第二章 白骨戦線異状なし
『退役まで残り一二九日!!
風雨に色褪せたバラックの格納庫の奥の壁、誰が拾ってきたのかも知らない古い黒板で、五色のチョークのカウントダウンがでかでかと踊っていた。
クリップボードから目を上げて、シンはその底抜けに陽気な一文を見上げる。正確には残り一一九日。この戦隊に配属された日にクジョーが書いたもので、毎朝クジョーが更新していた。
十日前に死んだ。
止まったままのカウントダウンをしばし見上げ、シンはクリップボードの整備記録に目を戻した。待機状態の〈ジャガーノート〉が並ぶ格納庫を、整備済みの自機の元へ向かう。
端整な顔立ちは年に見合わぬ静謐な表情のためにどこか冷たく、細身の体軀と白皙の容貌は旧帝国の貴族階級特有のそれ。森林と草原、湿地帯から成る東部戦線の地勢にもかかわらず砂色と灰茶の砂漠迷彩の野戦服を着て、これは共和国軍の
整備作業中の格納庫は、機械の作動音と整備クルーのやり取りの怒鳴り声でやかましい。格納庫前の広場で二対二の変則バスケットボールに興じる仲間達の歓声と、何処かでかき鳴らされるギターの古いアニメソング。キャノピを開け放した自機のコクピットでポルノ誌を眺めていた隊員のキノが、こちらに気付いて片手を挙げる。
最前線とはいえ戦闘の無い日は、この基地の要員は割と暇だ。
今もハンドラーへの報告上は
(炊事とか洗濯とか掃除とか裏の畑と鶏の世話とか)
をしたり好きに過ごしたりしている。
荒々しい
「シン! シンエイ・ノウゼン! またやりやがったなてめぇこの野郎!」
キノがゴキブリじみた速度でコクピットから物陰に退避し、シンは平然と声の主を待った。
「なにか」
「なにかじゃねえよアンダーテイカー! ったくおめぇは──!」
地獄の番犬のような形相で詰め寄ってきたのは、白髪交じりの消炭色の髪にサングラス、機械油の染みついた作業着を着た五十がらみの整備クルーだった。
スピアヘッド戦隊整備班、レフ・アルドレヒト班長。今年十六になるシンもプロセッサーの中では年長の部類だが、アルドレヒトは年長どころか長老クラス、なんと九年前の第一期徴募兵の生き残りだ。
「なんっでてめぇは出撃の度に機体ぶっ壊してくるんだよ!? またアクチュエーターとダンパーがたがたにしやがって、足回り弱えんだから無茶すんなって毎度毎度言ってんだろうが!」
「すみません」
「お前それさえ言っときゃ済むと思ってんな!? 謝れっつってんじゃねえよ改善しろっつってんだよ。いつか死ぬぞあんな無茶な戦い方しやがって! 代えの部品が底ついたってのに、次の補充まで修理できねぇぞ!」
「二号機が」
「ああ有るなぁどっかの戦隊長が毎っ回毎っ回機体ぶっ壊すせいで置いてある予備が二機もな! 他のプロセッサーの三倍も整備の手間かけさせやがって、てめぇ何様だ王子様か!?」
「共和国の身分制度は三百年前の革命で廃止されて」
「ぶっとばすぞクソガキ。……お前の損傷率と壊し方じゃ三機ねぇと修理がおっつかねえんだ、補充までの日数と出撃ペース考えたら保たねぇんだよ! どうすんだよ壊れないようにってお祈りでもするか? 次は百年後に来てくださいって屑鉄どもにお願いしてみるのか、ああ!?」
「クジョーの機体を、ファイドが回収していたはずですが」
淡々と言うと、アルドレヒトはいっとき沈黙した。
「まあ、確かにクジョーの奴の機体からその部品はとれるけどよ……共喰い整備なんざやりたかねえが。つか、おめえはいいのかよ? 死人出した機体の部品なんざてめぇの機に使われて」
シンはわずかに首を傾げると、自分の〈ジャガーノート〉──〈アンダーテイカー〉の装甲を手の甲で軽く叩いた。キャノピの下に小さく描かれた、シャベルを担いだ首のない骸骨のパーソナルマーク。
アルドレヒトが苦笑する。
「今更か。……そうだったな、アンダーテイカー」
嚙みしめるように頷いて、老整備兵は開け放したシャッターの向こう、どこまでも続く春の野を見やった。
雲一つない、他の何ものをも吞みこむ虚無の色彩を湛えた、あまりにも深く高い紺碧の蒼穹。その下に広がる、矢車菊の花の瑠璃と若葉の翠緑が精美なモザイクを描く草原が、この戦場で散った幾百万のエイティシックスの白骨が眠る巨大な墓標だ。
エイティシックスに、入る墓はない。存在しない戦死者の墓を作ることは許されていないし、遺体の回収も禁じられている。
人型の豚には死んだ後に安らう権利も、死んだ仲間を悼む自由も存在しない。それが九年前に彼らの祖国が作り上げ、かくあるべきと九年維持されている世界の形だ。
「クジョーの奴は、ばらばらに吹っ飛んだんだったか」
「ええ」
自走地雷──爆薬の詰まった胴体に棒状の手足と顔のない頭部のついた、遠目には人に見えなくもない出来の悪い対人兵器を負傷兵と見誤って組みつかれた。夜戦の、他部隊の救援任務中だった。
「そりゃあよかった。逝けたのか、あいつは」
「おそらくは」
シン自身は天国も地獄も信じてはいないけれど、ここではない何処か、還るべきところには。
アルドレヒトは深く笑う。
「最期におめぇと同じ部隊にいて、クジョーは運が良かったな。……こいつらも、」
破れたゴールネットをボールが揺らして、歓声が上がる。ギターとアニメソングの不謹慎な替え歌の大合唱が裏の畑で楽しげに響いている。
それが他のどの部隊にもありえない光景であることを、アルドレヒトは知っている。
出撃につぐ出撃。〈レギオン〉の襲撃を警戒する日ごとの哨戒。緊張と恐怖に神経をすり減らし、戦闘の度仲間は死んでいく。その日生きのびるのが精一杯という極限状況で、娯楽や人間らしい生き方など考えている余裕はない。
けれどこの隊では、襲撃そのものは避けられなくとも、急襲を受ける心配だけはない。
「……こいつらがこうやってられんのはおめぇの功績だな、シン」
「他のプロセッサーの三倍も整備の手間をかけさせてるのもおれですが」
