第三章 魔道書は静かに微笑む "Forget_me_not."⑤

 インデックスは一体どんな顔をしてるんだ、と上条は思う。ちょうど彼女は上条に背を向けているため、上条からは表情が見えない。

 だが、あれだけの魔術師達がその場で凍り付いていた。直接、感情を向けられていないはずのもえ先生までが、感情の余波を浴びて目をらしている。

 一体、どんな気持ちなんだろう、と上条は思う。

 自分が、人を殺してまで守ろうとしたモノに、そんな目で見られる事は。


「……ッ、や、めろ。インデックス、そいつらは、敵じゃ……ッ」

「帰って!!」


 インデックスは聞いていない。


「おね、がいだから……。私ならどこへでも行くから、私なら何でもするから、もう何でも良いから、本当に、本当にお願いだから……、」


 ボロボロと。り上げた殺気の奥に少女みたいな泣き声を混ぜて、


「お願いだから、もうとうまを傷つけないで」


 それは。

 それは、唯一無二の『仲間』だった魔術師にとって、一体どれだけのダメージだったのか。

 二人の魔術師は一瞬、本当に一瞬、何かをあきらめたような、ものすごくつらそうな笑みを浮かべ、

 ガチン、と。スイッチが入ったようにひとみが凍った。

 インデックスという同じ仲間に対する視線ではなく、魔術師という凍える視線に。

 残酷な幸福であいを与えるよりも、少しでも不幸わかれを軽減しようという、信念。

 彼女の事を本当に大切だと思っているからこそ、『仲間』を捨てて敵になるという、おもい。

 そんなものは、壊せない。

 真実を伝える度胸がないなら、この最悪の成り行きシナリオを黙って見ている事しかできない。



 ステイルは、『魔術師』の口調でそう告げた。

 インデックスには、きっとリミットの意味は分からなかったはずだ。


「『その時』まで逃げ出さないかどうか、ちょっと『あしかせ』の効果を見てみたかったのさ。予想以上だったけどね。そのオモチャを取り上げられたくなかったら、もう逃亡の可能性は捨てた方が良い。いいね?」


 演技に決まっていた。本当はインデックスが無事な事を、涙ぐんで喜びたいのだ。頭をでておでことおでこをくっつけて熱を測って、そんな事をしたいぐらいの大切な『仲間』なのに。

 ステイルがインデックスの事を散々に言っていたのも、つまりそれだけ『演技』をかんぺきにしたいという心にほかならないはずだ。本当は両手を広げてインデックスの盾になりたいぐらいなのに、一体どれほどの精神力があればそんな行動に移せるのか、かみじようには理解ができない。

 インデックスは、何も答えない。

 二人の魔術師もまた、それ以上は何も───一言すら告げずに部屋を出て行った。


(どうして……、)


 ……こんな事になっちまってるんだ、と上条は奥歯をみ締める。


「大丈夫、だよ?」


 ようやく、インデックスは広げた両手を下ろしてゆっくりと上条の方を振り返った。

 上条は思わず目を閉じた。見てられなかった。

 涙とあんでボロボロになったインデックスの顔なんて、見てられなかった。


「私が、『取り引き』すれば」くらやみの中、声が聞こえる。「とうまの日常は、これ以上壊させない。これ以上は、絶対に踏み込ませないから、へいき」

「……、」


 かみじようは、答えられなかった。ただ目を閉じた暗闇の中で、思う。

 ……おれは、思い出コイツを手放す事なんてできるのか?


