待ちに待っていたのだ。お母さんの双子ちゃんが大きく評価されたあの時の気持ちを、もう一度味わいたくて。そうして待ちに待った絵を見つけて、持っていったのだ。陸久の絵を。陸久だけの絵を。
そして半分にちぎって、無造作に海深にあげた。
陸久と海深のものだということにした。『双子』のものだということに。また。あの時のように。
「よかったね、スケッチブック、なくなったんじゃなくて」
陸久が思っていることを、何も知らずに、無邪気に言う海深。
「それに、閲覧九十万人だって。すごい」
自分のことのように喜ぶ海深。だが、他のことならば海深が喜んでいるのを見ると陸久も嬉しくなるが、この時は、これだけは、そう思うことができない。
海深は、何かにつけて双子がいっしょくたに扱われることを、何とも思っていない。
あまりにもよくあることだからだ。陸久も基本的にはそうだ。でも絵だけは、これだけはダメだ。
喜ぶお母さんと海深を見て、心の中に穴があいていた。
それは、お母さんが海深にあげるために、陸久から取り上げた、半分だ。
陸久がショックを受けていることに、しばらくしてからさすがに海深は気づいたが、それはお母さんが断りもなくスケッチブックを持ち出して、勝手にSNSにアップしたことが原因だと思っていた。
それ以上のことには気づかなかった。
やはり双子は他人なのだ。何もかも分けあわなければいけない、他人。
「………………」
海深に消えてほしいとまでは思わない。
でも、最初からいなければよかったのにと、そう思ってしまったことはあった。
海深にいなくなってほしいわけじゃない。ずっといっしょにいるきょうだいで、幼い頃は半身だと思っていた片割れだから。でも、自分がもらえるものを自動的に分けあわないといけない、その片割れが、最初からこの世に存在していない、そんな世界にいる自分を、つい夢想してしまったことはあった。
そして。金曜日になって、『ほうかご』になった。
とてもではないが『かかりのしごと』など、絵を描くことなど、できるような心理状態ではなかった。
それは、十一月のこと。
結論から言うと、その日は『しごと』をする必要はなかった。その日、ホールに華菜は現れず、やがて悲鳴が聞こえて、大変な事件が起こって──────
そして陸久は、見つけてしまったのだ。
海深をいなかったことにする方法を。
その、可能性を。
………………
4
空っぽの一週間が過ぎて、金曜日。
リビング以外ではこの家で一番広い、二階のほとんど全部を占めている部屋をカーテンで二つに区切って、同じ机と、同じベッドと、同じ棚と、同じ洋服かけを置いて、鏡写しのようになっている子供部屋に、深夜、また『ほうかごがかり』の時間がやってきた。
カァ────────ン、
コ────────────ン!
十二時十二分十二秒。音割れしてノイズのかかった学校のチャイムが、空気が震えるくらい大きく響いて、無駄だと知りながら施錠している出入り口のドアが、勝手にがちゃりと動いて開く。そして部屋のドアの向こうに深夜の学校の廊下が見え、ガリガリとざらついた、男とも女ともつかない声の呼び出しの放送が、そこから部屋の中へと響きわたる。
『ほうかごガかり……は、ガっ……こウに、集ゴう、シて下さイ』
「…………」
それを緊張の面持ちで、しかし準備は整えて、ドアの前で聞く二人。
以前はドアの前で待つことなんて、怖くてとてもできなかったが、嫌々ながらの、しかし逃げられない、強いられた半年以上の経験によって、今では海深でさえ自分で準備できるようになった。
ドアの前に立つ二人のところへと流れ込んでくる、家とはまったく違う温度と匂いの、学校の空気。その中へと、自分から足を踏み入れて、五感をめまいが通りすぎると、もう『ほうかご』に立っている自分たちがいる。
「……行こっか」
「…………」
海深が言う。陸久は無言。
二人は理科室に背を向けて、まずホールに向かう。懐中電灯で照らしながら暗い廊下を進む海深と、どことなくぼんやりとした表情をして、並んで歩く陸久。会話はない。周囲の音を聞かなければいけないからだ。ずっと聞こえている砂のようなノイズの向こうから、聞こえるかもしれない、足音とか、センサーの鳴らすチャイムの音をだ。
「……」
「……」
そしてバリケードに辿りつき、開けた抜け道をくぐって、ホールに入る。ホールには首のない人形を抱いた恵里耶が、一人だけで立っていて、二人を待っていた。
恵里耶は言った。
「じゃあ……行く、でいいよね……? 五十嵐さんのとこ」
「う、うん……」
「……」
うなずく海深。うつむく陸久。今日、三人は『ほうかご』でまずホールに集まったら、みんなで華菜のところまで迎えに行こうと、前もって決めていたのだった。
心配だったからだ。
華菜が、春人の化け物に襲われて『赤いクレヨン』の部屋で返り討ちにし、そのせいで現実の春人も消えてしまったと分かってから、華菜は明らかにそれを気に病んで、精神のバランスを崩していた。
この一週間、華菜は毎朝の集まりに顔を出さなかった。
会いに行くと普通に応対してくれるが、『かかり』の話になると、
「その話は……ごめんね、落ち着いたらちゃんと話するね」
と済まなそうに断る。
みんな、その言葉を尊重して待っていたが、結局、一週間経っても復調しなかった。
また金曜日になってしまった。また『ほうかご』が来てしまう。今日、三人は華菜が不在の朝に話し合って、『ほうかご』が始まったら、『赤いクレヨン』の教室まで華菜を迎えに行こうと決めた。
こんな状態のまま『ほうかご』になったら、どうなるのか分からない。
華菜がどうなるのか、何をするか、分かったものではない。
「次は、私たちが、五十嵐さんを助けないと……」
恵里耶は決然と、陸久と海深に向けてそう言っていた。今までずっと頼りっぱなしだった華菜が大変な時なのだから、自分たちが頑張らなければいけないと、明らかにそうすることに慣れていない様子で、表情を引きしめて。
「『赤いクレヨン』の部屋がどうなってるのかも、確認しないと……」
恵里耶は言う。
不安な表情になる海深。
ぴく、とその言葉に反応する陸久。
「……」
「……」
「何か異常があったら、対策しないと危ないって、『メリーさん』も────」
『────様子を見てきた方がいいと思うの。話だと、部屋の入り口が勝手に開いてたということだし、どんな危険がありそうなのか、確認しないといけないわ』
たどたどしくて、必死さがあらわな恵里耶の声が、すっ、と急に、落ち着いたものに切りかわる。恵里耶が抱いている首のない人形、『メリーさん』の声。
『ごめんなさい。私にもっと知識があったら、みんなにこんな、危険なことをさせなくてもよかったかもしれないのだけど』
そう言って、あやまる『メリーさん』。彼女はよくあやまる。自分の力のなさを、本当はできなければならないことが力不足でできないことを、申し訳なさそうにする。それは偶然なのか、もしかするとそういう必然なのか、担当している恵里耶と、少し似ている。
『許して。見守ることしかできない、こんな不自由な私を』
恵里耶の口を借りて、彼女が言う。
『そのうえで、どうかお願い。あの部屋を確認して。全然記録されてないあの部屋を。これ以上、誰も死なないように』
そう訴える。
「……行こっか」
「…………」
そして三人は、華菜が担当する教室方面へ、バリケードをくぐり抜けて向かった。
かすかなノイズと、その向こうの静寂に耳をすませながら、暗くて、外の光が差して、最近は異常に砂っぽくなってきた廊下を、固まって歩く。