ぐっとアルドレヒトは喉を鳴らした。サングラスの奥から苦々しげに見下ろしてくる双眸を、見返してシンは肩をすくめる。
「ったくおめぇは……たまに冗談言ったと思ったらそれかよ」
「これでも申し訳ないと思ってはいるんです。行動で示せてはいませんが」
「馬鹿野郎。お前らガキどもを生きて帰らせんのが整備班の仕事だ。そのために必要だってんなら機体なんざどうなろうが構やしねぇし、どんな手間だってかけてやるよ」
一息に言いきってからそっぽを向いた。照れたらしい。
「……そういや、また担当のハンドラーが交代したそうじゃねえか。どんな調子だ、今度のは」
間が空いた。
「……ああ、」
「ああ……、ってお前よぉ……」
「そういえばそうでした」
あまりにもしばしば交代するせいで個別認識していなかった。それに元々、プロセッサーはハンドラーの存在を意識しないものだ。
それだけハンドラーが職務放棄しているというのもあるし、一定数以上の
結局、ハンドラーの職務とはプロセッサーの監視、ただそれだけに尽きるのだ。どんな時でもどこにいても、望む時に言動の一切を監視できる
この一週間の多くはないやり取りを思い出して、シンは口を開く。とりあえず。
「書類仕事が増えました。これからは哨戒報告書を都度捏造する必要があるようです」
「……読まれてねえからって、五年前にでっちあげた適当ぶっこいた報告書を毎回そのまま使い回すいい根性した野郎はおめぇくらいのもんだからな、シン」
ちなみに日付も地名も何一つ変えていないし、その頃から哨戒などしてないから内容もでたらめだ。そんなものがこれまで一度もばれずにきたのだから、シンの方がむしろ呆れてしまう。
『誤って古いファイルを伝送していませんか』──と、穏やかに指摘してきた銀鈴の声を思い出して、シンは小さく嘆息した。意外と不注意なところもあるんですね、と屈託なく笑った、純粋な善意と親しみに満ちた声音も。
「着任当日に挨拶のために同調してきて、以降も交流を持ちたいからと毎日定時に連絡をしてきます。共和国軍人には珍しいタイプですね」
「まっとうな人間、てやつか。……そいつぁ、さぞ生きづらいだろうな。気の毒に」
まったく同感だったからシンもあえて返答はしなかった。
正義も理想も、振りかざしたところでこの世界では何の力も持たないのだから──。
「……ん、」
ふと、シンは何かに呼ばれたように春の草原の遥か向こうに目を向けた。
「ジャーン! これがホントの『グラン・ミュールの外に棲息する豚野郎』です!」
「悪趣味だよハルト」
隊舎の厨房。趣味のスケッチの片手間に、大鍋一杯にくつくつ煮立つベリーのジャムの火の番を買って出ていたセオは、同じ隊員の少年のボケに呆れた声音でつっこむ。
でっかい猪を裏庭に通じる通用口の前に横たえて、おどけて両手を広げた
「うーん、受けが今一だなあ。笑うとこだろここ」
「どっちかっていうと凍えるとこだよ。……でもまあ、」
スケッチブックを置いて、セオはしげしげと獲物を見やる。〈ジャガーノート〉で牽引してきたのだろうが、それにしても一人ではさぞ苦労したろう、化物じみて巨大な猪だ。
「すごいね。大物だ」
ハルトは得たりとばかりににかりと笑う。
「だろ!? 今夜はバーベキューだからな! ライデンどこ行ったかな、あとアンジュ。夕食の当番交代してもらわないと」
「ああ、今日よりにもよってシンだもんね。ライデンは物資調達に『街』に行ってる。アンジュは今日洗濯当番。他の女子も全員行ったけど」
ふっとハルトはセオを見た。
「それ、いつの話?」
「たしか……朝食後すぐだったかな」
「今、昼前だけど」
「そうだね」
「「……」」
いくら基地の全員分の洗濯物とはいえ、六人がかりで午前中いっぱいかかるほどではない。
そして洗濯場は川縁で、今日は快晴で春で暑い。
そわ、とハルトは露骨に浮足立つ。
「……つまり水浴び。ただいま川原はこの世の天国!?」
「そのまま本物の天国に直行する前に言っとくけど、全員銃持ってったからね」
ぴたっとハルトが硬直する。セオは思い切りため息をついて、木杓子を鍋につっこんでかき混ぜた。もういいかなと、煮詰まり具合を見て火を止める。
蓋を閉めたところで、
入隊時に首の後ろにインプラントされた
「アクティベート。……って、」
同調対象の相手に、セオはふっと翡翠の双眸を冷えさせた。同じくイヤーカフを片手で押さえて笑みを消したハルトと、視線を交わして同調相手に問う。
「シン。……どうしたの」
大きさの割に結構な水量の川のほとりに洗濯場はあって、その川原と水の流れの中で、六名いるスピアヘッド戦隊の女子隊員達は水遊びの真っ最中だ。
「カイエー、何してるの。突っ立ってないでこっち来なよ」
何やら端の方でもじもじしている仲間に、クレナは追いかけっこの足を止めて声をかける。ショートボブにした落栗色の
野戦服の上ははだけて袖を腰に巻いて結んで、オリーブドラブのタンクトップとその下の豊かな曲線を陽光に晒しているが仲間達も同じ恰好だし別に恥ずかしくない。
「いや、その、だってよく考えたらこれはこれで恥ずかしい恰好のような……」
黒髪黒目、小柄な体軀に象牙の膚の
「というか、いいのかな……私たちだけ水遊びなんかしていて……わぷっ!」
青みがかった銀髪を長く背に流したアンジュが、両手で水を掬ってばしゃっとひっかける。野戦服の上を脱いではいないがジッパーを臍の下まで下げて、お淑やかな彼女なりに解放的な格好だ。髪色のとおり
「真面目ねえ、カイエちゃんは。いいのよ、洗濯はちゃんとやったんだから」
他の女子隊員達も口々に言う。
「ていうか、シンもわかってて許可くれたんでしょ別に」
「あっうん。今日は暑くなりそうだからなって、珍しくちょっと笑ってたわよ」
「そういうとこは悪い奴じゃないのよねーあの鉄面隊長も」
そうして、不意にクレナを見やってにやーっと笑った。
「ごめんねぇ気が回らなくて。あんたもシンも当番ないんだから、口実作って二人にしてあげればよかったわよね」
