丸みを帯びた……というよりはほぼ球形に近いフォルムには、確かに見覚えがある。が、それを《楽器》として扱うことには少なからず抵抗があった。
艶やかな光沢を放つその表面を、探偵がゆっくりと叩き始める。
ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく……
「……木魚ですよね、それ」
心を落ち着かせる豊かな低音を奏でつつ、探偵は悠々と頷いた。
「私が見つけた合流用の《楽器》だ。もっとも……これらの楽器が真価を発揮するのは、むしろ合流後らしい」
クレーヴェルが得意げにうそぶく。
棒立ちで木魚を叩く探偵の姿はなかなかにシュールだったが、それを笑う余裕も呆れる猶予もないまま、〝変化〟は着実に起きはじめていた。
戦闘のBGMと化していた《幽霊囃子》の演奏が、木魚の音にあわせて萎んでいく。
ヤナギの治癒により復帰したコヨミが、たちまち気づいて甲高い声をあげた。
「お囃子が弱くなって……あれ!? 私の楽器も……!」
アイテムリストから取り出したコヨミの鉦は、共鳴するように淡い光を発していた。
つられて取り出したナユタの横笛、ヤナギの小鼓も、同様に光り始めている。
探偵が人を化かす微笑を浮かべた。
「君達も演奏するといい。虎尾さんが言っていただろう? これは本来、村を守っていた祭具だ。あの大蛇がこれらの楽器を奪ったせいで、村人達は魂を抜かれ、大蛇の囃子方として利用されるに至った。つまり──あの大蛇に力を与えているのは村人達の祭り囃子であり、それを無効化するのがこの祭具、という仕掛けだ」
得意げな説明を聞きながら、ナユタは吹き口に唇を添えた。
息を吹き込むと、空気の震えが音色を生む。
音色が《幽霊囃子》へ届くと、彼らは自身の演奏を止め、祭具の音に耳を澄ます。
そして《幽霊囃子》の演奏が止まると──八岐の大蛇は活力を喪い、状況の変化にまごつき始めた。
探偵が眼を細めて嗤う。
「大蛇が囃子方を求めたのは、自身を強化するため。その障害となる祭具を村から奪い、城内に安置し支配することで、城の主たる自らを〝神〟の立場においた。だが、肝心の祭具は我々によって盗まれ……今度は我々がその力を利用している。さあ、形勢逆転といこう」
宣言通り、ほんの数秒での逆転劇を成し遂げた探偵は、淡々と木魚を叩き続ける。
ナユタとしてはどうにも釈然としないが、この仕掛けに気づかなかったのは事実だけに、今は何を言っても言い訳にならない。
幸い、八つ当たりすべき対象が、目の前に八匹もいる。
ナユタは笛を手にしたまま、大蛇達の正面へ跳び込んだ。
先程までと違い、弱った大蛇の反応は鈍い。
一応は牙を剝くものの、勢いは先程の戦いに遠く及ばず、もはやただの巨大な的と化していた。
そんな彼らに、ナユタは容赦なく拳撃をぶち込む。
コヨミも後に続き、ツートップでの殲滅戦が始まった。
「なゆさん! こっちの半分は任せちゃっていいから! ヤナギさんサポートよろ!」
「承りました。どうやら……勝機が見えましたな」
小鼓を叩きつつ二人のサポートに回るヤナギは、数日前まで素人だったとは思えない手際で、回復や細かな支援を繰り出していた。
大蛇達のHPゲージが順調に減っていく中、ナユタはちらりと探偵を振り返る。
クレーヴェルは戦闘には加わらない。
前線に出られても足手まといになるだけに、それはそれで構わないが、いいように使われているようで釈然としない。
ただ、彼が楽器を使わなければ大蛇に負けていたのも事実である。そもそも彼がいなければ、こうしてテストプレイという形で攻略を進めることもできなかった。
その意味では、ヤナギが最初に彼へ依頼を持ち込んだことは、奇跡的な導きだったようにも思えてくる。
ナユタ達の討伐風景を楽しげに見守る探偵の、すぐ傍に──
彼女はふと、狐面の童の幻を見た気がした。
クエスト《幽霊囃子》のエンディングは、夜空に打ち上がる大量の花火で締めくくられた。
幼生の八岐の大蛇を退治すると同時に、《幽霊囃子》として囚われていた村人達の魂魄は、次々に天上へと昇っていき──主を失った城は、空へ溶けるように瓦解し始めた。
あわせて上がり始めた花火を見物しつつ、ナユタは脱力気味の溜息を漏らす。
「……なんだか結局、探偵さんにおいしいところを持って行かれた気がします」
弱体化する前の大蛇を相手に、自分達がしたあの苦労はなんだったのか──
それを思うと、自身の迂闊さが嘆かわしい。キーアイテムの使用は基本中の基本だが、件の楽器については《合流用の品》という認識に引っ張られ、焦燥も影響して使用のタイミングを見失っていた。
花火を見上げるクレーヴェルは、さして誇る様子もなく頷く。
「制作者の好みを推測すれば、自ずと攻略法も見えてくる。祠にぼた餅を供えた時、君も感じたはずだ。〝こんな楽な解き方でいいのか〟とね」
ナユタははっとした。
「ぼた餅が食べたい」という要求から始まった一連の供え物は、該当アイテムをいちいち用意せずとも、紙に文字を書いただけで代用品として認められた。
もしも正攻法で該当アイテムを探していた場合、大変な労力と時間を強いられたことは想像に難くない。
「……難しく見えても、楽な解き方がちゃんと用意されている……それが、このクエストの制作者の方針ってことですか」
物思いと共に花火見物をするヤナギには、二人の会話は聞こえていない。
探偵が息を吐いた。
「そう。ヒントに気づくか気づかないか。たったそれだけのことで、難易度が大きく変化する──それがこのクエストの特徴だった。おそらくはヤナギさんに対する配慮だろう。低レベルでも、気づきさえすればクリアできるように、と──もっとも、運営側の難度調整が入ったせいで、少々厄介なことにはなったがね」
ナユタは彼の言葉に微妙な違和感を持つ。
表向きは彼女に話す振りをしているが、その実、まるで〝ナユタ以外の誰か〟に伝えるかのように口調が硬い。
「運営への恨み言ですか?」
探偵が嗤う。
「いいや? おかげで私は一儲けできたわけだし、そんなつもりはない。ただ……このクエストに、亡き清文氏の遺志が強く反映されていることは事実だ。もしも彼の遺志をねじ曲げるなら、運営にはそれなりの誠意と配慮、そして理由が求められると思う。このクエストが〝投稿された作品〟である以上……作者の思いは、それがよほど歪んだものでもない限り、最大限に反映されるべきだ」
ナユタは探偵の回りくどい言葉を慎重に嚙み砕く。
「つまり……あまりいじり回さずに、早く再配信するべきってことですよね?」
探偵が肩をすくめる。
「それを決めるのは私じゃないけれどね。個人的な感想としては、まあ……そんなところだ」
──再配信の障害は、まだ一つ残っている。
そもそも配信停止のきっかけとなった、《データに存在しないはずの幽霊》。
この扱いをどうするのかは、今回のテストプレイの結果を精査しつつ、運営側がこれから判断していくのだろう。
そして探偵も、この幽霊に絡んで何かを迷っている節がある。
ナユタは彼のことをまだよく知らない。悩みを推測できるほどの付き合いもなく、深入りするつもりもない。