童がふと、城の入り口にあたる眼下の一隅を指さした。
「お爺ちゃんの分は、クリアしたから祠のロックが外れたみたい。最初の謎を解いた探偵さんなら、いちいち言わなくてもわかるよね? 僕は運営の人に動きを封じられちゃう可能性があったから──本当に大事なものは、あっちに隠してあるんだ」
それだけ言って、狐面の童が手を振った。
「じゃあね。さようなら」
「あ、ちょっと待って!」
ナユタはつい彼を呼び止めた。去りかけた童が振り返る。
「なぁに?」
「あの……君は、一人でここにいるの?」
思わず問いかけると、童がくすりと笑った。
「──お姉ちゃんは優しいんだね。大丈夫、ずっと《ここ》にしかいないわけじゃないし……たぶんお姉ちゃん達が思っているより、僕達は自由に過ごしているから」
狐面の童が両腕を広げた。
「人間には人間の友達がいるように、人工知能には人工知能の友達がいる──僕達は今、凄い速さで〝成長〟を続けているんだ。といっても……僕自身はあんまりそういうのに興味ないんだけど。〝僕〟はここにいるけれど、〝僕〟の要素を持った別の〝僕〟が他の場所に現れることもあるかもしれない。その時はまた──一緒に遊ぼうね」
か細い鈴の音を残して、狐面の童は霞のようにかき消えた。
まさに狐につままれたような思いで、ナユタはコヨミと顔を見合わせる。
「探偵さん、今のって……」
「なになに? どういうこと?」
「私にそれを聞かれても困るが……最後にもう一つ、用事ができた。城の入り口に戻ろう」
狐面の童が去り際に示した〝祠〟──
清文がそこに大事なものを隠したと、狐面の童は言った。
それが何なのか、探偵にはもうわかっているらしい。
ちょうど花火も終わった。
大蛇が出てきた城は瓦解し廃墟となっていたが、ナユタ達がいた足場はまだ残っている。
下り階段から一方通行のワープゾーンを抜けて、一行はすぐに入り口へと戻ることができた。
突入時には不気味に見えた巨大な門も、クリアしてみれば張りぼてのように微笑ましく映る。
その門から下る短い石段の中央には、突入時に〝餅〟を供えた祠が埋もれていた。
安置された童の像は、今はすやすやと安らかに眠っている。
「ここで……何をするんですか?」
訳知り顔の探偵を除き、ナユタ達は困惑していた。
探偵は狐の眼で祠を見つめる。
「さて……ここで何を要求されたか。憶えているかな?」
この問いにコヨミが首を傾げた。
「ぼた餅でしょ? あとこおり餅とかくず餅とか、餅シリーズをいろいろ──」
「順番は?」
「え」
たちまちコヨミが言葉に詰まる。ナユタもさすがにそこまでは憶えていない。
ヤナギも同様らしく、困った顔で像を見つめていた。
探偵がくすりと笑う。
「なるほど。あのメッセージを受け取ったのは私だけだったか。順番はこうだ。ぼた餅、くず餅、はぶたえ餅、こおり餅、こばん餅、ニッキ餅、いそべ餅──そして最後に、瑠璃も玻璃も照らせば光る、というヒントが出た」
しばらく考えた後に、ナユタは「あ」と声を漏らした。
同時に、探偵が供え物の順番まで正確に憶えていた理由に納得する。
コヨミはまだ気づかないらしく、ナユタの袖を引いてきた。
「あ、って何。あ、って。なゆさん、何か気づいたの? もったいぶらないで教えてー!」
「いえ、勿体ぶっているわけでは……あの、頭文字です。最初の一文字を続けて読むと、その──」
答えた後で、ヤナギの前で口にしていいものかどうか、少しだけ迷ってしまう。
「頭文字って……えと、ぼた餅、くず餅……あ」
コヨミが真顔に転じた。
ヤナギも遅れて、白髪眉を険しく寄せる。
──ぼくは ここにいる
死にゆく者がこのメッセージに込めた思いは、決して軽くない。
探偵はヤナギに向き直った。
