UFOキャッチャーと百円玉

 ある日の朝。教室にて。

 由美子は登校すると、まっすぐに若菜の席に近付いた。


「若菜、今日暇? 放課後、ちょっと付き合ってくんない?」

「ほ? いいよ、バイトの時間までなら。どこ行くの?」

「ゲームセンター」


 淀みなくいつものように遊びの約束を取り交わしていたが、若菜が動きを止める。

 意外そうに目を丸くしていた。


「どしたん? 珍しいね、由美子がゲーセン行こうだなんて」


 若菜の言うとおり、ゲームセンターを目的地にするのはかなり珍しい。

 どこかに遊びに行った際、ついでや暇潰しで立ち寄ることはあれども、最初からゲーセンを目指すことは初めてかもしれない。

 その事情を、由美子は口にする。


「あたしが出てる作品のフィギュアが……、クレーンゲームの景品で出るんだけど、それが獲りたくて……」


 おずおずと目的を口にする。

 若菜は「なるほど」と納得してから、小さく首を傾げた。


「ん? でも、そういうのってもらえたりしないの? 自分で獲りに行くんだ?」

「もらえる場合もある、って感じ? 今回はそういうのじゃないから、自分で獲らなきゃダメなんだけど……」


 別に、もらえないことに文句があるわけじゃない。

 ただ、もらえたら楽だったな、と思ってはいた。

 何せ販売品ではなく、クレーンゲームの景品だからだ。


「若菜って、クレーンゲーム得意?」

「いんや。たま~にぬいぐるみを獲ったことがある、くらい? そんな真剣にやったことはないね」

「あたしもそんな感じでさぁ、獲れるかどうか心配なんだよね」


 これが販売品なら、購入して終わり。

 しかし、クレーンゲームはお金だけでは何ともならない。

『絶対に手に入れたい!』と思っているだけに、普通に売ってくれればなぁ~……、という思いはあった。

 けれど、文句を言ったところで仕方がない。

 と、いうわけで。

 由美子と若菜は、目当ての景品があるゲームセンターに立ち寄っていた。


「あ! 若菜、これこれ。これ、あたしが演じてるキャラ」

「お? どっち? この女の子? ロボのほう?」

「女の子。ロボはしゃべらんでしょ……、とは言い切れないか」


 クレーンゲームは軽快な音楽を鳴らしながら、明るく景品を照らしている。

 景品は、数本のポールの上に横たわっていた。

 いわゆる、橋渡しと呼ばれるもの。

 これをアームで下に落とせば、景品ゲットとなる。

 景品は箱詰めされているが、ディスプレイとして中身が飾ってあった。

 その景品の説明をまじまじと見つめる。


『〝幻影機兵ファントム〟機兵エンプティ&パイロット〝シラユリ・メイ〟』


 機兵エンプティとそのパイロット、シラユリのフィギュアがそこに立っていた。

〝幻影機兵ファントム〟、そしてシラユリは由美子にとって、とても大きな存在だ。

 それがフィギュア化となれば、クレーンゲームの景品であっても欲しくて仕方なかった。

 早速、百円玉を両替してきて、その景品を見つめる。

 獲れるまで挑戦するつもりではあるものの、不慣れなゲームだけに二の足を踏んだ。


「……これって、どうやって獲んの? 普通に持ち上げていいのかな?」

「そうじゃない? 持ち上げて落とすんでしょ。それ以外に獲る方法ないと思うけど……」


 若菜とともに首を傾げる。

 ゲーセンにやってきても、せいぜい身体を使うゲームかプリクラしかしないせいで、こういったものにはトンと疎い。

 しかし、クレーンゲームなのだから、景品を持ち上げて落とす、のだろう。

 たぶん。

 それなら自分でもできそうだ、と由美子は百円を入れてアームを操作する。

 アームは見事、フィギュアの箱を目掛けて、するすると降りてきた。

 だが、位置は絶妙だったにも関わらず、景品は全く持ち上がらない。

 箱の位置を、わずかにズラすだけだった。


「…………????」

「え、これどうやって獲んの?」


 景品、持ち上げてくれないんだけど。

 もう一回やってみるものの、アームは箱を撫でるだけで、決して持ち運んではくれない。


「これ獲れなくない? そういうズル?」


 由美子が困惑していると、若菜が「あっ」と声を上げた。


「由美子、ここに獲り方書いてある。えーと……、ちょっとずつズラしていって、このポールの間から落とすみたい」

「ズラす……?」


 持ち上げて、ポトン、と落としてゲット! というわけではないらしい。

 若菜といっしょに表示された獲り方を見て、そのとおりにアームを動かしてみる。

 すると、確かに箱はズレた。

 これを繰り返していけば、移動していき、やがて落ちそうではあるが……。


「これは……、長期戦になるな……?」


 冷や汗が流れる。

 百円二百円で獲れるとは思っていなかったし、値段が数千円でも販売していたら迷わず買っていた。

 けれど、この「本当に獲れるかわからない」「いくら掛かるかわからない」という状況はなかなかにメンタルを削る。

 それでも、どうしてもエンプティとシラユリを入手したい由美子は、百円玉を投入し続けるしかなかった。

 ちゃりん、ちゃりん、ちゃりん、ごめん両替行ってくる、ちゃりん、ちゃりん。

 何度もアームを往復させているが、なかなか景品は落ちてくれない。

 それどころか、全く終わりが見えない。

 これは本当に動いているのか? 進んでいるのか?

