希望と祈り 《イースの場合》

 どんなときだって希望を捨ててはいけない。そう信じて私は生きてきました。

 そしてそれを、ノットさんにも幾度となくお伝えしてきました。

 私がノットさんと初めてお話ししたのは、彼がまだ六歳か七歳のとき。私がイェスマとしてバップサスにやってきてから二年ほど経ったころのことでした。

 ノットさんは孤児で、狩人の方々に育てられていました。移動しながら狩りをするので、決まった家をもたない人たちです。暗黒林地の中にぽつんとあるバップサスの村は、その方々がよく立ち寄る場所でした。

 当時一〇歳の私から見ても、ノットさんはまだ小さな子供でした。最初に交わした言葉は、私がウサギのスープを差し出したときの「どうぞ」「ありがとう」くらいのものです。まさかその男の子が初恋の相手になるだなんて、あのときの私に言ったところで信じないでしょう。

 恋のきっかけは分かりません。スープを渡して以来、私は狩人さんたちの中に混じっている小さな男の子のことを意識するようになりました。意識といっても、もちろん異性としてではなく、ただ、こんな男の子がいるんだな、という程度のものです。狩人さんたちが村に立ち寄るたび、私はノットさんと他愛のないおしゃべりをするようになりました。


「今朝は何が獲れたんですか?」

「ウサギ」

「次の出発はいつですか?」

「明日……多分」


 ノットさんは、口数の多い方ではありませんでした。それでも、私が何か訊くと嫌な顔をせず答えてくれます。単に話すのが苦手だったのかもしれません。

 イェスマの私も、孤児のノットさんも、あまり同年代で打ち解けて話せる相手がいなかったためでしょうか。私たちはよくおしゃべりをして、少しずつお互いのことを知りました。

 元々面影はあったのですが、ノットさんはたいそうな美少年に成長していきました。だからというわけでもありませんが、私はノットさんにいたずらをするようになりました。ちょっと頭を撫でてみたりだとか、少し近くに座ってみたりだとか、ちょっぴり胸元の緩い服を着てみたりだとか……。

 ノットさんは少しずつ大人たちの手を離れて、自由に行動されることが多くなっていきました。自立していくにつれてバップサスに滞在する頻度がどんどん高くなっていったような気がしたのは、私の思い上がりでしょうか。

 孤独な小間使いの私は、いつの間にかそんなノットさんに惹かれていました。

 ノットさんも私を悪くは思っていなかったはずです。たとえ冗談だとしても、ノットさんが私と結婚すると言ってくださったときには、とても嬉しかったのを憶えています。

 でもそれは、終わりの見えている関係でした。

 イェスマは一六歳になると、王都へ向かわなくてはなりません。途中で命を落とすか、そうでなければ王都に入って、一生外へ出ることはないのです。まさか、一三やそのあたりのノットさんに、そんな危険な旅路を共にしてもらうわけにはいきません。

 そのことを知ったノットさんは、自暴自棄になってしまいました。どんな無理をしたのか、クマに返り討ちにされて大怪我をしたこともありました。

 でも、どんなときだって希望を捨ててはいけません。

 私は決めました。ノットさんが一人前になったら、きっと一緒に王都へ行くのだと。そして二人で幸せに暮らすのだと。そのためには時間が必要でした。

 私がお仕えしていたマーサ様は、村の方々と結託して、雇い主の手を離れたイェスマを修道院で匿うということをされていました。

 一六になったイェスマが家を出るというのは、王朝からお達しの出ている規則です。しかし王都へ辿り着く期限というのは、実は決まっていないそうです。したがって、修道院で過ごすことは、厳密に言えば王朝の規則に反していないことになります。

 ただ当然、そうした企ては後ろ暗く、あくまで秘密のことでした。イェスマたちに同情的な土地柄の南部で、森の中にある田舎の村だからこそ、できていたことなのでしょう。

 私はマーサ様に、修道院で匿ってほしいとお願いをしました。

 最初は渋られてしまいました。王朝の規則では、イェスマは「家を出なければならない」のです。マーサ様の関わっている修道院で暮らすのが、はたして「家を出る」ことになるのか、かなり怪しいところでした。ただでさえ危ない橋を渡りながら隠し通してきた秘密に、さらに危ういことを重ねるのは、みなさん、できれば避けたかったはずです。

 それでもマーサ様は折れて、結局、私を匿ってくださいました。優しい方なのです。

 結果、あんなことになるだなんて。

 私のせいなのかは分かりません。でも、私が一六になって、修道院に入ったころから、周囲にヘックリポンがたくさん集まってくるようになりました。揃って体を揺らす黒い獣は、とても気味が悪いものでした。不吉の前触れだと噂されるのも分かります。

 ある夜、修道院が燃え上がりました。

 普通の炎でないことは一目瞭然でした。白と赤の入り混じる、目が焼けるほどに眩しい炎です。そもそも石造りの修道院で、燃えるものなどそれほどないのです。それなのに、炎は壁に纏わりつくようにして燃え続けました。私の目の前で、二つ年上の少女に炎が燃え移り、たちまち骨まで焼き尽くされるのを見ました。首輪だけが焼けずに残りました。

 死に物狂いで、私は運よく脱出できました。しかし、その後に起こったことを考えると――あそこで焼けてしまった少女たちの方が、むしろよかったのかもしれないと、一度もそう考えなかったと言えば、嘘になります。

 修道院を逃げ出した私は、すぐイェスマ狩りに捕まってしまいました。話に聞くだけだった存在が、これほど近くにいたなんて。あれからの日々は、ただひたすらに苦しみだけでした。

 それでも、希望だけは捨てませんでした。

 最期の瞬間まで、私はノットさんに助け出されるそのときを夢に見ていたのです。

刊行シリーズ

豚のレバーは加熱しろ(n回目)の書影
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