不意打ちにクレナは真っ赤になった。
「ちっ、違うもん! あたし別に、そんなんじゃないもん!」
「どこがいいのあんな何考えてるかわかんない奴」
「だから違うってば!」
「ちなみにカイエちゃんはどう?」
「シンか? ふむ。悪くないと思うぞ。寡黙なところとか、ストイックでいいな」
「ちちちちちちょっとカイエ!?」
途端に慌てるクレナに、カイエは笑いを嚙み殺す。何ともまあ、わかりやすい。
「そうかそうか。別に誰も想いを寄せてないのなら、私が狙っても構わないわけだな。なら早速今晩にでも、東方伝統の『
「かっ、カイエ!? あのその、別にあたしシンのこと何とも思ってないけど、その、そういうのってよくないと思う! ほら、ヤマトナデシコのタシナミとかって、だからその、」
わたわたするクレナを見やって、女子どもはにやーっと笑った。
「「「「「クレナ、かーわいい」」」」」
引っ掛けられたことに一拍おいて気づいてクレナは叫ぶ。
「もー!」
「おーいたいた」
がさりと藪が鳴って隊員のダイヤが顔を出した。ひょろりと高い背。
ちなみに男だ。
「「「「「キャ───────────────────────────────」」」」」
「ぎゃ────────────!」
およそ女性という種族の全てが生まれながらに持つ超音波兵器の集中砲火と手近の投擲可能な物体の爆撃を浴びて、ダイヤは慌てて藪の向こうに退避した。
「っておい! 誰だ拳銃投げた奴! 初弾入ってんぞ危ねえだろ、」
「「「「「ギャ───────────────────────────────」」」」」
「キャ────────────っ!」
二度目の絨毯爆撃をまともに喰らい、ダイヤは完全に沈黙した。
あたふたと服を着込む他の女子達を後目に、アンジュが近寄って覗き込む。
「それで、どうしたのダイヤ君」
「そこはかわいーく、大丈夫? って聞いてくれていいとこだぜアンジュ」
「マアダイジョウブカシラダイヤクン」
「あっ悪ぃごめんなさい無表情棒読みはやめてください涙が出ちゃう……」
野戦服を襟のベルクロまできっちり留めて着込んだカイエが、周りを見回して他の少女達の状況を確認してから言う。
「ふう。もう出てきてもいいぞダイヤ。……どうしたんだ?」
「あーうん。実はワタクシ、本日から伝令のアルバイトを始めまして」
誰かから伝言を預かったらしい。今更野戦服の上から豊かな肢体を抱きしめて隠しながら、クレナは唇を尖らせる。
「そんなの
ダイヤはばりばり頭を搔いた。
「つって、女子ばっかでキャッキャウフフなとこに
「なっ……!」
およそ自分では絶対出さないかわいこぶった声音で物真似をされてクレナは耳まで赤くなり、その周りでカイエ以下他の女子隊員どもは好き勝手に言い合う。
「ふむ。結果として覗いたのはいただけないが、それについてはまあ正しい判断だな」
「私達には面白いけど、流石にクレナちゃんは気まずいわよね」
「ていうかまさにソレ言ってたとこだったし」
「それよ。今度シンが繫いできそうなとこでそれ言わせるのよ。どんな反応するか見物だわ」
「クレナがね。シンは駄目よ、あの鉄面死神ったらきっと顔色も変えないわよ可愛くない」
「あああああたしそんなこと言ってないもん! ちょっとやめてよ!」
「「「「「「クレナったら、かーわいい」」」」」」
「うわぁぁぁぁんみんなのバカぁああああああああ!」
その場の全員(ダイヤ含む)に声を揃えられ、クレナは頭を抱えて絶叫した。
くっくっと肩を揺らして笑いながらカイエが問う。
「それで、結局なんだったんだ? 伝言とは」
問われて、ダイヤはふと、表情を消した。
「ああ。……そのシンからなんだけど」
その言葉に、少女達の表情が一斉に緊迫した。
人はパンのみにて生くるにあらず。
何千年も前のいけ好かない救世主気取りの言葉だが、至言だと思う。人生には菓子とかコーヒーとか、もっと言えば音楽とかゲームとか、そういう、潤いというものが必要だ。この地獄に彼らを叩きこんでくれやがった共和国の白ブタどもは、最低限の餌以外を家畜にくれてやる必要を欠片たりとも感じていないようだが。
また裏を返せば、人間にはまず第一に、日々の食事が重要だということでもある。
「さてファイド。ここで問題だ」
長期保存の食料や勝手に生い茂っている家庭菜園の野菜、逃げ出して野生化した家畜類や放棄された娯楽の品を調達に、定期的に探索している都市の廃墟。
瓦礫に埋もれた広場で、戦隊副長のライデンは基地付属の生産プラントの合成食料と、市庁舎の災害用備蓄倉庫から持ち出した缶詰のパンをコンクリートに並べる。精悍な長身に着崩した野戦服。黒鉄種純血の鉄色の髪は短く刈られ、野性味の強い鋭利な顔立ち。
向かいには馴染の〈スカベンジャー〉……戦闘中の〈ジャガーノート〉に随伴して弾薬やエナジーパックの補給を行う、角張った本体に短い四本の足を生やした不恰好な
「どっちがゴミだ?」
「ぴ」
果たしてファイドは即座にクレーンアームを伸ばして、合成食をぽいっと投げ捨てた。
飛んでいく白い塊を見送りつつ、ライデンは残ったパンを齧る。
必要な物品は全て現場で生産できるよう、各強制収容所と基地には生産プラントと自動工場が付属している。
生産調整と動力供給も地下ケーブルを介して壁の向こうからの、無駄に高度な自動給餌システムだが、何しろこちらを豚と言って憚らない白ブタどもが用意した代物だ。生産される物品は本当に必要最低限、食料の名目で毎日合成される物体は何故か全てプラスチック爆薬に似ていて、当然というべきかアホみたいに不味い。
よって、少しでもマシなものが喰いたければ、こうして九年前に放棄されたきりの廃墟に調達に来ることになる。幸い哨戒の必要が無いこの隊では、その分の時間もエナジーパックも余るから、探索に時間も割けるし〈ジャガーノート〉を足代わりに持ち出せる。
「つーわけで、ファイド。今日の調達目標はこっちのゴミじゃない方だ。他の食料品も含めて、積めるだけ持ち出すぞ」
