第三章 魔道書は静かに微笑む "Forget_me_not." ④

 上条は学生寮の通路で、ルーン魔術について『説明』していたインデックスの顔を思い出す。

 まるであおざめた満月のように冷たく、まるで時を刻む時計の歯車のように静かなひとみ

 バスガイドよりも丁寧で、それでいて銀行のATMより人間味に欠けた言葉。

 魔道書図書館、禁書目録インデツクスという一個の存在。

 それが目の前の少女と同一だったとは、今でも信じる事ができない。

 というより、信じたくなかった。


「? とうまって、説明嫌いな人?」

「は……? ってか、お前覚えてないのかよ? ステイルの前でルーンについてカクカク人形みてーにしゃべってたろ? お兄ちゃん正直アレは引きましたっつってんだけど」

「……えっと、────そっか。私……また、めてたんだ」

「覚醒めた?」


 それはまるで、あの操り人形みたいな姿の方が本物の彼女だと言っているようだった。

 今ここにいる、優しい少女は偽りの姿だと言わんばかりに。


「うん。けど、覚醒めてた時の事はあんまり突っ込まないで欲しいかも」


 何でだよ? とかみじようは聞く事はできなかった。

 聞くより先にインデックスが口を開いてしまったからだ。


「意識がない時の声って、寝言みたいで恥ずかしいからね」


 それに、とインデックスは唇を動かして、


「────何だかどんどん冷たい機械になっていくみたいで、こわいんだよ」


 インデックスは笑っていた。

 本当に今にも崩れ落ちそうに、それでいて決して人に心配はかけないように。

 それは断じて機械なんかに作る事のできない表情だった。

 人間にしか作る事のできない、笑みだった。


「……ごめん」


 かみじようは、自然と謝った。一瞬でも、彼女を人間離れしていると思った自分が恥ずかしかった。


「いいんだよ、鹿」良いのか悪いのか良く分からない事を言ってインデックスは小さく笑った。「なんか食べる? おかゆと果物とお菓子の病人食フルコースがあるんだよ?」

「いや食べるってこの手でどうやって食えって────」


 と、言いかけて、上条はインデックスの右手がおハシをグーで握っている事に気づいた。


「……、あの、インデックスさん?」

「うん? 今さら気にしなくても良いんだよ? こうして食べさせてあげなきゃ三日の間に飢え死にしちゃってるんだから」

「……いや、いい。とりあえず深く考える時間をください神様」

「何で? 食欲ない?」インデックスはおハシを置いて、「じゃあ体、いとく?」

「………………………………………………………………………………………………、あの?」


 言いようのない感覚にかみじようは全身がむずがゆくなってきた。

 あれ、何だろう? このたとえようのない悪い予感はなんだろう? そう、例えばこの三日間の様子を映したビデオを見せられたら恥ずかしさのあまり迷わず爆死しかねないほど凶悪な不安は一体……?


