ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる

第0話:種馬騎士、花街で襲撃される


 どうやら厄介な状況になっているらしい──


 目の前に現れた女たちを眺めて、ラス・ターリオンはそう確信する。

 アルギル皇国二番目の大都市、商都プロウスの歓楽街だ。

 時刻はすでに真夜中に近いが、つかの間の休息を楽しむ異国の商人やようへいたちで、大通りは今もにぎわっている。

 しかし道を一本外れれば、街の雰囲気はがらりと変わる。

 薄暗い道にぼんやりと浮かぶ妖しげな看板。

 空気にみついたような香水の匂い。

 赤い灯火ランプに照らされた飾り窓の中には、肌もあらわな女性たちの姿が見えた。

 この先にあるのはいわゆる遊郭──皇国有数のしようがいなのである。

 美しく教養のある遊女たちを取りそろえ、客の男たちへの持てなしも一流。

 しかし法外な代金をむしり取る。

 まともな人間なら近寄るのをためらう物騒な通りだ。

 そんな花街に足を踏み入れた瞬間、見知らぬ女の二人組が、ラスの行く手を遮るように近づいてきたのだった。



「ラス・ターリオン・ヴェレディカきよう──だな?」



 最初に口を開いたのは、背の高い黒髪の女性だった。

 強い意志の力を感じさせる、りんとしたまなしの持ち主だ。

 年齢は、まだ若い。二十二、三歳といったところか。

 目立たない粗末なマント風コートを着ているが、その隙間から、手入れの行き届いた金属製の胸当てがのぞいている。

 背中側の膨らみは、腰にいた長剣のせいだろう。

 ほぼ間違いなく彼女はれん。それもかなり高貴な家柄の人間だ。


「悪いが、今夜の相手は予約済みなんだ。客引きならまた今度にしてくれるか?」


 ラスは、わざと素っ気ない口調で言った。

 しようあつかいされたことに気づいたおんなれんが、なっ、と眉をげて気色ばむ。

 しかし殺気立った視線でにらまれても、ラスは表情を変えなかった。

 なにしろ怪しげなコートをまとった女が、花街の路上で男に声をかけてきたのだ。しようと思われても文句は言えない。

 それが嫌なら、彼女はそもそも、こんな場所に近づくべきではなかったのだ。

 一方、彼女の背後にいたもう一人の女は、ラスの言葉を聞いてクスクスと笑い出していた。自分の連れである堅物のおんなれんが、ラスにからかわれたのがしかったらしい。

 二人目の女がまとっているのも、おんなれんのものによく似た灰色のコートだった。

 ただしぶかかぶったフードのせいで、表情はよくわからない。

 フードの隙間からのぞいているのは、この国ではめずらしい銀髪だ。


「我々がしようかんの客引きに見えるのか?」


 不快感をあらわにした口調で、黒髪のおんなれんいてくる。

 彼女の言葉を、ラスは鼻先で笑った。


「それ以外の誰が、花街で男に声をかけてくるんだ?」

「好きでこんな場所にいたわけじゃない。貴公のうわさを聞いて、仕方なく張り込んでいただけだ」

「……うわさ?」


 ラスがかすかに眉を寄せた。

 この商都で語られるうわさばなしのほとんどは、ラスにとって好意的とはがたい。むしろ圧倒的に悪評のほうが多いはずである。そのうわさを知った上で、わざわざ自分に会いに来る物好きがいたことが少し意外だったのだ。

 黒髪のおんなれんが、しゃべり過ぎたことを恥じるように顔をしかめて黙りこむ。

 彼女の代わりに口を開いたのは、フードをかぶった銀髪の女だった。


「あなたは、ちょっとした有名人のようですね、ラス・ターリオン。なんでもこの街のしようかんに、昼夜を問わず毎日のように入り浸っているのだとか」

「そうだな」

「おまけにしようを口説くだけでは飽き足らず、街中の女性に手を出しまくっているとも聞きました。たとえ相手に恋人がいたり、人妻であっても見境なしに。そのせいで、ついたあだ名が、〝極東の種馬ザ・スタリオン〟──」

