第三章 夜闇の冥府のほとりにおけるご立派な君の
レーナがスピアヘッド戦隊のハンドラーに着任して、半月が経った。
その日の出撃も戦死者はいなくて、レーナはくつろいだ気分ですっかり日課となったプロセッサー達との
この半月、出撃回数は他隊よりずっと多いにも関わらず、スピアヘッド戦隊のプロセッサーに戦死者は出ていない。ベテラン揃いの精鋭部隊、というのは本当なのだろう。
「戦隊各位。今日もお疲れさまでした」
まず聞こえるごく微かな、遠い雑踏のような雑音。プロセッサー達が応じてくれれば、その声にもかき消されてしまう程度の、おそらくは格納庫の騒音か他の戦区の夜戦の音。
『お疲れさまです、ハンドラー・ワン』
最初に応じてくれるのはいつもアンダーテイカーだ。結局〝死神〟などという異名の片鱗さえも感じられたことのない、常に沈着で静穏な声。
他にも何人かの気配が同調先にあって、そのうちの数名が続けて挨拶をくれる。
言葉遣いはよくないけれど隊の良き兄貴分といった、戦隊副長ヴェアヴォルフ。
他愛ない話にも一番応じてくれる、律儀で実直なキルシュブリューテ。
剽軽なムードメーカーのブラックドッグ。
やわらかな声音をした、たおやかなスノウウィッチ。
少女じみた優しい声の割に言うことは結構辛辣なラフィングフォックス。
アンダーテイカーは最初の印象通り寡黙な性質のようで事務連絡以外ではあまり話さないが、どうやら毎晩同調に応じてくれる全員が彼の周りにいるらしい。同調していない隊員も同じ場所に何人かいるようで、慕われているのだろう。
「アンダーテイカー。まずは先日、要求の出ていた補充物資の納入日についてなのですが……」
ハンドラーとシンの事務的なやりとりを聞きながら、ライデンは拾ってきたクロスワードパズル誌に暇な夜の時間を潰す。
ぼろいバラックの隊舎の、シンの部屋。周りでは同じくこの部屋をたまり場にしている数人がそれぞれ好き勝手に過ごしている。セオがスケッチに没頭し、ハルトとカイエとクレナはカードゲームに興じていて、無闇に凝った模様のレースを編むアンジュと壊れたラジオの修理に勤しむダイヤ。食堂と別の部屋でもそこをたまり場にしている連中がいて、馬鹿騒ぎの声が遠くする。
戦隊長であるシンは報告書作成を含め幾らかの書類仕事があって、執務室を兼ねて隊舎の中では一番広い個室を使っている。そこにライデンが隊のあれこれの相談にいき、二人にちょっかいをかけに仲間達が顔をのぞかせて、そのうちたまり場の一つにされてしまった形だ。
部屋の主であるシン本人は読書のスペースが確保できれば他のことはどうでもいいらしく、猫を構っていようがチェスの果てにぎゃーぎゃー口喧嘩が勃発しようが目の前で腹踊りをしていようが(以前本当にクジョーとダイヤがやってみた)全く無頓着だ。今もハンドラーとの会話は片手間に、定位置である部屋の隅の古びたパイプベッドで枕をクッション代わりに寄りかかって、どこぞの図書館から持ち出した古い小説を黙々と読み進めている。胸元にはこれも毎晩の定位置の、ちんまり寝そべる白靴下の黒い仔猫。
まったく平和なもんだ、と、マグカップのコーヒーに口をつけた。代々レシピが受け継がれてきた、スピアヘッド戦隊伝統の
……ババアに飲ませてやったら、何て言うかな。
厳格で堅物で贅沢なんか一切しなくて、ただ唯一コーヒーには目がなかったあの老婆。
八五区内の生産プラントでも、嗜好品類の再現性は収容所や基地の合成食料と大差ない。
まるで泥水ねと毎朝嘆いていたあの老婆は今もまだ、不味い合成品を嘆いているのだろうか。
俺達のことをまだ、哀しんでくれているのだろうか。
鈴を振るようなハンドラーの声をまるで遮るように、仔猫が甲高い声でみゃー、と鳴く。
会話の合間にみゃー、と高い声が聞こえて、レーナは瞬く。
「猫……ですか?」
『あ、隊舎で飼ってんすよ』
応じたのはブラックドッグだ。
『ちなみに拾ったのは俺っす。ここに配属されたばっかの頃に、戦車砲喰らって吹っ飛んだ家の前でみーみー鳴いてて。親とか兄弟はぺっちゃんこだったんすけどこいつだけ無事で』
『で、何故かアンダーテイカーに一番懐いちゃったんだよね』
『全然じゃらしてもあげないし媚び媚びすりすりされてもおざなりに撫でてるだけなのにねえ』
『懐いてるっつうか、いいベッドだと思ってんじゃねえのか。今だってそうだろありゃ』
『ああ。読書中は動かないからな。ではブラックドッグには絶対馴れないな、うるさいから』
『ひでえ! てか理不尽だ! 改善を要求するぞー! ブーブー!』
