第一章 先輩はバニーガール ②

「二年一組の梓川咲太です。梓川サービスエリアの『梓川』に、花咲く太郎の『咲太』で、梓川咲太」

「私は桜島麻衣。桜島麻衣の『桜島』に、桜島麻衣の『麻衣』で桜島麻衣よ」

「知ってます。先輩、有名人だし」

「そう」


 興味なさそうに、麻衣は片手で頰杖を突いて窓の外へと視線を逸らす。わずかに前傾姿勢になったことで、胸の谷間が強調される。自然とそこへと目が吸い寄せられた。これぞ、眼福。


「梓川咲太君」

「はい」

「ひとつ、忠告をしてあげる」

「忠告?」

「今日、見たことは忘れなさい」


 口を開きかけた咲太が言葉を発する前に、麻衣がさらに続ける。


「このことを誰かに話したりしたら、頭のおかしな人だと思われて、頭のおかしな人生を送ることになるんだから」


 なるほど、確かに忠告だ。


「それと、金輪際、私に関わらないように」

「……」

「わかったのなら、『はい』と言いなさい」

「……」


 無言の咲太に、麻衣はむっとしたような表情を見せた。でも、すぐにさっきまでの気だるげな表情に戻ると、今度こそ席を立つ。そして、本を元の棚に戻してから、図書館の出口へと歩き出した。

 その間、やはり誰ひとりとして、麻衣に注目する人はいなかった。貸し出しカウンターの目の前を悠然と通過しても、司書さんたちは黙々と自分の仕事を続けていた。黒のストッキングに包まれた細くて綺麗な足に見惚れていたのは咲太だけだった。

 麻衣の姿がすっかり見えなくなったところで、取り残された咲太は机に突っ伏した。


「忘れろって言われてもな」


 ぽつりと独り言をもらす。


「あんな刺激的なウサギさん姿、忘れんのは無理だろ」


 全開だった肩から胸元にかけての色っぽい素肌。麻衣が頰杖を突いたおかげで、強調された谷間。鼻に残ったいい香り。咲太にだけ聞こえるように囁く小さな声。真っ直ぐに見つめてくる澄んだ瞳。それらすべてが咲太のオスの部分を刺激してきて、体の一部がとても元気になっている。

 おかげで、立ち上がろうにも周囲の目が気になって立ち上がれない。

 しばらくは大人しく座っているしかなさそうだ。

 それが、色々と聞きたいことがありながらも、すぐさま麻衣を追いかけられなかった理由だった。


    2


 翌朝、咲太は「ウサギの群れに押し潰される」という、変な夢にうなされて目を覚ました。


「空気を読んで、ここはバニーガールだと思うんだが……」


 自分の夢に注文をつけつつ体を起こそうとする。


「ん?」


 でも、どうしたことか起き上がれない。左の肩がやけに重たい。

 布団をめくると、その理由が判明した。

 左腕に抱きつくように、丸まって眠っているパジャマ姿の少女がひとり。あどけない寝顔。布団がなくなって寒いのか、より咲太に体を寄せてきた。

 今年十五歳になる妹のかえでだ。


「かえで、朝だぞ、起きろ」

「お兄ちゃん、寒いです……」


 寝ぼけて起きる気配がないので、咲太は妹を持ち上げて立ち上がった。


「重っ!」


 身長162センチと女子としては背が高い実の妹。最近は発育もよろしく、女の子から女の人への成長を両腕で実感する。


「かえでの半分は、お兄ちゃんへの想いで出来てるんです」

「なんだそのイタイ設定は。半分がやさしさの頭痛薬か? てか、起きてるなら起きろよ」

「む~」


 不満を表情いっぱいに溜め込みながらも、かえでは咲太の腕の中から下りた。ここ一年くらいで、顔のつくりが大人びてきたせいか、どうも言動と見た目のつり合いが取れていない。おかげで、何気ない兄と妹のスキンシップに、妙な背徳感が漂ってきている。


