ソード・オブ・スタリオン2 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる

第5話:種馬騎士、縁談を持ちかけられる


 5


 北侯フレデリクは、四十代後半。

 軍人としては一線を退いて久しいが、今なお揺るぎない威厳を感じさせる風貌の持ち主だ。

 きらびやかな衣装をまとって皇太子を演じるフィアールカと並んでも、その存在感は見劣りしない。少なくとも威圧感に限れば、フレデリクのほうが圧倒的に上だろう。


「──挨拶が遅れたことをびよう、ターリオンきよう。龍殺しの英雄の来訪を心より歓迎する。うちの娘とも親しくしてもらえているようでなによりだ」


 フレデリクが低い声でラスに呼びかけた。

 それが言葉どおりの意味なのか、それとも怒りを隠しているのか、彼の表情からは読み取れない。ペルニーレはただ無言で顔を伏せる。


「素晴らしいうたげにお招きいただいたこと、感謝します、バーンディ閣下。お目にかかれて光栄です」


 ラスはたりさわりのない態度で挨拶を返した。

 北侯と同格の極東伯の息子とはいえ、ラスとフレデリクに直接の接点はない。フレデリクのほうから声をかけてきたのが、むしろ意外とすら感じられる。

 しかしフレデリクは、なぜかラスを無表情に見返して、


「敬語は不要だ、ターリオンきよう。むしろ筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーであるきみに対しては、私のほうがへりくだるべきかもしれんな」

「おたわむれを、閣下。見てのとおり、自分など皇帝陛下の気まぐれで分不相応な肩書きを与えられただけの若輩者ですからね」

「分不相応か。殿下はそうは思っておられないようだが?」

「そうだね。実績的にも問題はないし、ラスならば重責に応えてくれると信じているよ」


 フレデリクに目を向けられて、フィアールカがにこやかに返答する。


「実績か。ふむ、そういえばほんの数日前に、ラス・ターリオンを名乗るれんが、シャルギア国内で水龍を討伐したという連絡を受けている。これは貴殿のことで間違いないか? うわさでは、ティシナ・ルーメディエン第四王女の危機を救ったということだが」

「水龍だと?」

「まさか……下位龍ではない本物のドラゴンですぞ……」


 フレデリクの問いかけに、会場が大きくどよめいた。

 王国との交易が盛んな北侯家ともなれば、シャルギア国内に間諜スパイを放っていても不思議はない。それにしても情報が速すぎた。ラスがティシナ王女と接触したことは、王国でも重要機密扱いになっているはずなのだ。他国の貴族が、おいそれと手に入られるような情報ではない。


「さすが、バーンディ侯。耳が早いね」


 フィアールカが本気で感心したようにつぶやいた。フレデリクが、少し意外そうに眉を上げる。


「では、うわさは真実だと?」

「そうだよ。おかげで潜入工作がバレて、ラスは王国を追い出される羽目になったんだけどね」

「殿下、それは……」


 カナレイカが、小声でフィアールカをいさめようとした。筆頭皇宮衛士による他国への不法侵入は、このような場所で大っぴらに語るようなことではない。

 しかしフィアールカは、まあまあ、と彼女のかんげんを受け流す。


「いいんだよ、カナレイカ。バーンディ侯に隠すようなことではないからね」

「……なぜ皇国の筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーが、シャルギアに潜入工作を?」


 フレデリクが、眉間にしわを寄せてフィアールカを見返した。


「ティシナ王女が、暗殺者に狙われているからだよ。よりによって皇国の暗殺者にね」

「それは、殿下と王女の婚姻が原因ですか?」

「そう思う人間は多いだろうね」


 北侯の不用意な発言を、フィアールカもとがめようとはしなかった。

 シャルギアの第四王女と皇国の皇太子の縁組みが水面下で進められていることは、今や公然の秘密なのだ。少なくともこの会場にいるまともな貴族で、それを知らない人間はいないだろう。