じゃれあうプロセッサー達に、レーナはくすりと笑う。こうしていると、本当にごく普通の同年代の少年少女達だ。この場にいないのが不思議なくらいに。
「名前はなんというのですか?」
微笑ましく問うと、同調している全員が答えた。ほとんど同時に。
『クロ』
『シロ』
『ニケ』
『チビ』
『キティ』
『レマルク』
『……だからその今読んでるのの著者名で呼ぶのいくらなんでも適当すぎるからやめてよっていうか、何読んでるんだよほんっと趣味悪いなあ……』
最後のラフィングフォックスだけ名前じゃなかった。
ともあれレーナは混乱する。
「ええと……。たくさんいるんですか……?」
『話聞いてたの。一匹だよ』
いよいよ混乱する。見かねたブラックドッグが助け船を出してくれた。
『足の先っちょだけ白い黒猫なんすよ。だから呼び名も黒で白で二毛。そんで特に決まった名前とか付けてなくて、みんなそん時の気分で好きなよーにてきとーに呼ぶもんだから、最近そっち見て声かけりゃとりあえず寄ってくるようになってて』
なるほど。
「……でも、どうしてそんなことを?」
『……あー。……そりゃあ、』
少し言い淀んで、答えようとして。
不意にブラックドッグが同調を切った。
突然クレナが椅子を蹴飛ばすように立ち上がって出て行って、近くにいたからダイヤが追った。椅子が倒れるけたたましい音がした。
『……? あの、どうかしましたか?』
ダイヤの同調は切れていて、クレナは元々同調していない。とりあえずシンは適当に繕う。
「ああ。ネズミが出ただけです」
『ねずみっ!?』
「……適当すぎでしょ」
ぼそっと呟いたセオの声はハンドラーには届かなかったらしい。
ネズミが出るのですか……と、よっぽど苦手なのかこわごわと聞いてくる声に生返事を返しながら、シンはクレナの出て行った立てつけの悪い扉を見やって目を眇める。
廊下の端でダイヤが追いついて、クレナは己の内圧を下げるように短く強く息を吐く。
なんでみんな、あんなのと。
声を聞くだけで吐き気がする。むかむかして、居ても立ってもいられない。これまではこの夜のひとときはみんなと一緒に過ごせる折角の、居心地のいい大切な時間だったのに。
「クレナ、」
「なんでみんな、あんな女と」
「今だけだって。そのうちお姫さんの方から、繫いでなんかこなくなるさ」
常の剽軽さが噓のような醒めた目で、ダイヤは肩をすくめる。これまでと同じだ。ハンドラーは誰も彼も、一度だってあの〝死神〟に耐えられない。
シンの異名の本当の由来を、あの少女はまだ知らない。たまたまそういう敵が傍にいなかっただけで、そんな幸運は長くは続かない。
普通の
そのつもりで名付けたはずのそれは、今では〈白羊〉より遥かに多い。
更に厄介な〈羊飼い〉さえも、また。
きりっとクレナは歯を軋らせる。わかってる。わかっているけれど。
「シン、あんなのとっとと壊しちゃえばいいのに」
ささくれ立った気分のまま、刺々しい声が出た。
「白ブタなんかに気つかってやることないのに。同調率だって最低に設定してやって」
「それが普通だからだろ。シンだって別に、好きで壊してるわけじゃねえだろし」
喧騒に支配される戦場で正しく意志疎通を図るために、
静かにダイヤが問う。非難ではなく、ただ気遣わしげに。
「ていうかね。おまえそれシンに言える? 気に喰わないからおまえのそれで壊してくれって、あいつに言える?」
「……」
クレナは唇を嚙んだ。ダイヤは正しい。失言だった。
シンは、隊のみんなは仲間で、家族だ。家族にそんな酷いことは絶対に言えない。
シンにはあれが日常だ。
それなのに。
「ごめん。……でも、やっぱり許せない。あいつらはパパとママを殺した。ゴミみたいに射的の的にした」
強制収容のための護送の夜だった。どこに当たるか、どこまでやれば死ぬかを賭けの対象にして、
七つ年上だった姉は収容後すぐに戦場に連れていかれて、今では十五のクレナより一つ下だ。
あの時クズどもを追い払って、血まみれになりながら両親の手当てをして、結局救えずにクレナと姉に詫びたのも、
「白ブタはみんなクズよ。……絶対に許さない」
しばらくして二人は戻ってきて、その時にはネズミの話から前線特有の景色やエピソードの話に二転三転し、最終的に昔カイエが見た流星雨の話題になっていた。
視線を向けたライデンにダイヤは肩を一つすくめてラジオの修理に戻り、クレナはシンの傍らで床に座って仔猫を取り上げて構い始めた。本当は多分、仔猫を構いたいわけではなくて。
果たして、クレナ、と座り直してスペースを開けたシンが呼んでやると、案の定仔猫を抱えて従った。自分では気のないつもりの顔をして、随分距離をあけてベッドの端にちょこんと。
