魔法科高校の劣等生(1) 入学編〈上〉
[1]
「納得できません」
「まだ言っているのか……?」
第一高校入学式の日、だが、まだ開会二時間前の早朝。
新生活とそれがもたらす未来予想図に胸躍らせる新入生も、彼ら以上に舞い上がっている父兄の姿も、さすがに疎らだ。
その入学式の会場となる講堂を前にして、真新しい制服に身を包んだ一組の男女が何やら言い争っていた。
同じ新入生、だがその制服は微妙に、しかし明確に異なる。
スカートとスラックスの違い、男女の違い、ではない。
女子生徒の胸には八枚の花弁をデザインした第一高校のエンブレム。
男子生徒のブレザーには、それが無い。
「何故お兄様が補欠なのですか? 入試の成績はトップだったじゃありませんか!
本来ならばわたしではなく、お兄様が新入生総代を務めるべきですのに!」
「お前が何処から入試結果を手に入れたのかは横に置いておくとして……魔法科学校なんだから、ペーパーテストより魔法実技が優先されるのは当然じゃないか。
俺の実技能力は深雪も良く知っているだろう? 自分じゃあ、二科生徒とはいえよくここに受かったものだと、驚いているんだけどね」
激しい口調で食って掛かる女子生徒を、男子生徒が何とか宥めようとしている構図だった。女子生徒が「お兄様」と呼んでいるところから察するに兄妹なのだろう。近しい親戚、という可能性もゼロではないが。
兄妹だとするならば。
似ていない兄妹だった。
妹の方は人の目を惹かずにはおかない、十人が十人、百人が百人認めるに違いない可憐な美少女。
一方で兄の方は、ピンと伸びた背筋と鋭い目つき以外、取り立てて言い及ぶところのない平凡な容姿をしている。
「そんな覇気の無いことでどうしますか! 勉学も体術もお兄様に勝てる者などいないというのに! 魔法だって本当なら」
兄の弱気な発言を妹が厳しく叱咤する、が
「深雪!」
それ以上に強い口調で名前を呼ばれて、深雪はハッとした顔で口を閉ざした。
「分かっているだろ? それは口にしても仕方のないことなんだ」
「……申し訳ございません」
「深雪……」
項垂れた頭にポンと手を置き、艶やかな癖の無い長い黒髪をゆっくり撫でながら、さて、どう機嫌をとろうか、と、兄であろう少年は少しばかり情けないことを考えていた。
「……お前の気持ちは嬉しいよ。俺の代わりにお前が怒ってくれるから、俺はいつも救われている」
「噓です」
「噓じゃない」
「噓です。お兄様はいつも、わたしのことを叱ってばかり……」
「噓じゃないって。
でも、お前が俺のことを考えてくれているように、俺もお前のことを思っているんだ」
「お兄様……そんな、『想っている』だなんて……」
(……あれっ?)
何故か、頰を赤らめる少女。
何かしら無視し得ない齟齬が生じているような気がしたが、少年は差し迫った問題の解決の為に、疑念を棚上げすることにした。
「お前が答辞を辞退しても、俺が代わりに選ばれることは絶対に無い。この土壇場で辞退したりすれば、お前の評価が損なわれることは避けられない。
本当は、分かっているんだろ? 深雪、お前は賢い娘だから」
「それは……」
「それにな、深雪。俺は楽しみにしているんだよ。
お前は俺の自慢の妹だ。
可愛い妹の晴れ姿を、このダメ兄貴に見せてくれよ」
「お兄様はダメ兄貴なんかじゃありません!
……ですが、分かりました。我侭を言って、申し訳ありませんでした」
「謝ることでもないし、我侭だなんて思ってないさ」
「それでは、行って参ります。
……見ていてくださいね、お兄様」
「ああ、行っておいで。本番を楽しみにしているから」
はい、では、と会釈をした少女の姿が講堂へと消えたのを確認して、少年はやれやれとため息をついた。
(さて……俺はこれからどうすればいいんだろ?)