    4


 夜になった。

 とんの横にはインデックスが突っ伏したように眠っている。が落ちる前から眠りに就いていたため、部屋に電気もいていなかった。

 もえ先生は銭湯に向かっているらしく、部屋には二人しかいない。

 らしい、というのは本調子でない上条も眠ってしまい、気がつけば夜になっていたせいだ。小萌先生の部屋には時計がないため、今が何時か分からない。制限時間リミツト、という言葉を思い出すと空寒くなる状況である。

 この三日間、よっぽど緊張していたのか、インデックスは一気に疲れに襲われたように眠りこけていた。口を半開きにして眠るその姿が、何だか母親の看病に疲れた子供みたいだった。

 インデックスはもはや最初の目的である『イギリス教会に辿たどり着けばゴール』という考えを捨てているみたいだった。ボロボロの上条を無理矢理に立たせて教会まで足を運ぶ事に抵抗を持っているのかもしれない。

 時々寝言で自分の名前を呼ばれるたびに、くすぐったい気持ちになった。

 安心した子猫みたいに無防備な寝顔を見せるインデックスに、上条は複雑な気持ちになる。

 彼女がどれだけの決意を見せても、結局は教会の思惑通りなのだ。インデックスが無事教会に辿り着いても、途中で魔術師に捕まっても、結局何を選んでどう転がった所でに運ばれて記憶を消される事に変わりはないのだから。

 と、不意に電話が鳴った。

 小萌先生の部屋にある電話は、もはや骨董品アンテイークと呼べるダイヤル式の黒電話だ。ジリリリリンと目覚まし時計みたいな音を立てる黒電話を、上条はのろのろと見た。

 常識的に考えるなら電話に出るべきだが、小萌先生の電話を勝手に取っても良いんだろうかと上条は思う。思うが、結局、受話器をつかんだ。電話に出たいのではなく、このやかましい音でインデックスを起こしてしまうのは可哀かわいそうだと思ったからだ。


『私です─────と言って、伝わりますか?』


 受話器の向こうから聞こえてきたのは、折り目正しい女の敬語だった。どこか内緒話でもするように、声を殺している感じが受話器を通しても感じ取れる。


かんざき……、なんだっけ?」

『いえ、お互い名は記憶しない方が身のためでしょう。あの子は……禁書目録インデツクスはいますか?』

「そこで寝てるけど……、ってか、お前そもそも何で電話番号知ってんだ?」

『そもそも住所を知っていたのと同じです、調べただけですよ』神裂の声には余裕がない。『あの子が起きていないなら丁度良い、そのまま話を聞いてください』

「?」かみじようが不審そうにまゆをひそめていると、


『───前にも触れましたが、あの子のリミットは今夜午前零時です。必然的に、私達はその時刻に合わせてすべてを終わらせるよう予定スケジユールを組み上げています』


 上条の心臓が凍りついた。

 分かっていた。それ以外にインデックスを助ける方法がないのは分かっていた。けれど、目の前に『終わりそれ』を突きつけられると、途端に上条は切羽詰まった気持ちになる。


「け、ど……」上条は、浅い息を吐きながら、「そんなもん、何でわざわざおれに教える? やめろよ、そんな事言われちまったら死んでも抵抗したくなっちまうじゃねーか」

『……、』


 受話器は、黙っていた。

 決して無音なのではなく、押し殺した呼吸音の混じる、人間じみた無言だった。


『……。それなら、別れの時間は必要ありませんか?』

「な……ッ」

『正直に言います。私達が初めてあの子の記憶を消そうとした時は、三日前から「思い出作り」に夢中になりました。最後の夜はあの子に抱き着いてざまに泣きじゃくりました。あなたにもその権利を譲る資格ぐらいはある、と私は思っているのですが』

「な、め───やがって」上条は思わず受話器を握りつぶすかと思った。「そりゃ裏を返せばあきらめろっつってんだろ? っつってるだけじゃねえか!!」

『……、』

「いいか、分っかんねーようなら一つだけ教えてやる。俺はまだ諦めちゃいねえ。いや、何があっても諦める事なんかできるか! 一〇〇回失敗したら一〇〇回起き上がる、一〇〇〇回失敗したら一〇〇〇回い上がる! たったそれだけの事を、テメェらにできなかった事を果たしてみせる!!」

『これはでもでもなく、ただのでありです。あなたの意思がどうであれ、刻限と共に我々はあの子を回収します。それを止めるようでしたら、あなた自身を砕くまで』

刊行シリーズ

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