「ぴっ」
ヤンキー座りから立ち上がるライデンに、がしゃがしゃとやかましい足音をたててファイドも倣う。機体の残骸から砲弾片まであらゆる再利用可能な無機物を拾い集め、コンテナに満載して持ち帰るのも、彼ら〈スカベンジャー〉に設定された任務の一つだ。ライデンの命令はちょっと変則だが。
ちなみに〈スカベンジャー〉は徒名で、何しろ戦闘中に自身のストックが不足すれば撃破された〈ジャガーノート〉や同じ〈スカベンジャー〉の残骸からそれらを剝ぎ取り、戦闘が無い時も拾える破片を探して戦場跡を這い回るその行状が行状だ。なのでプロセッサーの誰もが制式名ではなく、身も蓋もなく〈
ファイドはもう五年近くも、シンにつき従っている〈スカベンジャー〉だ。
なんでもシンが昔所属していた部隊が彼を除いて全滅した際、唯一全損は免れたが動けなくなっていたファイドを牽引して連れ帰ってやってからの縁だという。
最低限の学習機能はあるとはいえ、恩義を感じるなどという高等思考がゴミ拾い機ごときにあるとも思えないが、それ以来シンを最優先の補給対象と認識しているらしく、何度部隊が変わってもついてくるし出撃時には必ずすぐ傍に控えている。全く融通のきかない他の〈スカベンジャー〉からはちょっと考えられない忠義っぷりだ。型番からして戦争序盤に投入された初期型の生き残りで、ご長寿な分、学習量も多かったのだろうが。
そしてそこまで健気に尽くされていながら、シンがくれてやった名前がファイド。犬につける名前だ。ポチとかシロとかそんな感じの。……やっぱりあの馬鹿は頭がおかしい。
「ぴ、」
「ん?」
従うファイドが不意に脚を止めるのに、ライデンは振り返った。
光学センサが向けられている先を見やると、瓦礫の陰の花壇の大樹の根元に、すっかり変色して崩れた白骨死体がうずくまっていた。
「……ああ」
呼んだのはそれでか、とライデンは白骨に歩み寄る。ぼろぼろの野戦服。崩れ去った手がそれでも赤錆びたアサルトライフルを抱え、首の骨に認識票のチェーンがかかっているからエイティシックスではない。おそらくは九年前、楯となって果てた共和国正規軍将兵の一人か。
一歩遅れて従うファイドが、ぴ、とまた電子音を鳴らす。何か持ち帰るか、と聞いているのだ。シンがつけた癖のせいで、ファイドは戦闘以外の時間は戦死者の遺品を──死体そのものは白ブタがわざわざ禁則事項に設定していて拾えない──優先して拾う傾向がある。
しばし考えて、ライデンは首を振った。
「いらねえよ。……こいつの弔いはこのままでいい」
この樹は知っている。桜。大陸極東部原産の、春の始めに溢れるように花をつける樹だ。今年の花の時分にカイエの提案でここの目抜き通りの桜並木を基地の全員で見に来たが、夜闇に滲むように浮かび上がる薄紅の花の群は、満月の光の中ほとんど彼岸のものの美しさだった。
あの花を見上げて花の褥に眠る兵士を、今更暗い土の中に閉じこめることもないだろう。
あるいはこの白骨は
短く黙禱を捧げ、顔を上げたところで、イヤーカフが幻の熱を帯びた。
『──散歩組各位。聞こえる?』
「セオか。どうした?」
すぐ隣にいるかのような明瞭な声。同調先は廃墟にいる全員で、代表してライデンは応じる。
『予報が変わった。一雨来るよ』
ライデンは険しく目を眇めた。見れば東の空、〈レギオン〉支配域上空に、目の良い彼が凝視しなければわからない程度の濃淡で、微細な銀の煌めきの群が広がり始めている。
電波及び可視光を吸収し屈折し攪乱する、蝶の姿と大きさの飛行型〈レギオン〉、
「いつだ」
『二時間後くらいだろうってさ。直近の群に後方から別の群が合流してるって。多分補給。終わり次第来るよ』
直近とはいえ到底視認など不可能、レーダーもすでに欺瞞されている彼方の状況を、目の当たりにしているかのようにセオは……その伝える言葉の主は語る。
「了解、すぐ戻る。──チセ、クロト。聞いてたな。ルート一二入口に集合」
『了解』
『今回も〈羊飼い〉はいないらしいから、単純な力押しで来るだろうね。相手の進路にもよるだろうけど、ポイント三○四付近で待ち伏せ、一網打尽、ってとこかな』
探索組に指示を飛ばし、自身も少し離れたところに停めた自機に向かうライデンに、笑みを含んだ声でセオは言う。ライデンも獰猛に口の端を吊り上げた。
「〈羊〉だけか。──カモ撃ちだな」
決して口にしたほど楽な戦いではないが、単純な戦術しかとらない〈羊〉との交戦は〈羊飼い〉が率いるそれより何倍もましだ。厄介な敵がいないと予めわかっている分、気が楽でもある。
まったく、本当に死神様々──そこまで考えて、ふと、ライデンは顔をしかめた。
当の本人にとってはどうなのだろう。
あの、無くした首を探して戦野を彷徨う、赤い瞳の死神には。
ライデン達が基地に戻ると他の一八機はすでに出撃準備を終えていて、格納庫の入口に最も近い位置にある自機の前でセオが根性悪の猫みたいににやーっ、と笑う。
「おっそいよ、ライデン。地雷でも踏んだんじゃないかって心配してた」
「遅くねぇよ。それから、まだ冗談に地雷はやめろ」
「あ。ごめん」
自走地雷で吹っ飛んだクジョー。この戦隊を編成して二月、クジョーは三人目の戦死者だ。
プロセッサーの損耗率は非常に高い。毎年十万人以上が入隊して、一年後まで生き残るのはそのうちの千人に満たない。それでも生身で肉薄攻撃をかける以外に手がなかった彼らの両親達に比べれば随分ましだ。旧式のロケットランチャーか爆薬を抱いて〈レギオン〉に突っ込むのが唯一の戦術だった当時の損耗率は、日に五割を超えることさえあったという。
それらに比べればこの隊の損耗率の低さは驚異的だが、所詮、ここも最前線で激戦地だ。
損害のない戦いなどない。
死だけはいつも、誰にでも平等で、唐突だ。
「揃ったな。傾注」
静かなくせによく通る声がかけられて、全員が姿勢を正す。