「そいつは難儀な状況ですな、父上。我がバーンディ家も無関係では済まないかもしれない」


 フレデリクが連れていたきんじゆの一人が、不意に親しげな態度で会話に参加した。

 父親譲りの灰色の髪を持つ、やや軽薄そうな顔立ちの貴族男性だ。

 ヴァルデマール・グレイ・バーンディ──

 北侯家の次男であり、自らも皇国北部のグレイ領を預かる騎士爵。そして北侯領の領軍では副師団長を務める優秀なれんだといわれている。

 そして彼は、ラスやフィアールカにとっても古い知り合いだ。士官学校時代の先輩なのである。


「滅多なことを言うな、ヴァル」


 息子の軽率な発言に、フレデリクが怒気をにじませた。

 しかしヴァルデマールは、どこ吹く風というふうに首を振る。


「いやいや、だって疑われても仕方がないでしょう。なにしろ我が家には王女を暗殺する動機がある。シャルギアのお姫様がまかれば、ペルが殿下の正妃になる可能性が復活しますからね」

「兄上……!」


 ペルニーレが、ギョッとしたようにヴァルデマールをにらみつけた。ヴァルデマールの言葉が、冗談では済まない類のものだったからである。

 事実、皇太子アリオールとティシナ王女との政略結婚がなければ、ペルニーレが皇太子の婚約者候補から外されることはなかった。ペルニーレは、ティシナ王女が死ぬことで利益を得る人間の一人なのだ。


「落ち着け、ペル。このまま北侯家うちがなにもしなければ、そういう口さがないうわさを言いふらすやつらが現れかねないという話だ」


 ヴァルデマールが、気色ばむ妹をからかうように笑った。

 フレデリクが、冷え冷えとしたまなしで息子をにらむ。


「貴様はなにか言いたいのだ、ヴァル?」

「そうなる前にうわさの元を絶つのはどうです? 北侯家うちが疑われる原因は、ペルの嫁ぎ先が決まってないからでしょう。つまりペルに相手がいれば、ぎぬを着せられる心配はないわけだ」


 ヴァルデマールが、人々の反応をうかがうように周囲を見回した。

 彼の提案を聞いた人々の表情には、一様に納得の色が広がっている。


「相手はどうする。心当たりでもあるのか」

「そこにちょうどいいのがいるじゃないですか。なあ、ターリオンきよう


 フレデリクの疑問に、ヴァルデマールは待ちかねたとばかりにラスを見た。

 唐突に周りの視線を集めたラスは、思わず口に含んでいたワインを噴き出しそうになる。


「極東伯家の息子なら、家格は充分。見てくれだって悪くない。おまけに龍殺しというはくまでついてくる。北侯家にとっても悪い縁組みじゃないでしょう?」


 ヴァルデマールが、悪い笑みを浮かべながらまくし立てる。

 ラスは慌てて彼の言葉を遮った。


「ちょっと待った、待ってください。俺は、二年間もしようかんに入り浸っていたという悪名高い男ですよ。ペルニーレ嬢のお相手なんて、とても務まりませんよ。彼女の名前に傷がつきます」

「きみのいうしようかんというのは、黒の剣聖が営む店のことかな」


 フレデリクが厳かな口調でラスに問いかける。ラスは驚いて北侯を見返した。


「……なぜそれを?」

「私は陛下の護衛として、フォン・シジェルがラギリア砂海で砂龍を殺す現場に居合わせたのだ。彼女がしようかんの営業許可を陛下に求めたことも知っている。あの店のしようたちの正体が、魔獣狩り専門のようへいということもな」


 北侯の告白に、ラスは無言で目を見張った。

 アルギル皇帝ウラガンと、北侯フレデリクはほぼ同世代。二十七年前の戦争で、彼らが同じ戦場に立っていたとしても不思議はない。黒の剣聖フォン・シジェルと、皇帝の密約を知る機会があったということだ。


