我ながら呆れる台詞だが、もう後には引けない。今まで敢えて俺の存在を無視していたクラディールは、顔をゆがめて手を振り解くと、
「貴様ァ……!」
軋むような声で唸った。その表情には、システムによる誇張を差し引いても、どこか常軌を逸した何かを感じさせるものがある。
「アスナの安全は俺が責任を持つよ。別に今日ボス戦をやろうって訳じゃない。本部にはあんた一人で行ってくれ」
「ふ……ふざけるな!! 貴様のような雑魚プレイヤーにアスナ様の護衛が務まるかぁ!! わ……私は栄光ある血盟騎士団の……」
「あんたよりはマトモに務まるよ」
正直な所、この一言は余計だった。
「ガキィ……そ、そこまででかい口を叩くからには、それを証明する覚悟があるんだろうな……」
顔面蒼白になったクラディールは、震える右手でウインドウを呼び出すと素早く操作した。即座に、俺の視界に半透明のシステムメッセージが出現する。内容は見る前から想像がついた。
【クラディール から1vs1デュエルを申し込まれました。受諾しますか?】
無表情に発光する文字の下に、Yes/Noのボタンといくつかのオプション。俺はちらりと隣のアスナに視線を向けた。彼女にはこのメッセージは見えていないが、状況は察しているだろう。当然止めると俺は思ったのだが、驚いたことにアスナは硬い表情で小さく頷いた。
「……いいのか? ギルドで問題にならないか……?」
小声で聞いた俺に、同じく小さいがきっぱりした口調で答える。
「大丈夫。団長にはわたしから報告する」
俺は頷き返すとYesボタンに触れ、オプションの中から《初撃決着モード》を選択した。
これは、最初に強攻撃をヒットさせるか、あるいは相手のHPを半減させたほうが勝利するという条件だ。メッセージは【クラディールとの1vs1デュエルを受諾しました】と変化し、その下で六十秒のカウントダウンが開始される。この数字がゼロになった瞬間、俺と奴の間では街区でのHP保護が消滅し、勝敗が決するまで剣を打ち合うことになる。
クラディールはアスナの首肯をどう解釈したものか、
「ご覧くださいアスナ様! 私以外に護衛が務まる者など居ないことを証明しますぞ!」
狂喜を押し殺したような表情で叫び、芝居ががった仕草で腰から大ぶりの両手剣を引き抜くと、がしゃっと音を立てて構えた。
アスナが数歩下がるのを確認して、俺も背から片手剣を抜く。さすがに名門ギルドの所属だけあって、得物は奴のほうが格段に見栄えがいい。両手用と片手用のサイズの違いだけでなく、俺の愛剣が実用一本の簡素なものなのに比べ、向こうは一流の細工職人の技とおぼしき華麗な装飾が施してある。
俺たちが五メートルほどの距離を取って向き合い、カウントを待つ間にも周囲には次々とギャラリーが集まってきていた。無理はない、ここは街のド真ん中のゲート広場である上に、俺も奴もそこそこ名の通ったプレイヤーなのだ。
「ソロのキリトとKoBメンバーがデュエルだとよ!!」
ギャラリーの一人が大声で叫び、ドッと歓声が湧いた。普通デュエルは友人同士の腕試しで行われるもので、この事態に至るまでの険悪な成り行きを知らない見物人たちは、口笛を鳴らすわ野次を飛ばすわ大変な騒ぎだ。
だが、カウントが進むにつれ、俺にはそれらの声は聞こえなくなっていった。モンスターと対峙する時と同じように、研ぎ澄まされた冷たい糸が全身を貫いていくのを感じる。野次を気にしてちらちらと周囲に苛立った視線を向けるクラディールの全身の様子、剣の構え方や足の開き方といった《気配》を読むべく、俺は意識を集中した。
人間のプレイヤーはモンスター以上に、繰り出そうと意図する剣技の癖が事前に現れるものだ。突進系、受身系、上段から始まるか下段からか、それらの情報を相手に与えてしまうことは、対人戦闘では致命的なミスとなる。
クラディールは剣を中段やや担ぎ気味に構え、前傾姿勢で腰を落としていた。明らかに突進系の上段攻撃の気配だ。無論それがフェイントということもあり得る。実際俺は今、剣を下段に構えて緩めに立ち、初動を下方向の小攻撃から始めるように見せかけている。このへんの虚実の読み合いはもう勘と経験に頼るしかない。
カウントが一桁になり、俺はウインドウを消去した。最早周囲の雑音は聞こえない。
最後まで俺とウインドウとの間で視線を往復させていたクラディールの動きが止まり、全身がぐっと緊張した。二人の間の空間に、紫色の閃光を伴って【DUEL!!】の文字が弾け、同時に俺は猛然と地面を蹴っていた。ブーツの底から火花が飛び散り、切り裂かれた空気が重く唸る。
ごくごくわずか、ほんの一瞬遅れてクラディールの体も動き始めた。だが、その顔には驚愕の表情が張り付いている。下段の受身気配を見せていた俺が、予想を裏切って突進してきたからだ。
クラディールの初動は推測通り両手用大剣の上段ダッシュ技、《アバランシュ》だった。生半可なガードでは、受けることに成功しても衝撃が大きすぎて優先的反撃に入れず、避けても突進力によって距離ができるため使用者に立ち直る余裕を与える優秀な高レベル剣技だ。あくまでモンスター相手なら、だが。
その技を読んだ俺は、同じく上段の片手剣突進技《ソニックリープ》を選択していた。技同士が交錯する軌道である。
技の威力そのものは向こうのほうが上だ。そして、武器による攻撃同士が衝突した場合、より重い技のほうに有利な判定がなされる。この場合は、通常なら俺の剣は弾かれ、威力を減じられるとはいえ勝敗を決するに充分なダメージが俺の体に届くだろう。だが、俺の狙いはクラディール本人ではなかった。
二人の距離が相対的に凄まじいスピードで縮んでいく。だが同時に俺の知覚も加速され、徐徐に時間の流れがゆるくなるような感覚を味わう。これがSAOのシステムアシストの結果なのか、人間本来の能力なのかは判らない。ただ、俺の目には剣技を繰り出す奴の全身の動きがはっきりと見て取れる。
大きく後ろに振りかぶられた大剣が、オレンジ色のエフェクト光を発しながら俺に向かって撃ち出されてくる。さすがに最強ギルドの構成員だけあってステータスはそこそこのものらしく、技の発生速度が俺の予想より速い。強く輝く刀身が迫る。必殺の威力をはらむそれを正面から食らったら、一撃終了のデュエルとは言え看過できないダメージを被るに違いない。勝利を確信したクラディールの顔に隠せない狂喜の色が浮かぶ。だが──。
先を取り、一瞬早く動き出した俺の剣は斜めの軌道を描き、こちらは黄緑色の光の帯を引きながら、まだ振り途中で攻撃判定の発生する直前の奴の大剣の横腹に命中した。凄まじい量の火花。
武器と武器の攻撃が衝突した場合のもうひとつの結果、それが《武器破壊》である。
無論めったに起きることではない。技の出始めか出終わりの、攻撃判定が存在しない状態に、その武器の構造上弱い位置・方向から強烈な打撃が加えられた場合のみそれが発生する可能性がある。
だが俺には、折れるという確信があった。装飾華美な武器は、概して耐久力に劣る。
果たして──耳をつんざくような金属音を撒き散らし、クラディールの両手剣がその横腹からヘシ折れた。爆発じみた派手なライトエフェクトが炸裂する。