第一戦区の地図の上から透明なカバーを一枚かけて必要な情報を書き込んだ作戦図の前に、密やかに降る月光の気配のように、いつの間にかシンが立っている。
白皙の容貌に、けれどすっかり馴染みきった砂漠迷彩の野戦服、戦隊長を示す大尉の階級章。こんな時でも外さない空色のスカーフが、その不吉な二つ名の由来の一つだ。
ああして隠しているだけで、あの死神は首なんかとっくに無くしているんじゃないか。
「状況を説明する」
〝死神〟の異名を持つ戦隊長の、冷えて冷徹な紅い双眸が隊員達を映す。
敵総数から進路、対応する作戦まで、簡潔だが異常に明確なブリーフィングを終え、プロセッサー達は各自の〈ジャガーノート〉に搭乗する。いずれも十代半ばから後半の、まだ顔立ちや体型に幼さの残る少年兵ばかり。
足りない最後のパーツをキャノピの奥に組み込んで、二一機の機甲兵器が束の間のまどろみから目を覚ます。
有人搭乗式自律無人多脚機甲兵器、M1A4〈ジャガーノート〉。
節足状の細く長い四本の脚部。蛹じみた有機的なフォルムの小さな胴部。古びた骨の色をした白茶の装甲で身を鎧い、格闘用サブアームの重機関銃二挺とワイヤーアンカー一対、背部ガンマウントアームの五七ミリ滑腔砲。
全体のシルエットは徘徊性の蜘蛛、一対の格闘アームと振りかざした主砲砲身は蠍の鋏と尾のような、彼らエイティシックスの相棒にして最期の寝床だ。
伏撃の埋伏地点として選んだ廃都市の崩れ果てた教会の陰、潜ませた〈ジャガーノート〉の狭苦しいコクピットで、シンは瞑目していた紅い双眸を開ける。
メインストリートにキルゾーンを設定し、その周囲に戦隊の各小隊を射線が重ならないようずらして配した、包囲網の一角。前衛担当の
お粗末な解像度の光学スクリーンに見るともなしに目を留めたまま、感知した敵機の数と隊形に目を細めた。
〈ジャガーノート〉のコクピットは戦闘機のそれと相似し、多数のスイッチ類の配された左右の操縦桿と各種液晶表示式計器。唯一の違いは防弾
敵部隊の隊形は教則通り、そして想定通りの菱形隊形──直衛を従えた偵察隊の後方に、四個部隊がそれぞれ菱形の頂点を成して進軍する機甲部隊の典型的な進撃隊形だ。兵数・性能においてこちらを遥かに凌駕する〈レギオン〉は奇策の類を用いることはなく、その戦術は比較的読みやすい。
予測されたからどうということもないから、相手を上回る大戦力の投入が、古より変わらぬ戦術の定石であるわけなのだが。
倍、などという生易しい比率では利かぬ、〈
ふと、昔誰かが読んでくれた聖典の一節が、記憶の奥底から浮かび上がった。
誰か。
もう顔も声も上手く思い出せない。
最後に見た姿と最期の声に、塗り潰されてわからない。
言葉だけを覚えている。
──主、悪しき霊に問うて曰く。
母国語である共和国語ではないから、何と言ったのかはわからなかった。ディキト・エイ・レギオ・ノーメン・ミヒ──それ以上は聞き取れなかった。うんざりとセオが言う。
『シン、今読んでるのってひょっとして聖書? 趣味悪いなあ。しかもそこ引用って最悪だよ趣味悪い!』
「なんつったんだ?」
『悪魔だか亡霊だかが救世主サマに名前聞かれて、数が多いから〝軍団〟ですって』
ライデンは黙った。なるほど、悪趣味だ。
新たな同調対象が
『ハンドラー・ワンより戦隊各位。──すみません、遅くなりました』
銀鈴を振るような可憐な声が、同調した聴覚を通じて耳に届く。〝死神〟に怯えて辞めた前任者の代わりに配属された新しいハンドラーだ。声からして、おそらくは同年代の少女の。
『敵部隊が接近中です。ポイント二○八にて迎撃を、』
『アンダーテイカーよりハンドラー・ワン。認識しています。ポイント三○四に展開済みです』
淡々とシンが応じ、同調の向こうで息を吞む気配がする。
『早い。……流石ですね、アンダーテイカー』
本気で感嘆しているらしいハンドラーに、当たり前だ、とライデンは胸中に呟く。シンやこの隊のプロセッサー達の持つパーソナルネームとは、歴戦を示す一種の称号だ。
大多数のプロセッサーは、小隊名と数字を組み合わせた
そういう連中は、今度はそれからもなかなか死なない。あっけないほど簡単に死んでいく幾千の仲間を後目に、数えきれない死線をかいくぐって生還する。そんな古参兵に一般のプロセッサーが奉った敬意と畏怖の称号がパーソナルネームだ。自分達では達し得ない高みに達した彼らの英雄に、そして敵と仲間の死を積み上げて闘い続ける戦鬼に対する、せめてもの。
スピアヘッド戦隊のプロセッサーは全員がこの〝号持ち〟、それも戦歴四年から五年に及ぶ最古参ばかりだ。城の奥のお姫様の指揮など、無くても別に困らない。
同時に少し、感心した。
ポイント二○八は、現時点で〈レギオン〉の襲撃を検知した場合の最良の迎撃地点だ。着任からわずか一週間、ただ善良なだけのお嬢さんではないらしい。
警告音。
脚先の振動センサに感。ホロウィンドウがポップアップし、ズームオン。
前方、ビルの残骸を左右に侍らせるメインストリートの緩やかな勾配の、陽光を負う頂点にぽつりと黒影、次の瞬間稜線全体が鉄色に染まる。
来た。
レーダースクリーンが、瞬く間に敵性ユニットのブリップで埋まる。
機械仕掛けの魔物の軍勢が、侵蝕する影のように廃墟の灰色を塗り潰して歩み来る。
互いに五〇から一〇〇メートルほどの間隔を置いた、整然たる隊伍。最軽量の
その、異様と威容。
三対の脚をせわしく動かし、胴体下部の複合センサユニットと肩上の七・六二ミリ対人機銃を細かく左右に振りながら先頭を進む、人喰魚のように鋭角的なフォルムの
七六ミリ多連装対戦車ロケットランチャーを背負い、一対目の脚先に高周波ブレードの鋭利な鈍色を煌めかせる、六足の鮫じみた獰猛な姿の
五〇トン級の戦車の車体に一抱えもある八脚の節足を生やし、威圧的な一二〇ミリ滑腔砲で傲然と進行方向を見据える
上空に展開する
達した。檻に入った。
『撃て』