「あと、僕のベッドに潜り込むのもそろそろ卒業しろよ」


 ついでに、パンダの柄をしたフード付きのパジャマも卒業した方がいい。


「かえでが起こしに来たのに、お兄ちゃんがすぐに起きなかったからいけないんです」


 むすっとした顔は年齢よりも幼く見える。


「だとしても、もういい年頃なんだからさ」

「あ、お兄ちゃんが朝から興奮してしまうんですね」

「実の妹に誰が欲情するか」


 おでこを軽く突いてさっさと部屋を出る。


「あ~、待ってください」


 その後、ふたり分の朝ごはんを用意して、かえでとふたりで食べた。先に食事を終えた咲太は、学校に行く身支度をてきぱきと済ませると、


「お兄ちゃん、いってらっしゃい」


 と笑顔のかえでに見送られて、ひとり家を出た。


 住んでいるマンションの敷地から出ると、すぐにあくびが出た。昨日は、色々と刺激的なものを見たせいか、興奮してなかなか寝付けなかったのだ。その上、変な夢を見て目覚めもあまりよくない。

 再度あくびをしながらも、住宅街を通り抜けていく。途中、橋を一本渡る。駅が近づくにつれて周囲の建物は大きくなってきた。人影も増え、その誰もが咲太と同じ方向へと歩みを進めている。

 突き当たった大通りの信号をひとつ渡り、ビジネスホテル、家電量販店の脇を通過すると、ようやく駅が見えてきた。

 家を出てから約十分。

 神奈川県藤沢市の中心地である藤沢駅。通勤、通学の社会人と学生が右へ左へと忙しなく行き交っている。

 駅の一階には、上りは新宿、下りはスイッチバックで片瀬江ノ島方面へと向かう小田急線のホームがあり、二階はJRの東海道線と湘南新宿ラインの改札口だ。

 咲太は人の流れに乗って、階段を上がった。けど、JRの改札には背を向ける。

 連絡通路を三十メートルほど進むと、小田急百貨店のビルの前に着いた。別に、今からデパートで買い物をしようというわけではない。だいたい、今はまだ店は閉まっている。その閉まっているドアの右側に、もうひとつの藤沢駅があるのだ。

 江ノ島電鉄。通称江ノ電のホーム。途中、十三の駅に停車しながら、約三十分をかけて鎌倉までを繫ぐ単線路線。

 咲太が定期券をかざして改札を通ると、電車が入ってきたところだった。窓枠のあたりはクリーム色で、上下を緑色で挟んだレトロな雰囲気。四両編成と短い。

 咲太はホームの先まで歩いて、一番前の車両に乗り込んだ。

 小、中、高を問わず、制服姿の乗客が多い。残りはスーツ姿の社会人。この街に住むまでは観光路線のイメージしかなかったが、地元の住民にとっては通勤通学の足として、日常的に利用されている。

 咲太が奥のドア付近に寄りかかると、


「うっす」


 と声をかけてくる人物がいた。

 あくびを嚙み殺しながら隣にやってきたのは、かの有名な男性アイドルの芸能事務所に在籍していそうなイケメン。全体的な顔のつくりはシャープで、一見すると威圧感があるのに、笑った途端に目尻が下がって人懐っこい幼さが顔を出す。それが女子にはたまらない魅力らしい。

 名前は国見佑真。所属するバスケ部でレギュラーとして活躍する二年生。彼女あり。


「はぁ……」

「おいおい、人の顔を見るなりため息はないだろ」

「朝から国見のさわやかさは目に毒だ。憂鬱になる」

「まじか」

「まじだ」


 他愛のない日常会話を繰り広げていると、発車ベルが鳴ってドアが閉まった。

 重たい体を引きずるように走り出した電車は、ゆるゆるとまだ加速途中としか思えない速度で進んでいく。かと思えば、早くも速度を落としはじめて、次の石上駅に停車した。


「なあ、国見」

「ん?」

「桜島先輩って……」

「残念だったな」


 まだ殆ど何も言っていないのに、佑真は先回りして咲太の肩にぽんと手を置いてきた。


「なに、なぐさめてんだよ」

「咲太が牧之原以外の女子に興味を持つのは喜ばしいことなんだが、いや~、さすがにあの人は無理だろぉ」

「僕は告白するとも、好きになったとも言ってないぞ」

「んじゃ、なに?」

「あの人、どういう人なのかと思って」

「ん~、そら、有名人じゃん?」

「ま、そうだよな」

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