第一章 プリン一個で終わる世界 7
ぱぱーっ! パパパぱぱパーッ!! と。
車のクラクションが連発されていた。大きな通りが色とりどりの自動車で埋め尽くされている。我慢できずに愛車を乗り捨てて徒歩で移動するのは個人の自由だが、車は取り残されたままなので渋滞が渋滞を生む状況に発展している。
『ええー、車が前に進まないってどういう事なんですかーっ!? 先生それじゃ困りますー』
『おい浜面、これゲートも本当に開くのか? 俺達、このまま学園都市の中に閉じ込められるんじゃ……』
『ひっ! ありゃ「六枚羽」だぜ。あの攻撃ヘリがゲートの方に向かっていくっていう事は、無理に「外壁」を乗り越えようとした人達が襲われているって可能性もあんじゃねえのか。半蔵も郭もみんな下りろっ、逃げるんだ!!』
ドガッドガ!! と美琴が地上から『
『ひいい! 怪獣だ、怪獣がやってきたぞおーっ!!』
人を助けてもこの騒ぎだ。
ガラクタ兵器と
「でも何でこんな見当違いの方向に車がたくさん……?」
美琴はちらっと携帯電話に目をやって、
(民間周波数なんて学園都市全域で圏外だし、GPS系の地図アプリやコンパスもダメなのか……。食蜂のヤツめ、ほんと所構わず迷惑を撒き散らしまくっているわね)
どうやら人間は自分の事が見えない生き物らしかった。
単独で広大な要塞を吹っ飛ばして攻略していく『
ややあって、信号機自体が光を失ってしまった。
もう車やバイクを使った移動手段は使い物にならない。
食蜂側は美琴が街中に張り巡らされた防犯カメラ網や無人兵器を使いこなすのを嫌って、インターネット回線全体の寸断に乗り出している。これもその弊害だろう。
とはいえそれも完璧ではない。
「ひとまずこんな感じかな、と」
例えばそこらを普通に走っているドラム缶型の警備ロボットや清掃ロボットは通信障害下でものんびり通常運転だった。強盗が建物の電源ケーブルや配電盤を破壊して防犯カメラを潰した時でも独立行動できるように、こう見えて独自の無線通信網を構築しているのだ。ドラム缶の一つ一つが無線LANの小さなアンテナ基地と言っても良い。
つまり悪用すれば、ここから不正なデータ通信を行う事はできる。
(……独立回線は
ひとまず『六枚羽』を始めとした無人兵器系をまとめて制圧できれば十分だ。
作業を終えると、美琴は傍らで起きている騒ぎに眉をひそめた。
(? 何でスーパーで騒ぎが??? 食料品やミネラルウォーターの買い占めでも起きているのかしら)
だとしたら民衆の動きは思いっきり空回りだが、下手に核心を突いてもらうよりはマシか。第三位と第五位、集団で元凶を止めに来る場合は直接対処しなくてはならなくなるのだし。
でもってスーパー裏手の路地では数人の学生がこそこそ何かやっている。
『しょう油だ、しょう油を飲め小僧! 塩の塊でも良い!!』
『うう、何でぼくは
『何言ってんだい、相手は人の心を読むっていう第五位よ。その余計な考えを読み取られて致命傷になるかもしれないのっ。いい、それその二リットルのボトル飲み終わったらこっちの麻酔銃をアタマにぶち込んで短期記憶をぶっ壊すから!! ほら早く全部お腹に詰めて!!』
(……マジで悲惨な世の中だ……)
スーパーの店内で変な争奪戦が起きているのもこれか。
まあ命懸けでインチキしても良いから食蜂の手駒にだけは絶対なりたくない、というのは大賛成だが。
食蜂側がこっちを追ってこない時点で、大体の思惑は推理できた。
学園都市の基本は風力発電だ。街中に三枚羽のプロペラがあるので多少の故障や破壊が発生したところで滅多な事では大停電までは起こらない。ただ一方で網の目のように走る送電網をきちんと管理・操作しないと各プロペラで発電した電気が一本の同じラインに集まり、規格の上限を超えた電流によって地下電線が焼損してしまうため、これを適正に分配するための専用の演算管制施設が存在するのだ。
通常電源に非常電源、公共発電に個人発電、業務送電に一般送電。
学園都市に何ヵ所かある切り替え施設が、言ってしまえば電源中枢という事になる。
こうした建物を壊すか乗っ取るかすれば学園都市の大停電は起こり得る。というか黙っていれば食蜂操祈がそうする。電気を操る御坂美琴から無人兵器やネットワークまわりのアドバンテージを奪い、有利に戦いを進めたいというだけで。
