1 アインクラッド

5 ③

 分厚くせり出したりようの下の両眼が、トレードウインドウを見たたんおどろきに丸くなった。


「おいおい、S級のレアアイテムじゃねえか。《ラグー・ラビットの肉》か、オレも現物を見るのは初めてだぜ……。キリト、おめえ別に金には困ってねえんだろ? 自分で食おうとは思わんのか?」

「思ったさ。多分二度と手には入らんだろうしな……。ただなぁ、こんなアイテムを扱えるほど料理スキルを上げてる奴なんてそうそう……」


 その時、背後からだれかに肩をつつかれた。


「キリト君」


 女の声。俺の名前を呼ぶ女性プレイヤーはそれほど多くない。と言うよりこの状況では一人しかいない。俺は顔を見る前から相手を察していた。左肩に触れたままの相手の手を素早くつかむと、振り向きざまに言う。


「シェフ捕獲」

「な……なによ」


 相手はおれに手をつかまれたままいぶかしげな顔で後ずさった。

 くりいろの長いストレートヘアを両側に垂らした顔はちいさな卵型で、大きなはしばみ色のひとみまぶしいほどの光を放っている。小ぶりだがスッと通った鼻筋の下で、桜色のくちびるが華やかないろどりを添える。すらりとした体を、白と赤を基調としたふうせんとうふくに包み、白革の剣帯にるされたのは優雅な白銀の細剣。

 彼女の名はアスナ。SAO内では知らぬ者はほとんどいないであろう有名人だ。

 理由はいくつかあるが、まず、圧倒的に少ない女性プレイヤーであり、なおかつ文句のつけようがないれいな容姿を持つことによる。

 プレイヤーの現実の肉体、とくに顔の造作をほぼ完全に再現するSAOにおいて、大変言いにくいことながら美人の女性プレイヤーというのは超S級とでも言うべきレアな存在だ。おそらくアスナほどの美人は両手の指に満たない数だろう。

 もうひとつ彼女を有名人たらしめている理由は、純白としんに彩られたその騎士服──ギルド《血盟騎士団》のユニフォームだ。《Knights of the Blood》の頭文字を取ってKoBとも呼ばれるそれは、アインクラッドに数多あまたあるギルドの内でも、だれもが認める最強のプレイヤーギルドである。

 構成メンバーは三十人ほどと中規模だが、そのすべてがハイレベルの強力な剣士であり、なおかつギルドを束ねるリーダーは伝説的存在とでも言うべきSAO最強の男なのだ。アスナはれんな少女の外見とは裏腹に、そのギルドにおいて副団長を務めている。当然、剣技のほうもはんではなく、細剣術は《せんこう》の異名を取る腕前だ。

 つまり彼女は、容姿においても剣技においても六千のプレイヤーの頂点に立つ存在なわけで、それで有名にならないほうがおかしい。当然プレイヤーの中には無数のファンがいるが、中には偏執的にすうはいする者やらストーカーまがい、さらには反対に激しく敵視する者もいて、それなりの苦労はあるようだ。

 もっとも、最強剣士の一人たるアスナに正面切ってちょっかいを出そうという者はそうはいないだろうが、警護に万全を期するというギルドの意向もあるようで、彼女にはたいてい複数の護衛プレイヤーが付き従っている。今も、数歩引いた位置に白のマントと分厚い金属よろいに身を固めたKoBメンバーとおぼしき二人の男が立ち、ことに右側の、長髪を後ろで束ねたせた男が、アスナの手を摑んだままの俺に殺気に満ちた視線を向けている。

 俺は彼女の手をはなし、指をその男に向ってひらひら振ってやりながら言葉を返した。


めずらしいな、アスナ。こんなゴミめに顔を出すなんて」


 俺がアスナを呼び捨てにするのを聞いた長髪の男と、自分の店をゴミ溜め呼ばわりされた店主の顔が同時にぴくぴくと引きる。だが、店主のほうはアスナから、お久しぶりですエギルさん、と声をかけられると途端にだらしなく顔をゆるませる。

 アスナは俺に向き直ると、不満そうに唇をとがらせた。


「なによ。もうすぐ次のボス攻略だから、ちゃんと生きてるか確認に来てあげたんじゃない」

「フレンドリストに登録してんだから、それくらいわかるだろ。そもそもマップでフレンド追跡したからここに来られたんじゃないのか」


 言い返すと、ぷいっと顔をそむけてしまう。

 彼女は、サブリーダーという立場でありながら、ギルドにおいてゲーム攻略の責任者を務めている。その仕事には、確かにおれのようなソロの勝手者を束ねて対ボスモンスターの合同パーティーを編成することも含まれるが、それにしてもわざわざ直接確認に来るとはにもほどがある。

