あまりの理不尽な言い様に思わず仰け反りつつ、必死に反対材料を探す。
「んな……こと言ったってお前、ギルドはどうするんだよ」
「うちは別にレベル上げノルマとかないし」
「じゃ、じゃああの護衛二人は」
「置いてくるし」
時間稼ぎのつもりでカップを口に持っていってから、空であることに気付く。アスナがすまし顔でそれを奪い取り、ポットから熱い液体を注ぐ。
正直──魅力的な誘いではある。アインクラッド一、と言ってもよい美人とコンビを組みたくない男などいるまい。しかし、そうであればあるほど、アスナのような有名人がなぜ、という気後れが先に立つ。
ひょっとして、根暗なソロプレイヤーとして憐れまれているのだろうか。後ろ向きな思考にとらわれながら、うっかり口にしてしまった台詞が命取りだった。
「最前線は危ないぞ」
再びアスナの右手のナイフが持ち上がり、さっきより強いライトエフェクトを帯び始めるのを見て、俺は慌ててこくこく頷いた。最前線攻略プレイヤー集団、通称《攻略組》のなかでも特に目立つわけではない俺をなぜ、と思いつつも、意を決して言う。
「わ、解った。じゃあ……明日朝九時、七十四層のゲートで待ってる」
手を降ろし、アスナはふふんと強気な笑みで答えた。
一人暮らしの女性の部屋にいったい何時までお邪魔していいものなのかさっぱり解らない俺は、食事が終わるやそそくさと暇を告げた。建物の階段を降りたところまで見送ってくれたアスナが、ほんの少し頭を動かして言った。
「今日は……まあ、一応お礼を言っておくわ。ご馳走様」
「こ、こっちこそ。また頼む……と言いたいけど、もうあんな食材アイテムは手に入らないだろうな」
「あら、ふつうの食材だって腕次第だわ」
切り返してから、アスナはつい、と上を振り仰いだ。すっかり夜の闇に包まれた空には、しかしもちろん星の輝きは存在しない。百メートル上空の石と鉄の蓋が、陰鬱に覆いかぶさっているのみだ。つられて見上げながら、俺はふと呟いていた。
「……今のこの状態、この世界が、本当に茅場晶彦の作りたかったものなのかな……」
なかば自分に向けた俺の問いに、二人とも答えることができない。
どこかに身を潜めてこの世界を見ているのであろう茅場は、今何を感じているのだろうか。当初の血みどろの混乱期を抜け出し、一定の平和と秩序を得た現在の状況は、茅場に失望と満足のどちらをもたらしているのか。俺にはまるで解らない。
アスナは無言で俺の傍らに一歩近づいた。腕にほのかな熱を感じる。それは錯覚だろうか、あるいは忠実な温感シミュレートの結果なのか。
このデスゲームが開始されたのが、二〇二二年十一月六日。そして今は二〇二四年十月下旬。二年近くが経過した今も、救出の手はおろか外部からの連絡すらもたらされていない。俺たちにできるのは、ただひたすら日々を生きのび、一歩ずつ上に向かって進んでいくことだけだ。
こうしてまたアインクラッドの一日が終わる。俺たちがどこへ向かっているのか、このゲームの結末に何が待つのか、今は解らないことだらけだ。道のりは遥かに遠く、光明はあまりに細い。それでも──全てが捨てたもんじゃない。
俺は上空の鉄の蓋を見上げ、まだ見ぬ未知の世界へと思考を飛翔させた。