 そんなふうに不安になりながらも、それでも由美子は百円を使い続ける。

 奇しくも、シラユリ回をアフレコしたときと同じ心境だった。


「……由美子」


 既に、由美子がどれだけ百円玉を投入したかわからなくなったあたりで。

 若菜がぼそりと呟いた。


「わたし、あんまり詳しくはないんだけど。こういう景品って、フリマアプリとかで買ったほうが安……」

「い、言うな! あたしもそれは頭をよぎったけどっ。ここまで来ちゃったら、自力で獲りたいじゃん⁉」

「気持ちはわからんでもないがな~……。由美子の百円玉が、マッハでなくなるのを見てるとなぁ~」


 それは由美子自身も感じている。

 さっきから嫌な汗が背筋を伝っていた。

 これは、いつ、いつ終わるんだ、本当に終わるのか……⁉

 不安は大きくなるばかりで、いつまで経ってもゴールが見えてこない。

 だが、もう引くに引けない。

 完全に泥沼だった。

 ――初心者の由美子には、あずかり知らぬことだが。

 あまりにも景品が獲れない場合、店員さんが見兼ねてアシストしてくれることがある。

 しかし、残念ながらこの日は忙しく、店員さんは由美子たちをよく見ていなかった。

 ならばいっそ、直接店員さんに助けを求めてもよかった。

 むしろ、人付き合いの得意な由美子ならば、自力でクレーンゲームに挑むより、談笑して獲る方法を教えてもらったり、アシストしてもらうほうが何十倍も容易いと言える。

 閑話休題。

 とにかく、ひたすらにチャレンジを続ける由美子だったが、若菜は無念そうに呟いた。


「ごめん、由美子。わたしバイトだから、もう行かなきゃ」

「あ、そっか。付き合わせちゃってごめん、若菜」

「いやいや。あとで結果を教えておくれよ~」


 そう言い残し、若菜はその場から立ち去っていく。

 あとに残されたのは、どれほどで獲れるかわからない景品と、由美子ひとりだけ。


「……………………」


 ふう、とため息を吐いて、景品を見つめる。

 さっきまで若菜が、いっしょになって「そこだ!」「惜しい~」「動いてる感じはするね?」「今のは下手すぎでしょ笑う」と応援してくれたので、だいぶ気が紛れたが。

 ひとりになってしまうと、急激に困難な壁に思えてくる。

 果たして、このままやっていて獲れるのだろうか。

 弱気になってくるし、諦めそうになってしまう。

 大体、ファントムの収録だって、ひとりだったら上手くいかなかった。

 あのとき、いっしょにいてくれたのは――。


「佐藤?」

「うぇっ?」


 突然声を掛けられて、振り返る。

 そこには、なぜか千佳の姿があった。

 由美子と同じ制服姿で、不思議そうにこちらを見ている。


「わ、渡辺? どうしたの、こんなところで」

「こちらのセリフだけれど。あなたがひとりでゲーセンだなんて、かなり不自然に感じるわ。だれかに追われてるの?」

「逃げ込んで辿り着いたわけじゃないわっ。そういう渡辺は? あんたはひとりゲーセン、似合うくらいだけど」

「わたしもそんなに来ないわよ。わたしの目的は、それ。エンプティとシラユリ」


 指を差したのは、由美子が挑戦していたクレーンゲームだ。

 それにドキリとする。

 由美子は自身が演じたキャラクターだから、特別に欲しがってもおかしくはない。

 しかし、千佳がわざわざシラユリを獲りにくるなんて。

 何だかドキドキしていると、千佳はさらりと答えた。


「神代作品の機体がフィギュアになるんだもの。欲しいに決まっているでしょう」

「あ、そういう……」


 よくよく考えれば、千佳は神代作品の大ファンだった。

 ある意味、由美子以上に欲しがっていてもおかしくない。

 彼女の手にも百円玉が握られていたが、千佳はそれをポケットに仕舞った。


「あなたがプレイ中なら、獲り終わるまで待つけど」


 千佳はちらりと、由美子が積んだ百円玉を見やる。