「よく調べてあるじゃないか」


 ラスは素直に賞賛の言葉を口にする。

 銀髪の女は、おや、と不思議そうに首をかしげた。


「否定はなさらないのですね?」

「根拠のないデタラメってわけでもないからな」

「ふむ。では、あなたがそんな自堕落な生活を送るようになったのは、二年前の紛争で恋人をくしたのがきっかけだというのも事実なのですか?」

「──だったらなんだ? あんたが代わりに俺をなぐさめてくれるのか?」


 挑発的な口調でラスがかえす。

 女は、そう言われてなぜか愉快そうに微笑ほほえんだ。


「それを報酬としてお望みならば、検討しなくもありませんが」

「報酬だと?」

「はい。仕事の報酬です」

「仕事の内容は?」

「それを説明したいのですが、このあとお時間は空いてますか?」

「言っただろ。今夜は先約がある。しようかんのな」


 ラスは素っ気なく首を振り、彼女たちとの会話を切り上げようとした。


「待て、ラス・ターリオン」


 立ち去ろうとするラスを邪魔するように、黒髪のおんなれんが正面に回りこむ。


「私の主が貴公と話をしたいと言っている。貴公にはこれから我々に同行してもらいたい」

「そうか。嫌だが」


 ラスの返事は、相手が言い終わるよりも早かった。

 まさか即座に断られるとは思っていなかったのか、おんなれんぼうぜんと目をしばたたく。


「……なに?」

「あんたの頼みを聞く気はないと言ったんだ。アリオールに伝えておいてくれ。俺はおまえの部下じゃない。用があるなら、そっちから会いに来い──ってな」

「っ!?」


 黒髪のおんなれんが息をんで身を固くした。半ば無意識に剣の柄を握り、ラスをにらんで身構える。軽くカマをかけてみただけだったが、彼女の反応がラスの予想の正しさを証明していた。

 彼女が主と呼ぶ人物の正体は、アリオール・レフ・アルゲンテア第一皇子──

 この国、アルギル皇国の皇太子だ。


「なぜ私が殿下の命令で動いているとわかった……?」

「簡単な推理だよ、カナレイカ・アルアーシュこのれんたいちよう殿どの


 いまだ動揺を引きずるおんなれんに、ラスはいたずらっぽく笑いかける。


「あんたの立ち方には、要人警護を主任務にしているインペリアルガードの癖が出てる。そう。攻撃でも防御でもなく、敵の攻撃の妨害を最優先にしたその構えだ」


 ラスの指摘におんなれん──カナレイカ・アルアーシュが小さく肩を震わせた。

 皇宮衛士インペリアルガードの癖という言葉に、心当たりがあったのだろう。ほんの一瞬、自分の足元に視線を落とし、舌打ちするように唇をゆがめる。


「それにあんたの剣は、南方キデア大陸の流派で使うタイプの細剣だな。キデアの剣術を使うインペリアルガード──その条件にまるのは、アルアーシュ家のご令嬢だけだろう。アリオールが彼女を専属護衛に取り立てたってうわさは、プロウスでも話題になってたぜ?」

「……なるほど。貴公のような人物を、殿下が評価している理由がわかった気がするよ」


 感心したように息を吐きだして、カナレイカはすらりと剣を引き抜いた。灰白色の剣身を持つ優美な細剣だ。

 そして彼女はその剣先を、正面にいるラスの首筋へと突きつける。

 ラスは剣を構えるカナレイカを、おびえた様子もなく、ただ不快げに見返した。


「あんたの言葉と行動が、合ってないように見えるんだが?」

「そうでもない。殿下からは、力ずくでも貴公を連れてこいと命じられているからな」


 カナレイカが生真面目な口調で言った。どうやら彼女は、主人の言葉を本気で額面どおりに実行するつもりでいるらしい。


うわさがたしかなら、あんたはこのだんで最強と言われてるんじゃなかったか?」


 ラスがうんざりした表情で確認する。

 相手はすごうでの皇宮衛士。対するラスは、武器を持たない丸腰だ。

 裏通りとはいえ、歓楽街の一角である。周囲に通行人がいないわけではない。

 しかし路上で女に剣を突きつけられているラスを見ても、彼らが騒ぎ立てるようなことはなかった。むしろ面白い見世物だとばかりに、立ち止まって成り行きを見守っているだけだ。