『──本当に? キルシュブリューテ。本当にそんなにたくさんの星が?』
「数えきれないくらいだったよ。二年くらい前だったかな、見ている端から幾つもの星がぼろぼろ空を墜ちていくんだ。空一面、光が流れて──それは見物だったよ」
キルシュブリューテ──カイエは、クレナが抜けた場にカードを配りながら頷く。
その流星雨ならライデンも見た。ただし敵も味方も壊滅した戦場のど真ん中、隣にいたのはシン一人で、おまけに揃って〈ジャガーノート〉がエナジー切れで、はぐれてしまっていたファイドが探し出してくれるまで身動きが取れなかったという色気もなければ笑えない状況でだ。
光を持ち込む人間がいないから、戦場の夜は暗い。深黒の闇、とはああいうのを言うのだろう。地上は一面闇に染まる中、天球を青白い焰の色の光があとからあとから流れて埋め尽くし、押しつぶされそうなほど荘厳なくせに一切の音もないその光景は、世界が砕けた破片が燃え尽きながら零れるような、この世の終わりの夜のような、そんな凄絶な美しさだった。
最後に見るのがこれなら悪くねぇかもな、とか、しかもシン相手に口走ったのは一生の汚点だ。鼻で笑いやがってあの馬鹿。
「あんなものはもう、二度と見られないだろうな……。流星群自体は毎年見られるものらしいけど、流星雨となると何十年かおきで、しかもあそこまでの数となると百年に一度もないらしい。……ああ、これは前にいた
『それは、残念ですね……。私も見てみたかったのですけれど』
「
『一晩中、街の明かりが消えないので。こちらでは星なんていつも見えないんです』
「ああ」
カイエは微かに笑う。懐かしく。
「そういえば、そうだったかもしれないな……。こちらは夜は本当に真っ暗なんだ。人が少ないし場所も離れているし、寝る頃には灯火管制がかかる。だから、こちらは普段も星がきれいだ。満天の星とはこういうことだろうな。それは間違いなく、ここでの暮らしの良いところだ」
『……』
言い切ったカイエに、ハンドラーは沈黙した。予想だにしない答えだったのだろう。この世の地獄にいるはずのプロセッサーの口から、良かった、とは。
神妙な声音が問うてきた。
意を決して聞いてみた、という声だった。罵倒も糾弾も、受け止める責任が自分にはあるというような。
『キルシュブリューテ。……わたし達を、恨んでいますか?』
カイエはしばし言い淀んだ。
「……それは、もちろん差別されるのは辛いし、悔しい。収容所での暮らしは辛かったし、戦うのはいつまでも怖いよ。だからそれを私達に押しつけて、エイティシックスは人間じゃなくて家畜だから構わないとか言うような奴らのことは、やっぱり好きにはなれないな」
何か言いかけた──おそらく謝罪か自責を──ハンドラーを遮るようにしてカイエは続ける。言わせるつもりは流石になかった。
「けど、
『え……』
カイエはふと、ほろ苦く口の端を歪めた。
「私は
自分だけではない。アンジュもそうだし、……何も語らないけれどおそらくシンもだ。迫害者の血を引く
エイティシックスとて無垢な被害者ばかりというわけではない。
世界はいつも、より数が少なくて、弱い者に冷たい。
「ともかく、同じように
『そうだったのですか……では、その方々にわたしは感謝しないといけませんね』
カイエは少し、身を乗り出した。同調下でも、向き合って話しているような仕草はつい出る。
「私からも聞きたいな。どうしてそんなに、私達のことを気にするんだ?」
ふと、焰のイメージが脳裏に忍び込んでシンは目を上げた。
火事にも火あぶりにも覚えはないから、これはハンドラーの記憶か。
『昔、貴方がたと同じプロセッサーの方に、助けていただいたことがありまして……』
レーナは思い出す。
『おれ達はこの国で生まれてこの国で育った、共和国市民だ』
『今は誰もそれを認めようとしないけれど、だからこそ、そのことをおれ達は証明しないといけない。国を護って戦うのは市民の義務で誇りだ。だからおれ達は戦うんだ』
助けてくれた、あの人の。その言葉に応えたいと思って、わたしは。
『自分は共和国の市民だと、証明するために戦うのだと仰っていました。その言葉に、わたし達は応えねばならないと考えます。戦えと求めておきながら見届けようとせず、あなた達を知ろうともしないのは、それに反する振舞です。……赦されることではありません』
それは酷く綺麗な言葉で、ライデンはわずかに目を眇める。
カイエは小首を傾げて聞いていて、聞き終えてからも考えながら、口を開いた。
「ハンドラー・ワン。貴女は処女だな」
──ぶっ!?
