14歳の夏休み -後編-
◆神宮寺那織◆
「16式機動戦闘車がそんなに魅力的?」
熱心にタイヤの奥を覗き込む不審な背中に声を掛けると、驚いた表情とともに「那織? どうしてこんなところに?」と返って来た。
探偵に
「どうしてって、浴衣の写真送ったでしょ?」
「あ、そうか」得心した顔で言って、身体を此方に向けた。「琉実も一緒か」
私に向けた言葉だったのに、お姉ちゃんがそれを拾った。
「那織と二人で来てたの。純は? ひとり?」
「さっきまで教授と居たんだが、お祖母さんが病院に運ばれたって言うんで、急いで帰ったところだよ」
「そうなんだ……それは心配だね」
さらっとこう云う事を言えるのが、お姉ちゃんなんだよね。些少であるとは言え、心配している事が嘘では無いと断言出来る位の気持ちはあって、でも教授のお祖母ちゃんの事は微塵も知らないっていう立ち位置。
この手の共感力は、全部お姉ちゃんに吸い取られてしまったみたい。
「何度か会ったことがあるから心配ではあるんだが、僕が行く訳には行かないしな」
それからお姉ちゃんが「暑い日が続いてるし」みたいなことを言い出して、世間話が始まった――最近、何となく素っ気無さを感じていたけど、話始めれば今迄通りって所か。
ま、外で話してる姿を見ないとは言え、純君がうちに夕飯を食べに来る時は一切口を利かないって訳じゃないし、琉実が勝手にあれこれ意識してるんだろうなとは思っていた。今日のだって、きっとそうだし。本当は喋りたいし、会いたいけど、どうしても臆してしまう、みたいな?
乙女じゃん。
めんどくさ。
そんなことよりっ! さっきからずっと気になってたんだけど、浴衣って食い込み気味の
面倒乙女に暫し歓談の時間を与えて、私はトイレにでも――ってトイレ何処よっ!
仕方なく、私はお姉ちゃんの裾を引く。私に出来るのはこれ位。「ねぇ」
「ん?」
「トイレ」
「あぁ、わたしも行こうかな……純、ちょっと待っててくんない?」
「大丈夫、僕も行くよ」
「でも、女子トイレはきっと列になってるだろうから、待たせちゃうかも……」
琉実がちらっと私を見る。うん、分かるよ。
「それ、ずっと思ってるんだけど、不公平過ぎない? 何で男子トイレはあんなに回転率が良い訳? てか、女子は個室で何してんの?」
「でも、女子は男子に比べて服がさ……特に浴衣だったりすると――」
何故か純君が女子のフォローをする図。
「そうだけどっ! 浴衣は確かに面倒だし時間掛かるけど、女子トイレに列が出来てるのって祭りに限らずじゃない? 渋滞の中ずっとトイレを我慢してて、ようやく寄れた高速の
「それは流石に言い過ぎだけど……うん、それはわたしも思ってた……あのときは大変だったよね……わたしも限界だったし」
「うん……それは言いたくなる気持ちもわかるけど……ただ、女の人は化粧とか髪を直したりで色々大変なんだろ?」
何故か純君が女子のフォローをする図、その二。
「それは鏡の前であって、個室ではやらぬ。そもそも個室は暗いし、スマホを使うとしたって、結局手を洗った後に鏡を見るっていう」
「そうだね。那織の言う通り――」
「いいから二人とも、早く行かないか? 僕に……長々と……その、女子のトイレ事情を説明されても反応に困るんだが」
「そうだよね、ごめんっ! もう、那織が変なこと言い出すからっ!」
「はいはい、どうも失礼致しました。さて、
◇神宮寺琉実◇
那織の浴衣の帯も締め直してあげて、屋台で焼きそばとかたこ焼きとかその他もろもろを買って、あとは花火を待つだけ――なんだけど、なかなかいい場所がなくて三人で歩き回って、運良く陸上競技場の方に空いたスペースを見つけることが出来た。
ただ、純を挟んで座ることはできなくて、わたしは那織の隣に座った。昔だったら純の隣に座れたかな……なんて思わなくはないけど、不満とかじゃない。今日は。今だけは。
だって、とっても楽しかったから。
そんな気持ちで台無しにしたくなかった。
「なんか、こうしてると小学生のときみたいだね」
不意に出た言葉だった。
「ああ。去年は来なかったからな」メガネのレンズを拭きながら、純が呟いた。
去年は部活のみんなと来た。だから、小学生振りなのは本当。
今回だって、わたしは――ううん、やめよう。
「来年はまた三人で来ようよ」
そう言い終わる前に、物すごく大きな音がした――花火っ!
「おお、上がった。やっぱり綺麗だな」
「うん。そしてこの距離感が醍醐味だよね。子宮に響くこの轟音」
ちょっと言い方っ! そこはお腹って言いなさいよっ!
けど、純の前で注意するのもなんかだし、軽く肘で小突いてから、「(もう変なこと言わないの)」と那織の耳元で注意した――けど、続けざまに打ち上がった花火で、きっとかき消された。声が届いたかはわからない。那織は聞き返して来なかったし。
でも、どうでも良かった。
花火がキレイだったから。
こうして三人で、花火を見られたから。
花火が上がる度に辺りが明るくなって、わたしは何度か横目で純を盗み見ていた。
風に乗って火薬の匂いがして、大きな音が全身に響いて、花火はキレイで大きくて、那織が炎色反応がどうとか言って――全部が昔と同じだった。
キレイで楽しくて涙が出そうになる懐かしい時間が終わって、多くの人が帰り始める中、わたしはまだ動けずにいた。最初に立ち上がった純が「どうした?」と訊いてくれたけれど、うまく答えられなくて、「もうちょっとだけ」としか言えなかった。
「まだ終わりじゃないのに、何だか夏休みが終わった感じがする」
那織が横で呟いて、立ち上がった。「ほら、帰るよっ」
差し伸ばされた那織の手を、わたしは掴んだ。
駅が混んでて入場規制が掛かってるという放送が流れて、勘違いした純が「あのまま帰ってたら、巻き込まれてたな。忘れてたよ」と笑った。その勘違いが今はありがたかった。
「で、どうやって帰る?」
那織はきっと、わたしの言葉を待っている。
「どうしよっか。歩いちゃう?」
わたしは那織の待っていた通りの言葉を口にした。
「え? 歩くの? 超面倒臭いんだけど」
なんて言ってるけど、本当は歩きたいって知っている。
「良いんじゃないか? 僕は賛成だ」
花火で興奮した頭を、熱気で火照った身体を、そして楽しかった気持ちをゆっくりと冷ますにはそれしかなかった。三人でおしゃべりしながら、昔みたいに下らない話をしながら、普段より遅い時間に街の中を歩く――最高だと思った。
電波の悪かったスマホも、ようやくつながった。
那織の代わりに、お母さんにメッセージを送る。
《歩いて帰るね。純も一緒だから大丈夫》
遠回りして帰りたい。もっとこの時間を味わいたい。
だから――わたしは二人に向かって言った。これは、せめてもの時間稼ぎ。
「ね、帰りにコンビニでアイス買わない?」