機械系の力を借りる事ができなくなれば、美琴は独りぼっちで戦うしかなくなる。対して二三〇万人を自由に選んで洗脳できる食蜂側は、自分は顔を出さずに数の暴力でひたすら圧殺という選択肢すら選べるようになってしまう。
その利点は分かるのだが、
「……冗談じゃないわよまったく。バカは細かいトコまで検証ができてないっていうの? 大停電なんてほんとにやったらそこらじゅうの研究所で冷凍保存してあるヤバい細菌やキメラクリーチャーなんかが街に溢れ返る羽目になるっつの」
食蜂操祈も美琴に勝つためなら何でもする覚悟くらいは決めているらしい。
悪女系おっぱい美人の怖いところは水面下で静かにキレるところにある。
「さて……」
食蜂側が防犯カメラ網や無人兵器を嫌って、美琴から戦力を削ぐために学園都市のインフラを襲うとしたらどこが最適か。
答えが分かる自分が美琴は恨めしかった。
(……この辺りだと、第七学区並列送配電総括非常電源ガスタービン発電所、か)
美琴は即座に答えを見抜く。
敷地地下などに大規模な非常電源を備えている施設もあるが、高額なので全部とはいかない。なので学園都市は研究所や病院を守るための非常電源をまとめた発電施設を用意している訳だ。とはいえ、並列式の送配電の調整をあらかじめ済ませないと電源切り替え時にミスして大停電を起こすリスクが確認されている。『実験』妨害時に軍用クローン製造施設をぶっ壊すために考案した手の一つだから美琴も良く覚えている。上からの命令で制度ができたので仕方なく建設したものの、そもそも現実に街中に張り巡らせた風力発電網がダウンする可能性など真剣に考慮していないのだ。ようは、典型的な黒いハコモノだった。
「でも食蜂側がこんなマッチョな施設の知識をどこで……? いや、あいつもあいつで『
ともあれ、この通常電源と非常電源の競合バグを悪用して大停電が起こされた場合、本当に街中の研究所が機能停止に陥ってしまう。
そうなった場合、待っているのは冷凍保存されている凶悪なウィルスやキメラクリーチャーなんかの拡散祭りだ。ナントカハザードへようこそ。そもそも面白半分でそんなもん作ってるからトラブル一つで街全体が容易く滅ぶんだとか言ってはいけない。
短絡的な対応だと敵に動きを読まれそうで嫌だが、でもこの問題を野放しにもできない。
美琴は分厚いコンクリートでできた、そこらの学校より大きな施設に足を運んだ。
当然ながら電源施設の正面ゲートで大人に止められた。
「キミっ、ここは立入禁止だ!! 工場見学ブームだか何だか知らないが、無断で入ると補導もありえr
ドゴンッッッ!!!!!! と。
『
ぱんぱん! と美琴は両手を叩いて、
「さあー皆さん帰った帰った! 今からこの施設は理性をなくした数千単位の人の群れに襲われるから急いで退避して!! 職業意識も大切だけど、生きて帰って家族の顔をもう一回見るのとどっちが大切? わずかでも躊躇があるなら迷わず家に帰りなさい。猶予は五分!!」
「……、」
「数千人規模の群衆に押し潰されるのと、音速の三倍で飛ぶ『
「ひっ、ひいいーッ!!」
身も世もない感じで逃げていく大人達。
帰る場所や脳裏に浮かぶ家族がいるって素晴らしい。
(……あー、せめてバンダナで口元くらいは隠すべきだったかなー? いやどっちみち常盤台の制服着たまま『
バタドタバタ!! と派手な足音や戸惑いの声が続いたが、どうやら職員達は退避する方向でまとまったらしい。
緊急事態を伝える作業サイレンだけが虚しく施設内に響き渡っている。
「さて」
磁力を使って垂直に一五メートル以上飛び、美琴はガスタービン発電機の排気を司る長い煙突側面、作業ハシゴへ張りつく。
高い場所から観察すれば、もうあった。
ざわざわと。
生物的なウェーブが景色の向こうから大通りを埋め尽くしてくるのが分かった。
食蜂操祈に洗脳された、数千人規模の群衆だ。
すでにネット回線は食蜂の手で寸断気味なので、美琴側は『六枚羽』などの無人兵器を十分な形では展開できない。
美琴が単独で迎撃に出ても、向かってくる全員を撃破できるかは未知数。一人でも施設の奥深くまで侵入させてしまえばガスタービン発電所はおしまいだ。
「チッ!!」
ここで『砂鉄の剣』や『雷撃の槍』を取り出しても大した戦果はない。点の標的を破壊する個人攻撃だけでは、風景を埋め尽くす大群衆は蹴散らせない。点と点を攻撃している間に他から人が押し寄せてきて波に呑まれるだけだ。
そうなると、
(……こういうの、化学兵器を禁じるナントカ条約に反しそうだけど!!)
