ただ、袖振り合うも多生の縁などと言う通り、まったくの無関係とも思っていない。
「……探偵さんは、誰の《幽霊》を見たんですか?」
花火の音に声を消されながら、ナユタは静かに問いかけた。
探偵は眉をひそめる。
「ん……? 君には話しただろう。以前、SAOの中で亡くなった親友だよ」
「それは聞きましたけれど……詳しい事情は知らないままです。実は彼女だったとか、片思いの相手だったとか、亡くなった時の状況とか」
探偵が驚いたようにナユタを見た。
「君がそんなことを聞くとは意外だ──他人のそういう繊細な部分には、立ち入らない性格かと思っていた」
ナユタ自身も、実は意外に思っている。
「もちろん、話したくなければ無視してください。ついさっき……コヨミさんに言われたんです。〝話したいことがあるならぶちまけちゃっていい〟って──でも探偵さんにはそういう人、いなさそうですから、私が聞いてあげます」
わざと恩着せがましく言ったのは、嫌なら冗談として流しやすいようにというせめてもの気遣いだった。
それが伝わったのか、クレーヴェルが鼻先で嗤う。
「小生意気なことを言う──まあ、隠すような話でもない。私は……死地に赴く彼を止められなかったんだ」
探偵の声に負の響きが宿ったことを、ナユタは敏感に察した。
「彼とは大学時代からの友人でね。異性じゃないから、つまらん邪推は必要ない。お互いにゲーム好きで、示し合わせてSAOにログインして……そしてあの事件に巻き込まれた」
話を聞きながら、ナユタの胸にもわずかな痛みが走る。
「詳しい経緯は長くなるから省くが……私は生き残ることを優先し、安全策をとった。だが彼は、現実世界へ早く帰ろうと焦るあまり──無能な上官に引っ張られて前線へ突っ込み、そして死亡した」
ナユタは思わず胸を押さえた。
「……探偵さんは……その場に居合わせたんですか?」
クレーヴェルが首を横に振る。
「いいや。後になって生還者から状況を聞かされた。だから私が見た彼の幽霊は……ほぼ想像の産物といっていい。彼がどんな顔で死んでいったのか、私は知らない。SAOに囚われていたから葬式にすら出ていない。そして今でも──悪夢にうなされる。情けない話だがね」
探偵の声はあくまで淡々としていた。
「死地に赴く彼を、止められなかったこと……これが私にとって、これまでの人生における最大の後悔だ。あの日、縛り付けてでも彼を街に留めておけば……奴は生き延びて、私も今とはまったく違う人生を歩んでいたと思う」
ナユタはかすかに微笑んだ。
重い話ではあるが、この傍若無人な探偵にもそんな人間がいたことに、少しばかり安堵してしまう。
「大事な……本当に大事な、お友達だったんですね」
探偵が大きく深呼吸をして、肩の力を抜いた。
「そろそろ吹っ切らなきゃいけないと、わかってはいるんだがね。まったく……ヤナギさんの攻略を手伝うだけのはずが、思わぬ形で自分の後悔と向き合う羽目になった。さて──君の番だ。話を聞こうか」
ナユタは頷き、じっと眼を閉じた。
呼吸を一つ、二つ──
思考をクリアにしてから眼を開けると、夜空に大輪の花火が咲いていた。
「──私が見た幽霊は、とても身近な人だったんです。今までなんとなく心に蓋をしていたんですけれど……でも、このクエストで《幽霊》として見て、改めて思いました。〝ああ、本当に死んじゃったんだな〟って──」
探偵は何も言わない。
だからナユタは、独り言のように淡々と話し続ける。
「私、逃げていたんだと思います。このクエストのおかげで改めて気づけました。あの《幽霊》が出てくる仕掛けって……自分だけに見える幻覚っていうか、夢みたいなものですよね? 記憶の読み込みとか、そういう大袈裟な話じゃなくて、もっと単純な……本人の〝思い〟に呼応した〝何か〟がランダムに見える──基本的には、たったそれだけの仕掛けです」
視線を合わせないまま、クレーヴェルが小さく頷いた。
「その通りだ。何が見えるかは完全に本人次第──そして運営側は、このことをリスク要因と見なしている。君は──どう思う?」
