プロローグ
マッドサイエンティストと聞かれたら、たいていの人は口をそろえて
彼はあらゆる分野でその才能を発揮したが、それ以上に狂気的な言動が目立った。しかし彼はまぎれもなく天才だった。ガリレオやアインシュタインでさえも、彼の業績の前にはかすむだろう。
峰島勇次郎が
(歴史を変えた天才
プロローグ
その部屋は、少女の
窓は一つもなく、床や壁は重厚な鉄で構成され、
少女に
よく見れば目鼻立ちは整い、まるで日本人形のように
どれほど時間が
少女が音に反応し上を見れば、分厚いガラスを
明かりの中にいるのは中年または初老の背広姿の男
「生きているのかね?」
コンコンと、男の一人がガラスを
「昨日もこんな感じだったじゃないか。使い物になるのか?」
肩をすくめる男に別の一人が、話しかける。
「やはり処分するべきだろう。使い物にならないのなら、なおさら」
「いや、あの頭脳にある知識の数々は、捨てるに
さらに別の男が、
「問題が起こってからでは遅いのだよ」
「心配性ですね。この地下1200メートルの
「しかし役に立つのか、あれで? 廃人同然ではないか」
「問題となるのは、それだけではなかろう。日本政府があの娘の存在を
「隠し通せばいい。いざとなったらこの施設ごと切り捨てる」
「アメリカやヨーロッパ諸国の追求をかわせるというのか?」
「それは君達の仕事だろう。私が急な予算の
「待て!」
一人がガラスの外、部屋の
「どうやら生きてるようだな」
最初に窓ガラスを叩いた男が、息苦しそうにエリに指をいれる。
「いまの会話が聞こえたのか?」
「まさか。防音は
白衣姿が板についた
「あの、相手はなにぶんまだ七歳の子供です。皆様、どうかおてやわらかに」
「何を言ってるのだね、君は?」
「子供だろうがなんだろうが、あれはあの男の娘なんだぞ」
「
「おい、あれが何か
見れば少女の唇が、力なく動いている。何か喋っているらしいが、
「何か言ってるようだが。音声をマイクで拾えるかね?」
まもなく少女のつぶやきを、
「よく聞き取れませんな」
「単なるうわごとじゃないのかね?」
「もっと聞こえるようにできないのか?」
ボリュームを上げたスピーカーから、雑音に混じり少女の声がようやく届いた。
「もっと……聞こえるように……できない……のか?」
少女の
「おい、完全な防音のはずだったんじゃないのか?」
「は、はい。そのはずです」
岸田博士も理解できないという顔をする。完璧な防音設備、少女のいる部屋に男達の言葉が聞こえるはずはない。男達の一人がガラスを
「おい……完全な防音の……はずだったんじゃ……ないのか?」
マイクが再び少女の声を拾い、また男達の言葉が再現されたことを証明する。
「やはりあれも
峰島勇次郎の遺産という単語が出た
「いったい何が起こったんだ? あんな能力があるなど報告にないぞ」
「峰島勇次郎の遺産。やはり処分すべきだったんだ」
「いまからでも遅くはない。殺してしまおう」
恐怖はまたたくまに
少女はぼんやりとうろたえる男達を見ていたが、
「どうやって処分する?」
マイクが拾った少女の声に、男の声が見事に重なった。その言葉を発した男は、一瞬何が起こったのか
「おい、いま
次の言葉も、同じように重なる。そこでようやくまわりの男達も気がついた。
「いま、君の言葉とあれの言……」
さらに一人の男が言葉を発したが、しかしその言葉も
もう
「不用意ですね。彼女の前であのような会話をするなんて」
恐怖が頂点に達しようというとき、張りのある声が背後から聞こえてきた。男
「
伊達と呼ばれた男に一人が話しかけるが、あわてて口を押さえた。しかし、スピーカーから少女の声は聞こえず、ほっと胸をなで下ろす。伊達は、計ったような正確な歩調で男達に近づいた。
「伊達君、やはりあれは
「読心術か?」
「いや、そんな研究があった報告は受けていない」
「あのマッドサイエンティストの研究が、全部明らかになっている訳じゃないだろう」
再び男達は
「別に人間ばなれしたものじゃありませんよ。ただ
伊達の一言が、それを静める。
「唇の動きを読む?」
「そうです。私の部下にも同等の技術を持った者は何人もいます。もちろん先ほどアレがしたことと同じ振る舞いもできます」
少女を
「しかしさっきは私と同時に喋ったぞ。これはどう説明する?」
「唇を読むのに慣れたんでしょう。よく聞けば、
「うむ、言われてみれば」
「その通りでしたな」
「
伊達の提示した常識に、その場の誰もが飛びついた。
「必要以上に警戒しても、思うつぼですよ。相手はたかが小娘。我々をからかって遊んでるんです」
そう言って伊達はさりげなくマイクのスイッチを切った。その様子を生気のない目で、少女が見つめている。
「そういえば君の部隊の調子はどうだね? そろそろ本格的に活動してもいい
「これから
伊達と岸田博士だけは、重なった少女の言葉が
──こいつらは何も
伊達は表情ひとつ崩さず、内心で男
──あれのもっとも恐れなければならない能力は、峰島勇次郎から受け継がれた知識ではない。それを受け止められる知性と、卓越した観察力なのだ。
それが導き出す能力はついさっき目の前で見せつけられた。相手の言動をつぶさに観察し、性格や思考傾向をあばき、発する言葉すらも
特定の状況下の単純な行動パターンなら、予想も導きやすい。最初に
──読心術? とんでもない。もっと事態は深刻なんだ。あんたらはあれに操られたんだよ。
伊達と男達は、少女に背を向けると部屋から出ていった。岸田博士も心配げに少女を見た後、部屋を去る。
分厚い金属の扉が閉じる。部屋は
物語の幕が開くのは、まだ十年の年月を必要とする。