「随分と使っているみたいだし」と続けた。

 どうやら、雰囲気でわかってしまうものらしい。

 しかし、由美子は頭を掻きながら答えた。


「あー……。それなんだけど、あたしには無理そうなんだよね……。もう諦めようかなって……。なんか、全然獲れる気配なくてさー……」


 正直に答える。

 このままやっていても獲得できる気がしない。

 それならば、千佳に明け渡したほうがいいのではないか。

 そう思っての言葉だったが、千佳は黙ってじっと由美子を見ていた。

 そして、ふっと息を吐く。


「……あなたのそういうところ、本当に嫌い。ちょっとどいてなさい」


 千佳はポケットから百円玉を取り出し、投入する。

 そのまま、慣れた手つきでボタンを押し始めた。


「こういうのはね、コツが要るの。それさえ覚えていれば、獲るのはさほど難しくないわ。あなたは普段は器用なのに、時折とても不器用になるわね」


 彼女の操作したアームが、景品の上でぴたりと止まる。

 軽快な効果音とともに、アームは景品に向かって降りていった。

 とん。 

 鮮やかにアームは動き、景品をほんの少しずらす。

 ずらした、だけ。

 成果が出ることなく、アームは戻ってくる。

 それを見ながら、千佳は納得したように呟いた。


「……なるほど?」

「なるほど? じゃないわ! 普通、こういうのってサッと獲って、『ほら』って渡すまでが一セットなんじゃないの⁉ あんたも下手じゃん! な~にを偉そうに!」

「うるさいわね、ぎゃあぎゃあと……! あなたも下手なんだから、人のことを言えないでしょうに……! いいから、獲るまでやるんでしょう⁉」

「あんだけ獲れそうな気配出してたくせに、そんなこと言うぅ⁉」


 お互いにカチンと来て、それから交互に百円玉を投入し始める。

 遠慮のない「今の遅すぎ!」「そこに降ろしても意味ないでしょうに」「なんで同じ失敗繰り返すかな~」「あなたには学習能力がないの?」という煽り合いが続いた。

 相手に嫌味を言われたくない。相手より上手く進めたい。

 そんな思いが、ふたりの集中力を高めていた。

 そして、その思いは実を結ぶ。

 死闘の末、フィギュアはようやくガコンと落ちていった。

 景品ゲットだ。


「……っ!」


 その瞬間、思わずふたりは全力のハイタッチをする。

 小気味よいパン! という音が響き、ふたりとも達成感から満面の笑みを浮かべていた。

 しかし、同時にハッと我に返る。

 親友同士がキャッキャとはしゃいでいるようだと、自覚してしまったのだ。

 当然、由美子と千佳はそんな関係ではない。

 気まずくなりながら、赤い顔で互いにそっぽを向いた。


「景品獲得、おめでとうございます~!」


 景品の獲得音が聞こえたのか、店員のお姉さんがそそくさとやってくる。

 フィギュアを袋に入れて、先ほどプレイしていた千佳に渡してくれた。

 そのまま手早く景品を補充して、立ち去っていく。


「あ……」


 千佳は受け取ったものの、困った顔でそれを見下ろした。

 そっけなく、由美子に手渡そうとする。


「はい。元々は、あなたがやっていたものでしょう」

「あ、いや……。でも、途中から渡辺もやってたじゃん。獲ったのはあんただし……。渡辺が持って行っていいよ」

「でも……。あなただって、欲しくて頑張っていたんでしょう?」


 珍しくお互いに、遠慮し合ってしまう。

 由美子は千佳が欲しがっている理由がわかるし、逆もそうだろう。

 由美子にとっても思い出深いキャラクターなのだから、自分で持っておきたい。

 そう思いはしたものの。


「あんたが持っててくれるのなら、そのほうがいいよ」


 なぜか、そんな言葉がするりと出た。

 自分が何を感じてそう言ったのか、由美子自身もわからなかった。