「……とりあえず、悪意ゼロだと思うがそこに座りやがれインデックス」

「?」インデックスはちょっと黙って、「もう座ってるけど?」

「……、」


 タオルを握っているインデックスは善意一〇〇%なんだろうが、『無邪気』という言葉がくっつくと何だか妙な気分になってしまうダメな上条だった。


「どうかした?」

「あー……、」何も言えなくなった上条はとっさにごまかそうと、「こうしてとんの中からお前の顔見上げてるとさー」

「変かな? 私はシスターさんなので看病ぐらいできるんだよ」


 変じゃないと思う。真っ白い修道服とお母さんみたいな仕草は、(彼女には悪いが)何だか本物のシスターみたいに見える。

 そして、それ以上に。


 涙を流したせいでほほを桜色に上気させ、涙目でこっちを見る彼女が、何だかとても……。

 が、何だかそれを口に出すのは(ホントにか)メチャクチャにしやくなので、


「いや別に。鼻毛も銀髪なんだなーと」

「…………………………………………………………………………………………………………」


 インデックスの笑顔がそのまんまフリーズドライした。


「とうま、とうま。私の右手には何があると思う?」

「何がって、おかゆ……ってオイ! 待て、重力落下は


 直後、不幸にもかみじようとうの視界はお粥と皿で真っ白に埋め尽くされた。


    3


 布団やパジャマについたお粥はなかなか取れない事を身をもって教えられた上条と、ちょい涙目でドロドロのご飯粒と格闘しているインデックスはノックの音でドアの方を見た。


「こもえ、かな?」

「……つーかテメェ一言ぐらいゴメンなさい言いやがれ」


 ちなみにお粥は冷めていて火傷やけどはしなかったものの、『熱いのがくる!』と踏んでいた上条は炭水化物が激突した瞬間に一度、思わず気を失っていた。

 あれー、うちの前で何やってるんですー? という声がドアの向こうから聞こえてきた。今までどっか出かけていたもえ先生が、ドアをノックした人間を見つけたらしい。

 じゃあだれなんだろう? と上条が首をかしげていると、


「上条ちゃーん、何だか知らないけどお客さんみたいですー」


 がちゃん、とドアが開く。

 ビクン、と上条の肩が震えた。

 小萌先生の後ろに、見慣れた魔術師が二人、立っていた。

 二人はインデックスが普通に座っているのを見て、ほんの少しあんしたようだった。

 上条は不審そうにまゆをひそめた。順当に行けばインデックスの回収───だが、それなら三日前、上条を倒した時でも良かったはずだ。いくら『治療』を行う日時が決まっているからって、野放しにする理由はどこにもない。だったら時間までどこかに監禁しておけば良いんだから。


(……じゃあ、何しに来たんだ?)


 ゾッ、と。二人の魔術師の炎と刀の威力を思い出して、上条の筋肉が自然とこわってくる。

 しかし、一方で上条はステイルやかんざきと戦うだけの理由を見失っていた。彼らは『悪い魔術結社の戦闘員A』ではなく、『インデックスを保護しに来た教会の仲間』なのだ。上条だってインデックスの身が心配だ。結局、彼らに協力して彼女を教会に引き渡す以外に手はないのだ。

 だけど、それはかみじようの一方的な理由にすぎない。

 彼ら魔術師にしてみれば、上条に協力する必要もない。ぶっちゃけた話が、上条の首をこの場で切断してインデックスを連れ帰った所で何の問題もないのだ。

 自然と体が強張る上条の顔を、ステイルは楽しそうに見ながら、


「ふうん。その体じゃ、簡単に逃げ出す事もできないみたいだね」


 と言われて、上条は初めて『敵』の意図を知った。

 。これまでだって教会を相手にたった一人で一年近く逃げ回っていたのだから。たとえ無理矢理捕まえて、どこかへ閉じ込めたって簡単に抜け出されてしまうかもしれないのだ、

 制限時間リミツトまであと何日もない状態で、一年近く教会から行方をくらます事ができた彼女に、再び本格的な『逃走』をされたら取り返しのつかない事態になるかもしれない。どこかに監禁しても脱出されるかもしれないし、『儀式』の途中で逃げられるかもしれない。

 ところが、上条という『にん』を背負う事になれば話は違う。

 だから魔術師は上条を殺さなかった。そして、インデックスの側へと帰した。彼女が上条の事をあきらめないように、都合の良いあしかせをはめるために。

 インデックスを、より安全でより確実に『保護』するためだけに、彼らは悪に徹したのだ。


「帰って、魔術師」


 そして、インデックスはそんな上条のために魔術師の前に立ちふさがった。

 立ち上がり、両手を広げ、まるで罪を背負う十字架のように。

 まさしく魔術師の意図した通りに。

 上条という足枷をはめられたインデックスは、逃げる事をめていた。


「……ッ」


 ビクン、と。ステイルとかんざき、二人の体が小さく震えた。

 

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