シンの号令と同時、あらかじめ担当の箇所に照準を定めていた全機がトリガを引いた。
初撃は先頭集団に第四小隊が一斉射、ついで最後尾に第一小隊が背後から砲撃。脆弱な
炸裂。轟音。引きちぎられた金属片とマイクロマシンの銀色の血が黒炎を背景に飛散する。
同時に二一機の〈ジャガーノート〉が射撃位置を離脱。
あるものは遮蔽から出て更に砲撃、あるものは遮蔽物を辿って移動、先に射撃した僚機を狙う〈レギオン〉に側面や後方から砲撃を浴びせかける。その頃には最初の〈ジャガーノート〉は掩蔽に飛び込み、別の敵機の側面に回り込むべく移動を開始している。
〈ジャガーノート〉は、どうしようもない駄作機だ。
重機関銃弾にもぶちぬかれる薄っぺらなアルミ合金装甲に、履帯式戦車よりはマシという程度の機動性能、
華奢な四本足は歩行制御プログラム開発の時間か技術が足りなかったか(多脚の歩行制御は脚の数に比例して複雑性が増す)、ともあれそのせいで機体重量の割に接地圧が高く、東部戦線に多い湿地帯のような軟弱地盤では足を取られる。シネマやアニメの戦闘ロボットのように、跳んだり跳ねたり目の回るような高速で駆けまわったり、あまつさえ飛んだりなど夢のまた夢。思わず笑い出したくなるほどの走る棺桶具合なのである。
そういう脆弱な〈ジャガーノート〉は、小火器装備の
それを元に数年を戦い抜いたスピアヘッド戦隊のプロセッサー達は、だから誰よりもこの戦い方に慣れている。基本的には連携を組む小隊内で指示も連絡も不要、互いが互いの意志を齟齬一つなく汲みとった協調を以て作戦行動を行える。
それに。
ふ、と知らず、獰猛な笑みが口の端を掠めた。
こっちには、〝死神〟の加護がある。
崩落した建築物と瓦礫の陰の薄闇を、首のない骸骨のパーソナルマークを負う〈ジャガーノート〉──〈アンダーテイカー〉が駆ける。
敵機の射線には寸毫も身を晒さず、けれど己の照準からは決して逃がすことはない。
敵部隊の連携を搔き乱すため、あえて単機で突出し敵陣深く斬り込むのが、先頭で敵と渡り合う前衛の中でも近距離戦闘に特化したシンの役目であり、同時に最も得意とする戦い方だ。
一時も消えることのない接近警報の赤色光が映り込む血赤の双眸は、敵性ユニットのブリップで埋め尽くされたレーダースクリーンなど最早見てもいない。異名そのまま、戦死者の順を定める死神の冷徹で屠るべき敵機を選定する冷えた眼差しが、ふと、微かな慨嘆に揺らぐ。
また、自分からは出てこない、か。
無意味な思考は束の間、自らが引いたトリガのもたらす爆炎に吞まれて消える。次の敵機に視線と意識は移り、射撃の合間に市中に散らばった僚機に最も効率の良い殺戮の指示を飛ばす。
「──第三小隊。交戦中の小隊を誘引して南西に後退。第五小隊は現在地で待機。射撃ゾーンに敵小隊が進入したら斉射で仕留めろ」
『
『
「
『『りょーかい。
遠く、連続する砲声が廃墟の瓦礫を震わせる。
ビルの壁面を垂直に駆け登る驚異的な機動で上方からの奇襲をかけるはずだった
次の標的を定めようと視線を巡らせかけ、それの動きに気づいてシンはちらと視線を向ける。
「全機攻撃中止。散開」
突然の指示に、しかし全機が即応した。どうした、などという間抜けなことは誰も問わない。前線が苦戦していれば〈レギオン〉が投入してくる、敵兵種はあと一つ──。
ぃぃぃいいいいん、と、接近する甲高い轟音。
戦場のそこかしこに遥か彼方から飛来した砲弾が突き刺さり、炸裂。灼けた黒土が泡が膨らむように吹き上がる。
後方に展開された一五五ミリ
支援コンピュータが弾道を逆算、発射位置を東北東三〇キロ付近と特定するが、そんな遠距離を攻撃できる兵装がこちらにない以上無駄な情報。長距離砲撃には不可欠な、弾着確認の前進観測機の潜伏位置を、地形と敵機の展開状況から推定し──。
『ハンドラー・ワンより戦隊各位。前進観測機の推定位置を送信します。候補は三か所、確認と制圧を』
ちらっとシンは目を上げた。デジタルマップ上に三つの光点が灯るのを一瞥し、把握している敵機の位置と照らし合わせて、後方のビル群に潜む狙撃手のクレナに標的を指示する。
「
『了解。任せて』
「ハンドラー・ワン。指向レーザーによるデータ伝送は、こちらの位置が特定される恐れがあります。作戦中の指示は口頭のみにしてください」
『っ……すみません』
「次の観測機が出てきます。引き続き位置の特定をお願いします」
ぱっ、と嬉しそうな笑みの気配が
『はい!』
声を弾ませるハンドラーの少女にかすかに眉を顰め、──点灯した接近警報と響き渡る叫喚に、シンは意識を戦場に戻す。
自軍の損害もお構いなしに──真実無人機同士だからできる戦術だ──撃ち込まれる砲弾の嵐が耳を聾する戦場を、ライデンは次の獲物を探して駆け回る。
飛び交う火線は、まだ敵機のそれの方が遥かに多い。ばら撒かれる重機関銃弾の一発が致命傷、戦車砲など喰らえばひとたまりもなく木端微塵だ。
遮蔽物を伝って移動した廃墟の陰に、先客がいた。〈アンダーテイカー〉。弾薬を撃ちきったらしく、〈スカベンジャー〉──やはりというか、ファイドだった──から補充を受けている。
「ちっと多いな」
『カモ撃ちなんだろ。楽しめばいい』
セオとのやりとりを聞いていたらしい。皮肉を言ってきやがる。
『……確かに思ったより
小雨が降ってきたから傘をさそうか、程度の声音だった。というか、シンが動揺したところなどライデンは見たこともない。多分死ぬ時も、死んでさえもこいつはこのままなのだろう。
『遮蔽が限られる分厄介だ。そのうちこちらの移動パターンも解析される。その前に削っておいた方がいいだろうな』
ファイドのクレーンアームが弾倉コンテナ全てを交換し、補充完了。〈アンダーテイカー〉が立ち上がる。
『
「了解だ、アンダーテイカー。……またアルドレヒトのジジイにどやされるな」
微かに笑う気配。〈アンダーテイカー〉が廃墟から飛び出す。
〈ジャガーノート〉の最大速度で遮蔽間を巧みに伝い、
