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話は遡る。
砂の積もった教室の中に立つ、苦悶の表情を浮かべた、湧汰の姿をした砂のかたまり。
湧汰がそんな砂の像になってしまった、あの日の『ほうかご』から週が明けた月曜日。週末になればもう夏休みに入ってしまう学期の最後の週のはじめに、五十嵐華菜が重い気持ちで登校すると、そこには目を疑う光景があった。
「えっ、志場くん!?」
いつも『かかり』が集まって話し合う、ホールを出たところの目立たない片隅。
そこに落ちているであろう、重い空気を想像しながら重い足取りで顔を出した華菜が見たのは、蒼白な顔をした海深と陸久と恵里耶。そしてその三人の視線を浴びながら、困惑した表情をして立っている湧汰と────
「────越智くん!?」
死んだはずの、春人の姿だった。
まだ湧汰の方は、死体も、その後の消失も確認していないので、死んではいなかった可能性も否定できない。だがそのどちらも確認してしまっている越智春人がそこにいて、みんなの視線の中で居心地悪そうにしているのを見て、華菜は思わず声を上げてしまった。驚きで声が裏返っていた。
「えっ…………え?」
驚きすぎて、息が、心臓が、止まりそうになった。鳥肌が立った肌と、見開いたまま閉じられない目。双子や恵里耶と同じ顔色をしているのだろう自覚があった。それは驚きというよりも、ほとんど恐怖に近かった。
「え、ど、どういうこと……!?」
「いや……俺のほうが知りてえんだけど」
わけがわからず疑問を口にした華菜に、湧汰があまりにも普通に、これまでと何ひとつ変わらない様子で答えて言った。
「普通に登校して来てみたら越智くんがいてさ、それで死ぬほどびっくりしてたら、藤田さんたちが俺のことまで『死んだはず』とか言うし……俺のほうが意味わかんねえんだけど。何がどうなってんだ?」
本気で困った様子で眉根をよせて、「なんなんだよ」と言いながら、周りのみんなを見やる湧汰。華菜は戸惑い、最初はためらいつつ、思わずそんな湧汰に向けて手を伸ばす。そして腕や肩や頭に触れて、その感触と実在を確かめた。
ちゃんと感触がある。
生きている人間の感触。それから体温。
「さわれる……体温もある……」
「な、なんだよ、やめろよ」
幽霊やゾンビには思えなかった。半ば呆然としながらべたべた触って確認していると、その手をうざったそうに押しのけられた。あわてて謝る華菜。
「やめろって」
「あ、ご、ごめん。幽霊かと思って……」
「おまえも言うのかよ」
湧汰は、眉をハの字にする。
「マジで何があったんだ? 誰も教えてくれねーんだけど」
「あ……そうなんだ」
怯えきっている海深と陸久や、躊躇して固まっている恵里耶を見て、華菜はなるほどと状況を理解する。そして何をどう、どこから説明したものかと、しばし考えて、まずは確認が必要だと思い至って、逆に湧汰へと訊ねた。
「……えーとね、こないだの『ほうかご』って、志場くんはどうしてた?」
「あ? …………あー、あ? 言われてみると、なんかあんまり記憶がない気がするな」
問われて湧汰は、最初不思議そうな顔をして、それから少しの沈黙とともに眉を寄せ、首をひねった。
「たしか『ほうかご』に行ったら、俺が担当してるあの教室で、何か見て…………えーと、何を見たんだっけ? とにかくそれを確かめようと思って、入ってったんだよ。砂だらけの部屋の中に。それで、何があったんだっけ?」
言いながら考えて、考えて、そしてしばらくして納得いかなそうに、答えて言った。
「…………あー、やっぱダメだ。それしか憶えてねー」
ばりばりと頭をかく。
「教室に入ってってから、自分の部屋で目え覚ました、それまでの間が思い出せない。言われると、たしかにおかしいな」
「だよね?」
同意を得たことに少し安心して、華菜は次に、春人を見る。
「じゃあ、越智くんは? 今までどうしてたか、憶えてる?」
「えと……僕は……僕も志場くんとおんなじで、あの人形頭が立ち上がって化け物になって慌てて隠れたとこまでは憶えてて……」
ぼそぼそと戸惑いながら答える春人。
「あとは、いつもの四時四四分に目を覚ました感じ。その間のことは覚えてなくて……別におかしいとは思わなくて、今日、普通に学校に来たんだけど……」
どうなってるの? という様子で、みんなを見る春人。そんな彼の受け答えの様子は久しぶりに目にするもので、さらに言うならば今まで失われていたもので、言いようのない感覚が華菜の内に湧きあがる。
「……」
そのせいで華菜は数瞬、言葉が出なくなった。
代わりに答えたのは湧汰だった。湧汰は春人に向けて、はっきりと言った。
「越智くん……言ったら悪いけど、それはおかしいぜ」
「おかしい?」
「お前さ、死んでたよ。いまお前が言ってた、目ぇ覚ますまでの憶えてない間、二週間あいてんだよ」
「えっ」
聞いた春人が、呆然とした顔になった。
「俺たちみんな、お前が死んでるのを見たし、お前がいないまんま二週間やってた」
「え……えっ?」
「その二週間、越智くんはこの世から消えてた。マジで二週間、死んでたんだよ」
「え…………」
真顔で言う湧汰の言葉を聞いて、春人は言葉を失って、それから助けを求めるように、周りのみんなを見る。
「……冗談だよね?」
「…………」
その問いかけに、双子も恵里耶も、みんな目をそらした。
華菜だけは目をそらさずに、春人の顔を見返したが、しかし春人に向けて、黙って首を横に振って見せた。
「そんな……」
「冗談なんかじゃねーよ。越智くんは間違いなしに死んでた」
きっぱりと言う湧汰。
「ぜったい死んでたのに、生き返ってここにいるから、みんなびっくりしてるんだ。俺だって最初見た時は、心臓が止まりそうだった。はっきり言って怖い。ヤバい。何なのかは分からないけど、ぜったい、いま何かヤバいことが起こってる」
表情をこわばらせて顔色を悪くした春人に、湧汰は近寄ると、両手でその肩をつかんだ。
そして言った。
「なあ……お前、本物の越智くんか?」
訊ねた。顔を近づけて。
厳しい表情。その詰問に、ショックを受けた表情で、固まる春人。
「…………!」
「どうなんだよ」
何も答えない、何も答えられない春人。しかし湧汰は、そんな春人の顔をしばらく凝視したあと────そのまま肩をつかんでいた手を春人の背中に回して、ハグして、それからランドセルの背を叩いて言った。
「でも──────それでも、お前が生き返って、よかった……!」
胸の底から、心の底から、しぼり出すような声で。
その瞬間までの、張り詰めた緊張がとぎれる。それまでずっと、何かあれば割って入ろうと身構えていた華菜は、そんな単純な話ではないけれども、ほっとして、半ばほどまで上げていた手を下ろした。
「なんか変なことになってるのは分かってる。でも今は、越智くんとまた会えて、話ができるのが、マジで嬉しい」
「志場くん……」
湧汰に涙はない。そんな湿っぽい感情ではない。
だが、明るい喜びでもない。もっと切実で限界で、崖っぷちの喜びを、湧汰は率直に言葉にした。