1 アインクラッド

5 ②

 たくさんの鈴を鳴らすような美しい音色と共に、手の中で結晶がはかなく砕け散った。同時に俺の体は青い光に包まれ、周囲の森の風景が溶け崩れるように消滅していく。光がひときわまぶしくかがやき──消え去った時には、転移が完了していた。先刻までのれのざわめきに代わって、かんだかつちおとにぎやかなけんそうを打つ。

 俺が出現したのはアルゲードの中央にある《転移門》だった。

 円形の広場の真ん中に、高さ五メートルはあろうかという巨大な金属製のゲートがそびえ立っている。ゲート内部の空間はしんろうのように揺らいでおり、ほかの街に転移する者、あるいはどこからか転移してきた者たちがひっきりなしに出現と消滅をり返している。

 広場からは四方に大きな街路が伸び、全ての道のりようわきには無数の小さい店がひしめきあっていた。今日の冒険を終えてひとときのいこいを求めるプレイヤーたちが、食い物の屋台や酒場の店先で会話に花を咲かせている。

 アルゲードの街を簡潔に表現すれば、《わいざつ》の一言に尽きる。

 はじまりの街にあるような巨大な施設はひとつとして存在せず、広大な面積いっぱいに無数のあいが重層的に張り巡らされて、何を売るとも知れぬあやしげな工房や、二度と出てこられないのではと思わせる宿屋などが軒を連ねている。

 実際、アルゲードの裏通りに迷い込んで、数日出てこられなかったプレイヤーの話も枚挙にいとまがないほどだ。俺もここにねぐらを構えて一年近くがつが、いまだに道の半分も覚えていない。NPCの住人たちにしても、クラスも定かでないような連中ばかりで、最近ではここをホームにしているプレイヤーもひとくせふたくせあるやつらばかりになってきたような気さえする。

 だが俺はこの街のふんが気に入っていた。路地裏の奥の奥にある行きつけの店にしけこんで、妙なにおいのする茶をすすっている時だけが一日で唯一安息を感じる時間だと言ってもいい。かつてよく遊びに行っていた電気街に似ているからだ、などという感傷的な理由だとは思いたくないが。

 おれはねぐらに戻る前にくだんのアイテムを処分してしまうことにして、みの買い取り屋に足を向けた。

 転移門のある中央広場から西に伸びた目抜き通りを、人ごみをいながら数分歩くとすぐにその店があった。五人も入ればいっぱいになってしまうような店内には、プレイヤーの経営するショップ特有のこんとんっぷりをかもし出した陳列棚が並び、武器から道具類、食料までがぎっしりと詰め込まれている。

 店のあるじはと言えば、今まさに店頭で商談の真っ最中だった。

 アイテムの売却方法は大まかに言って二種類ある。ひとつはNPC、つまりシステムが操作するキャラクターに売却する方法で、の危険がないかわりに買い取り値は基本的に一定となる。のインフレを防ぐために、その値付けは実際の市場価値よりも低目に設定されている。

 もう一つがプレイヤー同士の取引だ。こちらは商談次第ではかなりの高値で売れることも多いが、買い手を見つけるのに結構な苦労をするし、やれ払いすぎただの気が変わっただのと言いだすプレイヤーとのトラブルもないとは言えない。そこで、ばいを専門にしている商人プレイヤーの出番となるわけだ。

 もっとも、商人クラスのプレイヤーの存在意義はそれだけではない。

 職人クラスもそうだが、彼らはスキルスロットの半分以上をせんとうけいスキルに占領されてしまう。しかし、だからと言ってフィールドに出なくていいわけではない。商人なら商品を、職人なら素材を入手するためにモンスターと戦う必要があり、そして当然ながら戦闘では純粋な剣士クラスよりも苦労をいられる。敵をらすそうかいかんなど味わうべくもない。

 つまり彼らのアイデンティティは、ゲームクリアのために最前線におもむく剣士の手助けをしよう、というすうこうなる動機に求められる。その点で、俺は商人や職人たちをひそかに、深く尊敬している。

 ──のであるが、いま俺の視線の先にいる商人プレイヤーは、自己せいなどという単語とははるかに縁遠いキャラクターなのもまた事実だった。


「よし決まった! 《ダスクリザードの革》二十枚で五百コル!」


 俺が馴染みにしている買い取り屋のエギルは、ごつい右腕を振り回すと、商談相手の気の弱そうなやり使つかいの肩をばんばんとたたいた。そのままトレードウインドウを出し、有無を言わせぬ勢いで自分側のトレードらんに金額を入力する。

 相手はまだ多少悩むようなりを見せていたが、歴戦の戦士とまがうほどのエギルの凶顔にひとにらみされると──実際エギルは商人であると同時に一流のおの戦士でもあるのだが──慌てて自分のアイテムウインドウからブツをトレード欄に移動させ、OKボタンを押した。


「毎度!! またたのむよ兄ちゃん!」


 最後にやり使つかいの背中をバシンと一回どやすと、エギルは豪快に笑った。ダスクリザードの革は高性能な防具の素材となる。どう考えても五百は安すぎるだろうとおれは思ったが、慎み深くちんもくを守って、立ち去っていく槍使いを見送った。ばい相手にえんりよしてはならない、という教訓の授業料込みだなと心の中でつぶやく。


「うっす。相変わらずこぎな商売してるな」


 エギルに背後から声をかけると、禿とくとうの巨漢は振り向きざま、ニンマリ笑った。


「よぉ、キリトか。安く仕入れて安く提供するのがウチのモットーなんでね」


 悪びれる様子もなくうそぶく。


「後半は疑わしいもんだなぁ。まあいいや、俺も買取たのむ」

「キリトはお得意様だしな、あくどいはしませんよっ、と……」


 言いながらエギルはくびを伸ばし、俺の提示したトレードウインドウをのぞき込んだ。

 SAOプレイヤーの仮想体アバターは、ナーヴギアのスキャン機能と初期の体型キャリブレーションによって現実の姿をせいに再現しているわけだが、このエギルを見るたびに、俺はよくもまぁこんなハマる外見をしたやつがいたもんだと感嘆を禁じ得ない。

 百八十センチはあるたいは筋肉と脂肪にがっちりと包まれ、その上に乗った顔は悪役レスラーさながらの、ごつごつと岩から削り出したかのようなぞうだ。そのうえ唯一カスタマイズできる髪型をつるつるのスキンヘッドにしているものだから、その怖さはばんぞくけいモンスターにも引けを取らない。

 しかしそれでいて、笑うと実にあいきようのある、アジな顔をしているのだ。年齢は二十代後半だろうが、現実世界で何をしていた男なのか想像もつかない。《向こう》でのことは尋ねないのがこの世界の不文律である。

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