総代を渋る妹の付き添いでリハーサル前に登校した少年は、入学式が始まるまでの二時間をどう過ごすか、悩み、途方に暮れた。
◇ ◇ ◇
本棟、実技棟、実験棟の三校舎。
内部レイアウトが機械可変式の講堂兼体育館。地上三階・地下二階の図書館。二つの小体育館。更衣室、シャワー室、備品庫、クラブの部室として使われている準備棟。食堂兼カフェテリア兼購買も別棟になっており、それ以外にも大小様々な付属建築物が建ち並ぶ第一高校の敷地内は、高校と言うより郊外型の大学キャンパスの趣がある。
入場が始まるまでの待ち時間、少年は腰を落ち着ける場所を探して、煉瓦を模したソフトコート舗装の道を、左右を見ながら歩いていた。
学校施設を利用する為のIDカードは、入学式終了後に配られる段取りになっている。
来訪者の為のオープンカフェも、混乱を避ける為か今日は営業していない。
携帯端末に表示した構内図と見比べながら歩き回ること五分、視界を遮らない程度に配置された並木の向こう側に、ベンチの置かれた中庭を発見した。
雨じゃなくて良かった、と埒もないことを考えながら、三人掛けのベンチに腰を落ち着け、携帯端末を開いてお気に入りの書籍サイトにアクセスする。
この中庭は準備棟から講堂へ通じる近道のようだ。
式の運営に駆り出されているのだろうか。在校生(少年にとっては上級生)が少年の前を少し距離をとって横切って行く。彼ら、彼女たちの左胸には一様に、八枚花弁のエンブレム。
通り過ぎて行ったその背中から、無邪気な悪意が零れ落ちる。
──あの子、ウィードじゃない?
──こんなに早くから……補欠なのに、張り切っちゃって
──所詮、スペアなのにな
聞きたくもない会話が、少年の耳に流れ着く。
ウィードとは、二科生徒を指す言葉だ。
緑色のブレザーの左胸に八枚花弁を持つ生徒をそのエンブレムの意匠から「ブルーム」と呼び、それを持たない二科生徒を花の咲かない雑草(weed)と揶揄して「ウィード」と呼ぶ。
この学校の定員は一学年二百名。
その内百名が、第二科所属の生徒として入学する。
国立魔法大学の付属教育機関である第一高校は、魔法技能師育成の為の国策機関だ。
国から予算が与えられている代わりに、一定の成果が義務付けられている。
この学校のノルマは、魔法科大学、魔法技能専門高等訓練機関に、毎年百名以上の卒業生を供給すること。
残念ながら、魔法教育には事故が付き物だ。実習で、実験で、魔法の失敗は容易に「チョッとした」では済まされない事故へ直結する。生徒たちはその危険性を知りながらも、魔法という自らの才能、自らの可能性に己が未来を賭けて、魔法師への道を突き進む。
稀少な才能を持ち、それが社会的に高く評価されるものであるとき、その才能を捨てられる者は少ない。それが人格的に未成熟な少年少女であれば尚のこと。
「輝かしい未来」
以外の将来を思い描くことができなくなる。それは決して悪いことではないが、その固定化された価値観の故に少なくない子供たちが傷を負うのも、また事実だ。
幸いノウハウの蓄積により、死亡事故や身体に障碍が残るような事故はほぼ根絶されている。
だが魔法の才能は、心理的要因により容易にスポイルされてしまう。
事故のショックで魔法を使えなくなった生徒が、毎年少なからず退学していく。
その穴埋め要員が「二科生徒」。
彼らは学校に在籍し、授業に参加し、施設・資料を使用することを許可されているが、最も重要な、魔法実技の個別指導を受ける権利が無い。
独力で学び、自力で結果を出す。
それができなければ、普通科高校卒業資格しか得られない。
魔法科高校の卒業資格は与えられず、魔法科大学には進学できない。
魔法を教えられる者が圧倒的に不足している現状では、才能ある者を優先せざるを得ないのだ。二科生は最初から、教えられないことを前提として入学を許されているのである。
二科生を「ウィード」と呼ぶことは、建前としては禁止されている。