「今さらそんなうわさづくくらいなら、素直に殿下の依頼を受けたらどうだ?」


 カナレイカはつまらなそうに首を振ると、ラスに剣を向けたままゆっくりと移動した。

 ラスの退路を塞ぎながら、無関係な野次馬を巻きこまないように配慮もしている。最強の皇宮衛士の名に相応ふさわしい非凡なぎわだ。

 だからこそ、つけいる隙がある。

 通りに面した建物のかべぎわに追い詰められて、それでもラスは不敵に笑った。


「それよりはマシな解決策に心当たりがあってな」

「解決策だと? 残念だが、貴公に逃げ道はないぞ?」


 カナレイカがいらったように言い返す。

 ラスは首を振って自分の背後に視線を向けた。レンガ造りの分厚い壁。薄汚れた窓越しに見えるのは、酔客でにぎわう酒場の店内だ。


「そいつはどうかな」


 投げやりにつぶやくと同時に、ラスはその場でぐるりと旋回した。最初の肘打ちで建物の窓ガラスをたたり、そのままの勢いで酒場の店内へと転がりこむ。

 ガラスの砕け散る甲高い音とともに、破片を浴びた酔客たちの悲鳴と怒号が上がった。

 その光景を、カナレイカはぼうぜんと眺めていた。

 なまじ品行方正な皇宮衛士だけに、窓をぶち破って酒場に逃げこむというラスの行動に、すぐには反応できなかったのだ。

 その間にラスは、酒場の奥へと移動している。混乱した酔客たちがくらましになって、カナレイカはラスの姿を見失っているはずだ。


「またあんたかい、ラス! いったい何度目だと思ってるんだい!?」


 代わりにラスを怒鳴りつけたのは、かつぷくのいい酒場の女主人だった。


「悪いな。修理代はフォンの店につけておいてくれ」


 行きつけのしようかんの名前を出しながら、ラスは女主人に謝罪する。ラスは前にも何度か、この店で騒ぎを起こしていた。もちろんじよせいがらみのトラブルだ。


「よお、種馬。今度の女はれんか? いったいなにをやらかしたんだ?」

「おまえなんかさっさと斬られちまえ! いや、爆発しろ!」


 見覚えのある酔客たちが、ラスに暴言を投げかけてくる。

 この街では、ラスは悪い意味の有名人だ。ラスを本気で恨んでいる相手には事欠かないし、そうでなくとも女にモテるというだけで敵視されることも少なくない。この程度の罵倒や嫌がらせは日常茶飯事なのだ。


「うるせえ、邪魔すんな」


 逃走を妨害しようとする酔客数人を殴り飛ばして、ラスは裏口から店の外に出た。

 カナレイカが追ってくる気配はない。彼女は今もラスを見失ったままらしい。このまま闇に紛れて裏路地を抜ければ、その先にあるのは迷路のように入り組んだ住宅街だ。そこまでたどり着けば、カナレイカに追いつかれることはない。

 彼女から逃げ切ったことを確信して、ラスは薄く笑みを浮かべた。

 ラスの頭上をまばゆい輝きが照らしたのは、その直後だ。


「なに……!?」


 青白い輝きの正体は、直径一メートルを超える巨大な火球だった。

 それは砲弾のように弧を描いて飛来し、ラスの眼前で地面に激突。爆発的に燃え広がって、狭い街路を覆い尽くす。

 肌を焼くような熱波とともに、つんとしたケロシンの刺激臭が鼻を突いた。

 第六等級のちゆうれんじゆつ【炎爆】。大気中の水分と二酸化炭素を触媒に、高温の炎をれんせいした術者がどこかにいるのだ。


「こんな街中でれんじゆつだと……!?」


 ラスは足を止めて、火球が飛来した方角を振り返る。

 今しがたラスが通り抜けてきた酒場の屋根の上に、フードをかぶった女性の姿があった。カナレイカと一緒にいた銀髪の女だ。


「俺の動きを読んだのか? あの銀髪、何者だ……?」


 ラスが困惑に目を細めた。

 厄介なのは、彼女がれんじゆつを使ったことではない。営業中の酒場を逃走経路として利用するというラスの奇策を瞬時に見破り、先回りした洞察力だ。

 強力なれんじゆつの炎は、ラスの逃走経路を遮るだけでなく、ラスの居場所を彼女の仲間に伝える役割も果たしていた。異変に気づいたカナレイカが酒場を飛び出し、路上で立ち尽くすラスに追いついてくる。