ハンドラーがお茶か何かを噴くのが聞こえた。同調している全員が吹きだした。
同調していないクレナとハルトがきょとんとするのにアンジュが説明して、二人も笑い出す。
ハンドラーの少女はけほこほ咳き込んでいる。
カイエはそれらの反応に目をしばたたかせてから青くなる。
「……あっ! すまない間違えた! 処女みたいだな、だ!」
普通そこは間違わない。あとどっちでも大差ない。
ダイヤとハルトは笑い死にしそうな勢いで机や壁をばんばん叩き(うるせえ! と向こうの方からキノの怒鳴り声がした)、珍しいことにシンまでくつくつと肩を震わせて笑っている。
カイエはひたすら慌てている。
「ええっと、つまりだな。世界はお花畑だと思っている女の子みたいというか、傷のついてない完璧な理想を抱いているというか、その、ともかく私が言いたかったのは」
ハンドラーは明らかに真っ赤になって硬直している。
「……貴女は、悪い人じゃない。だから、忠告するのだけれど」
なんとか気を落ち着けてカイエは言う。
「貴女はその役目に向いていない。まして私達になど関わってはいけない。私達はそんな殊勝な理由で戦ってなどいないし、だから貴女が私達に関わる必要もない。……誰かと代わった方がいい。後悔する前に」
悪い人じゃない、とカイエは言った。
良い人だ、とは言わなかった。
それが何故なのか、この時のレーナには、思い至ることができなかった。
†
「ハンドラー・ワンより戦隊各位。レーダーに敵影を捕捉」
その日もスピアヘッド戦隊は全機が出撃で、管制室のスクリーンを見据えてレーナは言う。
「敵主力は
『把握しています、ハンドラー・ワン。ポイント四七八にて迎撃準備』
「あ……了解です、アンダーテイカー」
敵の配置と対処する作戦を伝えようとして、中途で遮られてまごつきつつ追認する。
ベテラン揃いのスピアヘッド戦隊はレーナの指揮などあまり必要としなくて、このところのレーナの主な仕事は彼らが十全にその戦闘能力を発揮できるよう支援することだ。敵情を分析したり必要な補給を優先的に受けられるよう調整したり、資料庫に日参して担当戦域の詳細情報を漁ったり。
最近は戦区後方の迎撃砲の使用許可を求めて陳情を繰り返す日々だ。射程の長い迎撃砲を使えれば、
『アンダーテイカー。ガンスリンガー、配置についたよ』
『ラフィングフォックスよりアンダーテイカー。第三小隊も同じく』
着々と各小隊の配置が完了していく。〈レギオン〉の進路が見えているかのような、完璧なまでの伏撃の布陣。
スピアヘッド戦隊のプロセッサー達は、〈レギオン〉の襲撃や進行方向をほとんど予知しているかのように動く。何か、彼らしか知らない予兆や判断基準があるのかもしれない。
これが終わったら聞いてみよう、とレーナは思う。もし他の戦隊でも応用できれば、急襲で死ぬプロセッサーが減らせるかもしれない。貴重な情報が個々の現場での利用で完結して、集約されて蓄積も周知もされないのもこの歪な戦闘システムの大きな欠点だ。
それはともかく、昨晩ようやく見つけたばかりの第一戦区の戦域地図を見ながら言う。
「アンダーテイカー。ガンスリンガーの配置を、ガンスリンガーから三時方向距離五〇〇の位置に移してください。そこからだと隠れますが、高台があります。稜線射撃になりますし、射界がより広くとれるはずです」
一瞬間が空いて、アンダーテイカーが応じる。
『確認します。……ガンスリンガー、その位置からは見えるか?』
『待って、十秒ちょうだい。……うん、確かにある。移動するよ』
「主攻である第一小隊とはほぼ逆方向の位置取りになります。アンダーテイカーの基本戦術である攪乱からの各個撃破に際し、戦闘序盤の本隊位置の欺瞞にも繫がるかと」
ヴェアヴォルフが嗤う。
『要するに囮ってわけか。お姫様みたいな声して、大したもんだ』
「……
『勘違いすんな。……悪くねえ案だ、そうだろ、ガンスリンガー』
『みんなの援けになるなら何だってするよ』
はきと答えた少女の声が、うって変わってそっけなくレーナに向けられる。
『新しい地図でも見つけたの? 便利だね』
レーナは苦笑した。このガンスリンガーという少女からは好かれていないようで、日常の同調はしてくれないし、たまに会話をするとあからさまにつっけんどんな態度を取られる。
レーナの手元にある地図はかつて国軍が年月と労力をかけて作成した詳細極まるものだが、戦時下の現在、肝心の防衛拠点である前線基地には置かれていないのだという。代わりに使っているのは以前のスピアヘッド戦隊員が廃墟の何処かから引っぺがしてきた地図で、それに代々書き足しをして運用しているのだとか。そのため迎撃しやすい地点や選ばれやすい進撃ルートはある程度詳しいが、それ以外の地勢については現場の彼らも知らないことが多い。