だがそれは、半ば公然たる蔑称として、二科生自身の中にも定着している。二科生自身が、自分たちをスペア部品でしかないと認識している。
それは、少年も同じだった。
だから、わざわざ聞こえよがしに思い知らせてくれる必要は無い。そんなことは百も承知で、この学校に入ったのだ。
本当に余計なお世話だ、と思いながら、少年は情報端末に落とした書籍データへ意識を向けた。
◇ ◇ ◇
開いていた端末に、時計が表示された。
読書に没頭していた意識が、現実に引き戻される。
入学式まで、あと三十分。
「新入生ですね? 開場の時間ですよ」
愛用の書籍サイトからログアウトし、端末を閉じてベンチから立ち上ろうとしたちょうどその時、頭上から声が降って来た。
まず目に付いたのは制服のスカート。それから、左腕に巻かれた幅広のブレスレット。
普及型より大幅に薄型化され、ファッション性も考慮された最新式のCADだ。
CAD──術式補助演算機(Casting Assistant Device)。
デバイス、アシスタンスとも呼ばれている。
この国ではホウキ(法機)という呼称も使われる。
魔法を発動する為の起動式を、呪文や呪符、印契、魔法陣、魔法書などの伝統的な手法・道具に代わり提供する、現代の魔法技能師に必須のツール。
一単語、あるいは一文節で魔法を使い分ける呪文は、今のところ開発されていない。呪符や魔法陣を併用したとしても、短くて十秒前後、ものによっては一分以上の詠唱が必要となるところを、CADは一秒以下の簡易な操作で代替する。
CADが無ければ魔法を発動できないというわけではないが、魔法発動を飛躍的に高速化したCADを使わない魔法技能師は皆無に等しい。一定の技能に特化することを代償として、念ずるだけで超常現象を引き起こすいわゆる「超能力者」も、起動式システムがもたらすスピードと安定性を求めてCADを愛用する者が主流となっているほどだ。
ただし、CADがあれば誰でも魔法が使えるというわけでもない。
CADは起動式を提供するだけであり、魔法を発動するのは魔法技能師自身の能力。
つまり、魔法を使えない者には無用の長物であり、CADを所持するのはほぼ百パーセント、魔法に携わる者である。
そして少年の記憶によれば、生徒で学内におけるCADの常時携行が認められているのは、生徒会の役員と特定の委員会のメンバーのみ。
「ありがとうございます。すぐに行きます」
相手の左胸には当然、八枚花弁のエンブレム。
ブレザーを押し上げる胸のふくらみは、少年の意識に投影されない。
自分の左胸を隠す、ことはしない。
そんな卑屈さは、持ち合わせていない。
だが、劣等感が無いわけではない。
生徒会役員を務めるような優等生と、積極的に関わり合いになりたいとは思えなかった。
「感心ですね、スクリーン型ですか」
だが、相手はそう思わなかったようだ。少年の手で三つ折りに畳まれる携帯情報端末のフィルムスクリーンに目を遣りながら、何が楽しいのかニコニコ微笑んでいる。
少年はここに至り、ようやく相手の顔を見た。
相手の顔の位置は、ベンチから立ち上がった少年より、二十センチは低い。
少年の身長が一七五センチだから、女性としても小柄な方だろう。
目線が、彼が二科生徒であることを確認するには、ちょうどいい高さ。
だがその眼差しには、彼を見下す一切の色彩が含まれておらず、単純な、あるいは無邪気な、感嘆があった。
「当校では仮想型ディスプレイ端末の持込を認めていません。ですが残念なことに、仮想型を使用する生徒が大勢います。
でもあなたは、入学前からスクリーン型を使っているんですね」
「仮想型は読書に不向きですので」
彼の端末が年季の入ったものであることくらい誰にでも一目で分かるので、余計なことを訊き返したりはしなかった。
少年の言い訳じみた返事は、余り素っ気ないと、自分よりも妹の不利益になると考えた結果だ。新入生総代を務める彼の妹は間違いなく、生徒会に選ばれるだろうから。
