《 和風VRMMO アスカ・エンパイア》
〝百八の怪異〟イベント概要
・当イベントでは、関東エリアに実装される新たな街、《あやかし横丁》を起点に、
一年を通じて百八つのクエストを順次配信していく。
・計百八個のクエストは、以下の三種に分類される。
○百物語 ユーザーが《ザ・シード》を用いて制作した投稿作品。
○七不思議 各提携企業とのタイアップクエスト。多数参加型の大規模なものを想定。
○大詰め イベント最終週に配信予定。詳細は部外秘とする。
ユーザー投稿のクエストに関しては、投稿作の傾向からいくつかのトラブルが予見される。
対応中の事例に関する問い合わせはエラー検証室・虎尾まで。
祭り囃子が遠くに聞こえる。
笛が甲高く、鼓が軽妙に、琴が雅やかに、音をつなげて浮かれ騒いでいる。
間近で聞けば賑やかなはずの喧噪も、離れてしまうと何処か寂しい。
その音が何処から聞こえてくるのか、誰も知らない。
幽霊囃子と呼ばれている。
この場を離れれば聞こえなくなるが、近づこうとしても近づけない。
空の上や地の底から聞こえてくるわけでもない。音の出所を探ろうとすると、ぐるぐると周囲を巡り歩く羽目になる。
音はすれども姿は見えず、探す者を誑かすように遠くで囃子が鳴り続く。
寂れた社へと続く暗い石段に腰掛け、巫女装束のナユタはぼんやりとその音を聴いていた。
遠い昔にも、似たような経験をした気がする。
独りで、暗い場所で、疲れて、途方に暮れて──
よくよく考えるまでもなくそれは気のせいで、おそらくほとんどの人間には、子供の頃にこんな時間を夢想したことがある。
暗い神社の石段に腰掛け、誰も通らない眼下の道を眺めながら、祭り囃子に耳を澄ます──
竹林がかさかさと笹を鳴らし、見上げた夜空には数えられる程度の星が瞬き、肩を叩かれて振り返ると誰もいない──
彼女のそんな夢想は、メールの着信音によって中断された。
中空に浮かべたメニューウィンドウに、フレンドからのメッセージが表示される。
【 やほー。なゆさん、今何してる? 】
ナユタは俯き、数瞬、眼を瞑る。行動を切り替えるスイッチのようなもので、彼女の癖である。
細く息を吐ききった後で、彼女は素早く返信を綴りはじめた。
【 《幽霊囃子》の探索です。クエストの発動条件が不明で、いろいろ試していました 】
ほとんど間をおかずに、次のメッセージが返ってきた。
【 あれかぁ……〝お囃子の音がするのに見つからない〟、〝お賽銭をいれると泣き声がするから、たぶんそれがスイッチの一つ〟って奴だよね? 】
【 それです。他に何か、情報ありませんか? 】
【 情報っていうか、根拠の怪しい噂だけど──配信から三日経っても進展なしってことは、何か特別なキーアイテムが必要なんじゃないかって。そっちは後回しにして、一緒に他のクエストやらない? 《かごめ、かごめ》で手頃な刀が手に入るらしいんだけど、恐怖度が八で、ちょっと一人じゃ怖くて── 】
【 わかりました。合流します 】
【 ありがとー! なゆさんかっこいい! じゃ、化け猫茶屋で待ってるね 】
メッセージのやりとりを終えると、ナユタは石段から立ち上がった。
長い黒髪と巫女装束の袂をふわりと浮かせ、そのまま彼女は下へ飛び降りる。
現実と違って着地の衝撃はほとんどなく、四肢は羽のように軽く感じられた。
全てのプレイヤーがそんな身体感覚を持っているわけではない。ナユタの職である《戦巫女》は、特性として跳躍力に優れている。その上で、彼女は八艘飛びの進化形となる《無双飛び》のスキルも修得しており、殊更に身が軽い。
反面、装備一式にはまず軽さを求めたため、選択肢を自ら狭めてしまい、必然的に防御が薄く、更にリーチが短いという欠点も抱えていた。