 千佳はその言葉に目を見開き、迷うように視線を彷徨わせる。

 しかし、最後にはぎゅっと袋を抱き締めた。


「ありがとう……」

「おう……」


 照れくさくなって、由美子は視線を外す。

 なんともむず痒い空気だった。

 それから逃げたかったのか、千佳は未練がましくクレーンゲームに目を戻す。


「もうひとつ取れれば、一番いいのだけれど……」

「いやぁ、さすがになあ……。あんだけやって、もう一回やろうとは思えないかな~……」


 一体ふたりでいくら使ってしまったのか、もはやわからない。

 さすがにもう一回! はない。

 でもまぁ、ふたりで協力して、ひとつは獲ることができた。

 ある意味、自分たちらしくていいんじゃないか、と。

 ――そう由美子が思った、次の瞬間。

 千佳の身体が視界から消えた。


「――ぐえっ」


 横から強烈なタックルを喰らい、千佳が姿勢を崩したのだ。


「夕陽先輩にやすやす先輩! お疲れ様でーす! 偶然ですね!」


 突如現れたのは、後輩声優である高橋結衣。

 彼女はキラキラした笑みを浮かべながら、千佳の腰に抱き着いていた。

 どうやら本当に偶然らしく、少し離れた場所に同じ制服の女の子たちがいた。遠巻きに見たあとに別の場所に行ったので、結衣は「ちょっと挨拶してくる!」とでも言ってきたのかもしれない。

 嬉しそうに千佳に抱き着いている結衣に、由美子は声を掛ける。


「結衣ちゃん、偶然だねえ。ゲーセンよく来るの?」

「時間があったので、友達と寄ってみただけです! そしたら、夕陽先輩がいるんですから! 高橋、運命の出会いに嬉しすぎて抱き着いちゃいました!」

「それくらいで抱き着くのはやめて頂戴……。何度も言っているけれど、あなたは一向に聞く気がないわね……」


 千佳がげんなりした顔で苦言を呈するも、結衣は嬉しそうに抱き着いたままだ。

 そして、千佳の手にあるフィギュアに気が付いた。


「わ、それファントムのフィギュアですか? もしかして、ふたりともコレを獲りに来た感じです? わかります! 自分が出演した作品のフィギュア、欲しくなりますよね! やすやす先輩も今から獲るんですか?」


 察しのいい結衣が、この状況を的確に言い当てていく。

 しかし、最後だけは外れていた。


「いや~……。あたしも欲しかったんだけど、獲るのすごく大変だったから。さすがに無理かなぁって」

「あ~、欲しいやつに限って難しかったりしますよね。これですか? ん~……?」


 結衣は補充されたエンプティのフィギュアをじぃっと見ていたが、ぼそりと「この置き方ダメじゃないですか?」と呟いた。

 ん? と由美子たちが聞き返すのも意に介さず、結衣は百円玉を投入する。

 見当違いのところにアームを動かした。


「高橋さん。そこだと、景品を掴めないわよ」


 散々プレイした千佳がそう言いたくなるくらい、結衣はおかしな場所にアームを運んだ。

 しかし、開いたアームがグイっと箱を押し出し、そのままガコン! と落としてしまった。


「「え、えええぇぇぇぇぇ⁉」」


 由美子と千佳はめちゃくちゃ頑張って少しずつ運んだのに、結衣はいともあっさり獲ってしまった。

 それを手に取りながら、なんてことはないように結衣は言う。


「いやぁ、この置き方だと獲れちゃいますよね~。はい、やすやす先輩。どうぞ」


 そんなふうに笑いながら手渡されたので、由美子は「ど、どうも……?」と受け取った。


「それじゃ、高橋は友達を待たせていますので! それでは~!」


 結衣は元気いっぱいのまま、ふたりの元から立ち去ってしまった。

 ふたりの元に残ったのは、あれだけ欲しがっていた二人分のフィギュア。

 しかし、何とも釈然としないのはなぜだろう……。

刊行シリーズ

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