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天井の明かりが、ゆっくりと、ゆっくりと明るくなり。
そして完全に明るくなる前に、途中で力つきたように、ふっ、と消える。
「…………」
暗闇。
そしてまた、息を吹き返したように再び天井で鈍く明かりが灯る。
ゆっくりと明るさを増し────そして力つき、消える。
暗闇。
「…………」
明かりが消えると、この部屋の中は目の前にかざした手のひらも見えないほど、暗い。
その暗闇に抵抗するように、じんわりと灯る電灯の光は、力つきる寸前の最も明るい時でさえ、黄昏時のように弱々しい。
そしてまた、ふっ、と消える。
暗闇。
やがてまた、じわり、と灯る。
力つき、消える。
暗闇。
「…………」
鼓動のように、あるいは呼吸のように、電灯はゆっくりと、明滅をくり返している。
広い空間を、ごく短い間だけ浮かび上がらせる明かりは、あまりにも頼りなく、この部屋は体感として、ほぼ暗闇であると言ってよかった。
広く、暗い部屋。
また明かりが灯る。
その死にかけの電灯によって、断続的に照らし出され、浮かび上がっている部屋は、とある学校の教室だった。
小学校の教室。まだ新しい綺麗な教室だ。
ほとんど傷も汚れもない子供用の机と椅子と、そして正面の教卓が、ほぼ等間隔に、ずらりと並んでいる。
黒板と、棚と、窓とカーテンと、さまざまな掲示の張り紙。
壁ぞいに、にぎやかに並ぶそれら。そんな教室の光景が、暗闇にすっかり包まれていて、そして断続的に息を吹き返す明かりによって、また照らし出されるのだ。
そして、その光景の中に────
化け物が立っていた。
教室のほぼ中央、並んでいる机の間を、まるで授業を見回る先生のように、異様な姿の化け物がぺたぺたと歩いていた。
化け物は〝人形〟だった。
教室の真ん中、大人の頭ほどの高さに浮かび上がっているそれは、わざとらしいほどプラスチックの光沢がある、子供を模した人形の頭部だった。目を見開き、微笑みながらも表情の動かないそれは、実物の子供とほとんど同じ大きさをしている。そしてツヤツヤとした頰と、すぼめて笑った小さな口と、何の感情も映していない大きな丸いガラス玉の目で、ただ無意志にゆっくりと周囲を睥睨していた。
そして、
その首から下には、三本の足がある。
いや違う。
正しくは、三本の足しかない。
それどころか足ですらなかった。床に立つそれは、足ではなく〝手〟だった。大きな人形の首には、そこに続くべき胴体が存在せず、ただ断ち切られて穴が開いていて、そこから三本の長い手が、にゅう、と直接生えていたのだ。
いびつに細長い、三本の人間の子供の手。
それらは蛸壺の中から這い出した軟体生物の触腕めいた姿で、そそり立つかのように生々しく伸びて、足の機能を果たすために、ぺたりと床に接していた。
細い五本の指がある、子供の手のひら。そんな小さな手のひらから、腕が大人の背丈の長さまで作り物の頭部に続いている様子は、あまりにもバランスを欠いていて、あまりにも異常で不気味だった。
そして────それらの手は、〝人形〟ではない。
肉だった。三本の手は、上に載っているプラスチックの頭部とは全く違う、完全に肉の質感をしていた。
柔らかい肉感。しかしそれは白とも、青灰色とも、土気色ともつかない、死んだ肉の色をしている。粘土じみて死肉の色をした、粘土細工じみてバランスを欠いた三本の手が、生々しく生きて動きながら、上に載った人形の頭部を運搬していた。
下向きに三本の手を生やして歩く、人形の頭。
そうとしか呼べない異形の存在が、教室の中を歩いている。
ぺた。
ぺた。
ぺた。
と暗闇の中に、音がする。
三本の手が、手のひらの肉が、硬く冷たい床に、代わる代わる触れる、音。