バヂヂッ!! と美琴は前髪から紫電を散らしたが、目的は直接攻撃ではなかった。
空気に異臭が混じる。
人間の生存に必須とされる酸素は、二つの酸素原子がくっついた酸素分子である。ただし強力な電気を浴びせる事でバラバラになった酸素原子は、三つ合わさってオゾンを作る事もある。
そして当然だが、オゾンを吸っても人間は呼吸できない。
同じ酸素原子だけなのに不思議な話だ。
「酸欠で一気にダウンを勝ち取る!!!!!!」
目には見えない気絶の壁を展開して美琴は施設防衛を実行する。
バタバタと最前列の男女が倒れていく。
しかし留まらない。
ぼひゅっ!! と異音が響いたと思ったら、炎や風が渦を巻いた。激しい爆発によって気体が押し流され、オゾンまみれの酸欠空気が引き裂かれていく。
こっちが能力者ならヤツらも能力者だ。
洗脳されていても問題なく能力が使えるのが食蜂軍団の厄介なところか。
そして安全さえ確保できれば数千人は一気に敷地のフェンスを越えてくる。
「やべっ!!」
群衆に呑み込まれる前に美琴は決断した。
広大な施設全体をコントロールする中央制御室は分厚いコンクリート壁と鉄扉で守られている。ひとまずそこに立てこもる道を決めたが、ずんっ!! という鈍い震動が建物全体を縦に揺さぶった。
数が膨大とはいえ、これが人間が生身の体で作った破壊力なのか。
(まずいまずいまずい!! 厚さ五センチの鉄扉じゃ私の磁力で塞ぎにかかっても数の暴力でぶち破られる!!)
ごんっ、という鈍い音がドアの向こうから聞こえた。
施設全体に人が散らばっている。
その中の一人に過ぎない。
だがノブを回しても鉄扉が開かない事で怪しまれたらしい。ガチャガチャと執拗にノブが鳴り続け、それから雄叫びと共にドアが反対側から激しく蹴飛ばされた。
これくらいで破られる鉄扉ではないが、
(大声で人を呼ばれたら流石にまずい!!)
時間はない。
学園都市全体の大停電を狙ってくる食蜂操祈に対し、今現実に御坂美琴側にできる事は何だ!?
足りない。
正直に認める。今の状態では食蜂操祈に追い着けない。
彼女の動きを止められない。
このままだと大停電からそこらの研究施設で冷凍保存してあるヤバいウィルスやキメラクリーチャーが街に解き放たれてしまう。そうなった場合、バトルの種類が全く別の大都市サバイバルに切り替わる。
(一応、ここには最後まで頼りたくなかったって理性はあったつもりなんだけど、こうなると仕方がないか……)
「もしもしー?」
『『『っ?』』』
特に携帯電話もスマホも使っていないのに、頭の中で息を呑む音が聞こえた。
遺伝子レベルで全く同じ構造の脳みそを使っているとはいえ、普段から美琴と大量の軍用量産クローン『
今回だけは例外だ。
純粋に物理的にできる事なら何でもテーブルに広げる。
美琴お姉ちゃんは上から提案した。
「それなり以上に学園都市が大ピンチなの。アンタ達ちょっと力を貸しなさいよ。人の脳を並列で繋げたミサカネットワークだっけ? その演算力をまとめて借りられれば同じ脳波使ってる私にできる事の幅も広がるから」
『何でミサカ達がそのような面倒ごとに巻き込まれなくてはならないのですか、とミサカはあくまでも冷静な視点からケンカっ早い姉を見てため息をつk
「アンタ達、あの贅肉の塊に吠え面かかせたくない訳?」
『『『……、』』』
御坂美琴という少女を遺伝子的なベースにして製造されているため、『
そして食蜂操祈はわざわざ厳密な数値を確認するまでもなかった。
スリーサイズの先頭すなわちBを一言で表現するとこうだ。
どたゆユッサばいーん。
ミサカネットワークを形成している全員が同時に言った。
『『『イエス。全力でぶっ飛ばしてやりましょう、とミサカは返答します』』』