 俺の、あきれ半分感心半分の視線を受けたアスナは、両手を腰に当てるとつんとあごを反らせるような仕草で言った。


「生きてるならいいのよ。そ……そんなことより、何よシェフどうこうって?」

「あ、そうだった。お前いま、料理スキルの熟練度どのへん?」


 確かアスナは酔狂にも、せんとうスキル修行の合い間をって職人系の料理スキルを上げていた覚えがある。俺の問いに、彼女は不敵な笑みをにじませると答えた。


「聞いておどろきなさい、先週に《完全習得コンプリート》したわ」

「なぬっ!」


 ア……アホか。

 といつしゆん思ったが、もちろん口には出さない。

 熟練度は、スキルを使用するたびに気が遠くなるほどの遅々とした速度で上昇してゆき、最終的に熟練度一〇〇〇に達したところで完全習得となる。ちなみに経験値によって上昇するレベルはそれとはまた別で、レベルアップで上昇するのはHPと筋力、びんしようりよくのステータス、それに《スキルスロット》という習得可能スキル限度数だけだ。

 俺は今十二のスキルスロットを持つが、完全習得に達しているのは片手直剣スキル、さくてきスキル、武器防御スキルの三つだけである。つまりこの女は途方もないほどの時間と情熱を、戦闘の役にたたないスキルにつぎ込んだわけだ。


「……その腕を見こんでたのみがある」


 俺は手招きをすると、アイテムウインドウを他人にも見える可視モードにして示した。いぶかしげにのぞきこんだアスナは、表示されているアイテム名をいちべつするや眼を丸くした。


「うわっ!! こ……これ、S級食材!?」

「取引だ。こいつを料理してくれたら一口食わせてやる」


 言い終わらないうちに《せんこう》アスナの右手が俺の胸倉をがっしとつかんだ。そのまま顔を数センチのきよまでぐいと寄せると、


「は・ん・ぶ・ん!!」



 思わぬ不意打ちにドギマギした俺は思わずうなずいてしまう。はっと我に返ったが時すでに遅く、アスナがやったと左手を握る。まあ、あのれんな顔をきんきよから観察できたんだから良しとしよう、と無理やり納得する。

 ウインドウを消去しながら振り向き、エギルの顔を見上げて言う。


「悪いな、そんな訳で取引は中止だ。」

「いや、それはいいけどよ……。なあ、オレたちダチだよな? な? オレにも味見くらい……」

「感想文を八百字以内で書いてきてやるよ」

「そ、そりゃあないだろ!!」


 この世の終わりか、といった顔で情けない声を出すエギルにつれなく背を向け歩き出そうとしたたん、俺のコートのそでをぎゅっとアスナがつかんだ。


「でも、料理はいいけど、どこでするつもりなのよ?」

「うっ……」


 料理スキルを使用するには、食材のほかに料理道具と、かまどやオーブンのたぐいが最低限必要になる。俺の部屋にも簡単なものがあるにはあったが、あんな小汚いねぐらにKoB副団長様を招待できるはずも無く。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズ2の書影
ソードアート・オンライン28 ユナイタル・リングVIIの書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ ミステリ・ラビリンス 迷宮館の殺人の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズの書影
ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジーの書影
ソードアート・オンライン27 ユナイタル・リングVIの書影
ソードアート・オンライン26 ユナイタル・リングVの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ8の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ7の書影
ソードアート・オンライン25 ユナイタル・リングIVの書影
ソードアート・オンライン24 ユナイタル・リングIIIの書影
ソードアート・オンライン23 ユナイタル・リングIIの書影
ソードアート・オンライン22 キス・アンド・フライの書影
ソードアート・オンライン21 ユナイタル・リングIの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ6の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ5の書影
ソードアート・オンライン20 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン19 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン18 アリシゼーション・ラスティングの書影
ソードアート・オンライン17 アリシゼーション・アウェイクニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ4の書影
ソードアート・オンライン16 アリシゼーション・エクスプローディングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ3の書影
ソードアート・オンライン15 アリシゼーション・インベーディングの書影
ソードアート・オンライン14 アリシゼーション・ユナイティングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ2の書影
ソードアート・オンライン13 アリシゼーション・ディバイディングの書影
ソードアート・オンライン12 アリシゼーション・ライジングの書影
ソードアート・オンライン11 アリシゼーション・ターニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ1の書影
ソードアート・オンライン10 アリシゼーション・ランニングの書影
ソードアート・オンライン9 アリシゼーション・ビギニングの書影
ソードアート・オンライン8 アーリー・アンド・レイトの書影
ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオの書影
ソードアート・オンライン6ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン5ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン4フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン3フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン2アインクラッドの書影
ソードアート・オンライン1アインクラッドの書影