そんな打算の産物に、その上級生は一層感心の色を濃くした。
「動画ではなく読書ですか。ますます珍しいです。
私も映像資料より書籍資料が好きな方だから、何だか嬉しいわね」
確かにバーチャルコンテンツの方がテキストコンテンツより好まれる時代だが、読書を好む人間がそこまで稀少ということは無い。
どうやらこの上級生は、珍しいくらい人懐こい性格らしい。口調と言葉遣いが、段々砕けたものになってきている点から見ても。
「あっ、申し遅れました。私は第一高校の生徒会長を務めています、七草真由美です。ななくさ、と書いて、さえぐさ、と読みます。
よろしくね」
最後にウインクが添えられていても不思議のない口調だった。美少女なルックス、小柄ながらも均整の取れたプロポーションと相まって、高校生になったばかりの男子生徒が勘違いしても仕方がない蠱惑的な雰囲気を醸し出していた。
それなのに、彼女の自己紹介を聞いて、少年は思わず顔を顰めそうになった。
(
魔法師の能力は遺伝的素質に大きく左右される。
魔法師としての資質に、家系が大きな意味を持つ。
そしてこの国において、魔法に優れた血を持つ家は、慣例的に数字を含む苗字を持つ。
そんな苦みを伴う呟きを心の中に押し留め、何とか愛想笑いを浮かべて、少年は名乗り返した。
「俺、いえ、自分は、司波達也です」
「司波達也くん……そう、あなたが、あの司波くんね……」
目を丸くして驚きを表現した後、何やら意味ありげに頷く生徒会長。
まあ、どうせ新入生総代、主席入学の司波深雪の兄でありながら、まともに魔法が使えない落ちこぼれ、という意味の「あの」だろう。
そう思い、達也は礼儀正しい沈黙を選んだ。
「先生方の間では、あなたの噂で持ちきりよ」
黙り込んだ達也を気にした様子もなく、真由美は楽しそうな含み笑いの後、そう言った。
それは、ここまで出来の違う兄妹も珍しいだろう、と達也は思った。
だが不思議と、そういうネガティブな感情は伝わってこなかった。含み笑いに、嘲りのニュアンスは感じられなかった。
真由美の笑顔からは、親しみを込めたポジティブなイメージしか伝わってこない。
「入学試験、七教科平均、百点満点中九十六点。
特に圧巻だったのは魔法理論と魔法工学。合格者の平均点が七十点に満たないのに、両教科とも小論文を含めて文句なしの満点。
前代未聞の高得点だって」
手放しの称賛に聞こえるのは自分の気の所為に違いない、と達也は思った。何故なら、
「ペーパーテストの成績です。情報システムの中だけの話ですよ」
魔法科高校生の評価として優先されるのは、テストの点数ではなく、実技の成績だからだ。
苦い愛想笑いを浮かべながら、達也は自分の左胸を指差した。
その意味を生徒会長が知らないはずは無い。
しかし真由美は、達也の言葉に対して、笑顔で首を振った。
縦に、ではなく、左右に。
「そんな凄い点数、少なくとも、私には真似できないわよ?
私ってこう見えて、理論系も結構上の方なんだけどね。入学試験と同じ問題を出されても、司波くんのような点数はきっと、取れないだろうなぁ」
「そろそろ時間ですので……失礼します」
達也は、まだ何か話したそうにしている真由美にそう告げて、返事を待たずに背を向けた。
真由美の笑顔を、このまま彼女と会話し続けることを、彼は心の何処かで恐れていた。
自分が何を恐れているのか、自覚しないままに。
◇ ◇ ◇
生徒会長と話しこんでいた所為で、達也が講堂に入った時には、既に席の半分以上が埋まっていた。
座席の指定は無いから、最前列に座ろうが最後列に座ろうが真ん中に座ろうが端に座ろうが、それは自由だ。
今でも、学校によっては入学式前にクラス分けを発表してクラス別に並ばせる古風なところもあるが、この学校はIDカード交付時にクラスが判明する仕組になっている。
従って、クラス別に自然に分かれる、ということもない。