多くの戦巫女は特性の跳躍力を伸ばすよりも、得意武器のボーナスがついて扱いやすい長刀を用い、更に低い体力値を補うための重装備を選択するのが定番となっている。その意味で、ナユタの方針は主流からは外れていた。
移動は快適になるものの、ちょっとした油断が致命傷となるため、攻略の上ではむしろ避けるべきピーキーな育て方とさえ言える。
月明かりに照らされた無人の田舎道を、ナユタは滑るような速さで歩き出す。
脇見をすれば、田を撫でる一陣の風が稲穂を波のように揺らしていた。
さやさやと涼しげなその音に、幽玄たる囃子の音色がひっそりと混ざる。
揺らぎ踊るような笛、律儀に拍子を打つ太鼓、凜として雅やかな琴──一つ一つの音は賑やかで活気に溢れているものの、旋律としてはやはりどこか物悲しい。
月夜の田畑を眺めながら、転送ポイントまでの道程を歩くうちに、彼女はふと妙なものを見つけた。
行きには見かけなかった、道祖神を祀った小さな祠──
屋根の高さは腰丈ほどしかなく、奥にある石像も相応に小さい。
正面には、一通の書状が供えられていた。
(来た時にはなかったはず……神社のお賽銭がスイッチになっていたってこと──?)
供え物を取ることには躊躇もあったが、何らかのヒントである可能性は高い。
手にとって広げると、さほど上手くもない毛筆の字が躍っていた。
《 ぼたもちがたべたい 》
ただの一行──
あまりに簡潔すぎて、つい裏の白紙まで確認してしまう。
ナユタは戸惑いつつ、祠に収まった石像を見る。
そこに彫られていたのは、まだ幼い子供の悲痛な泣き顔だった。
和風VRMMO、《アスカ・エンパイア》の新規イベント、《百八の怪異》──
「あやかし横丁」という新たな街の誕生を記念してはじまったこのイベントは、約一年を通して大小様々な百八種ものシナリオ群を追加配信していくという大がかりなものだった。
国内ではアルヴヘイムに次ぐ規模を誇りながら、ここに来てユーザー数の伸びが鈍化しつつある同ゲームにとって、これは文字通り威信を賭けたアップデートである。
《世界の種子》の拡散以降、フルダイブ可能な仮想世界の構築が、企業のみならず一個人にも容易となったことで、プレイアブルフィールドは爆発的に増加した。
それは同時に、既存ユーザーの他ゲームへの分散も招き、人数を確保できなくなった一部の零細ゲームはサービス停止にも追い込まれている。
それなりに規模の大きい《アスカ・エンパイア》も危機感を強め、今回のイベントでは作り手と遊び手の双方を視野にいれてきた。
《百八の怪異》は、文字通り百八種のクエストによって構成されている。
「百物語」と「七不思議」、そして最後に配信予定の「大詰め」とであわせて百八種だが、このうち「百物語」に関しては、その大部分がユーザーからの投稿作によって成り立っていた。
このイベントのために、《ザ・シード》を用いて個人が制作した数多のクエストの中から、月に八~十本程度を正式採用し、報酬を支払った上で配信する──要はユーザー参加型のシナリオコンテストである。
当初はこの募集を、「クエストの数を確保するための苦肉の策」と揶揄する向きもあったが、《ザ・シード》の爆発的な流行にも後押しされ、蓋を開けてみれば選考に手間取るほどの力作が集まった。
運営が参加を呼びかけた各地の専門学校生やサークル活動の学生達なども、卒業制作や夏休みの課題といった腕試しの感覚でこの募集に広く応じた。
システムや環境、設定等も含め、新しいゲームを一から短期間で作り上げるのは難しいが、《アスカ・エンパイア》のシステムをベースにすれば、応募者は多くの手間を省いた上で純粋にシナリオや映像、音声部分の制作にのみ集中できる。