着替えに付き添いはいらない

「ちょっと着替えますので、一緒に来てくださいませんか?」


 ジェスにそう言われてミミガーを疑った。

 女の子が着替えるとき、男は普通、どこか他の場所で待っているものではないのか?

 まして俺は、彼女いない歴イコール年齢の眼鏡ヒョロガリクソ童貞。どこにでもいるが、女性からは見向きもされない理系オタク大学生だ。少なくとも、昨日まではそうだった。

 だが豚になったことで、俺の人生はすっかり変わってしまったらしい。着替えるから来てくださいだなんて! 可愛らしい豚さんであることは、どうやら美少女の警戒心を下げる役割も果たしているらしい。異世界転生万歳! ここは豚であることを大いに楽しもうではないか。

 屋敷の螺旋階段を上りながらそんなことを考えていると、ジェスと目が合った。


「…………えっと」


 天使のような微笑みの中に、戸惑いの色が混じっているようにも見える。


〈すまん、心の声も聞こえてるんだったな〉

「いえ、別に謝ることはありませんよ。私、気にしませんから」

〈それはよかった。とても助かる〉


 ジェスはイェスマという種族で、心の声を聞くことができるという。ここで重要なのは、どこまで心を読めるか、ということだ。地の文に書かなければ――つまりモノローグにしなければ伝わらないのか。それともそんな努力は無意味で、心の奥底までお見通しなのか。ゲスな妄想ばかりしている身としては、早いところ明らかにしなければならないだろう。

 部屋に戻るとジェスは箪笥を開けた。中から見たこともない布を取り出す。

 これは何だ? 少なくとも、普通の服ではないようだ。とするとこの世界の下着なのか?

 ちょっと待て。俺がいるんだぞ。まさかここで本当に――

 ジェスは俺を見て悪戯っぽく微笑むと、ブラウスのボタンを上から外し始めた。

 ごくり。唾を飲む。そんな。俺の目の前で着替えるだなんて。

 ジェスはふふっと小さく笑って、外したボタンを再びつけ始めた。そして、箪笥から取り出した布を「じゃーん」と効果音が付きそうな仕草で俺に見せてくる。


「着替えと言っても、服の上からコルセットを着けるだけですよ」

〈そ……そうなのか〉

「ええ。だから、脱いだりはしません」


 笑顔で言い、ジェスはコルセットとやらを腰に巻いた。服の上から紐で締めるらしい。


〈安心した。俺の前で服を脱ぎ始めるのかと思ったぞ〉


 いやいやいやいや、おかしいだろ。うっかり期待してしまうところだったではないか!

 そもそも、服の上に着けるだけなら、どうして一度ボタンを外したんだ?


「ごめんなさい。着替えを楽しみにされていたようなので、ちょっと意地悪してみたんです」

〈……今のところはモノローグだから、反応しなくていいんだ〉

「あ、そうでした。すみません……」


 しかし意地悪とは。油断できない、恐ろしい少女である。

 慣れた手つきでコルセットを着け終えると、ジェスは楽しそうに俺を見てくる。


「やっぱり豚さんは、意地悪されるのがお好きなんですね」


 ぶひ……。


〈……イェスマの能力というのは、そんな秘密の性癖までお見通しなのか〉

「いえ、はっきり言葉にされている、そのものろーぐというものしか分からないんですが……なんとなく、豚さんはそういうのがお好きなんだろうな、と思いまして」

〈なるほど?〉


 それでもやはり、恐ろしい少女であることに変わりはない。

 会ったばかりの豚の性癖を見抜いて、豚が喜ぶ最適な扱いをしてくるのだ。まさに天性の才能と言っていいレベルだろう。俺もこの美少女のために、最善を尽くさなくてはなるまい。


「あの、これからお買い物に行く予定なのですが……お付き合いいただけませんか?」

〈もちろんだ。どこへだってついていくぞ!〉


 ふふふ、悪いな諸君。俺は一段先へ行く。どうやら用事ができてしまったらしい。

 美少女とのお買い物デート、実績解除である!

 そんなことを考える俺を、ジェスはなぜか嬉しそうに撫でてくるのだった。

刊行シリーズ

豚のレバーは加熱しろ(n回目)の書影
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