俺の心中を見透かしたように、母さんが微笑む。
「ほらほら、召し上がれ」
俺はうなずき、グラタンを口に含んだ。
「う……!」
美味い……。
蕩けるようなクリーミーな味わいが舌に広がり、塩辛さの中にほんのりと甘味がある。それでいて、ぎゅっと凝縮された濃厚な旨味が、ガツンと胃に入ってくる。キノコの食感もシャッキシャキで、このままいくらでもかみ続けていたい。
ああ、転生してよかった。本当によかった。
「ふふー、アノスちゃんはすぐに大きくなっちゃったけど、食べてるときの顔はまだまだ子供だよねー」
母さんがそんなことを言う。転生したのだから、子供なわけはないのだが、と思いつつも、俺は夢中になってグラタンに食らいついていた。
「ところで、お母さん、ちょっと訊きたいんだけどね……」
そう前置きをして、母さんは真剣な表情を浮かべた。
「ミーシャちゃんは、アノスちゃんのどこが好きなのかなぁ?」
「がはっ、がはっ……」
迂闊。思いっきりむせた。
「あ、アノスちゃん、大丈夫っ?」
「お、おう……」
ふむ。俺としたことが、グラタンを気管に入れてしまうとはな。
というか、グラタンの美味しさに夢中になるあまり、母さんたちに本当のことを話すのをすっかり忘れていたぞ。
魔王と呼ばれた俺に冷静さを失わせるとは、母さんのグラタンは、なんという恐ろしい魔力なのだ。
この時代で俺に対抗できるのは、あるいは母さんなのかもしれぬな。
「それで、どこなのかなぁ……?」
ミーシャは無表情でじっと考える。
「……優しいところ……」
淡々と言葉が発せられた瞬間、母さんはぐっと拳を握った。
「そうっ、そうなのよっ! アノスちゃんって本っ当に優しいのっ! だってね、だってね、アノスちゃんは本当は一人でディルヘイドに来ようとしてたんだけど、お母さんが寂しいっていうのを知って、一緒に連れてきてくれたのよ!!」
ふむ。なるほどな。これが親バカというものか。
体験するのは初めてのことだが、なかなかに気恥ずかしいものだな。
「……親孝行」
「そうでしょそうでしょっ。ミーシャちゃんって、わかってるわ。さすがアノスちゃんが選んだだけのことはあるわね」
よし。今だ。軽く訂正しておこう。
「あのな、母さん」
「あ。アノスちゃん、キノコのグラタンおかわりいる?」
「なにっ? まだあるのか。もらおう」
母さんがよそってくれたグラタンに、俺は夢中になって食らいつく。
「それでそれで、アノスちゃんとミーシャちゃんの馴れ初めって、どうなの?」
「……馴れ初め……?」
「どんな風に出会ったの? どっちから声をかけた?」
「……声をかけてきたのは、アノス……」
「もーっ、さすがアノスちゃんっ。女の子に自分から声をかけるなんて、この女たらしーっ!」
母さんがひゅーひゅー、と口笛を吹いてくる。
いったい、なんだというのだ。
「それで? アノスちゃんはなんて声をかけてきたの?」
俺の言葉を思い出しているのか、ミーシャは視線を上にやって考える。
「……お互い苦労するな……?」
「きゃあぁぁぁぁぁ、格っ好いい~っ!! アノスちゃん、もうなにそれぇぇっ? そんなこと言われたら、そんなこと言われたら、女の子は一発で落ちちゃうんだよぉーっ」
なにが格好いいのかまったくわからぬが、親バカと化している母さんになにを言っても無駄だろうから、もう少し様子を見よう。
なにせ、まだグラタンも残っている。熱いうちに食べなければ。
「それで? ミーシャちゃんはなんて答えたの?」
「……ん、って……」
「もぉぉぉぉぉぉっ、以心伝心っ! 最初から相性ばっちり! 運命の恋ねぇ……」
母さんはうっとりとした表情で自分の世界に入ったまま、まるで出てくる気配がない。
「じゃあ、じゃあ、あのね……その、二人は、もう……キスした?」
ふむ。この質問をきっかけにして、本当のことを説明できそうだな。さすがにキスをしていなくては恋人同士というのさえ疑わしい。
「してない……」
「ええぇぇぇぇぇぇ、結婚までとっておくなんて、ロマンチックゥゥっ!!」
……おのれ、そう来たか。
「でも、どうしようかしら? アノスちゃんはまだ一ヶ月なのよ。結婚できる年になるまで、まだまだ時間がかかりそうだわ」
「……一ヶ月……?」
「そうなのよ、びっくりするでしょ? アノスちゃんってすっごく賢くて、生まれたときから喋れたのよ。それに魔法も使えて、《成長》でこんなに大きくなっちゃったの」
ミーシャがじっと俺の方を見てくる。
いくら魔族と言えども、一ヶ月で魔法を使えるようになるというのは、そうそうあることではない。
つまり、俺が転生したという裏づけになる。だからといって、それで魔王だと信じられるわけではないだろう。魔王は赤子に転生するとは思われていないようだしな。
「……え? あれ? もしかして、ミーシャちゃん、年の差を気にするタイプ……?」
母さんはまったく見当違いのことを考えている。
「気にしない」
「そう、そうよねぇ……年下の旦那様も、いいものよねぇ。アノスちゃんって、こんなに可愛いしっ」
ミーシャがまた俺の方を向く。
「……可愛い……?」
「そんな目で見るな」
そのやりとりに、母さんは両拳を上下に振った。
「きゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。ねえ、あなた、聞いた、今の、聞いたっ!? 『可愛い?』『そんな目で見るな』ですってっ! やだもうっ、なに、熟年夫婦? 熟年夫婦なのぉぉぉっ!?」
興奮する母さん。父さんは酒を飲みながら、感慨深そうに一人うんうんとうなずき、遠くを眺めている。
とりあえず、そのうち落ちつくだろうと思っていたが、母さんは終始テンション高めで、まくしたてるように喋ってくるので、ミーシャのことを訂正する隙はまったくない。
あれよあれよという間に夕食は終わり、そのまま賑やかに喋り続けていると、すっかり遅くなってしまった。
途中までミーシャを送るということで、俺たちは外に出た。
「手、出しな」
ミーシャは素直に俺の手をつかんだ。
「《転移》で家まで送ってやる」
「……知らないのに……?」
「家の場所を思い浮かべてくれ。思念を読み取って送る」
「できる?」
「当然だ」
ミーシャがじっと俺を見る。
「すごい」
ミーシャが思い浮かべた家の場所が、つないだ手を通して俺の頭に伝わってくる。
「今日は悪かったな」
ふるふるとミーシャが首を振る。
「楽しかった」
「なら、いいが。父さんと母さんが落ちついてから、朋友だと訂正しておこう」
「……朋友……?」
「ああ、この時代だと友達か」
すると、ミーシャは自分を指さした。
「……友達……?」
「違ったか。ではなんと言うのだ、こういう関係のことを?」
ミーシャは首を横に振り、それから、にっこりと笑った。
「嬉しい」
「そうか」
「……ん……」
《転移》を使うため、手に魔力を込める。
「また学校でな」
「さよなら」
ミーシャの体が消えていき、彼女は転移した。