第三章 魔道書は静かに微笑む "Forget_me_not."⑥

 魔術師の声は銀行の受付のように滑らかだった。


『あなたは、私の中に残っている人間らしい「優しさ」を頼りに交渉しようと思っているのかもしれませんが……、私は厳命します』かんざきの声は、夜気に触れた抜き身の日本刀のように冷たい。『我々が到着する前に、あの子に別れを告げてその場を離れなさい。あなたの役割はあしかせです、用を無くした鎖は、断ち切られるのが宿命さだめですから』


 魔術師の言葉は、ただ単純な敵意やあざけりだけではない。

 まるで、無駄な努力をするたびに傷を増やしていく人間を止めようという響きがある。


「ふ、……ざけんなよ」


 それが妙にかんに障って、かみじようは受話器に向かってみ付くように続けた。


「どいつもこいつも自分テメエの無能を他人に押し付けやがって。大体テメェらは魔術師なんだろ、不可能を可能にするから魔法使いなんて呼ばれてんだろ! それなのに何だよこのザマは。ホントに魔術じゃ何にもできねえのか! 一つ残らず全部まとめて試し尽くしたってインデックスの前で胸を張って正々堂々言えんのかよ!」

『……。。胸を張る事はできませんが、あの子の前で虚言を吐く事も不可能です』神裂は、己の奥歯を嚙み砕くような声で、『できるようならば、とっくにやっています。こんな残酷なさいつうちようだれだって使いたくないに決まっているじゃないですか』

「……、何だよ、それ」

『状況が分からなければ、あきらめる事さえできませんね。最後の時間をこんな無駄な事に使うのもどうかと思いますが、』魔術師はすらすらと聖書でも読み上げるように、『あの子の「完全記憶能力」はあなたのような超能力でもなければ私のような魔術でもなく、ただの体質です。視力が悪いとか花粉症とか、そういうものと同じです。

「……、」

『我々は魔術師です。「魔術」によって作られた環境では、「魔術」によって解決デイスペルされる恐れがありますから』

「魔術の専門家が作り上げた対オカルト用の防御システムだってか。うざってえ、インデックスの一〇万三〇〇〇冊使えばどうとでもなるだろ! アイツを押さえりゃだなんてうたってる割に女の子の頭一つ治せねえなんてみみっちい事あるかよ!」

『魔神、の事ですね。教会は、禁書目録インデツクスの「反乱」を最も恐れています。だから一年周期で記憶を消さなければ死んでしまうという、教会の技術と術式メンテナンスという名の「首輪」をつけた。その教会が、みすみすあの子自身に首輪を外させるような可能性チヤンスを残すと思いますか?』神裂は静かな声で、『……おそらく、一〇万三〇〇〇冊にはかたよりがあります。例えば、あの子の記憶操作に関する魔道書は覚えさせない、とか。そういう防御線セキユリテイを張っていると思われますね』


 くそったれが、と上条は口の中で毒づいた。


「……確かインデックスの頭の八割は『一〇万三〇〇〇冊の知識』に食われちまってんだよな」

『はい。正確には八五%だそうですが。魔術師わたしたちではあの一〇万三〇〇〇冊の破壊は不可能です。魔道書の原典オリジン異端審問官インクジシヨナーでも処分できませんから。従って、残る十五%……あの子の「思い出」をえぐる事でしか、魔術師わたしたちはあの子の頭の空き容量を増やす事はできなかった』

「───なら、科学側おれたちなら?」

『……、』


 電話の向こうが黙り込んだ。

 ありえるか? とかみじようは考えてみる。魔術師が『魔術』という自分のフィールドで四方八方手を尽くして、それでもダメだったとしたら。それでもあきらめられなければ、『魔術』とは違う、新しいフィールドに手を伸ばそうとするのは自然な流れ……だと、思う。

 例えば、それは『科学』とか。

 だとすれば、その橋渡しをする人間がいた方が良いに決まってる。見知らぬ国を歩いて様々な人と交渉する場合、現地で通訳の人間を雇うように。


『……、そう、思っていた時期もあったんですけどね』


 ところが、かんざきの言葉は意外なものだった。


『正直、私はどうして良いのか分からない状態です。自分が絶対と信じていた魔術セカイではたった一人の少女を救う事もできない。ならばもうワラをもつかむ気持ちになるしかないのは分かりますが……』

「……、」


 その先の台詞せりふは、何となく予想がついた。


『────正直、だからと言って大切なあの子を科学あなたに渡すのも気が引けます』


 予想がついたのに、実際に耳にするとそれは一気に脳みそまで突き刺さった。


魔術師わたしたちにできなかった事が科学側あなたがたにできるはずがない、という自負があるんでしょうね。得体の知れない薬にあの子の身体からだを浸して体の中をメスで切り刻んで……そんな雑な方法ではあの子の寿命を無駄に削るだけに決まっている。

「な、めやがって。試した事もねえくせに良く言うぜ。そんなら一個質問だ。テメェ、記憶を殺すなんて簡単に言ってるけどよ、そもそも記憶喪失ってのが何なのか分かってんのかよ?」


 答えはない。

 やっぱり脳医学こつちにはうといか、と上条は床に散らばる時間割りカリキユラムの教科書を足で引き寄せた。脳医学、例外心理学、反応薬学などをミックスした記録術かいはつのレシピだ。