そんな〝足音〟の上に、斜めに傾いた人形の頭部が載っていて、何の表情もないガラス玉の目で、周囲を無機質に見つめていた。天井の明かりが息を吹き返すたび、〝それ〟の姿が、不気味に照らし出される。
薄ぼんやりとした明かりの下で、〝それ〟の無言の視線が、教室を走査する。
無感動に探っている。昆虫が、じっと静かに、餌の存在を探るかのように。
そして────
「………………っ!」
そんな〝異形〟がいる教室の、教卓の下に、男の子が一人うずくまって、必死に息を殺して身を震わせていた。
小柄な小学生男子。眼鏡をかけ、おとなしそうな容姿。
着ているのは何の変哲もない、半袖ポロシャツの普段着。
街を見回せば、どこにでもいそうな格好の少年。ただひとつだけ普通ではない部分は、そんな彼の首元には、地味な格好に全くそぐわない、ひどく目を引く、血のように赤いリボンが結ばれていた。
名前は越智春人。
六年生。彼は教卓の下に身を隠していた。
何から身を隠しているかは、言うまでもない。
隠れ、怯え、強く目を閉じている。そんな彼の背後にある真っ暗な空間から────ときおり照明が照らすだけの暗闇から────〝音〟が聞こえている。
ぺた。
ぺた。
ぺた。
と。
身を縮め、丸めた背中の向こう側に広がっている教室の空間に、聞こえている。
そこを裸足で歩いているような〝足音〟が、ずっと歩き回っている。そして明らかに生き物ではない、しかし生き物のように動いている異様な〝気配〟が、足音とともに、ゆっくりと移動していた。
「………………!」
春人は、必死に息をひそめて、〝それ〟から隠れていた。
閉じこめられていた。動けば、音を立てれば、そして見つかってしまえば、どうなってしまうのか分からなくて、思わず隠れてしまったこの場所から、もう一歩たりとも、動くことができなくなっていた。
あんなもの、先週まではいなかった。
毎週金曜日の深夜、十二時十二分十二秒に呼び出されるこの場所。これまで何度も来ているこの教室は、今まではあんな化け物ではなく、ただ真ん中の机の上に、人形の頭が置いてあるだけだったのだ。
今までのように、いつものように、人形の頭を横目に見ながら部屋に入り、観察記録をつけようとした。
そうしたら────人形の頭が立ち上がった。肝を潰し、慌てて目の前の教卓の下に隠れたが、明らかに失敗だった。すぐに後悔した。最初に回れ右をして、教室の外に逃げるべきだったのだ。
結果、もう教卓の下から逃げ出すことも、助けを呼ぶこともできなくなった。
閉じこめられてしまった。だが運動がてんでダメで、過去五年間、ずっとクラスで一番足が遅かった春人には、走って逃げるという発想は、最初に出てこなかったのだ。
走って逃げても、追いつかれるに決まっているからだ。
この『かかり』になってからずっと、眠るたびに見ている悪夢と同じだった。
姿のない足音だけの〝何か〟に追いかけられる夢。必死で逃げるけれども、足はもつれて前に進まず、最後には追いつかれて────そして恐ろしい力で手足をつかまれて、はっ、と汗びっしょりになって目を覚ます、あの生々しく怖い夢と同じようにだ。
教卓の下の暗闇の中で、声には出さず、心の中で叫ぶ。
助けて……!
誰か助けて……!
がちがちに縮こまって身と息をひそめながら、そして心の中で叫びながら、春人はただ背後の足音を聞き続ける。
迫り、離れる、むき出しの肉の足音を。
この足音が、教室を出てどこかに行ってくれることを、心の底から願いながら。
とにかく〝あれ〟がこちらに近づいてこないことを、こちらの存在に気づかないことを、心の底から、しぼり出すようにして神様に祈った。
だが────足音は、教室から出ることなく、もう何十分も部屋の中をうろついている。
絶望的だった。〝あれ〟はずっと教室の中に居座って、ウロウロと歩き回り、当然隠れている教卓に何度も近づいてきた。