「後で転送しましょうか?」
戦闘中に送るにはデータ容量が大きすぎるが、終わって落ち着いた時間ならいいだろう。
揶揄の口調でヴェアヴォルフが言う。
『いいのかよ。
「かまいません。活用しないで、何のための情報ですか」
言い切ると、ヴェアヴォルフは虚を突かれたように黙った。へえ、と軽い感嘆を帯びた吐息。
そもそもレーナが段ボール箱の山から発掘するまで所在も不明という未管理の資料なのだ。コピーはもちろん紛失や盗難にあっても把握できないこんな有様で、機密も何もない。
九年前の戦争序盤で正規軍将兵は後方要員に至るまで戦闘に駆り出されて壊滅してしまったため、資料も業務も正しく引き継ぎされておらず、そのまま所在不明となっている資料は多い。
それを問題と捉えて然るべき、まっとうな職業軍人の誇りも、また。
「それから、あなた達はエイティシックスなどではありません。少なくともわたしはそんな風に呼んだ覚えは、」
『へいへい。……っと。来るぞ』
一気に緊迫が同調の向こうに満ちる。幾人かがどこか愉しそうですらあるのは古参兵の戦慣れか、戦闘に際し大量に放出されているだろうアドレナリンの影響か。
腹底に轟く砲声が、同調を通じて耳に響く。
戦闘はめまぐるしく、〈レギオン〉の赤いブリップを着々と削りながら推移する。
スピアヘッド戦隊は戦域内の原生林を経由して第一小隊を迂回させ、火力は高いが機動力・防御力ともに低い
傍目にはまるで手慣れた作業であるかのような、けれど実際にはそんなはずもない戦闘。今も撃たれた砲弾をきわどいタイミングで避けて〈ジャガーノート〉の一機──〈キルシュブリューテ〉が木々の向こうに飛び込み、そのまま
レーナはぞっとなる。
慌てて確認した、進行方向。戦域地図上は明記された、けれどおそらくキルシュブリューテは知らない、見た目には何かで埋もれてしまっているそれ──。
「そっちは駄目です、キルシュブリューテ!」
『え?』
制止は、遅きに失し。
〈キルシュブリューテ〉を示すブリップが、レーダースクリーン上で不自然に止まった。
「っ……。なんだ、湿原……!?」
突然がくりとつんのめっって止まった自機の中、くらつく頭を振ってカイエは呻く。スクリーンの映像では自機の両前脚が半ばまで地面に埋まってしまっていて、それは暗い原生林の中、小さな草地に見えていた湿原だ。接地圧の高い〈ジャガーノート〉が苦手とする軟弱地盤。
後ずされば抜ける。判断し、両の操縦桿を握り直して──
『キルシュブリューテ、そこから離れろ!』
シンの警告に顔を上げた。視線に追従して〈キルシュブリューテ〉の光学センサが上を向き。
目の前に、
「……あ」
戦車砲弾の
「いやだ」
泣き出す寸前の子供のような、力ない声だった。
「死にたくない」
唸りを上げて振るわれた、五〇トンもの重量を高速駆動させる巨大な脚が横殴りに〈キルシュブリューテ〉を払い飛ばす。
接合部が弱くて、一定以上の衝撃を受けるとそのまま中身ごと吹き飛んでしまう、プロセッサー達がギロチンと呼んで嫌うクラムシェル型のキャノピが、異名そのままに吹き飛んだ。
刎ね飛ばされたまるい何かが、てん、と落ち、緑陰の向こうに転げて消えた。
絶句したのは一瞬、怒号と悲憤が通信網を錯綜する。
『キルシュブリューテ!? ─────くそっ!』
『アンダーテイカー、回収に行くわ、一分ちょうだい! あのまま放ってなんかおけない!』
応じるシンの声はひたすらに静かだった。氷に鎖される冬の夜の深い湖水。そのように。
「駄目だ、スノウウィッチ。……友釣りだ。待ち伏せがいる」
カイエを屠った
息をつめたアンジュが、激情に任せ計器盤を叩く鈍い音。せめてもと〈スノウウィッチ〉が撃ち込んだ五七ミリ榴弾が〈キルシュブリューテ〉とその周辺を爆炎に包み込む。
「キルシュブリューテは戦死。
『了解』
応答は悲憤を帯びつつもそれに支配されない冷静さで、仲間が目の前で吹き飛ばされる光景も突然シグナルロストに変わる友軍機のブリップも、〝号持ち〟の彼らはうんざりするほど見慣れている。悲しむのは戦闘が終わってから、それができなければ同じ死体になるだけと嫌というほど心得た理性が、感情は切り捨てて必要な冷徹を保たせている。戦場という狂気に適応しきった、人間というより戦闘機械に近いモノと成り果ててしまった意識がなせるそれ。
わずかに一息、ほんの刹那だけ足を止めていた四つ足の蜘蛛の群が、がしゃがしゃと不気味な足音で再び緑陰の暗闇を這いずり始める。
冥府の手前の薄闇の中、死んだ仲間の道連れに誰彼かまわず縊り殺して引きずり込もうと蠢く、彷徨う亡者の白骨のように。
