第三章 魔道書は静かに微笑む "Forget_me_not." ③

「戦って、何になるんですか?」逆に、神裂の方が戸惑っているようだった。「たとえ私を倒した所で、背後にはひかえています。私はロンドンで一〇本の指に入る魔術師と言いましたが、それでも上はいるんですよ。……教会全体から見れば私など、こんな極東の島国に出張させられるような下っ端にすぎません」


 それはそうだろう。

 彼女達が本当にインデックスの仲間だったというなら、彼女を道具のように扱う教会のやり方に反発したはずだ。そこで反発できなかったという事は、それだけ力の差を示している。


「うるっ……せえっつってんだろ!!」


 それでも、そんなの、関係ない。

 ガチガチと。今にも死にそうな体を無理矢理に動かして、目の前のかんざきにらみつける。

 何の力もないただの眼光に、ロンドンで十指に入る魔術師は一歩後ろへ下がっていた。


「んなモン関係ねえ! テメェは力があるから、仕方なく人を守ってんのかよ!?」


 かみじようはボロボロの足を一歩、前へ。


「違うだろ、そうじゃねえだろ! き違えんじゃねえぞ! 守りたいモノがあるから、力を手に入れんだろうが!」


 ボロボロの左手で、神裂のえりくびを摑んで、


「テメェは、何のために力をつけた?」


 ボロボロの右手で、血まみれのこぶしを握り、


「テメェは、その手でだれを守りたかった!?」


 力も何も出ない拳を、神裂の顔面へとたたき込んだ。威力も何もなく、むしろ殴った上条の拳の方がトマトのように血を噴き出した。

 それでも、神裂は投げ出されるように後ろへ倒れ込んだ。

 手を離れたしちてんしちとうが、くるくると回転して地面に落ちた。


「だったら、テメェはこんな所で何やってんだよ!」崩れた神裂を、見下ろすように、「それだけの力があって、これだけ万能の力を持ってるのに……何でそんなに無能なんだよ……」


 ぐらり、と地面が揺れる。

 そう思った瞬間、上条の体は電池が切れたように地面に崩れ落ちた。


(起き、ろ……反撃が、くる……)


 視界が、くらやみに染まる。

 上条は出血多量で視力も回復しない体を無理矢理に動かして、神裂の反撃に備えようとした。なのに、体は指先一本を、イモ虫のように動かすのが精一杯だった。

 しかし、反撃はこない。

 こない。


    2


 上条は、のどかわきと体の熱で目が覚めた。


「とうま?」


 もえ先生のアパートか、と気づいた辺りで、上条はようやくインデックスがのぞき込んでいる事、そして自分がとんに寝かされている事を知った。

 驚く事に、窓の外から明るい日差しがし込んでいた。確かにあの夜、上条は神裂に敗北して敵の目の前で意識を失った。それがどう転がったのか、気がつけばこんな所で目を覚ましている自分がいる。

 はっきり言って、あまりにも釈然としないため、素直に生きてる事を喜ぶ事もできない。

 もえ先生の姿はない。どこかへ出かけているようだった。

 ただ、インデックスの側にあるちゃぶ台の上におかゆが置いてあった。インデックスには悪いが、人んのベランダに引っかかってまず最初にご飯をねだるような女の子には自炊なんてできっこないと思うので、おそらく小萌先生が作り置きしてくれたんだろう。


「ったく、まるで……病人みてえだな」かみじようは体を動かそうとして、「痛てて、何だこりゃ。が昇ってるって事は、一晩明けたんだろ。今何時なんだよ?」


 一晩じゃないよ、と答えるインデックスはどこか鼻をぐずらせているようにも見える。


「?」と、上条がまゆを片方動かすと、インデックスはポツリと言った。


「三日」

「みっか……って、え? 三日!? 何でそんなに眠ってたんだおれ!?」

「知らないよ、そんなの!!」


 突然インデックスが思いっきり叫んだ。

 まるで八つ当たりみたいな声に上条が思わず息を詰まらせると、


「知らない。知らない、知らない! 私ホントに何も知らなかった! とうまの家の前にいた、あの炎の魔術師をくのに夢中で、とうまがほかの魔術師と戦ってる事なんかこれっぽっちも考えてなかった!」