「見つけたぞ、ラス・ターリオン! 今度は逃がさん!」


 黒髪のおんなれんが、殺気立った表情で細剣を構えた。

 ラスは振り返ってためいきをつく。事を荒立てずに彼女たちから逃げ切るというラスの目標は、どうやら達成不可能らしい。


「いろいろと問題になりそうだから、皇宮衛士インペリアルガードを傷つけたくはなかったんだがな」

「……面白い。私に傷を負わせられるというのなら、やってみせろ!」


 だるげに息を吐くラスに向かって、カナレイカがたけだけしくえた。

 彼女が握る細剣の刃に、赤い血管のような紋様が浮かび上がる。カナレイカが流しこんだれんによって、彼女の剣が励起状態になったのだ。

 れんが操る石剣は、鋼鉄よりもきようじんな魔獣の外皮すら貫通する。

 一方で切断面が滑らかなため、治療が容易で傷の治りも早い。

 どうやらカナレイカはラスを捕らえるため、手脚の一本でも斬り落とすことにしたらしい。妥当な判断だといえるだろう。相手がラスでなければ、だが。


「だから、そいういう面倒なのには関わりたくないんだって──」


 ラスは両腕をだらりと下げたまま、無造作にカナレイカとの間合いを詰めた。

 完全に相手の不意をいた攻撃だが、カナレイカの反応は速かった。

 石畳を蹴った黒髪のおんなれんが、信じられないほどの速度でラスに斬りかかる。

 しかし彼女の攻撃が、ラスの肉体に届くことはなかった。

 せんこうの速度で突き出された刃を、ラスが素手で挟みこむように受け止める。

 左のてのひらと右の拳。

 甲高い音を残して砕け散ったのは、挟まれた細剣の刃だった。


「は……!?」


 カナレイカの口から間抜けな声が漏れた。鋼鉄すら断ち切る励起状態の石剣が、こんなにも容易たやすく砕けるなど、あってはならないことだからだ。


「馬鹿な……素手で私の剣を折っただと……!?」

「悪いな、このれんたいちよう殿どの。弁償はしないぜ。正当防衛だ」


 放心したように固まるカナレイカの隣を、ラスは軽口をたたいてすり抜ける。

 だが、そのまま裏路地へと逃げこもうとしたところで、ラスは困惑したように足を止めた。フードをかぶった銀髪の女が、ラスを待ち受けるように立っていたからだ。


「カナレイカでも、やはり君を止められなかったね」


 笑い含みの中性的な口調で、女が告げた。

 このだん最強とうわさされるカナレイカ・アルアーシュの敗北をたりにしても、彼女が動揺している気配はない。むしろそれすらも予測して、彼女はラスに先回りしたのだ。


「……誰だ、おまえは?」


 ラスが表情を険しくした。銀髪の女の雰囲気や口調が、さっきまでとは少し変わっている。おそらくこちらが、彼女の本来の姿なのだろう。

 その変化にラスが戸惑ったのは、今の彼女の口調になぜかなつかしい印象を受けたからだ。


「私の素性が気になるなら、確かめてみるかい?」


 女が微笑ほほえみながら剣を抜いた。彼女もれんだったのか、とラスは意外に思う。

 たしかにれんじゆつ使つかいだからといって、剣が使えないとは限らない。実際、励起した石剣の輝きを見ても、彼女が相当な使い手であることはうかがい知れた。

 しかし彼女にカナレイカほどの実力があるとは思えない。思わせぶりにかぶったフードを剝ぎ取るくらいのことは、ラスにとってたいした手間ではなかった。

 彼女の素性に興味があったし、なによりもその挑発的な態度が気にさわる。


「痛い思いをしても、あとで文句は言うなよ?」

「痛い目に遭うのは、きみのほうかも知れないよ?」

「言ってろ……!」


 ラスは苦笑しながら軽く足を踏み出した。

 銀髪の女が剣を振る。

 剣筋は予想よりもはるかに鋭い。だが、ラスを負傷させるつもりはないのか、峰打ちだ。そのせいで本来の精度が出ていない。ラスはやすやすと攻撃をかいくぐり、半ば布地を引き裂くようにして、彼女のフードをすれ違いざまに引き剝がす。

 闇の中に銀色の光が散った。

 こぼれた長い銀髪が、月光を浴びて雪原のような輝きを放っていた。

 すみれいろの大きな瞳が、振り向いたラスを見返してくる。

 その瞳の輝きに、ラスは目を奪われた。

 フードの下から現れたのは、天使を思わせる精緻な美貌だ。

 しかしラスが動きを止めたのは、彼女の容姿に見とれたせいではなかった。

 ラスは単純に驚いていたのだ。彼女の顔を、ラスはよく知っていたからだ。


「──殿下!」


 剣を折られた動揺から立ち直り、ラスを追いかけてきたカナレイカが叫んだ。すみれいろの瞳の女を、皇宮衛士インペリアルガードが殿下と呼んだのだ。

 だがそれは、絶対にあり得ないことだった。


「殿下……だと?」


 ラスがかすれた声で言う。

 思考が混乱して言葉にならない。銀髪とすみれいろの瞳を持つ、美貌の皇女殿下。そんな人物は、この皇国には存在しない。

 なぜなら彼女は、。二年前のあの紛争で。


「ようやく捕まえたよ、ラス」


 戸惑うラスの胸元に、すみれいろの瞳の女がそっと触れた。

 美しく微笑ほほえむ彼女の手の中で、れんが膨れ上がる気配がする。れんじゆつの発動する兆候。第三等級のれんじゆつ【雷撃】だ。静電気かられんせいした高圧電流をまともに浴びて、ラスはその場に崩れ落ちる。


「フィー……どうして……」


 闇にまれていく意識の中で、ラスは弱々しくつぶやいた。

 そんなラスを見下ろしながら、死んだはずの皇女フィアールカ・ジェーヴァ・アルゲンテアは、静かに微笑ほほえんでいたのだった。

刊行シリーズ

ソード・オブ・スタリオン2 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられるの書影
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