それから程なく〈レギオン〉部隊は全滅した。撤退したのではなく文字通り全滅させられた。
それは残ったプロセッサー達の意志のように感じられて、レーナは胸が痛む。
一昨日、つい一昨日の流星雨の話と誇り高い言葉が蘇って、どっと後悔が押し寄せた。
もし、もっと早くこの地図を見つけていたら。
もし、警告が間に合っていたら。
「状況終了。──戦隊各位、お疲れ様でした」
『……』
応じる声はない。みな、それぞれに悲しんでいるのだろう。
「キルシュブリューテのことは……残念でした。わたしがもっと、しっかりしていれば……」
瞬間。
そら恐ろしい沈黙が、同調の向こうに満ちた気がした。
『……残念?』
ラフィングフォックスが問い返す。爆発寸前の何かを無理矢理押さえ込んで、静かなくせにどこか軋むような声だった。
『何が残念? あんたにしてみればエイティシックスの一匹二匹、どう死のうが家に帰ったらすっかり忘れて夕食楽しめる程度の話だろ? しおらしい声作って、空々しいんだよ』
何を言われたのか、一瞬本当にわからなかった。
咄嗟に言葉の出ないレーナを何と思ったか、あのさあ、とため息交じりにラフィングフォックスは続ける。今度は敵意を隠しもしない、あからさまな険の混じる声音で。
『そりゃあこっちだって暇だったからさ、あんたが自分だけは差別とかしません豚扱いしません高潔で善良で正義なんですって勘違いの聖女気分楽しみたいのに、そういうどうでもいい時ならつきあってもやるよ。けどさ、空気読んでよ。こっちはたった今仲間が死んだんだ。そういう時まであんたの偽善につきあってなんかいられないって、それくらいわかれよ』
「ぎ──」
偽善?
『それとも何? 仲間が死んでも、何とも思ってないとか思ってる? ──ああそうかもね、あんたにとって所詮エイティシックスはエイティシックス、あんたみたいな高尚な人間さまとは違う人間以下の豚だものね!』
「ち……」
思いもよらない言葉を浴びせられて、頭の中が真っ白になった。
「違います! わたしはそんな……!」
『違う? 何が違うんだよ。僕達を戦場に放り出して兵器扱いして戦わせて、自分だけ壁の中でぬくぬく高みの見物決め込んで、それを平気な顔で享受してる今のあんたのその状態が、
「っ……」
同調を介して伝わる、プロセッサー達の感情は。
何人かは無関心で、その他の者はラフィングフォックスを含め、程度の差はあれど冷たい目を向けてきているようなそれだった。敵意や、軽蔑、あるいは諦念。そういう、冷たい。
『エイティシックスって呼んだことはない? 呼んだことがないだけだろ! 何が国を守るのは市民の誇りで、何がそれに応えなきゃならないだよ。僕達が望んで戦ってるとでも思ってるのか? あんた達が、閉じ込めて! 戦えって強制して! この九年何百万人も死なせてるんだろ!? それを止めもしないで、ただ毎日優しく話しかけてやればそれで人間扱いしてやれてるだなんてよく思えるな! そもそもあんた、』
そうして、ラフィングフォックスは一片の容赦もなくそれを抉りだして突きつけた。
人間として、接していると思っていた。それだけはしているつもりだった、レーナの決定的な
『僕達の名前さえ、一回だって訊いたことがないじゃないか!』
息が、詰まった。
「あ…………」
思い返し、茫然となった。その通りだった。知らない。聞かなかった。誰の名前も、必ず最初に応えてくれるアンダーテイカーも、一番話に応じてくれたキルシュブリューテの名前さえ。勿論自分の名だって名乗っていない。ハンドラー・ワン。彼らの管理者で監視者という役職名だけで、平然と通して。
合意の上ならともかく、そうでないなら同じ人間を相手に、許されることではない非礼だ。
そんなことを、平気で。自覚一つなく行っていた。
家畜は家畜なりの扱いをするべきなの。
そう、平然と言い放った母親と、これまでの自分の振舞に。言葉に出していなかったという以外に、一体何の違いが──。
がくがくと、総身が震えた。ぼろぼろ涙が零れて、言葉なんか何も出ないくせにみっともない嗚咽が漏れそうになるのを両手で口元を押さえて堪えた。自覚していないだけだった、誰かを踏みつけて見下して、それを当然として恥じいりもしない自分自身の醜さが恐ろしかった。
ヴェアヴォルフが、──違う、今までそう呼んでいた、名前も顔さえも知らない
『セオ』
『ライデン! こんな白ブタ、庇ってやること──!』
『セーオ』
『っ……わかったよ』
舌打ちが一つ。ぶつん、とラフィングフォックスの気配自体が同調から消える。
内心の感情をそれで吐き出してしまおうとするような嘆息を長く吐いて、ヴェアヴォルフがこちらに意識を向ける。
『ハンドラー・ワン。同調切ってくれ』