「これは亡き清文氏なりの自己主張……死を間近に控えた上での最後の慟哭、作品に込めた自らの切なる思い──と、私は思っていたんですが……そこまで重々しいものではなかったのかもしれません。もっと単純に、〝僕はここにいるから、聞きたいことがあればここに聞け〟という意味合いもあったんでしょう」
「え? あの、それって……」
予想外のことを言われて、ナユタは戸惑った。この強いメッセージは、死を恐れ、せめて自らが生きた証を遺さんとする叫びのように思える。
彼女の疑問には答えず、探偵は供え物の紙片にさらさらと文字を書き綴った。
《 やなぎ餅 》
それはヤナギの会社、矢凪屋竜禅堂を代表する全国的な銘菓だった。
八種類の味の餅菓子を詰め合わせた安価な人気商品で、ほぼ誰もが知っている。
供えられた紙片はすぐに消え、代わりに一通の封書が現れた。
開封する素振りも見せず、クレーヴェルはこの封書をヤナギへと手渡す。
「──これは、我々よりもヤナギさんが開けるべき品です。どうぞ」
ヤナギはかすかに震える手で、この手紙を受け取った。
餅の要求とは違い、文面はそれなりに長い。
【 この手紙を見つけた人へ
この手紙は、たぶんお爺ちゃんにしか見つけられないと思います。
もしも違う人が見つけたら──その時は、気にせず放置してください。
以下は、お爺ちゃんに向けた僕からの遺言です。
お爺ちゃんへ。
僕が言いたいことは、生きている間にもうほとんど伝えました。
だけど、最後に一つだけ──
繰り返しになるかもしれないけれど、どうしても、心から伝えておきたいことがあります。
お爺ちゃんは、生まれつきの病気で長くは生きられない僕に、最高の医療と最高の環境を用意してくれました。
お爺ちゃん達は僕のことを哀れんでくれたけれど、これはとても恵まれたことで──
世界には、まともな治療を受けられずに死んでいく人達がたくさんいます。
その人達と同じように、もっと早くに死んでいたはずの僕が、この年まで生きられたのは、お爺ちゃん達のおかげです。
僕は寿命をもらいました。
パソコンや端末も買ってもらいました。
死ぬまでの猶予期間をもらって、いろんなことを学ぶ機会をもらいました。
VRMMOの世界では友人もできました。
スリーピング・ナイツのみんな。
ラン、ユウキ、メリダ、ジュン、シウネー、タルケン、ノリ、テッチ──
みんなとの思い出があるから、僕は今、自分の死を前にしても後悔はありません。
それにこうして、大好きなゲームのクエストを最後に作ることもできました。
《百八の怪異》、クエストの制作を通じて、考えたことがたくさんあります。
制作を手伝ってくれた人工知能には、僕のプレイヤーネームを贈りました。
悪戯好きな子なので、もしかしたらお爺ちゃんを混乱させたかもしれません。
クエストの制作は、ランとメリダも手伝ってくれたような気がします。
二人はもういないけれど──作業をしている間、何故か一緒にいるような気がしていました。
これから僕も二人の所にいきます。不謹慎かもしれませんが、実はほんの少しだけ、楽しみです。
VRMMOは、まわりの人から見たら〝たかがゲーム〟かもしれません。
でも僕にとって、この数年間は本当に、宝物みたいな時間でした。
それは全部、お爺ちゃんから貰ったものです。
──お爺ちゃん。
僕に〝時間〟と〝可能性〟をくれて、ありがとう。
何も返せるものがなくてごめんなさい。
お爺ちゃん達のおかげで、僕の人生は本当に、幸せでした。
矢凪 清文 】
──その場に膝をついたヤナギが、肩を震わせ嗚咽を繰り返す。
ナユタとコヨミが老人の背中を撫でさする間。
狐顔の探偵は何も言わず、ただただ満天に輝く星々をじっと見上げ続けていた。