「そもそも未婚の兵士がしようかんがよいをしていたからといって、文句を言われるようなことではないでしょうよ。妻がいながら、愛人を何人も囲っている貴族に比べればずいぶんマシだ。ああ、いや、自己弁護のつもりはありませんがね」


 ヴァルデマールが、軽薄な口調でラスを擁護した。知らないうちにペルニーレとラスの婚約が、祝福されるべき慶事のような流れになっている。ラスとしてはありがたくない状況だ。

 驚いたことにフレデリクまでもが、ヴァルデマールの提案に一考する素振りを見せている。


「ペルニーレの嫁ぎ先としては、たしかに悪くないかもしれんな。四侯三伯の縁者同士の婚姻には、陛下の許可が必要だがな」

「それについてはアリオール殿下に、口添えをお願いすればよろしいのでは?」


 それまで黙って成り行きを見ていたフィアールカに、ヴァルデマールが視線を向ける。

 彼の立場では皇太子に直接話しかけることができないので、うたげの主催者である父親を通じて、お伺いを立てるというかつこうだ。


「きみの言い分はわかったよ、ヴァルデマール・グレイきよう。しかし私の立場では、その頼みを聞くのは難しいな」


 黒い仮面をつけたフィアールカが、男性の声でヴァルデマールに答える。

 ヴァルデマールは顔を伏せてかしこまりながら、いんぎんな口調でかえした。


「理由をお聞かせいただいても?」

「私がペルニーレ嬢に肩入れしてしまうと、そこにいるカナレイカの恋路を邪魔することになってしまうからね」


 フィアールカが、意味ありげに目を細めながらカナレイカを指し示した。


「で、殿下……こ、こ、恋路など……私は、決してそのようなつもりでは……」


 いきなり注目を集めたカナレイカが、可哀かわいそうなほどにうろたえる。

 もちろんフィアールカも、カナレイカがラスを本気で慕っているなどと思っているわけではないだろう。ラスに多少の好意を抱いているとしても、それは恋愛感情と呼べるようなものではない。しかし、この場を切り抜けるための口実としては、その多少の好意とやらで充分なのだ。

 相変わらずの性格の悪さだな、とラスは腹黒皇女を半眼でめつける。


「まあ、そんなわけで、ひとつ余興はいかがだろうか、バーンディ侯」

「余興、ですか?」

「剣で決着をつけるというのはどうかな。ペルニーレ嬢はれんじゆつ使つかいで剣士ではないから、グレイきように代理人になってもらおう。あくまでも余興の範囲ということで、血なまぐさい決着はなしで頼むよ」


 フィアールカの唐突な提案に、フレデリクは沈黙した。

 その決闘がもたらす利益と損失を、素早く計算しているのだろう。

 しかしうたげの主催者としては、皇太子の誘いを断るという選択肢はない。フィアールカの提案に乗れば、北侯家がティシナ王女の暗殺に関与したといううわさは確実にふつしよくできるし、余興としても確実に盛り上がる。フレデリクとしては利の多い話だ。


「グレイきようが勝てば、陛下がラスとペルニーレ嬢の婚約を認めるように計らおう。カナレイカが勝った場合は、グレイきようには私の頼みをひとつ聞いてもらう。それでどうかな?」

「ふむ……どうする、ヴァル?」


 フレデリクは、息子に意見を求めた。

 この決闘で北侯家にリスクがあるとすれば、それはヴァルデマールが手痛い敗北をするという可能性だ。北侯軍の副師団長である彼が、手も足も出ないままカナレイカに負けるようなことがあれば、本人の名誉だけでなく、軍そのものの評価が傷つくことになる。


「いいですね。このだん最強と呼ばれるカナレイカ嬢なら、相手にとって不足はない。この会場にいる皆様の、いい土産話になるでしょう」


 しかしヴァルデマールは、そう言って自信ありげに微笑ほほえんだ。

 その結果、カナレイカとヴァルデマールの決闘が、余興としてきゆうきよ執り行われることになったのだった。

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