豚の王子様

 諸君は、心を読まれるという経験をしたことがあるだろうか?

 まあ、おそらくないと思う。

 だが俺は今まさに、そんな経験をしている――それも、特殊すぎるシチュエーションで。

 心を読んでくるのは、スカートを穿いた金髪美少女。自分はなぜか豚の姿になっていて、だいたい地上五〇センチくらいの高さから美少女を見上げている。


「あの、豚さん……私、美少女じゃないですから……」


 スカートの中を覗かれているかもしれないのに自分が美少女と呼ばれるのをまず恥ずかしがるこの少女の名は、ジェスという。なぜか人の心を読むことができて、こうした地の文も、ジェスにはまるっと伝わってしまうのだ。


〈本当の美少女っていうのはな、自分を美少女と認めないものだ〉


 俺はモノホンの豚になっており、「ンゴw」と鳴くことしかできないので、反応してほしい思考にこうやって括弧をつけることで、セリフだと伝えている。

 俺の屁理屈に困っていた美少女は、しばらく考えてから口を開く。


「じゃあ私、美少女です」


 こやつ、自分を美少女と認めたら本当の美少女ではない、という対偶を突いてきた。賢い。


〈その通りだ。よく分かったな〉

「えええ! どうしてそうなるんですか……」


 そんな雑談をしながら、少女と豚は街の中心部へ買い物をしに向かっている。青空の下、爽やかな風が心地よい。納得いかないように頬をぷっくりと膨らませる美少女を横目に、俺は乾いた土の農道をテコテコ歩く。

 それにしても、絶景だ。

 豚の視界に広がるのは、見たこともないような世界。ひらひら踊る紺色の布の下で、健康的に引き締まった脚の美しい曲線を、白い薄手のソックスが優しくなぞっている。その向こう側には、着衣による圧力の支配を免れたふとももの、柔らかそうな肌が続いていて……風のいたずらで舞い上がるスカートの裾からは、さらにその先にある純白の――

 ――という描写も、もちろんジェスには伝わっている。


「気にしないでください。見えてしまうものは、仕方ありませんから」


 優しく微笑むジェス。天使か?


「天使じゃないです……あの、あんまり身に余る褒められ方をすると、とても恥ずかしいので……これ以上美少女とか天使とか言ったら、豚さんのお尻をぺんぺんしちゃいますよ!」


 ブヒッ! 美少女にお尻を叩いてもらえるなら、むしろご褒美だ。


〈ジェスたそマジ天使! 大天使! 超絶美少女!〉


 絶賛が過ぎたのか、ジェスは怒るというよりむしろ照れているような表情で頬を染めた。


「ぶ、豚さんだって、素晴らしい方だと思いますけど」


 慌てて話を逸らすジェスに、俺はぽかんとする。


〈……何をどう見たらそうなるんだ〉


 見た目は家畜、頭脳はオタク、その二つ名は眼鏡ヒョロガリクソ童貞だぞ。


「だって豚さんは、裏表がありませんから」

〈見た目通り、中身も豚だっていうことか〉


 地の文でもブヒブヒ言ってるもんな。


「えっと、そういうことではなくて……飾らないというか、嘘がないというか」


 心を読む少女が相手なのだから、飾っても仕方がないだろうに。


「そうじゃないんです。心の声まで優しい方って、あんまりいらっしゃらないんですよ」


 括弧をつけていない地の文は極力聞かなかったフリをしてくれ、という約束だったはずだが、まだ慣れないのか、ジェスは地の文にたくさん反応してくる。まあいいだろう。確かにジェスの言う通り、俺の思っていることと言っていることの間には、ほとんど差がない。カッコつけているかいないかの違いだけだ。


〈周囲の人に恵まれなかったんだな〉


 伝えると、ジェスは両手を振って否定する。


「いえ、みなさんとてもいい方ですよ! でも何て言うんでしょう、私は小間使いの身分ですから、あまり人と親しくなる機会がなくて、そこまで見返られることもないと言いますか……みなさん、親しい方には心の中でもお優しいんです」


 親しくない相手にも優しくなければ、それは優しいとは言えない気もするが……まあいいだろう、この話はやめよう。


〈小間使いで、遊び相手もできないってことだよな。普段はどういうことをして暇を潰してるんだ?〉

「そうですね、本を読んでいます」

〈小説を読むのか?〉

「ええ、物語も読みます」

〈へえ、どんな話を読むんだ?〉


 はにかむように、ジェスは指で髪をすく。


「ええと……おとぎ話です」


 ファンタジー世界におとぎ話があるっていうのも、なかなか面白い。


〈俺も好きだな、夢のある話は〉


 ジェスは同志を見つけたと思ったのか、嬉しそうに頷いた。


「こんな私でも、物語を読んでいるときは、冒険ができるし、魔法が使えるようになるし、王子様と出会うことだってできるんです。それって素敵なことじゃないですか?」


 確かに、金髪美少女にお尻ぺんぺんされることも理論上は可能だな、本の中では。


「本当にしてほしいんですか……?」

〈いや地の文は気にしないでくれ……それにしても、ジェスみたいな子も、王子様との出会いを夢見たりするんだな〉


 耳を赤くするジェス。


「あ……たとえば、たとえばの話ですよ!」

〈そうか。一応言っておくと、お尻ぺんぺんもたとえばの話だからな〉

「そうですよね、あくまで、たとえばです」


 そんな会話をしながら、ジェスのしなやかな脚は楽しそうに歩いている。店の並ぶ石畳の道が、前に見えてくる。ジェスはちょっと微笑んで、俺の方を見下ろした。


「……でも、大変なときにそばにいて、私のことを助けてくださる王子様みたいな方がいたらどんなにいいだろう、と考えたことはあります」


 そうなのか。


〈何か大変なことがあるのか?〉


 ジェスはすっと視線を外して、前を向いた。その襟元では、銀の首輪が鈍く光っている。


「い、いえ……特にはありませんが……これからあるかもしれないじゃないですか」

〈そうか。王子様、これから出会えるといいな〉


 少しだけ間があって、ジェスは「はい」と言って笑った。

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