「……ヴェアヴォルフ、あの、」
『戦闘は終わった。もう管制してる義務もねえだろ。……ラフィングフォックスは言いすぎだが、だからって俺達もあんたと仲良くおしゃべりしたい気分でもねえんだ』
声音は冷たいが糾弾の響きのないその口調は、レーナにはむしろ、より酷薄に感じられた。
非礼を咎めない。責めもしないのは、諦めているから。何を言ってやってもどうせ聞き入れない、言葉を話すふりをしているだけで誰の言葉も聞かなければ受け入れもしない、自分の発した言葉の意味さえ本当は理解できていない人の形をした豚だと、諦められているからだ。
「……ごめんなさい」
震える声で辛うじて応え、一拍おいてから同調を切った。返る言葉は、誰からもなかった。
ハンドラーとの同調は仲間達とのそれごと切って、セオはひどく気分が悪い。
ややあって、アンジュが繫いできた。
『セオ君』
「……わかってるよ」
ぶすくれた声が出た。
酷く子供じみたその響きが嫌で、セオは苛々と唇を突きだす。
『気持ちはわかるけど、言いすぎよ。いくら本当のことでも、ああいう言い方はよくないわ』
「わかってる。……ごめん」
わかっていたのだ。そうあってはいけないとみんなで決めて、それはそうやって言葉にされる前から自然と理解できていたことだったから、ずっとこれまで守ってきたのに。
言いたいことはそのまま全て、思いつく一番きつい言葉で叩きつけてやって、でも、気持ちは収まるどころか余計腹立たしくてささくれ立って嫌な気分だ。怒りを向ける謂れはない、かけがえのない仲間達にも咄嗟に嚙みついてしまうほどに。
破ってしまった。大切な約束だったのに、あんな、白ブタなんかのために。
それでも我慢できなかったのは、きっと。
『……隊長さんのこと?』
「……ああ」
思い出す、大きな背。
十二歳で入隊して、最初に配属された部隊の隊長だった。
陽気で快活で、部隊中から嫌われていた。セオもその時は大嫌いだった。
笑う狐のパーソナルマークは彼から継いだ。隊長の〈ジャガーノート〉のキャノピの下で陽気に笑っていた狐は、あの頃絵なんて描いたこともなかったセオの腕では、何度描き直しても口角をねじ上げるように嗤う底意地の悪い狐のデフォルメにしかならなくて。
その、彼とまるで同じであるかのような顔をして、聖女気取りの白ブタが善良ぶってカイエの死を嘆いてみせたのが、セオは許せなかった。
許せなくて、でも、それでやってしまったのは結局は。
「……ごめん、カイエ」
燃え尽きた〈キルシュブリューテ〉の残骸を見やって目を伏せた。墓を作ってやることも、連れて帰ってやることすらできない、とうに見慣れてしまった仲間の遺体。
「ブタと同じ真似をして、君の死を穢した」
色々なことがあったろうに。最期まで恨み言の一言も口にしなかった、誇り高い君を。
誰かが死んだ日の夜は隊員達は一人、あるいは誰かと共にそれぞれのやり方でその死を悼んで、だからこの夜、シンの部屋を訪れる者はいない。
月と星の明りで必要がないから電灯は消した自室の、冷たく青い光の差し込むデスクに掛けて緩く瞑目していたシンは、控えめに響いた窓
隊舎の外の窓の下、佇むファイドが二階のここまでクレーンアームを伸ばして、先端のマニピュレーターに摘まんだ数センチほどの薄い金属片を差し出す。
「ありがとう」
「ぴ」
受け取ると、ファイドは一度光学センサを瞬かせてからがしゃがしゃと踵を返した。コンテナに満載した残骸を自動工場の再生炉に運ぶ、〈スカベンジャー〉の本来の役目。
あらかじめ広げておいた布の上に金属片を置いたところで、
簡単な工具類を入れた布包みを解こうとした手を一瞬だけ止め、シンは眉を顰める。同調の対象はシン一人で、相手はこの基地にいる人員の誰でもない。
『…………』
向こうから繫いできたというのにそのまま相手が何も言わないので、一つ嘆息してシンは口を開いた。同調の向こうの、悄然とした気配。
「何かご用でしょうか。ハンドラー・ワン」
びくっと肩を震わせるように気配が揺れて、それきりまた、何も言わない。逡巡しているらしい沈黙に、シンは何の関心もなく相手が言葉を発するのを待った。
中断していた作業を再開して随分経ってから、ようやくハンドラーの少女はおずおずと口を開いた。手ひどく撥ねつけられるのを予期しながらおそるおそるかけてくるようなか細い声で、シンは今度は手を止めなかった。
『……あの、』
拒絶されたら、大人しく切ろうと思っていた。
その覚悟でいたから、これまでと同じ静かな声を向けられて、レーナはむしろ怖気づく。
何度も息を整えて次は言おうと心を決めて、何度目かでようやく声が出る。
「……あの、アンダーテイカー。今、よろしいでしょうか……?」