「お前、良くそれで完全記憶能力だの記憶を奪うだのって語ってられたよな。一言で記憶喪失っつっても色々あるのに」ページをめくりながら、「老化……ってかボケもそうだし、アルコールで酔っ払って記憶がなくなるのもそうだ。アルツハイマーっていう脳の病気もそう、TIA……脳の血液が止まると記憶は飛ぶ。またハロセン、イソフルラン、フェンタニールなどの全身麻酔とか、バルビツール酸誘導体やベンゾジアゼピン類なんかの薬の副作用で記憶を失う事もあるんだぜ」

『??? べんぞ……何ですか?』


 かんざきは珍しく弱々しい声を出したが、かみじようはいちいち丁寧に説明する義理はないと無視した。


「簡単に言えば、、って訳だよ。、一〇万三〇〇〇冊をえぐり取る方法が、って意味だ鹿


 神裂の吐息が、ギクリと凍る。

 だが、これは『記憶を取り除く』という事より『脳細胞を傷つける』ようなものだ。ほうしようの老人は記憶をなくしていくが、その分記憶力が上がっていく訳ではないのと同じである。

 しかし、上条はえてその事を告げなかった。ハッタリでも何でも良い、まずはとにかく魔術師による強引な『記憶消去』という処置を止めなければならない。


「それに、ここは学園都市だぜ? 読心能力サイコメトリーやら洗脳能力マリオネツテやらなんつー『心を操る能力者』なんてのもたくさんいるし、そういう研究をやってる機関もゴロゴロある。望みを捨てるにゃまだまだ早いんだよ。常盤ときわだいには触れただけで人の記憶を抜き取るもいるみたいだし」


 本心の頼みの綱は、むしろこちらの方だった。

 受話器の向こうは、何も言わない。

 上条は、そんな『迷い』らしきものを見せ始めた神裂をたたつぶすようにさらに言葉を放つ。


「で、どうする魔術師? テメェはこれでもまだ人の邪魔をするのか? 挑戦する事をあきらめて、とりあえずで人の命をてんびんにかけちまおうってのか?」

『……、敵を説得する言葉にしては、安すぎますね』神裂は、わずかにちようの色を見せて、『逆に言えば、私達にはあの子の命を助けてきた信頼と実績があります。何の実績も持たないあなたの「け」は信用できません。それは無謀の一言に変換する事はできませんか?』


 上条は、しばらく黙り込んだ。

刊行シリーズ

とある魔術の禁書目録 外典書庫(4)の書影
とある魔術の禁書目録 外典書庫(3)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(11)の書影
とある暗部の少女共棲(3)の書影
とある魔術の禁書目録外伝 エース御坂美琴 対 クイーン食蜂操祈!!の書影
創約 とある魔術の禁書目録(10)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(9)の書影
とある暗部の少女共棲(2)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(8)の書影
とある暗部の少女共棲の書影
創約 とある魔術の禁書目録(7)の書影
とある科学の超電磁砲の書影
創約 とある魔術の禁書目録(6)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(5)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(4)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(3)の書影
とある魔術の禁書目録 外典書庫(2)の書影
創約 とある魔術の禁書目録(2)の書影
とある魔術の禁書目録 外典書庫(1)の書影
創約 とある魔術の禁書目録の書影
新約 とある魔術の禁書目録(22) リバースの書影
新約 とある魔術の禁書目録(22)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(21)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(20)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(19)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(18)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(17)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(16)の書影
とある魔術の禁書目録×電脳戦機バーチャロン とある魔術の電脳戦機の書影
新約 とある魔術の禁書目録(15)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(14)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(13)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(12)の書影
とある魔術のヘヴィーな座敷童が簡単な殺人妃の婚活事情の書影
新約 とある魔術の禁書目録(11)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(10)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(9)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(8)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(7)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(6)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(5)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(4)の書影
新約 とある魔術の禁書目録(3)の書影
とある魔術の禁書目録SPの書影
新約 とある魔術の禁書目録(2)の書影
新約 とある魔術の禁書目録の書影
DVD付き限定版 アニメ『とある魔術の禁書目録』ノ全テ featuring アニメ『とある科学の超電磁砲』の書影
とある魔術の禁書目録(22)の書影
とある魔術の禁書目録(21)の書影
とある魔術の禁書目録(20)の書影
とある魔術の禁書目録(19)の書影
とある魔術の禁書目録(18)の書影
とある魔術の禁書目録(17)の書影
とある魔術の禁書目録SS(2)の書影
とある魔術の禁書目録(16)の書影
とある魔術の禁書目録(15)の書影
とある魔術の禁書目録(14)の書影
とある魔術の禁書目録ノ全テの書影
とある魔術の禁書目録SSの書影
とある魔術の禁書目録(13)の書影
とある魔術の禁書目録(12)の書影
とある魔術の禁書目録(11)の書影
とある魔術の禁書目録(10)の書影
とある魔術の禁書目録(9)の書影
とある魔術の禁書目録(8)の書影
とある魔術の禁書目録(7)の書影
とある魔術の禁書目録(6)の書影
とある魔術の禁書目録(5)の書影
とある魔術の禁書目録(4)の書影
とある魔術の禁書目録(3)の書影
とある魔術の禁書目録(2)の書影
とある魔術の禁書目録の書影