『アンダーテイカー! 一体何を……!?』
砲撃。砲撃。砲撃。砲撃──人間も兵器も等しく灰燼に変える一二〇ミリ砲弾の連撃を、〈アンダーテイカー〉はことごとく回避して前進する。砲身の向きを見て間に合う機動ではない。経験で培った勘だけが頼りの、首のない白骨が這いずる様によく似た悪夢のようなマニューバ。
業を煮やしたように、
鋼の総身の仮借ない重量を驀進させながら足音は皆無、静止状態から一瞬で最高速度に達し、瞬く間に〈アンダーテイカー〉の眼前に迫る。強力なショックアブソーバーと高性能のリニアアクチュエータがもたらす、理不尽なまでの運動性能。
八脚を溜め、跳躍した。踏みつぶす気だ。今──
瞬間、〈アンダーテイカー〉が跳んだ。
見えている中では最も装甲の薄い、砲塔後部上面に。
撃発。
信管の
黒煙を噴いて頽れる
傾いた二機目の上面に砲撃を喰らわせ、沈黙したそいつを盾に三機目の砲撃を防ぐ。爆炎が
『っ……』
ハンドラーが絶句しているのが、同調の向こうに感じ取れた。
このアルミの棺桶の開発者が見れば腰を抜かすか泡吹いて失神するだろう、神業そのものの機動にライデンは目を細める。
〈ジャガーノート〉は本来、こんな戦闘を行う想定で作られていない。火力も装甲も機動力も足りないまま突貫作業で作られた、撃てればいいだけの自殺兵器だ。たった一機で
無論、代償も大きい。
ただでさえ脆弱な〈ジャガーノート〉の足回りは限界以上の負荷を強いられて戦闘が終わるころにはがたがたに壊れてしまうし、主力である
もったいねぇ、といつも思う。
三年、共に戦った。三年間ライデンはシンの副長で、つまりは三年ずっと二番手だった。同じ〝号持ち〟のライデンにも同じ真似はできない。比肩できたことなど一度だってない──あの首のない死神こそは、掛け値なしの戦闘の天才だ。ただ生き残る悪運に恵まれただけではない、しかるべき時間と装備を費やせばあるいはこの戦場から全ての〈レギオン〉を駆逐する要となったかもしれない、そういう、不世出の英雄の器量だ。
ただ、シンは生まれるべき戦の時代をとことん間違えた。遥か昔の騎士の時代なら後世に語り継がれる武勲詩の主人公ともなったろうし、最後に人間同士が殺し合った大戦の頃なら、英雄として輝かしい名を永遠に戦史に刻んだろう。
この馬鹿げた戦場では、そんなものは望むべくもない。
人の尊厳も権利もなく、死んで入る墓もなければ刻む名前も名誉もない、使い捨ての兵器として死ぬまで使い潰された果てに、戦場の片隅で人知れず散るのが彼らのさだめ。この戦場に果てた幾百万の同胞と同様に、朽ちて還る己の白骨の他に遺すものなど何もなく。
傾いた太陽の光線が、
振りかざした古刀の切先に閃く月光のような、それはうつくしさだった。
夜襲や夜間出撃任務が無ければ、夕食の後片づけから就寝までの数時間は自由時間だ。
後片付けの終わった厨房で全員分のコーヒーを淹れてアンジュが戻ると、基地の全員が集まったままの格納庫前の広場は射的大会で大いに盛り上がっていた。
「ほい、クマ王様に一発ウサギ騎士二発。ハルト君の合計点数は七点であります!」
「あちゃー、二発外したか。やっぱりハンドガンっていまいち苦手なんだよなー」
「おーっと、ファイドから突然の挑戦です! 横に置く! 対するキノ選手の実力や如何に!」
「マジかよ……だー! 全っ然駄目じゃねえか! 次! 次の奴早く!」
「私か。えーと、……カイエ・タニヤ、推して参る!」
「ハイ二てーん」
「うおっ、五発全部命中。流石だなライデン」
「へっ、わけねえよこんなん」
「きゃー生意気言いやがって。クレナ行け! 本物の神業ってやつを見せてやれ!」
「おっけー見ててよ! ファイド、それ並べないで投げて!」
「「「うおぉぉおすげぇえええええ!」」」「……って、なんか今日はファイドがサドいぞ。タワー型とかまた難易度上げてきた」
「シンー、お前の番」
「ん」
「……うわぁぁああ一発クリアかよ相変わらずかっわいくねえ……」
今日の調理で出た大量の空缶を的にして、それぞれ携行の拳銃を用いて。点数代わりの可愛い動物のイラストをマジックでセオがさらさら書きつけ、各人の射撃の合間に撃ち落とされた缶を拾ってはファイドがタワーやらピラミッドやらに並べ直している。
騒々しいその様子に、アンジュはくすりと微笑む。
豪勢な夕食だった。捌いて豪快に炙り焼いた猪肉に森で馬鹿みたいに採れるスグリのソース、裏の畑の野菜サラダと缶詰のミルクとキノコのクリームスープ。食堂で食べる料理じゃないよなとテーブルを外に持ち出して、当番だけでは手が足りずに結局基地要員総がかりで調理して。
楽しかった。それは皆も一緒だったと、こうして目の当たりにしてそれがとても嬉しい。
自分が撃ち倒した空缶ががらがら崩れるのは見もせず、喧騒から少し離れて一人書物のページを繰っているシンの前に、コーヒーのマグカップを置いた。
「お疲れさま」
ちらりと視線が返るのが返事の代わりだ。気づいて寄ってきたダイヤにコーヒー満載のトレイを預けて、アンジュは向かいの椅子を引いて座る。
黙々と読み進めている分厚い書物に、目を留めて問うた。隊舎で飼っている白靴下の黒い仔猫が、ページにじゃれようと奮闘しているのが妙に微笑ましい。
「面白い?」
「別に」
言ってから、自分でもあんまりな答えだと思ったのだろう。少し考える間をおいて続けた。
「他のことを考えてる間は、意識しないでいられるから」
「……そう、」
淡く苦笑して、もう一度アンジュは言った。それだけは彼女達でも、代わってやることも分かち合うこともできないから。
「お疲れさま。いつも」
じん、とレイドデバイスが熱を帯びた。
『戦隊各位。今、よろしいですか?』
ハンドラーの少女の声が響く。着任から一週間、初日から欠かさず繰り返されている夕食後のひとときの交流の時間だ。
「問題ありません、ハンドラー・ワン。今日はお疲れさまでした」