 その言葉の刃は、上条に向けられているものではない。

 自分自身を切り刻むような声色に、上条はますます威圧されて声が出せなくなる。


「とうま、道路の真ん中に倒れてたってこもえが言ってた。ボロボロになったとうまを担いでアパートまで連れてきたのもこもえだった。そのころ、私は一人で喜んでた。とうまが死にそうだっていうのも知らないで、あの鹿な魔術師を上手うまく撒いたって一人で喜んでた!」


 インデックスの言葉が、ピタリと止まる。

 ゆっくりと、決定的な一言を告げるために空けた、息を吸い込むわずかな時間。


「……、私は、とうまを助けられなかった」


 インデックスの小さな肩は震えていた。その下唇をみ締めたまま、動きが止まっていた。

 それでも、インデックスは、自分のための涙は見せない。

 わずかな感傷や同情すらも許さないという、徹底した心のり方。自分自身にさえ涙を見せないと誓っている人間に、慰めの言葉なんてかけられるはずがないと上条は思う。

 だから、代わりに考える。

 三日。

 襲撃しようと思えばいくらでもできたはずだ。いや、そもそも三日前、上条が倒れた時点でインデックスは『回収』されていてもおかしくなかった。

 じゃあ、何で? かみじようは心の中で首をひねる。相手の意図が全く読めない。

 ……いや、それ以前に『三日』という言葉にはもっと深い意味があったような気がする。ざわざわと背筋に虫がい回るような感覚を覚えた上条は、そこまで考えてようやく思い出した。

 制限時間リミツト


「? とうま、どうかした?」


 が、ギョッとした上条をインデックスは不思議そうに見ただけだった。上条の事を覚えているという事は、まだ魔術師達は記憶の『消去』をしていないらしい。それでいて、この様子だとインデックスにはまだ自覚症状は現れていないようだった。

 上条はホッとすると同時に、貴重な最後の三日間を無駄遣いした事に自分で自分を殺したくなった。だが、その事は胸の内にとどめておく事にする。インデックスには知られたくない。


「……、ちっくしょ。体が動かねえな。何だこりゃ、包帯でもぐるぐる巻いてあんのか」

「痛くない?」

「痛いって、あのな。そんなに痛かったらのた打ち回ってるっつの。何だよこの全身包帯、お前ちょっとおおすぎんじゃねえの?」

「……、」


 インデックスは何も言わなかった。

 それから、ついに耐えられなくなったという感じで、じわりと涙があふれてくる。

 何かを叫ばれるよりも、それはよっぽど上条の中心に突き刺さった。そしてようやく知った、だという事に。

 もえ先生はもう回復魔法を使えない。前にインデックスが言ってた気がする。RPGよろしくMP消費で傷を治してくれれば手っ取り早いが、世の中そんなに優しくできていないらしい。

 上条は、右手を見る。

 包帯でグルグル巻きになって、壊れに壊れた右手。


「そういや、時間割りカリキユラム受けた超能力者は魔法は使えねーんだっけか。ったくメンドくせえ」

「……、うん。『普通の人』と『超能力者』はから使えないけど」少女は不安そうに、「一応、包帯それでも傷は治るみたいだけど……科学そつちって不便。やっぱり魔術こつちの方が早いかも」

「確かにそれもあるけどな。────けどま、魔術なんて使わなくっても大丈夫だろ」

「……、」インデックスは上条の言葉にムスッと口をとがらせて、「とうま、この期に及んでまだ魔術を信じてないんだね。かたおもいちゃんみたいにかたくななんだよ」


 そういう意味じゃねーよ、と上条はまくらに頭を押し付けるように首を横に振った。


「……できる事なら、お前が魔術語ってる時の顔ってあんま見たくねーからな」

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