ナユタはくすりと微笑んだ。馬鹿らしい、とまで言っては失礼だろうが、やはり馬鹿げた問いに思える。
「人が寝ている間に〝昔の夢を見る〟ことって、リスク要因なんですか?」
「まあ……夢の内容によるだろう。ここはVR空間だから、厳密には寝ているわけでもないし──」
──この言葉は、彼の本心ではない。
探偵の思いはおそらくナユタと同じである。
ただ、だからこそ──彼は自分の思いを口にせず、〝ナユタ〟の口からそれを言わせようとしている。
おそらくは、この《会話》をこっそりとモニターしている運営側の人間に、リアルな〝プレイヤー〟の声を聞かせたがっている。
そこまで察したナユタは、あえて探偵の望む通りの答えを口にした。
「私は、あの仕掛けに感謝しています。どこかで向き合わなきゃいけないことでしたし、何より──夢を見る自由まで人からリスク扱いされるなんて、大きなお世話です。データとして記憶を抜き出されるのはさすがに嫌ですけれど、そうじゃないのなら、この仕様はこれからこのクエストをプレイする誰かのために、残して欲しいとも思います。それがいい結果を生むか、悪い結果を生むかなんて……それこそ本人次第でしょう?」
花火を見上げつつ、探偵が肩を揺らして笑いだした。
どうやら彼の意に沿う受け答えができたらしい。
「意外に過激なことを言う。その場合、運営は……何かあった時には、どう責任をとるべきかな?」
「本人の見る夢に、別の誰かが責任を取る必要なんてありません。仕掛けの情報開示だけで充分です。リスク、リスクと言いますけれど、その程度のリスクは……〝ユーザー投稿のクエストを採用する〟リスクに比べたら、誤差の範囲でしょう。故人の遺志を守るためにも運営が甘受すべきであって、その覚悟すらないなら、こんなイベント自体、やるべきじゃありません」
不意に探偵が、ナユタの頭を気安くぽんぽんと叩いた。
ナユタは一瞬、びくりと肩をすくませる。
ほとんど無意識の動作だったのか、見れば探偵は笑い転げていた。
「……いや、失礼。素晴らしい。その淑やかな外見から、そこまで切れ味の鋭い言葉が出てくると、ついぎくりとしてしまう。君、やっぱり警察官に向いているかもしれないよ。尋問の技術を身につけた上で今みたいな切れ味を発揮できたら、なかなかのものになりそうだ」
ナユタは深々と嘆息した。
「リアルに関しては、体力的にも運動能力的にもきついのは嫌なんです。探偵さんの事務所で事務員でもしたほうがまだマシだと思います」
ひとしきり笑った後、探偵が姿勢を正しながら息を整えた。
「……いや、おもしろかった。ま、今回は恩を受けたし、いずれ必要があれば就職先くらいは相談に乗るよ。うちはブラックらしいからともかく、君なら知り合いのちゃんとした企業にも推薦できそうだ。少なくとも損はさせない」
妙に気前のいいことを言って、クレーヴェルはふと明後日の方向に眼を向けた。
ナユタもつられて同じ方向を見る。
上がり続ける花火に照らされて──
《狐面の童》が、ぼんやりとそこに立っていた。
ヤナギとコヨミも彼の出現に気づき、ゆっくりと傍へ歩み寄る。
彼はナユタ達を見上げ、妙に透き通った声を紡いだ。
「──おめでと。ちゃんとクリアできたね」
探偵が頷き、彼に握手を求めた。
「ああ。君のおかげだ。いろいろとヒントをくれて……感謝している」
人工知能の少年が首を傾げた。
「必要以上のことはしていないと思うけど……まぁいいや。クリアした人みんなに、ってわけじゃないんだけど、清文を知っている人には、彼からの伝言があるんだ。〝遊んでくれてありがとう〟だって」
コヨミが唸る。
「そ、想像以上にざっくりしたコメント……え、それだけ? 私は知り合いとかじゃないけど、他になんかないの?」
狐面の童が視線を花火へ向けた。
「んー……個別のプレイヤーへのメッセージならいくつかあるんだけど、お姉さん達向けのじゃないから言えないや。ごめんね。ただ……」