代表してシンが応じる。器用なことに目線は本に落としたまま、ページを繰ろうとするのをぺちっと仔猫に邪魔されて本を持ち上げていなす。
盛り上がっていた隊員達が、そそくさと拳銃から初弾を抜いてホルスターに戻した。反乱防止のため、エイティシックスが小火器を持つのは禁じられているのだ。別に検査もされないので、どの戦隊も放棄された近在の軍施設から持ち出して使っているが。
『ええ、貴方達もお疲れさまです、アンダーテイカー。……何か、ゲームでもしていましたか? 邪魔をしてしまったならすみません、続けてください』
「ただの時間潰しです。お気になさる必要はありません」
話したくなければ、同調は切ってもらって構わない。初日にそう言われているのをいいことに早速同調を切った仲間達が図太く投げナイフ大会を始めるのを見ながらシンは言う。ライデンやセオ、カイエといった何人かは丁度来たコーヒーを楽しむ気になったのか、それぞれマグカップを手に手近の椅子やテーブルに腰を下ろした。
『そうですか? 何だかとても、楽しそうですよ。……ところで』
ふと、ハンドラーは居ずまいを正したようだった。まっすぐに向けられる、生真面目そうな眼差しの気配。
『アンダーテイカー。今日は少し、お小言があります』
上官の叱責というより優等生の学級委員長の注意といった口調の言葉に、シンは気にせずコーヒーに口をつけた。壁の向こうのハンドラーの言うことなど、一々真に受けても仕方ない。
「なんでしょうか」
『哨戒と戦闘の報告書。伝送ミスじゃなかったんですね。……読もうとしたら全部同じでした』
シンはわずかに目を上げた。
「まさか、全て目を通したのですか?」
『あなたがスピアヘッド戦隊に配属されてからのものは』
「……お前、まだあれやってたのか」
呆れを隠しもせずにライデンが言うのはとりあえず無視する。
「前線の様子など、そちらが知ってどうするのですか。無駄なことをしますね」
『〈レギオン〉の戦術や編成傾向の分析は、わたしたちハンドラーの職務の一つです』
つんと言ってから、ハンドラーは少し語調を和らげた。
『読まれないから送らなかったのだということはわかりますし、それはこちらが悪いのですから怒りませんが、これからはきちんと作成してください。わたしは読みますから』
面倒な。
思ってシンは口を開く。
「読み書きは苦手なんです」
「お前さんほんといい根性してんのな」
ダイヤがぼそっと呟いたのはやっぱり無視して、分厚い哲学書のページをめくる。
もちろんハンドラーはこの場にいないからそんなことは分からない。幼少期に強制収容所に入れられた今のプロセッサーは、まともに初等教育も受けていないことに思い至ったのか、気まずげに口ごもる。
『あ……ごめんなさい。でも、それなら尚更、訓練だと思って書いてみてください。いつか必ず、役に立ちますから』
「どうだか」
『……』
ハンドラーはあからさまにしょげかえった。別に字くらい読めるけどね、とばかりに鼻を鳴らしたセオがナイフを的に投げて、可愛らしい子ブタのお姫様が台の下に転げ落ちる。
マグカップを両手で包んで持って、カイエが小首を傾げる。
「いや、役には立ってるだろう、アンダーテイカー。何しろ趣味は読書なわけだし……今だって、それは哲学書か? 随分小難しそうじゃないか」
同調の向こうで、何やらものすさまじい沈黙が降りた。
ハンドラーが言う。これまでどおり柔らかな響きの、おそらく微笑さえ浮かべているだろうに、何故か異様な迫力を帯びた声で。
『アンダーテイカー?』
「……………………わかりました」
『これまでのものも送ってくださいね? 戦闘報告書も。全部』
「……ミッションレコーダーのデータファイルでいいですか」
『駄目です。書いてください』
ついシンは舌打ちし、おずおずと様子を窺っていたカイエがびくっとポニーテールを揺らした。ぱちんと両手を合わせて勢いよく頭を下げるのに、お前にじゃないと片手を振る。
まったく……、とため息をついて、ふとハンドラーはそもそもの未送信の原因を思い出したらしい。腹立ちを収めた、ひたすらに真摯な声音で続ける。
『分析ができれば、対策が取れます。精鋭の貴方がたの戦闘記録なら尚更に。全戦線の損耗率が下げられますし、それは貴方がたにもそうなのですから、どうか協力してください』
「……」
シンは応えず、ハンドラーの少女はもの哀しげに沈黙する。プロセッサーがハンドラーを信用しない原因が、全てハンドラー側にあることを自覚しているのだろう。
それから気詰まりな雰囲気を打開しようと思ったか、務めて明るい声を出した。
『そういえば、文書の日付が随分前のものでしたが、どなたかから引き継いだのですか? それとも、もしかしてその頃から?』
「あァ。こいつのこれは最初っからだぜ、ハンドラー・ワン。俺が会う前からずっとやってる」
からかう口調に、ライデンが乗ってやった。ハンドラーがきょとんと瞬く気配。
『ヴェアヴォルフは、アンダーテイカーとは以前からのお知り合いなのですか?』
カイエが肩をすくめる。
「というか大半がそうかな。例えば
「三年だ」
ライデンが答え、ハンドラーがひととき沈黙した。
『……従軍してもう、どれくらいになるのですか……?』
「みんな四年目、というところかな。ああ、アンダーテイカーは一番長くて、今年五年目だ」
ハンドラーの声が弾む。
『では、アンダーテイカーは任期満了まであと少しですね。……退役したら、何かやりたいことはありますか? 行きたいところや、見たいものとか』
全員の視線がシンに集まった。やはり本から目も上げないまま、身も蓋もなくシンは答える。
「さあ。考えたこともありませんね」
『そう、ですか……。……でも、今から考えておいてもいいかと思いますよ。何か思いつくかもしれませんし、きっと、楽しいと思います』
ふっとシンは微かに笑った。うとうとしていた仔猫が、ぴょこんと両耳を立てて振り仰いだ。
「そうかもしれませんね」