『ええ。どうぞ』
静かで穏やかで、感情の響きのまるで無い声が淡々と応じた。
それはやはり今までと何も変わらない声音と口調で、それらは沈着な性情ゆえではなく、こちらに何の関心もないからなのだと初めて気づいた。
また臆病に縮こまりそうになる心を叱咤して、深々と頭を下げた。
多分これも、ほんとうは卑怯だ。
本当は最初から、全員に言うべきだ。けれどきっとまだ繫いでくれないだろうラフィングフォックスやヴェアヴォルフに、そうとわかって同調を試みる勇気はなくて。
「ごめんなさい。昼間のことも、これまでのことも。本当にすみませんでした。……あの、」
きゅ、と膝に置いた両手をきつく握りしめた。
「わたしは、レーナ。ヴラディレーナ・ミリーゼと、言います。こんな、今更ですけれども、……あなたたちの名前を、教えていただけませんか……?」
しばらく、間が空いた。
レーナには怖ろしいような沈黙だった。遠い、ささやかな雑音と、それを際立たせる無言。
『……ラフィングフォックスの言ったことを気にされているのでしたら、』
無関心な声だった。そっけなく、突き放した、ただ事実を言っているだけというような。
『それは不要です。別にあれが我々の総意というわけではありません。この現状を貴女が作りだしたのでもなければ、貴女一人の力で撤回できるものでもないということはわかっています。貴女には不可能なことを、しなかったと責められたからといって気に病む必要はありません』
「でも、……名前も知ろうとしなかったのは私の非礼です」
『それも必要がないからでしょう。何故〈レギオン〉には傍受できない
レーナは唇を引き結んだ。およそ愉快ならざるその答えは容易に想像がついた。
「ハンドラーが、プロセッサーを人間と考えずにすむように、ですね」
『ええ。大概のプロセッサーは一年も経たないうちに死ぬ。その大量の死をハンドラー一人が負うのは負担が過ぎると、そう考えたのでしょう』
「それは卑怯です! わたしは、」
気づいて声がしぼんだ。
「わたしも、卑怯でした。……卑怯なままでいたくない。わたしに名乗るのが嫌だというのでなければ、……どうか、教えていただけませんか」
存外に頑ななハンドラーの少女に、シンは再び嘆息する。
「……今日戦死したキルシュブリューテは、カイエ・タニヤという名です」
『!』
ぱっと同調の向こうで嬉しそうな感情が湧き、ついでそれが今日死んだばかりの少女の名だと思い至ってかすぐに自制された。対照的に淡々と、シンは仲間達の名を告げていく。
「副長のヴェアヴォルフが、ライデン・シュガ。ラフィングフォックス、セオト・リッカ。スノウウィッチ、アンジュ・エマ。ガンスリンガー、クレナ・ククミラ。ブラックドッグ、ダイヤ・イルマ──」
二〇名全員の名を伝え終えて、最後にハンドラーが締めくくった。
『わたしはヴラディレーナ・ミリーゼです。どうぞ、レーナと』
「先程承っています。……階級は」
『あ……そうでしたね。少佐です。まだ、なりたてですけれど、』
「では、以後ミリーゼ少佐とお呼びいたします。よろしいでしょうか」
『……もう』
あくまで上官として接しようとするシンに、レーナは苦笑したようだった。
それからふと、訊いてきた。
『今日は、誰もいないようですが。……何をしているのですか?』
いっとき、シンは沈黙した。
「──名前を、」
『え?』
「カイエの名前を、遺しています。……おれたちエイティシックスには、墓がありませんので」
小さな金属片を、青く透ける月光にかざした。薄い長方形のアルミ合金に、工具で刻んだカイエのフルネームと、塗料の薄紅色と黒々と走る文字の一部。五弁の桜の上から彼女の民族の文字で『
「最初の部隊で、他の奴らと約束をしたんです。死んだ奴の名前をそいつの機体の破片に刻んで、生き残った奴が持っていよう。そうやって最後まで生き残った奴が、そいつの行きつく場所まで全員を連れて行こう、と」
実際にはその頃は、戦死者の機体片さえ回収できないことの方が多かった。ありあわせの金属片や木片に釘で搔いて名前を刻んで、それだけがそいつの存在した証だった。
ほぼ確実に機体片を入手できるようになったのは、ファイドがそれを覚えてからだ。可能な限りキャノピのすぐ下、パーソナルマークの描かれた装甲表面の一部を切り取ってくるのも。
それらは全て、まとめて〈アンダーテイカー〉のコクピットの備品入れにおいてある。最初の部隊の隊員達と、それからの全員。その彼らと交わした約束を果たすため。
「その時はおれが最後で、今までずっとそうでした。だから、おれは連れて行かないといけないんです。おれと共に戦って死んだ全員を、おれが行き着くところまで」